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改訂新版 世界大百科事典のサンプルページ一覧

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源頼朝(日本大百科全書・世界大百科事典・国史大辞典・日本架空伝承人名事典)
鎌倉幕府初代将軍。源義朝(よしとも)の三男。母は熱田(あつた)大宮司藤原季範(すえのり)の女(むすめ)。義朝は1143年(康治2)から45年(久安1)ごろにかけて、相模(さがみ)国鎌倉の館(やかた)を本拠として東国経営を進めていたが、のち上洛(じょうらく)して季範の女と結ばれた。
徒然草(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
鎌倉時代末期から南北朝時代の初めにかけて成立した随筆集。兼好(俗名卜部兼好)著。上下二巻。北村季吟の『徒然草文段抄』以後、序段以下二百四十三段に章段を分けて記すようになった。書名は、「つれづれ」、すなわち、することもない生活の退屈さ・寂しさを紛らわし
(改訂新版・世界大百科事典)
間に危害を加える想像上の怪物,妖怪変化。鬼と呼ばれる表象の内容は多種多様であり,時代によっても変化しているので,それをまんべんなく説明することはきわめて難しい。〈おに〉という語は,人に見えず隠れ住んでいることを意味する〈隠(おん)/(おぬ)〉に由来するとする説や
子実体(改訂新版・世界大百科事典)
担胞子体sporophoreともいう。菌類において,胞子が形成される部分が集合して塊状となったもの。いわゆるキノコは大型でよく目だつ子実体である。子囊菌類の子実体は子囊果ascocarpといい,一群の子囊を2核性の菌糸(造囊糸)と単相の菌糸が幾重にもとりまいた構造をなしている。
菌糸(改訂新版・世界大百科事典)
真菌植物の本体(栄養体)を構成する分枝した細い糸状体を菌糸といい,その集まりを菌糸体myceliumという。菌糸は先端生長によって伸長し,栄養分となる有機物があり,適当な湿度や温度などの良好な外的条件が続くかぎりいつまでも生長する。隔壁がなく多核体をなすもの(接合菌類)と
アントシアン(日本大百科全書・改訂新版世界大百科事典)
植物色素の一群で、赤、青、暗紫色などを呈する花や葉、果実などの色素のこと。ギリシア語のanthos(花)+cyanos(青い)の意味から命名され、花青素(かせいそ)ともよばれた。基本構造として2個のベンゼン環が3個の炭素で結ばれた炭素骨格をもち、フラボノイド色素群に含まれる。
明石掃部(明石全登/あかしてるずみ)(日本人名大辞典・世界大百科事典・国史大辞典)
織豊-江戸時代前期の武将。宇喜多秀家につかえ,関ケ原の戦いで西軍に属して敗れ筑前(福岡県)秋月にすんだ。大坂の陣では豊臣秀頼の招きに応じ,真田幸村らと活躍したが,慶長20年(1615)大坂落城の際に死んだとも,逃亡して元和4年に病死したともいう。
後藤基次(後藤又兵衛)(改訂新版・世界大百科事典)
織豊政権期の武将。通称又兵衛。氏房,政次ともいう。播磨三木城主別所氏に仕えた新左衛門の子。豊前黒田氏に養われ,孝高・長政父子に仕えた。長政に従って豊臣秀吉の九州征伐,文禄・慶長の役に従軍,関ヶ原の戦にも戦功をあげる。
法隆寺(日本大百科全書・世界大百科事典)
奈良県生駒(いこま)郡斑鳩(いかるが)町にある聖徳(しょうとく)宗総本山。斑鳩寺(鵤寺、伊可留我寺とも書く)、法隆学問寺などの異称がある。南都七大寺の一つ。草創の由来は、金堂の薬師如来坐像(やくしにょらいざぞう)光背銘によると、用明(ようめい)天皇が病気平癒を念じ
孝徳天皇(日本国語大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
