「かんとうだき」とも読む。関東風の煮込みおでんのことである。気長に煮るだけで、寒い時期の晩酌にも、ごはんにもよく合い、魔法でもかけられたように暖かくなる。京都ではおだい(大根)の旬に必ず食べる家庭料理であり、主役の種(たね)は、おだい、おこんにゃ(こんにゃく)、ひろうす(がんもどき)、お焼き(焼き豆腐)、小芋、じゃがいも、にんじん、ちくわ、ごぼ天やひら天(さつま揚げ)。関西風の最たる種といえば、串に通した牛すじや蛸、鯨のさえずり(舌)やコロ(皮)といったところだろう。いつのまにか、東京のコンビニおでんが関西風のだしになっていて驚いたが、関東煮の決め手はだしで、秘訣は下ごしらえに手を抜かないこと。

 まず、おこぶと鰹節でだしを十分ひいておき、使ったこぶは鍋底に寝かせておく。野菜は大振りに切って、先に湯がいておくこと。おこんにゃは先に湯通しし、天ぷら(揚げた材料)には湯をかけて油抜きをする。おこぶを寝かせた鍋にだしを張り、野菜や豆腐類を入れてことこと煮て、味醂、砂糖少なめ、日本酒、塩、淡口醤油でうすめの味を付ける。最後にちくわや天ぷらを入れると、だしにこくが加わるので、ひと煮立ちさせれば完成である。あとは好みで煮加減や味を調整するだけでよい。

 「おでん」とは「おでんがく」の略語で、「御田」と書く。語源は田楽という笛や鼓に合わせて舞う農耕儀礼のことだ。その舞姿が、豆腐を串に刺して味噌をつけた味噌田楽に似ていたので、食べ物の名称になったと伝えられている。そして、串に刺しても崩れないように、おこんにゃを使った「おでん」が主流になったというわけである。以前は京都で「おでん」といえば、角切りのおこんにゃを竹串に刺して茹で、そこに甘味噌をかけた味噌田楽のことであった。醤油味のだしでつくる煮込みおでんは、江戸末期にうまれたものだ。それが明治期に関西地方に伝わり、味噌田楽の「おでん」と区別するために、関東煮と呼ばれるようになったそうだが、詳しい理由はわかっていない。

 

   

京都の暮らしことば / 池仁太   



 フランスの経済学者トマ・ピケティ氏(43)が書いた『21世紀の資本』(みすず書房)が130万部を超す世界的なベストセラーになり、日本でも13万部を超えたという。

 だが5940円という価格はともかく700ページ以上もある難解なこの本を読み通したという人は、私の周りにはいない。

 私などは端からこうした本を読もうという意欲はないから、『週刊現代』(1/17・24号)の5分でピケティがわかるという記事を紹介しておこう。

 この本の翻訳を手がけた山形浩生(ひろお)氏がこう解説している。

 「本書で主張していることは、実はとても簡単なことです。各国で貧富格差は拡大している。そして、それが今後大きく改善しそうにないということです。
 なぜかというと、財産を持っている人が、経済が成長して所得が上がっていく以上のペースでさらに金持ちになっていくからです。ピケティの功績は、このことをデータで裏付けたことにあります」

 な~んだそんなことかというなかれ。ノーベル経済学賞を受賞したポール・クルーグマン氏が「この10年で、最も重要な経済学書」と絶賛し、甘いマスクがさらに人気を高めているのだ。

 『週刊東洋経済』(1/31号、以下『東洋経済』)は「ピケティで始める経済学」という大特集を組んでいるし、朝日新聞が招いて開いた講演会は満員だった。

 『東洋経済』によれば、ピケティ氏は元々数学が得意だったらしく、経済学者が現実社会をあまり知らないまま数学的な純粋理論に没頭していることに批判的だったという。

 「ピケティの経済学者としての特徴は、資本主義は自動的にバランスの取れたものとはならないので、適度な管理が必要という姿勢にある。これは歴史的にはケインズを代表とする中道左派の流れだ。実際、フランス現与党のリベラル政党、社会党との距離が近いことは母国ではつとに有名。格差是正の処方箋として世界的な資本課税の導入を提唱するなど政治的にはリベラル丸出しだ」(『東洋経済』)

