1. あしかが-ぎしょう【足利義昭】
日本人名大辞典
1405?−1441 室町時代の僧。応永12年?生まれ。足利義満の子。真言宗大覚寺(だいかくじ)門跡(もんぜき)。大僧正,准三宮(じゅさんぐう)となる。大和(奈 ...
2. 足利義昭[文献目録]
日本人物文献目録
【図書】:1件 【逐次刊行物】:6件 『足利義昭』奥野高広『足利義昭と織田信長との関係についての研究』渡辺世祐『足利義昭と武田信玄』奥野高広『足利義昭と信長光秀 ...
3. 足利義昭画像
日本大百科全書
室町幕府第15代将軍。義晴(よしはる)の子。母は前関白近衛尚通(このえひさみち)の女(むすめ)。天文(てんぶん)6年11月3日京都に生まれる。初め興福寺一乗院に ...
4. 足利義昭[百科マルチメディア]画像
日本大百科全書
「足利義昭画像」 東京大学史料編纂所所蔵模写 ©東京大学史料編纂所 ...
5. 足利義昭
世界大百科事典
1537-97(天文6-慶長2) 室町幕府15代将軍。足利義晴の次男。母は近衛尚通の女。尚通の子稙家の猶子として奈良一乗院門跡となり覚慶と称した。1565年(永 ...
6. あしかが‐よしあき【足利義昭】
日本国語大辞典
室町幕府最後の一五代将軍。義晴の子。初名義秋。はじめ覚慶と号し、奈良一乗院の門主。兄義輝が暗殺された時、近江にのがれた。還俗し織田信長に扶持されて、永祿一一年( ...
7. あしかがよしあき【足利義昭】画像
国史大辞典
) [参考文献]奥野高広『足利義昭』(『人物叢書』五五)、同『武田信玄』(同一九)、河合正治『安国寺恵瓊』(同三二)、磯貝正義『武田信玄』、渡辺世祐「上洛前の足 ...
8. 足利義昭(あしかがよしあき)
古事類苑
官位部 洋巻 第2巻 1070ページ ...
9. あしかが-よしあき【足利義昭】
日本人名大辞典
1537−1597 室町幕府15代将軍。在職1568-73。天文(てんぶん)6年11月3日生まれ。足利義晴(よしはる)の次男。僧籍にはいり覚慶と号したが,兄義輝 ...
10. 足利義秋・足利義昭
日本史年表
10・18 義昭 に将軍宣下(公卿補任)。 1570年〈元亀元(4・23) 庚午〉 1・23 足利義昭 と 織田信長 が不和.信長,信長添状のない義昭の御内書発 ...
11. 日本漢詩集
日本古典文学全集
4世紀ごろより中国から入ってきた漢籍を訓読によって日本語化し、さらには本家に倣って「漢詩」をつくるようになる。飛鳥時代の大友皇子や大津皇子にはじまり、平安期には ...
12. 足利義昭印[図版]画像
国史大辞典
(c)Yoshikawa kobunkan Inc. ...
13. 足利義昭花押[図版]画像
国史大辞典
(c)Yoshikawa kobunkan Inc. ...
14. 織田信長諫二足利義昭一 (見出し語:織田信長)
古事類苑
人部 洋巻 第2巻 259ページ ...
15. あくたがわじょうあと【芥川城跡】大阪府:高槻市/芥川村
日本歴史地名大系
上の霊松寺)、一時は三好長逸が城主であったという(高槻市史)。しかし、同一一年九月織田信長が足利義昭を奉じて摂津に入り、同月二九日芥川城を攻撃、城は即日落城した ...
16. 明智光秀画像
日本大百科全書
明らかでない。越前(えちぜん)の朝倉義景(あさくらよしかげ)に仕え、のち織田信長に従う。将軍足利義昭(あしかがよしあき)の臣細川藤孝(ふじたか)(幽斎(ゆうさい ...
17. 明智光秀
世界大百科事典
-天正10) 安土桃山時代の武将。明智氏は美濃土岐の一族だが,光秀は初め越前の朝倉義景に仕え,そして足利義昭が朝倉氏のもとに流寓したとき出仕し,ついで織田信長の ...
18. あけちみつひで【明智光秀】画像
国史大辞典
光秀の出自や素性は詳らかでない。通称十兵衛。越前で朝倉義景に仕えたらしいが、永禄十一年(一五六八)七月足利義昭が朝倉氏のもとから織田信長を頼って美濃に赴いたとき ...
19. あけち-みつひで【明智光秀】
日本人名大辞典
典礼に通じた教養ゆたかな武将で,はじめ朝倉義景(よしかげ)につかえ,のち織田信長の家臣となって足利義昭の上洛に尽力。義昭や寺社,公家との交渉役をつとめる。元亀( ...
