麦代餅とは、餡を餅で包み、豆や麦の粉を散らした素朴な餅菓子のこと。店によっては、ひなびた風情の茶菓子として提供しているところもあるが、本来は気取った菓子ではない。昔、京都市内やその周辺の農村には、田植えや麦刈りで忙しいとき、昼食代わりや野良仕事の間食に、漉し餡を包んだ大振りで長めの餅を食べる習慣があった。そして、農繁期に食べていた餅の代金を、半夏生(はんげしょう、7月初め)の頃に刈り取った麦で支払っていた。そのため、この餅菓子のことを麦「代」餅と書くようになったという。地域によって麦「手」餅と書くところもあり、いくつかの違う形態の食べ方が伝わっている。たとえば、京都市西部の洛西や北部の洛北では大きな餅で餡を挟むように包んだものが一般的で、下鴨(左京区)や八瀬(左京区)の辺りでは編み笠形。南のほうの山城周辺では、餡入りの大福のような餅を「むぎてもち」と呼んでいる地域があるそうだ。また、草刈りに使われる鎌の形をした鎌餅(かまもち)というのもあり、これは「むぎてもち」をもとにしてつくられた菓子とのこと。

 七十二候に「麦秋至」(むぎのときいたる)ということばがある。秋という文字には収穫期という意味があり、麦にとっては5月下旬から梅雨入りぐらいまでがこの時期にあたる。「麦秋至」といえば、映画監督小津安二郎の作品『麦秋(ばくしゅう)』で見た、見事な麦畑のシーンを思い浮かべる人もいるのではないだろうか。


京都でもっとも知られている中村軒(西京区)の麦代餅。


   

京都の暮らしことば / 池仁太   



 2014年3月31日から始まったNHKの朝の連続テレビ小説。9月27日最終回(予定)。村岡恵理の『アンのゆりかご 村岡花子の生涯』(新潮文庫、以下『アンのゆりかご』)をもとに、カナダのプリンス・エドワード島を舞台にしたモンゴメリーの小説『赤毛のアン』(原題はアン・オブ・グリーン・ゲイブルズ)を翻訳した村岡花子(恵理の祖母)の生涯を描く。

 安東花子(村岡花子)に吉高由里子、花子と修和女学校(モデルは東洋英和女学院)で友情をはぐくむ8歳年上の葉山蓮子(同、柳原白蓮(びゃくれん))に仲間由紀恵、ナレーターに美輪明宏を配し、『週刊現代』(5/31号、以下『現代』)によれば「平均視聴率は20%を超え、5月9日には24・8%と最高視聴率を更新」したという。

 山梨県甲府市の貧しい小作農家の長女として生まれたはなは、父親にもらった絵本に興味を持ち始める。彼女の聡明さに気づいた開明的な父親は、東京の女学校へ彼女を入れようとするが、家族や周囲から反対をされる。

 だが、はなの本を愛する気持ちが母親たちを動かし、3年後に女学校への転校が実現する。

 この学校はカナダ人宣教師によって創設されたミッションスクールで、父親と創設者がキリスト教信仰上のつながりがあり、はなは「給費生」(奨学生)として特別編入してもらうのだ。

 学校に通う華族や富豪の娘たちの見下した態度や、校長のブラックバーン(モデルはブラックモア校長)はじめ教師たちの厳しい教育や厳格な躾け、なかでも苦手な英語に手こずり、はなは何度も退学の危機に直面する。

 だが、次第に英語に興味を持ち始め図書館にある原書を片っ端から読み、本科へ進学した頃には英語で学年一になり、校長の通訳や翻訳をこなすようにまでなる。

 卒業式の校長の感動的な祝辞も通訳しているが、『アンのゆりかご』からその部分を引用してみよう。卒業生総代が挨拶で、この学校時代ほど楽しい時代は二度と来ないと思うといったことに校長は、あなたがたがそう思うのなら、この学校の教育が失敗だったといわなければならないとして、こう続ける。