 彼の功績は富や所得という「分配」の問題を、経済学のメインストリームに押し戻す機運をつくったことだそうだ。

 分配問題に取り組んだ古典派のデイビッド・リカードは、『人口論』の著者ロバート・マルサスに次のような手紙を書いている。「経済学は、産業の生産物がその生産にともに当たった諸階級の間にいかに分配されるか、その分配を決定する法則に関する研究にほかなりません」。

 たしかに「米国の上位10%の富裕層が総所得に占めるシェアは、1980年の34%程度から今や50%近くの水準まで急上昇」(同)しているのは異常であろう。

 アメリカほどではないが日本も格差が問題になり相続税を見直す動きがあるが、一方で貧富の格差は資本主義がもたらす必定で、このままでは格差拡大は止められないという声も多い。

 それに富裕層に課税すれば、彼らはタックスヘイブン(租税回避地)を活用して資産を移してしまう。こうしたことに対してピケティ氏は、説得力のある形で説明する理論モデルを完全に提示できていないという批判もあるようだ。

 また『週刊新潮』(2/5号)は、彼の本にあるデータに間違いが多くあり、捏造(ねつぞう)疑惑まで出ていると報じている。

 アメリカの2人の学者がこう指摘している。

 「ピケティはレーガン大統領とH・W・ブッシュ大統領が、連邦政府職員の最低賃金を一度も引上げなかったと嘆く一方、クリントン大統領が最低賃金を時給5.25ドルに引上げたと述べている。だが、実際は職員の最低賃金が5.25ドルだったことは一度もなく、ブッシュの下で2度も引上げられています」

 これは些細な誤りではなく、所得税の最高税率を80%にし、富裕層に5%のグローバル資本税を課すべしとする政策の支柱部分に当たる誤りで、問題なしとしないというのである。

 だが、ピケティ氏はひるまず、改善の余地はあるが、広い意味での結論は変わらないとコメントしているそうだ。

 霧島和孝城西大教授は、この本は学術界で「ディスカッションペーパー」といわれるもので、間違いを指摘してもらって改訂しながら研究に磨きをかけていけばいいと話している。

 画期的な論文が様々な批判にさらされるのは、その内容が刺激的だからであろう。アベノミクスでも話題になる「トリクルダウン」(富者が富めば、貧者にも自然と富がしたたり落ちる)もこの流れの中にあるのだろうが、ちなみにアベノミクスについてピケティ氏は、「株は上がるが、政府が助けたいと思う人よりも、それ以外の人々(富裕層)に影響が及んでしまう」(朝日新聞1月31日付)と格差拡大に批判的である。

元木昌彦が選ぶ週刊誌気になる記事ベスト3
 週刊誌では展開が早くて追い切れなかったイスラム国による湯川さん、後藤さん人質事件が、残念なことになってしまった。
 安倍首相の中東歴訪での発言や身代金交渉の不手際など、検証しなければならないことは多くあるが、最も指摘すべきは、メディアが安倍首相の責任問題も日本政府がイスラム国と水面下で何をやっているかも報じることなく沈黙してしまったことである。
 よくいわれてきたように、新聞、テレビは重大なことが起きると自主規制し、大本営発表しかしないことが今回も立証されてしまった。わずかながら週刊誌には政府がひた隠しにしようとする「何か」をチラッとではあるが報じていた気がするのは、私の身びいきだろうか。

注目記事・日本人人質関連記事
「よく頑張ったよ、後藤健二さん」(『週刊現代』2/14号)
「安倍官邸と大メディア『政府批判は“非国民”』恐怖の盟約」(『週刊ポスト』2/13号)
「『イスラム国残虐映像にすくんだ平和『日本』」(『週刊新潮』2/5号)
「後藤健二さん書かれざる数奇な人生」(『週刊文春』2/5号)
「完全ドキュメント イスラム国に翻弄された安倍官邸24時」(『フライデー』2/13号)