20. あけちみつひで【明智光秀】
日本架空伝承人名事典
安土桃山時代の武将。明智氏は美濃土岐の一族だが、光秀は初め越前の朝倉義景に仕え、そして足利義昭が朝倉氏のもとに流寓したとき出仕し、ついで織田信長の家臣となり義昭 ...
21. あさいながまさ【浅井長政】画像
国史大辞典
長政はその妹お市(小谷の方)を室に迎え、友好関係を結んだ。同十一年七月十六日越前から信長のもとへ移る足利義昭を小谷城に饗応、九月信長上洛には高宮(彦根市)で参陣 ...
22. あさくらし【朝倉氏】画像
国史大辞典
乗谷に本拠を移し、越前一国を握った。こののち氏景・貞景・孝景と一向一揆と戦ったが、義景のとき足利義昭の仲介で本願寺と和睦し、織田信長と対抗した。天正元年(一五七 ...
23. あさくらやかたあと【朝倉館跡】福井県:福井市/一乗谷地区/城戸内村
日本歴史地名大系
され、戦国大名の住居の様式がしだいに解明された。なかでも建物の東半分は永禄一〇年(一五六七)足利義昭の一乗谷来住を契機に増改築されたものと推定される。出土遺物に ...
24. あさくら‐よしかげ【朝倉義景】
日本国語大辞典
姉川の戦いで大敗。のち、信長に一乗谷を攻め落とされ、自刃した。永祿一一年(一五六八)越前に下っていた足利義昭を一乗谷城に供応した時の記録が「朝倉亭御成記」である ...
25. あさくらよしかげ【朝倉義景】画像
国史大辞典
旋で、景忠は城を明け渡して能登に退去したが、この冬加賀門徒を率いて越前に進入してきた。ここで足利義昭は敦賀より一乗谷に赴いて義景を諭し、本願寺との和約を固めさせ ...
26. あさづまみなと【朝妻湊】滋賀県:坂田郡/米原町/朝妻村
日本歴史地名大系
海陸ともに禁じている(「織田信長朱印状」神田孝平氏所蔵文書)。天正元年(一五七三)五月、信長は将軍足利義昭の再度の謀反の際に全軍を当地より渡海させるための大船一 ...
27. 足利氏画像
世界大百科事典
・文明の乱を終えた後,10代足利義稙(よしたね)以後の将軍はしばしば都を離れて流亡し,15代足利義昭は信長に擁立されるが1573年(天正1)に京都を追われて幕府 ...
28. 足利季世記
世界大百科事典
く過程,これに代わり三好氏や松永氏が実権を掌握し京都を支配,1568年(永禄11)織田信長が足利義昭を奉じて入京する経緯を,所々に文書を織り込んで説明している。 ...
29. あしかがじだいし【足利時代史】
国史大辞典
した。田中によれば、足利時代とは、元弘三年(一三三三)足利尊氏の挙兵から天正元年(一五七三)足利義昭の敗走までの二百余年をさすが、はじめの六十余年は『南北朝時代 ...
30. あしかが-よしあき【足利義秋】
日本人名大辞典
⇒足利義昭(あしかが-よしあき) ...
31. あしかがよしてる【足利義輝】画像
国史大辞典
弟鹿苑寺周
は殺され、末弟の奈良一乗院覚慶(
足利義昭)は近江に逃れた。法号光源院融山道円。→足利義晴(あしかがよしはる),→本圀寺の変(ほんこく
...32. あしかがよしひで【足利義栄】
国史大辞典
説があって一定しない。→足利義昭(あしかがよしあき),→三好三人衆(みよしさんにんしゅう) [参考文献]『大日本史料』一〇ノ一、永禄十一年九月是月条、奥村高広『 ...
33. 排蘆小船(近世随想集) 322ページ
日本古典文学全集
ここは安土桃山時代にかけていう。織田信長。戦国時代の武将。天正十年没、四九歳。信秀の男。天正元年、足利義昭を追放し、安土城を築いて全国の平定にあたるが、同十年、 ...
34. 排蘆小船(近世随想集) 383ページ
日本古典文学全集
法名は玄旨。足利義晴の男、母は清原宣賢の娘智慶院。慶長十五年没、七七歳。細川元常の養子となり、足利義昭を擁立、ついで信長、秀吉に仕えた。古今伝授を実枝に受け、二 ...
35. あずちももやまじだい【安土桃山時代】
国史大辞典
永禄十一年(一五六八)九月に、はじめて信長が入京したときか、もしくは天正元年(一五七三)七月、信長が足利義昭を追放して室町幕府を名実ともに滅ぼしたときかの、いず ...