 「人生は進歩です。若い時代は準備の時であり、最上なものは過去にあるのではなく、将来にあります。旅路の最後まで希望と理想を持ち続け、進んでいく者でありますように」

 卒業後、いったん山梨へ帰り山梨英和女学校(劇中では母校の小学校)の教師をするが、再び東京へ戻り、数々の原書を翻訳し翻訳家として名を上げていく。

 『アンのゆりかご』によれば、村岡花子は社会運動にも関わりながら、外交官志望の青年との初恋と別れを経験。その後、有名な印刷屋の後継者との道ならぬ恋を貫き結ばれる。だが、関東大震災で印刷所も崩壊してしまい、6歳間近の息子を疫痢で失う。

  花子は本を書き、翻訳することで一家を支える。友人のカナダ人宣教師が帰国する際、彼女に託された『赤毛のアン』の翻訳を戦争中も続け、1952(昭和27)年に三笠書房から出版する。かけそば一杯13円の時代に250円の定価をつけたが、日本中の女性たちの心をつかみたちまちベストセラーになった。

 その後も赤毛のアン・シリースなどモンゴメリーの作品を日本に紹介したが、花子が憧れた赤毛のアンの育った島・プリンス・エドワードを見ることなく、1968年、75歳で亡くなった。

 このドラマを盛り上げているもう一人の女性は、花子の生涯の友で仲間が扮する華族のお嬢様・葉山蓮子である。蓮子のモデルは「情熱の歌人」と謳われた柳原白蓮。

 『現代』によれば白蓮の父は明治天皇の側室として宮中に上がり大正天皇を生んだ柳原愛子(なるこ)の兄・柳原前光(さきみつ)伯爵だが、白蓮は妾腹の子で9歳の時養女に出され、14歳で一度結婚している。

 だが婚家の扱いがひどく離婚するが、女学校を卒業すると遙かに年上の福岡の石炭王と結婚させられてしまう。カネはあるが何人もの妾を持つ夫との仲は冷え込み、白蓮は以前からやっていた歌に打ち込む。

 1920(大正9)年、白蓮が書いたものを読んで訪ねてきた東京帝大の学生・宮崎龍介と恋に落ちる。白蓮35歳、龍介27歳の時である。

 「姦通罪」のあった時代だったため白蓮は獄につながれる恐れもあったが、龍介が友人たちと策を練り、大阪朝日新聞に白蓮の夫の不実を訴える「絶縁状」を掲載し、世論を巻き込み大きな騒ぎになった。世にいう「白蓮事件」である。

 背景には自由を謳歌する大正デモクラシーがあり、白蓮がカネで買われて嫁いだことが広く知られていたため、この絶縁状が功を奏したと、歴史地理学者の千田稔氏が語っている。

 英語を学び外国の本を翻訳して日本人に新しい文化と触れる機会をつくった花子と、新しい時代の女性の生き方を世に知らしめた白蓮の友情は終生変わることがなかった。

元木昌彦が選ぶ週刊誌気になる記事ベスト3

 春はスポーツのシーズン。そこで今週はスポーツにまつわる話題を3本取り上げた。

第1位 「釜本邦茂『“裸の王様”本田圭佑なら日本は負ける』」(『週刊ポスト』5/30号)
第2位 「土俵外なら横綱より格上 遠藤バブルはいつまで続くか?」(『週刊新潮』5/22号)
第3位 「このままじゃ、松山英樹が潰される」(『週刊現代』5/31号)

 第3位。今や実力・人気ともに石川遼を追い越した松山だが、どうもプレー中のマナーに批判が集まっている。
 5月10日の米ツアー・プレイヤーズ選手権の3日目。同じ組で回っているプレーヤーから「カップ寄りにボールを動かした」と猛抗議されたのだ。結局これは誤解だったとお咎めはなかったのだが、このところスロープレー(不当な遅延)で注意されたり、グリーン上でマークした場所からずれていると同伴者からアピールされたりした。
 3月の試合では、パットを外した悔しさからパターをグリーンに叩きつけて謝罪することも。ゴルフは紳士のスポーツ。マナーが悪くては紳士の仲間入りはできない。くれぐれも注意するように、松山クン。