 イスラム国による後藤健二さんと湯川遙菜(はるな)さん人質事件は、最悪の結末を迎えてしまった
 そうはいっても二人の遺体が発見されたわけではないから、生存の可能性はあるのではないかと考える自分がいるのだが、儚い願いなのであろう。
 多額の身代金要求から湯川さん殺害、後藤さんと交換にヨルダンに収監中のサジダ・リシャウィ死刑囚の釈放と、イスラム国側は日本政府の対応のまずさをあざ笑うように次々と要求を変えてきた。
 私は1月31日の夜にヨルダン政府がイスラム国に拘束されているヨルダン軍パイロット・カサスベ中尉の安否が確認されなければリシャウィ死刑囚を釈放しないと発表した時点で、この交渉は難しい局面に入ったと思わざるを得なかった。
 イスラム国対ヨルダンという構図になり、日本が出る幕はなくなった。あるとすれば後藤さんに対する身代金として多額のカネを払うことしかない。たぶん水面下ではそうした交渉が行なわれているのだろうと思っていたが、イスラム国はわれわれの願いを無視して、後藤さんの命まで奪ってしまった。
 このような理不尽な蛮行が行なわれる世界をわれわれ日本人も生きているということを、嫌というほど思い知らされた痛恨事である。
 2人の悲報に接した、ご家族や親類、友人たちの悲しみを思うと、これ以上書き進めることができなくなる。
 あのような奴らを人間の皮を被った獣というのであろう。
 奴らがどんなに高邁な理想に燃えて国づくりをしていようと、この残虐行為を絶対許すわけにはいかない。
 それは「テロに屈しない」などという薄っぺらなお題目からではない。オバマや安倍がどんなに相手を非難しようと、こうしたテロの連鎖を拡大してきた責任は彼らにもある。
 湯川さん、後藤さん、二人の霊に跪(ひざまず)き、われわれもオバマも安倍も許しを請うべきであろう。そして2度とこのような悲劇が繰り返されないためにはどうしたらいいのか、衆知を集めて考えるべきときである。
 週刊誌も多くのページを割いてこの事件を報じているが、事件の進展が早く、後手後手に回ってしまっていて、残念ながらこれはという記事は見当たらない

 わずかに、このところこの事件についての核心を突いた報道で気を吐く『ポスト』が、メディアの責任と「人質解放交渉」の裏側をわずかだが報じているのが目についただけだ。
 『ポスト』は野党も最初から安倍批判を封印し、「安倍首相の中東歴訪がテロリストを刺激し、今回の事件を招いたかのような、的外れの政権批判が野党の一部などから出ている」(読売新聞1月23日付社説)、「事件は首相の歴訪が招いたものとの批判があるとすれば、誤りだ。卑劣なテロによって評価が左右されることはない」(産経新聞1月22日付社説)のように、安倍政権寄りの新聞が、安倍首相の責任逃れに荷担したことを難じている。
 これでは9・11以降、アメリカのメディアがブッシュの戦争に異を唱えることなく、沈黙するか諸手を挙げて賛同したのと同じではないか。
 少なくともこれだけは確かだ。湯川さんはもちろんのこと後藤さんが人質になっていることを安倍首相は中東歴訪以前に知っていた。
 しかし、身代金の件を含めてイスラム国とのパイプ作りや裏交渉を十二分にした形跡はない。
 しかも、情報を知りながら中東歴訪で「イスラム国と断固戦う」と強調する演説を行なったのはなぜなのか。これがイスラム国側の怒りを駆り立て、要求をエスカレートさせたのではないのか。
 2人だけではなく、今後中東にいる多くの日本人の命を危険にさらすことになるのではないか。こうしたことへの安倍首相の責任を追及することは、政治家としてメディアとしての重要な役割であることはいうまでもない。
 一部を除いて、こうした国を揺るがしかねない事態が起こったとき、新聞、テレビが政権批判を自主規制し、何が行なわれているのかを取材すらしないことが白日の下にさらされたのだ。
 また、『ポスト』によれば、一昨年の英国サミットで安倍首相が署名した首脳宣言には「テロリストへの身代金支払いを全面的に拒否する」ことが盛り込まれていたため、イスラム国へ直接身代金を払うことはできない。そこでヨルダンへの経済援助という形をとることが検討されたという。
 しかしイスラム国のほうが一枚も二枚も上手で、ヨルダンを交渉に噛ませることで身代金も死刑囚の釈放も手に入れようとしたのだと、国際政治アナリストの菅原出(いずる)氏は見る。