第三六代天皇。茅渟王の子。斉明天皇の同母弟。名は軽皇子、天万豊日尊。大化元年(六四五)即位し、在位一〇年。難波の長柄豊碕宮に遷都。中大兄皇子、中臣鎌足らとともに、大化の改新を行なう。推古天皇五〜白雉五年(五九七〜六五四)
大日本帝国憲法(改訂新版・世界大百科事典)
1889年2月11日発布され,90年11月29日より施行され,形式的には1947年5月2日まで存続した憲法典で,〈明治憲法〉あるいは〈旧憲法〉とも呼ばれる。制定過程、明治維新にあたり政府は五ヵ条の誓文
摂政(改訂新版・世界大百科事典)
君主に代わって万機を執り行う者,または執り行うことをいう。君主が未成年の間,あるいは君主に事故があった場合などに置かれる。日本 古代~近世 摂政はその出自より大別して,皇族摂政と人臣摂政に分けられる。
明正天皇(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
一六二三-九六。一六二九―四三在位。幼称は女一宮。諱は興子。後水尾天皇の第二皇女、母は皇后和子(東福門院)。嫡出の第一子で、将軍徳川秀忠の外孫にあたる。元和九年(一六二三)十一月十九日誕生。寛永六年(一六二九)十月二十九日内親王宣下が行われ、ついで十一月八日父天皇の突然の譲位決行により受禅
元正天皇(国史大辞典・世界大百科事典・日本人名大辞典)
六八〇 - 七四八 七一五―二四在位。草壁皇子の皇女。諱は氷高(日高)。新家(にいのみ)皇女ともいう。母は元明天皇。天武天皇九年(六八〇)に生まれる。霊亀元年(七一五)正月、一品を授けられたが、同年九月二日皇太子首皇子が幼年のため元明天皇の譲りをうけて
持統天皇(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
六四五-七〇二。六八六―九七在位。ただし正式即位は六九〇年。白鳳時代の女帝。諱は高天原広野姫、大倭根子天之広野日女ともいう。天智天皇の第二女、母は蘇我倉山田石川麻呂の娘の遠智娘。大化元年(六四五)誕生。斉明天皇三年(六五七)十三歳で叔父の大海人皇子(天武天皇)と結婚。
豊臣秀頼(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
一五九三-一六一五。豊臣秀吉の第二子。文禄二年(一五九三)八月三日大坂城内に生まれた。母は側室浅井氏(茶々、淀殿)。秀吉は実子に恵まれず、浅井氏との間に鶴松を得たが三歳にして死別した。このため秀頼誕生の喜びは大きく、みずから肥前名護屋の陣中より正室北政所に書状を送り
春分(日本国語大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
太陽が黄経0度の春分点を通過する時刻。ふつうはその日をいう。二十四節気の一つ。春の彼岸の中日で新暦の三月二一日頃にあたり、昼夜はほぼ同時間。《季・春》
立春(日本国語大辞典・世界大百科事典・日本大百科全書)
二十四節気の一つ。太陽の黄経が三一五度のときをいう。雑節の基準日、八十八夜・二百十日などの起算日。新暦二月五日頃に当たり、昔の中国および日本ではこの日から春になるとした。立春節。和語では「春立つ」が用いられ、陰暦の時代は、その年のうちにこの日を迎えることもあった。
冬至(日本国語大辞典・国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
二十四節気の一つ。太陽の黄経が二七〇度のときをいう。新暦一二月二二日頃。旧暦では一一月の中に当たる。この日、北半球では太陽の南中高度が最低で昼間が最も短い。この日から日照時間が伸びるので、生命力が復活する節日として祝う習慣があった。
立冬(日本国語大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
二十四節気の一つ。太陽の黄経が二二五度のときをいう。新暦の一一月七日ごろにあたり、昔の中国および日本ではこの日から冬になるとした。《季・冬》