36. あずちももやまじだい【安土桃山時代】 : 朝幕関係
国史大辞典
)の回復と皇子誠仁(さねひと)親王の元服や禁裏御所修復の費用の献上を命じた。信長は翌年九月、足利義昭を第十五代将軍に奉じることと、前年の正親町天皇綸旨の内容を実 ...
37. あつみぐん【厚見郡】岐阜県:美濃国
日本歴史地名大系
織田信長は斎藤氏を滅ぼし、稲葉山城(岐阜城)へ入って、城下町井ノ口を岐阜と改称した。翌年には足利義昭を奉じて入洛するなど、安土城(現滋賀県蒲生郡安土町)に移る天 ...
38. 安土桃山時代
日本大百科全書
まず文化史上で時代呼称として定着し、政治史上でも一般に用いられているのである。 安土時代の時代区分は、信長が足利義昭(あしかがよしあき)を擁して岐阜より上洛(じ ...
39. 安土桃山時代
世界大百科事典
織田信長が室町幕府15代将軍足利義昭を擁して入京した1568年(永禄11)から,関ヶ原の戦によって徳川家康の覇権が確立した1600年(慶長5)までの約30年間を ...
40. 安土桃山時代(年表)
日本大百科全書
政治1568(永禄11)2月織田信長、北伊勢を攻略。9月信長、足利義昭を奉じて入京、義昭、将軍となる1569(永禄12)5月今川氏真、掛川城を徳川家康に譲る。閏 ...
41. あねがこうじよりつな【姉小路自綱】
国史大辞典
永禄三年(一五六〇)従五位下左衛門佐、同六年三月十二日侍従にすすむ。元亀元年(一五七〇)四月十四日上洛して将軍足利義昭の二条第において能の見物に諸大名や公家とと ...
42. あねがわのたたかい【姉川の戦】
国史大辞典
支配する小谷城主浅井長政と同盟し、永禄十年(あるいは十一年)ごろ、妹お市を娶せ盟約を固めた。そして足利義昭を擁して上洛すると越前一乗谷の朝倉義景の攻撃に着手し、 ...
43. あのうむら【穴太村】滋賀県:大津市/北部地域
日本歴史地名大系
万松院殿穴太記)。元亀四年(一五七三)二月には織田信長勢を攻撃するため、浅井長政の軍勢が将軍足利義昭の軍とともに滋賀郡に攻め入り、穴太も兵火にかかっている(年欠 ...
44. あまがさき【尼崎】兵庫県:尼崎市
日本歴史地名大系
タンの歓迎を受け一〇日間にわたって滞在し、昼夜説教を行った。永禄一二年二月二八日、前年九月に足利義昭を奉じて上洛した織田信長が矢銭を徴収するために軍勢三千人を当 ...
45. あやどむら【綾戸村】滋賀県:蒲生郡/竜王町
日本歴史地名大系
享禄四年(一五三一)管領細川晴元によって京を追われた将軍足利義晴が桑実寺に逗留した際の仮御所となり、のち足利義昭や織田信長らの保護を受け、近世に入り天台宗から浄 ...
46. 荒木村重
日本大百科全書
安土(あづち)桃山時代の武将。摂津国豊島(てしま)郡(大阪府)の人。織田信長が将軍足利義昭(あしかがよしあき)を奉じて京都に入り、ついで摂津に進出すると、信長に ...
47. 荒木村重
世界大百科事典
安土桃山時代の武将,茶人。摂津池田勝正に属したが,のち織田信長と結んだ。1573年(天正1)足利義昭京都追放後,有岡城(旧伊丹城)にて摂津一国の支配を行うととも ...
48. あらきむらしげ【荒木村重】
国史大辞典
村重も勝正の郎党として仕えた。織田信長が摂津に進出すると池田氏は信長に属し、永禄十二年(一五六九)足利義昭が三好政康らに京都本圀寺に囲まれたとき、村重は勝正に従 ...
49. あらき-むらしげ【荒木村重】
日本人名大辞典
1535−1586 戦国-織豊時代の武将。天文(てんぶん)4年生まれ。池田勝正,のち織田信長につかえ,足利義昭の京都からの追放に功をたて,摂津一国を支配した。天 ...
50. あわたぐち【粟田口】京都市:東山区/粟田口村地図
日本歴史地名大系
との激戦地の一つに粟田口(三条口)が数えられる。下って永禄一一年(一五六八)九月、織田信長が足利義昭を擁して入京したのもこの口からで、「道家祖看記」に「其時信長 ...