 『現代』によれば、湯川さんとの交渉で、身代金として払えばFRB(米連邦準備制度理事会)に嗅ぎつけられてしまうから、数億円分の金塊を運ぶ案まで出されたという。だがそれは「湯川さんはすでに殺害されている」という情報が出たため実現しなかったというのだ。真偽の程はわからないが「カネですめば」という考え方が日本政府にあったのは間違いないのかもしれない。
 だが、日頃からの人的接触もルートもないままの裏交渉がうまくいくはずはない

 『文春』ではアルジェリア系フランス人(26)と結婚した日本人女性(29)が2か月前に出国。トルコ経由でイスラム国に参加したのではないかと、娘の父親が話している。そのほかにも5人ほどがイスラム国の支配地域に入っているのではないかと公安関係者が語っている。
 こうしたイスラム国へ共鳴した人間たちが人質になるケースが、これから出てくるかもしれない。

 今回のことで日本という国は外交には未熟で、カネだけで解決しようとする国だというイメージが定着すれば、これから第2、第3の人質事件が出てくるのは間違いない。
 国会では安倍首相の責任追及とテロ対策を徹底的に議論すべきである。
 週刊誌に望むのは情緒的な安倍批判ではない。新聞やテレビにできない人質交渉の裏を取材、検証して、安倍首相の責任とイスラム諸国との関係を今後どうしていくのかを考える材料を提供することこそ、やるべきことだと思い定めてほしいものだ。
   

   

読んだ気になる!週刊誌 / 元木昌彦   



 いわゆる「キラキラネーム」を巡る問題はだいぶ昔から語られてきているが、実際のところ「変わった名前の子ども」はそこまで珍しくなくなっている印象もある。識者が心配するわりには社会の拒絶反応は低いというべきか。両親にしてみても、「個性的な名前をつけよう」という意識が特にない場合もあろう。いまどきのキラキラネームは無自覚的なのかもしれない。「無自覚」といえば、最近、もう一つ「キラキラ」の形容が冠せられるものがある。メールアドレス、メアドである。

 いまどき、年少時からすでに多くの人が自分のメアドを持っている。だが、まだ生きるゾーンは狭く、親や友人同士の連絡にしかメアドを使うことはない。気安さから自然に、「-chan(~ちゃん)」などのニックネームや、「love」や「dream」といったキレイめのワードを設定することがある。それ自体は人にとやかく言われる筋合いはない。だが、やがて多少のマイナス面が生じてくるのは、年齢を重ねると、あまり面識のない人とメールでやり取りする機会が多くなるからである。よく語られる例が「就活」である。そんな偏狭な人事部がどれだけいるかは疑問だが、キラキラ系のメアドは不利に働くという説がある。「常識的な選択に欠ける」ということらしい。もちろん、昨今は複数のメアドを使い分ける人も多いので、気に入っているメアドなら削除までしてしまう必要はない。

 ただ、若い世代のあいだでは、恋人の名前をメアドにする「若気のいたり」もそれなりに見られるらしく、我々年のいった大人からすると、なかなか悶絶してしまうところなのだが……。
   

   

旬wordウォッチ / 結城靖高   



 国が基準を定めた認可保育園に子どもを入園させたくても、定員オーバーで断られる待機児童問題。この待機児童解消の一助とするために、2006年10月にスタートしたのが「認定こども園」だ。今、その認定こども園が補助金問題をめぐって揺れている。

 小学校に入学する前の未就学児の預け先は、大きく分けると認可保育所と幼稚園のふたつ。

 認可保育所は、0歳から就学前の「保育に欠ける」乳幼児のための保育施設。保育時間は原則8時間で、入所できるのは親が働いているなどの条件がある。児童福祉法に基づき、厚生労働省が管轄している。