二十四節気(改訂新版・世界大百科事典)
12個の中気と12個の節気の総称で,中国の戦国時代に成立した。節気ないし二十四気とも略称する。中国 12個の中気と12個の節気は交互におかれた。二十四節気は,太陰太陽暦を使用してきた中国の暦法の場合,各月を決定し季節を知るうえでの目印であった。
光格天皇(国史大辞典・改訂新版 世界大百科事典・日本人名大辞典)
一七七一-一八四〇 一七七九―一八一七在位。明和八年(一七七一)八月十五日東山天皇の皇孫である閑院宮典仁親王の第六王子として誕生。生母は贈従一位岩室磐代である。幼称は祐宮、諱は初め師仁、ついで兼仁と改められた。誕生の翌年聖護院宮忠誉入道親王の附弟となり、将来出家して聖護院門跡を継ぐ予定であったが
皇位継承(改訂新版・世界大百科事典)
7世紀末までの皇位継承を《古事記》《日本書紀》によってみると,16代の仁徳天皇まではほとんどが父子間の直系相続であり,仁徳以後持統までは,父子間相続6,母子間1,兄弟間10,姉弟間2,叔父・甥間1,夫婦間2,三親等以上をへだてた相続3の計25例で
天皇(改訂新版・世界大百科事典)
日本国憲法に定める日本国および日本国民統合の象徴。天皇の歴史前近代の天皇オオキミとスメラミコト〈天皇〉は〈オオキミ〉とも〈スメラミコト〉とも呼ばれた。しかしこの二つの日本語は決して同義ではなく,むしろ両者の質の違い,それぞれの用いられる次元の相違に注目することが
藤原不比等(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
六五九-七二〇奈良時代の政治家。鎌足の第二子。史とも書く。母を車持国子の女与志古娘とし、不比等を天智天皇の皇胤とする説があるが、信用しがたい。斉明天皇五年(六五九)生まれる。幼時山科の田辺史大隅の家に養われたといわれ
続日本紀(日本大百科全書・東洋文庫・改訂新版 世界大百科事典)
『日本書紀』に続く勅撰の歴史書。40巻。「六国史」の2番目。697年(文武天皇1)より791年(延暦10)に至る95年間を編年体で叙述する。797年(延暦16)に全40巻が完成・奏上されたが、それまでの編集過程は複雑である
六国史(日本大百科全書・世界大百科事典・日本国語大辞典)
官撰の6種の国史の総称。奈良・平安時代に編纂された『日本書紀』『続日本紀』『日本後紀』『続日本後紀』『日本文徳天皇実録』『日本三代実録』がそれである。国史の編纂は古く、7世紀、聖徳太子のときに『天皇記』以下が完成したといわれるが
黄表紙(日本国語大辞典・国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典・日本古典文学全集)
黄色の表紙。草双紙(くさぞうし)の一つ。江戸後期、安永四年(一七七五)から文化三年(一八〇六)頃にかけて多く刊行され、黄色の表紙で、内容はしゃれ、滑稽、風刺をおりまぜた大人むきの絵入り小説
今昔物語集(日本古典文学全集・日本大百科全書・世界大百科事典・全文全訳古語辞典)
1000以上の説話を載せる、仏教&世俗説話の集大成 〈今昔(いまはむかし)……〉で始まる和漢混交文で書かれた1059の説話を、1~5巻「天竺(てんじく)部」(インド)、6~10巻「震旦(しんたん)部」(中国)、11~20巻「本朝(日本)仏法部」、21~31巻「本朝世俗部」の31巻で構成
OPEC(改訂新版・世界大百科事典)
Organization of Petroleum Exporting Countriesの略称。石油輸出国機構と訳される。1960年9月,イラン,イラク,サウジアラビア,クウェート,ベネズエラの5ヵ国が,イラクのバグダードで開催した会議で結成された。その後カタル(1961),インドネシア,リビア(1962),アブ・ダビー(1967。74年にアラブ首長国連邦(UAE)に
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