 お次は『新潮』の遠藤の記事。「夏場所初日が『満員札止め』になるのは、“若貴時代”以来17年ぶりだという。人気の理由は、“13年ぶりの3横綱”もあるだろうが、やはりこのイケメン力士の“初髷”見たさだろう」と書いている。
 日本相撲協会関係者が。初日の取組にかけられた懸賞は鶴竜らを凌ぐ14本と、過去最多だった先場所の145本を上回る勢いだと話している。
 チケットも近年にない売れ行きで、場所前に初日、7日、8日、14日、千秋楽の前売りが完売になったそうだ。

 「“遠藤バブルに乗れ”とばかりに、協会も必死です。両国国技館には“お姫様抱っこ”の撮影ができる写真パネルが設置され、グッズも旧来の“ザンバラ髪”バージョンと新“髷”バージョンの2パターンが売られる特別待遇。売行きは、さすがに大横綱白鵬には及ばないまでも、鶴竜、日馬富士を大きく引き離す“超横綱級”です」(同)

 遠藤のすごいところは、これだけ騒がれても相撲できっちり結果を残していることである。4日目の鶴竜戦では金星を上げた。ようやく角界にもスター誕生のようである。めでたいめでたい。

 今週の1位は『ポスト』の釜本邦茂氏インタビュー。サッカーのW杯はもうすぐ開幕だが、日本サッカーを応援するファンに冷水を浴びせる「“裸の王様”本田圭佑なら日本は負ける」発言の真意はどこに。

 「世界的にはまだまだ力の劣る日本が、強い相手から勝ち点を奪うには、しっかり守ってカウンターで得点を狙う堅守速攻の道しかない。
 だが、DF陣が明らかに手薄である。(中略)
 そのためFW1トップの動きがさらに重要になってくる。問題はこのFWの位置に、誰を据えるか。私はあえて、本田圭佑を推したいと思う。(中略)
 本田の持つ最大の長所は、『外国人DFに当り負けしないボールキープ力』、『体勢を崩しても枠内にシュートを打てる技術』だ。本田を起点にして相手を牽制しつつ、2列目の岡崎や柿谷、そして香川といった選手が、相手DFの裏側に出て『3番目の動き』をすれば、日本の攻撃に幅も生まれるだろう。
 ただ本田には注文がある。もっと謙虚にならなければならない。自分のスタイルを前面に出すのはいいが、それは周囲の者が理解してこそだ。それに私は、他の選手たちにも責任があると思う。チームが本田の言い分を素直に受け入れすぎているように見えるのだ。本田に対して『それは違う』と反論する者が、現在の代表にはいないのではないか。
 彼は紛れもない日本の中心選手だ。しかしだからこそ、彼を『裸の王様』にするようなことがあっては、日本は崩壊してしまう。それは中田英寿の時に、痛いほど経験したはずだ」

 ブラジルで待つのは敵のチームばかりではない。「工期の遅れ」「反W杯への高まり」など、多くの難問が待ち構えている。ベスト8まで行くのは至難だろうが、楽しい試合を期待したい。
   

   

読んだ気になる!週刊誌 / 元木昌彦   



 これだけインターネット環境が身近なものになると、「ネット界」という言葉も使いづらい。その示す範囲がいくらでも広がってしまうからだ。かつての世間のニュアンスで言えば、相手と自分の顔が見えない中で、ようやく自分の感情を吐露できるタイプが集う空間、といったところだろうか。もちろん偏見に違いないが、一面の真実もある。「リア充」=リアル(現実社会)での暮らしが充実している者に対しての「リア充爆発しろ」は、そのルサンチマン(妬み)をよく表しているコメントだ。