 一方、幼稚園は、満3歳から就学前の幼児の心身発達を助ける教育施設という位置づけだ。保育時間は4時間程度で、こちらは親が働いていなくても入園できる。管轄は文部科学省で、学校教育法に基づいて運営されている。

 保育所と幼稚園は異なる目的のもとに作られ、共働き世帯の子どもは保育所、妻が専業主婦の世帯は幼稚園と概ねの住み分けがあった。しかし、時代の流れとともに保育ニーズも変容。共働き世帯の増加や核家族化によって、保育所の入所希望者が増える一方で、保育時間の短い幼稚園の入園者は減少。規制緩和が求められるなか、小泉自民党時代の構造改革によって「幼保一元化」が進められ、保育園と幼稚園の両者の機能をあわせもつ「認定こども園」が誕生した。

 認定こども園は、就学前の乳幼児の保育と教育を一体的に捉えて提供する施設で、親が働いている・働いていないに関わらず、すべての子どもが入園可能だ。また、地域の子育て支援ステーションとしての役割も兼ね備えており、都道府県が認定することになっている。こうした利便性によって、それまで幼稚園だったところが鞍替えするなどで認定こども園は年々増加し、2014年4月1日時点では全国で1359施設が認定を受けるまでになった。

 ところが、昨年、国が来年度からの補助金削減を打ち出してから、認定こども園返上の意向を示す施設が相次いだのだ。

 これまで、認定こども園は、文部科学省と厚生労働省の両省から補助を受けていたが、2015年度から始まる「子ども・子育て支援新制度」によって、補助金も内閣府に一本化されることになった。そのなかで補助金の大幅な減額も打ち出され、施設からは「これでは運営できない」「保育料を値上げせざるを得ない」といった声が聞かれるようになっていたのだ。

 しかし、メディアなどで、認定こども園を利用していた親たちの窮状が大きく報じられると、有村治子(はるこ)少子化担当大臣(当時)は「必要な措置を講じる」と一転。

 今年1月22日に、国は認定こども園の補助金の引き上げを決定。既存の園で、幼稚園部分と保育園部分それぞれに施設長がいる場合は、経過措置として従来通りに2人分の人件費補助を行なうなど、減収を避ける対策を講じることになったのだ。

 アベノミクスでは、成長戦略のひとつに「女性の活用」を掲げている。だが、打ち出す政策は、評判が悪すぎて廃案になった「女性手帳」、「育児休業期間を3年に延長」など、ちぐはぐなものが多い。そして、今回はようやく増えてきた認定こども園を減らすような政策を平気で行なおうとする。これでは、国が本当に女性に社会進出を望んでいるのか疑わざるをえない。

 厚生労働省の発表では、待機児童数は全国で2万1371人となっている(2014年4月1日現在)。しかし、しぶしぶ認可外の保育施設を利用したり、育児休暇を延長したりしている人も含めると、潜在的な待機児童数は85万人に達するといわれている。

 安心して子どもを預けられる施設が見つからなければ、子を持つ親の働きに期待するのは難しい。「女性の活用」を謳うのであれば、まずは保育施設の充実に予算を投入するのが筋というものだ。
   

   

ニッポン生活ジャーナル / 早川幸子   



 「メイソンジャー」という、特殊な機密性を持ったフタのあるガラス瓶が、ニューヨークでのブレイクを経て日本にも浸透してきている。ガラスといっても分厚く頑丈なので、使い勝手がいい。小洒落たカフェが好きならば、おそらく一度は目にしたことがあるはず。流行り物とは言っても、 老舗メーカー・Ball社の定番商品で、その良さが「見直された」といった感じのブームである。なんとなくレトロな感覚があるのは、知らず知らずのうちに映画などで目にしているからだろう。

