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改訂新版 世界大百科事典のサンプルページ一覧

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立夏(改訂新版・世界大百科事典)
二十四節気の一つで暦法上では4月節といい,七十二候では〈蛙始めて鳴く〉候に当たる。現在では太陽が視黄経45°にあるときと定義されていて5月5~6日ころになるが,旧暦の日付では3月15日~4月15日の間のどこかになる。その時代には4月を孟夏といい4~6月を夏としていたが
土用(日本大百科全書・世界大百科事典)
暦の雑節の一つ。中国では、1年春・夏・秋・冬の四季に、木・火・土・金・水の五行をあてようとしたが、四季に五つを割り当てるのはむりである。そこで春・夏・秋・冬の四季に木・火・金・水をあて、各季の終わり18日余に土気をあてた。これを土用といい、土曜用事を略したものである。
リオ・デ・ジャネイロ(リオ)(改訂新版・世界大百科事典)
ブラジル南東部のリオ・デ・ジャネイロ州の州都で,大西洋に臨むブラジル第2の都市。単に〈リオ〉と呼ばれることも多い。1763年から1960年まで首都の地位にあった。人口614万(2005)。年平均気温22~24℃(最高36.7℃,最低14.9℃)。年間降水量1500~2500mm。平均湿度77%。
オリンピック(日本大百科全書・世界大百科事典)
近代スポーツは19世紀のなかばごろからイギリスで組織され、施設に力を入れたアメリカの選手育成で発展普及してきたが、この各種類のスポーツを総合的に大成させたのがオリンピックであり、古代ギリシアに起源を有するスポーツの祭典を現代に復活させたものである
真田十勇士(日本架空伝承人名事典・日本大百科全書・世界大百科事典)
安土桃山時代の武将真田幸村につかえて、武勇をあらわしたという一〇人の勇士の総称。猿飛佐助、霧隠才蔵、三好清海入道、三好伊三いさ入道、穴山小介、海野うんの六郎、筧かけい十蔵、根津甚八、望月六郎、由利鎌之助の一〇人だが、三好清海入道と伊三入道は兄弟とされている
豊臣秀長(改訂新版・世界大百科事典)
安土桃山時代の武将。豊臣秀吉の異父弟。筑阿弥の子。小一郎,のち美濃守。初め長秀,1585年(天正13)ころより秀長に改めた。1577年以降秀吉の中国征伐に従って頭角をあらわし,但馬竹田・出石城主などとして但馬・播磨経略に努めた。本能寺の変後も秀吉の片腕として山崎の戦
豊臣秀吉(日本大百科全書・国史大辞典・改訂新版 世界大百科事典)
安土桃山時代の武将。小者から身をおこし、織田信長の後を継いで天下を統一し、近世封建社会の基礎を確立した。尾張中村(名古屋市中村区)の百姓弥右衛門の子。母は尾張御器所村(名古屋市昭和区)の生まれで、名はなか(後の大政所)。秀吉の生年については2説あり
千利休(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
室町時代末期・安土桃山時代に出た茶の湯の大成者。抛筌斎利休宗易居士。堺の納屋衆の一人千与兵衛の子として大永二年(一五二二)に生まれ与四郎と称し、天文四年(一五三五)十四歳の時にはすでに千家の当主となっていた。彼は当時堺の町衆の間に流行していた茶の湯に興味を抱き
大坂の陣(国史大辞典・世界大百科事典・日本国語大辞典)
関ヶ原の戦の戦勝により、政治の主導権を獲得し、かつ戦勝者として大名の支配を可能にした徳川氏にとっては、中央政権を樹立し、その支配権を正当化し確立することが今後の課題となった。そのため戦後一門・譜代大名の創出とその要衝配置、ならびに豊臣秀吉恩顧の大名をはじめとする外様大名
淀殿(淀・茶々)(国史大辞典・改訂新版 世界大百科事典)
豊臣秀吉の側室、秀頼の母。父は近江浅井郡小谷城主浅井長政。母は織田信長の妹お市の方。長女として小谷城で生まれた。幼名はお茶々。正確な生年月日は不明であるが、『翁草』によって生年を永禄十年(一五六七)とする説がある。天正元年(一五七三)信長に包囲された小谷城から母に伴われて
石田三成(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
安土桃山時代の武将。幼名は佐吉、はじめ三也と名乗る。永禄三年(一五六〇)近江国坂田郡石田村(滋賀県長浜市石田町)に生まれる。父は隠岐守正継。長浜城主であった羽柴秀吉にその俊敏さを認められ、年少のころから近侍として仕えた。秀吉の中国征伐・山崎の戦にも従い
暮しの手帖(改訂新版・世界大百科事典)
花森安治(1911-78)が設立した衣裳研究所,のち暮しの手帖社から刊行されている隔月刊の婦人家庭雑誌。1948年9月《美しい暮しの手帖》という誌名で創刊。54年3月から《暮しの手帖》と改称されたが,〈暮しの変革を理念よりも日常生活の実践を通して〉行おうとする編集方針は当初より一貫している
上杉景勝(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
一五五五 - 一六二三 安土桃山・江戸時代前期の大名。越後春日山城・会津若松城主、出羽国米沢藩主。幼名を卯松、喜平次と称し、はじめ顕景と名乗った。弘治元年(一五五五)十一月二十七日に生まれる。父は越後国魚沼郡上田荘坂戸(新潟県南魚沼郡六日町)