 ネットという空間は、SNSが一般化する前まで、じつは「リア充」を寄せつけない雰囲気があったように思う。ところが今では、フェイスブックなどで、リア充が日々の暮らしぶりを気軽に公開する場にまでなった。こんなものを食べた、こんなパーティーをした、こんな旅の最中だ……。そこには、いままでネットにいる間だけは見なくてすんだ、眩しいライフスタイルがある。「リア充投稿」の存在は、ある種の人間にとっていらだちを覚えずにいられないのである。

 一方で、はたから見れば「リア充」側にいるような人間の心にも「闇」は存在する。発信する側にしてみれば、なんの気なしにアップしただけのデートやボランティアの投稿が、どうもイラッとくる……、そんなタイプがいる。あえて分析するならば、「恋」や「人助け」をしているといった種々の「アピール」が、「押しつけがましい」というわけだ。現実社会でも、軋轢を生むのは悪意でなく、ごく一般的な行動であったりする。ネット社会も、リアルに限りなく近づいているのかもしれない。詰まるところ、いろんな感覚がある中で、個人がうまく気を遣い、またわざと鈍感になりながら生きる難しさは、リアルでもネットでも変わることがないのだ。
   

   

旬wordウォッチ / 結城靖高   



 国際結婚の増加とともに、1970年代から問題が指摘されるようになったのが国境を越えた「子どもの連れ去り」だ。

 国際結婚した夫婦が不仲になって離婚した場合、夫婦のどちらか一方が相手の同意を得ずに子どもを自国に連れ帰り面会させないといったことが起こるようになった。その結果、連れ去られた子どもは、片方の親や友人たちと会えなくなったり、環境の異なる生活に戸惑ったりして、利益が阻害されることになる。

 そこで、国境を越えた「子どもの連れ去り」に国と国とが連携して対処するために、1980年10月につくられたのが「国際的な子の奪取の民事上の側面に関する条約」だ。オランダのハーグでつくられたことから、通称「ハーグ条約」と呼ばれている。

 日本では、2011年からハーグ条約の締結に向けた準備が始まり、2013年に国内法が整備されたのを受けて、2014年4月1日から発効された。その結果、日本国内で暮らしていた夫婦が離婚し、外国人の親によって海外に連れ去られた16歳未満の子どもについて、返還や面会、居場所の確認などを国の中央機関(外務省)に援助申請ができるようになったのだ。離婚後も外国で暮らしている場合、これまでは渡航制限のあった子どもとの一時帰国も、ハーグ条約に加盟すれば許可される。

 子どもの返還に関しては、発効日の4月1日以降の事例から適用されるが、居場所の確認や面会などは国の援助が受けられる。

 だが、ハーグ条約は、子どもの親権を決めるためのものではなく、あくまでも監護者を決める裁判をどちらの国で行うかを決定する仕組みだ。そのため、子どもが連れ去られた場合は、いったん元の居住国に戻し、その国で法的手続きが取られることになる。

 元の居住国で親から虐待を受けていたようなケースでは返還を認めない、子ども自身が返還を拒む場合は年齢や状況に応じて子どもの意志を尊重するなどの配慮も設けられている。とはいえ、返還拒否の例外規定は厳しく、子どもと引き離されることを恐れる親もいる。日本では、離婚すると子どもの親権はどちらか一方の親が持つことになるが、欧米では共同親権の考え方が一般的だ。日本人女性の場合は、外国人の夫のDV(家庭内暴力)被害から逃れるために子どもを連れて帰国する事例も多く、親権に関与しないハーグ条約だけで解決するのは難しいと見る向きもある。

 ハーグ条約の前文には、「子どもの利益が最も重要であることを深く確信し」といった言葉がある。条約への加盟によって、親による子どもの奪い合いといった悲しい出来事をなくすことはできるのか。今後の運用を注意深く見守りたい。
   

   