 アイディア次第で何にでも使えるメイソンジャーだが、特に「ジャーサラダ」、あるいは「ボトルサラダ」と呼ばれるサラダで注目を浴びている。瓶にサラダ?と思うかもしれないが、野菜が層をなしている様子は見栄えがよく、女性的センスからすれば「カワイイ」のである。また、単純に作り置きができるのもポイントが高い。これまでサラダという料理は「保存する」という発想に至らなかったけれども、栄養面などを考えて凝ったものにすれば、それなりに時間はかかる。その点、忙しい現代人にとってジャーサラダは、手軽に作れるうえ、野菜不足をフォローする力強い食事なのである。

 その作り方は、まずは瓶の底にドレッシングを入れる。そこに直接浸かる野菜は、マリネ状になるので固い野菜が基本だ。あとはたんだんと軽い野菜になるように詰めていき、葉野菜は当然上のほうに入れる。いざ食べるときには、振るだけでドレッシングが全体的に混ざるので機能的だ。このあたりも瓶を用いるメリットである。
   

   

旬wordウォッチ / 結城靖高   



 2014年に日本を訪れた外国人旅行者が前年比29.4%増の約1341万人と2年連続で最高を更新した。太田昭宏国土交通大臣が1月20日に発表した。大きな伸びを示した背景には、円安で日本への旅行や買い物に割安感が出ていることに加え、観光ビザの免除・緩和や消費税免税品目の対象拡大があるという。政府は、15年は1500万人を突破すると見込んでいる。

 国・地域別で見るとベスト3は(1)台湾283万人(28.0%増)(2)韓国276万人(12.2%増)(3)中国241万人(83.3%増)の順。尖閣諸島をめぐる対立で落ち込んだ中国が大きく回復したことがわかる。

 政府は東京オリンピックが開催される2020年に2000万人の訪日客を目標に掲げており、太田大臣は「目標の達成が現実味を帯びてきた」と胸を張る。

 ただ、そのためには地方の観光地への誘致が課題だ。いわゆる東京、箱根・富士山、京都、大阪といった「ゴールデンルート」に訪日客の旅行先が偏っているとの指摘が少なくない。第二、第三のゴールデンルートの開発が必要なのは言うまでもない。例えば北陸新幹線の金沢延伸(2015年3月)で交通利便が増した長野~北陸ルートなどはどうか。

 訪日客誘致に向け、宿泊施設の整備、外国語対応のできる人材の育成など、やっておくべき施策もあるようだ。
   

   

マンデー政経塾 / 板津久作   



 漢字の字面だけを見たら『枕草子』みたいに高尚な感じもしなくはないが、タネを明かせば単なる「女装する男子のこと」を指す造語で、「ジョソコ」とカタカナ表記することもある。

 性転換手術前、あるいは手術後のニューハーフが女装子に走るのは、まあ自然の流れだが、最近は、たまたま女性的な容姿を持って生まれた男子(骨格が細い・体毛が薄い・美白……など)が、女子にしかできないお洒落やメイクを楽しむため、コスプレ気分でする“高度な女装ケース”も増えている。そして、そういうニュータイプの女装子は、性癖の面ではノン気(のんけ)であるケースが多く、基本は女装に耐えうる美男子ゆえ滅法モテて、“同性的な親近感”を武器にガンガン女子を喰っていたりする。

 昨年の12月に映画化され公開された東村アキコの人気漫画『海月姫(くらげひめ)』にも「鯉淵蔵之介(映画では男性俳優の菅田将暉(すがた・まさき)が好演。わりとキチンと“女子に化けて”いた)」なる女装子が登場しており、今後ブームに拍車がかかると予測される。

 ただ、「異性装を趣味とする男性」は、昔から一定数は実在していたのも事実……だが、まだ女装技術が発展していなかった当時のソレは、青いひげ剃りあとや乗っけたようなカツラや毒々しく真っ赤なルージュやスネ毛や硬そうな筋肉が痛々しく、ほとんどが“コント装”にしか見えなかった。やはり、今の20代あたりから食べ物の違いとかで日本人の体型・体質は劇的に変化したのかもしれない。

[類似語]女形 、装飾男子
   

   

ゴメスの日曜俗語館 / 山田ゴメス   


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