七夕(日本大百科全書・世界大百科事典・国史大辞典・日本国語大辞典)
7月7日あるいはその前夜の行事。本来は陰暦で行っていたが、現在は陽暦の7月7日に行う所が多い。東北地方などでは月遅れの8月7日に行っている。七夕は織女祭、星祭などともいい、中国伝来の行事と、日本古来の伝承、さらに盆行事の一環としての行事など、さまざまな要素が入り混じって今日に伝承されている
サッカー(改訂新版・世界大百科事典)
11人ずつの二つのチームが,手以外を使って,互いにボールを相手ゴールに入れ合うスポーツ。正式名称はアソシエーションフットボールassociation football。英語圏外の多くの国では,フットボールの名で一般的に呼ばれている。アソシエーションフットボールとは,1863年イングランドで
織田信長(日本大百科全書・国史大辞典・世界大百科事典・日本架空伝承人名事典)
戦国・安土桃山時代の武将。戦国動乱を終結し全国統一の前提をつくった。[脇田 修]家系織田氏は近江津田氏と関係があると伝えられているが、室町期斯波氏に仕え、越前(福井県)織田荘を根拠とし織田劔神社を氏神と崇敬した。斯波氏が尾張(おわり)守護の関係で尾張守護代として尾張(愛知県)に入る
坂本竜馬(坂本龍馬)(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典・日本架空伝承人名事典)
幕末期の討幕運動指導者、海援隊長。竜馬は通称。直陰のちに直柔と名乗り、脱藩後は才谷梅太郎などの変名を使う。天保六年(一八三五)十一月十五日(十月十五日説・十一月十日説あり)、土佐藩の町人郷士坂本八平直足・幸の次男として
伊勢物語(日本古典文学全集・日本大百科全書・世界大百科事典・国史大辞典)
一昔、ある男が、元服をして、奈良の京の春日の里に、所領の縁があって、鷹狩に行った。その里に、たいそう優美な姉妹が住んでいた。この男は物の隙間から二人の姿を見てしまった。思いがけず、この旧い都に、ひどく不似合いなさまで美女たちがいたものだから、心が動揺
日本書紀(日本古典文学全集・国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典・日本語大辞典)
日本書紀 巻第一 神代 上 〔一〕 昔、天と地が分れず、陰の気と陽の気も分れず、混沌として未分化のさまはあたかも鶏の卵のようであり、ほの暗く見分けにくいけれども物事が生れようとする兆候を含んで【目次】目次古典への招待凡例日本書紀(扉)日本書紀 巻第一
徳川家康(日本大百科全書・国史大辞典・改訂新版 世界大百科事典)
江戸幕府初代将軍(在職1603~1605)。三河(愛知県東部)の小大名の家に生まれ、幼年時代は隣国駿河(静岡県)の大名今川氏の人質となって苦労したが、桶狭間の戦いののち今川氏から独立し、織田信長と同盟して駿河・遠江(とおとうみ)(静岡県)・三河3か国に所領を拡大した
立秋(日本国語大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
二十四節気の一つ。太陽の黄経が一三五度のときをいう。新暦八月七日頃に当たり、昔の中国および日本では、この日から秋になるとした。和語では「秋立つ」が用いられる。《季・秋》*延喜式〔927〕一六・陰陽寮
夏至(日本大百科全書・世界大百科事典・日本国語大辞典)
中国や日本の太陰太陽暦の二十四節気の一つ。太陽が黄道上もっとも北にある夏至点を通過する時刻で、これを含む日が夏至の日である。太陽の視黄経が90度に達するときで、現行暦では6月21日ころにあたる。この日太陽は赤道からもっとも北に離れ
万葉集(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典・日本古典文学全集)
飛鳥・奈良時代の歌集。二十巻。〔成立〕現在見る形にまとめられたのは何時か不明。制作年代のもっとも新しい歌は天平宝字三年(七五九)正月の大伴家持の作歌だから、最終的編纂はそれ以後になる。最近の伊藤博説によれば、巻一から巻十六まで
古事記(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典・日本古典文学全集)
「ふることぶみ」とよむ説もあるが、今日一般には「こじき」が慣用されている。建国の由来と第一代神武天皇から第三十三代推古天皇までのことを記した現存最古の典籍。その素材は神話・伝説・歌謡・系譜などである。三巻。上巻のはじめに漢文の序
平家物語(日本古典文学全集・国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
祇園精舎の鐘の音は、諸行無常の響きをたてる。釈迦入滅の時に、白色に変じたという沙羅双樹の花の色は、盛者必衰の道理を表している。驕り高ぶった人も、末長く驕りにふける事はできない、ただ春の夜の夢のようにはかないものである。勇猛な者もついには滅びてしまう
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