ニッポン生活ジャーナル / 早川幸子   



 タバコが人体にもたらす「問題」はよく語られていて、「受動喫煙」の概念も広く普及したといっていいだろう。喫煙者本人が吸い込む煙だけでなく、煙草の先から出る「副流煙」が怖い。吸っている本人がよければ、という話ではない。世界保健機関(WHO)では、副流煙による喫煙で毎年多くの非喫煙者が死亡していると報告している。筆者は、害のあるものを害があるから排除しようという考えに与するつもりはない。特に、フィクションの世界でまで喫煙が問題になる昨今では、表現というものの先行きが心配になる。だが、周囲の人間に知らず知らずのうちにリスクを負わせていないか、喫煙者は無自覚であるべきではないと考えている。

 「受動喫煙」を「二次喫煙」として捉えた場合、最近は「三次喫煙」の危険も指摘されるようになった。副流煙は換気などによって一応消えはする。しかし、煙に含まれた物質は家具などに付着して、別の物質と反応し、さらに有害物質を放出する性質があるというのだ。これが「三次喫煙」、ないし「残留受動喫煙」と呼ばれるもの。喫煙者の集まる男性中心の職場では、壁がヤニで黄色くなっている光景も珍しくない。そうした部屋では、いくら換気してもよどんだ空気が消えない感じを受けるが、必ずしも「気のせい」ではないということなのだ。ただし実際のところ、これが深刻な「被害」につながるかどうかは、くわしい研究が待たれる。
   

   

旬wordウォッチ / 結城靖高   



 8月11日が「山の日」として国民の祝日になりそうだ。超党派の国会議員が提出した祝日法改正案が、今の通常国会で成立する見通しだからだ。施行は2016年から。国民の祝日は年間15日から16日に増え、祝日がないのは6月だけになる。

 改正案は「山の日」の意義について、「山に親しむ機会を得て、山の恩恵に感謝する」と明記している。「山の日」の制定に、2009年から取り組んできた日本山岳会のホームページには、「古くから日本人は山を信仰の対象として崇め、森林の豊かな恵みに感謝し、自然とともに生きてきました。山の恩恵は渓谷の清流を生み、わが国を囲む海へと流れ、生きとし生けるものを育むだけではなく、豊かな心をも育んできました」とある。そこで山に感謝しよう、というわけである。7月に「海の日」があることから、「それなら『山の日』もあっていい」との思惑もありそうだ。

 8月11日は夏山シーズンの真っ盛りで、山が身近な季節だ。ただ、経済界の一部には「これ以上、祝日を増やしたら生産性が落ちて企業活動の活力が失われ、国際競争力も低下する」との懸念があるという。サラリーマンには「お盆休み」の直前で、休みが続いて喜ばれそうだが。
   

   

マンデー政経塾 / 板津久作   



 今年初頭あたりまでは、近年増加の傾向をみせる「理系の女子学生や女性研究者、理系の進路を目指す女子中高生、理系の女性社員など」のことを、おもにこう総称していたが、小保方晴子(おぼかた・はるこ)ユニットリーダー事件以来、「リケ(ン=利権)にあざといしたたかな女子」、もしくは「理研で働く女性」、あるいは「理研とモメる女性」のことをこう呼ぶケースも出始めてきた。

 また、一昔前だと「世間ずれしていない、うぶな娘」という意味合いで使われていたはずの「おぼこ娘」が、やはり「利権にあざといしたたかな女子」の同義語として使われるケースも出始めてきている。この場合、正確な表記は「オボ子娘」

 ちなみに筆者は、世間に叩かれれば叩かれるほどに妙な憂いに満ちた色気を蓄えていくオボちゃんのことがドンズバタイプなので、「オボちゃんの悪口は一切書かない!」と、あらゆるメディアで宣言している。これくらいの“リケジョ”と恋に落ちるくらいの人生のほうが、スリリングで楽しいのではないか、と思うのだ。
   

   

ゴメスの日曜俗語館 / 山田ゴメス   


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