1. 水野忠邦
日本大百科全書
天保(てんぽう)の改革を主導した老中で浜松藩主。唐津(からつ)藩主水野忠光と側室恂(じゅん)との間に、江戸同藩上屋敷にて生まれる。幼名を於菟五郎(おとごろう)と ...
2. 水野忠邦
世界大百科事典
1794-1851(寛政6-嘉永4) 江戸後期の大名。天保改革の指導者。肥前の唐津藩主水野忠光の庶子として生まれた。1812年(文化9)唐津6万石を襲封すると, ...
3. みずの‐ただくに【水野忠邦】
日本国語大辞典
江戸後期の唐津・浜松藩主。大坂城代、京都所司代を経て老中となる。天保一二年(一八四一)、享保・寛政の改革を目標に天保の改革を実施し、奢侈禁止・風俗粛正に努めたが ...
4. みずのただくに【水野忠邦】画像
国史大辞典
法名は英烈院忠亮孝文大居士。室は酒井忠進の女。→天保の改革(てんぽうのかいかく) [参考文献]北島正元『水野忠邦』(『人物叢書』一五四)、角田音吉『水野越前守』 ...
5. 水野忠邦
日本史年表
幕府、 水野忠邦 を罷免(続実紀)。 1844年〈弘化元(12・2) 甲辰〉 6・21 幕府、 水野忠邦 を老中に再任(続実紀)。 1845年〈弘化2 乙巳〉 ...
6. みずの-ただくに【水野忠邦】
日本人名大辞典
1794−1851 江戸時代後期の大名。寛政6年6月23日生まれ。水野忠光(ただあきら)の次男。文化9年肥前唐津(からつ)藩(佐賀県)藩主水野家4代。14年遠江 ...
7. 水野忠邦[文献目録]
日本人物文献目録
越前守忠邦の話』岡谷繁実『水野忠邦』右京『水野忠邦』白柳秀湖『水野忠邦公の雅道 1‐2』小山正『水野忠邦と村田春門』渡辺刀水『水野忠邦と天保の改革』香原一勢『水 ...
8. 水野忠邦蔵書印[図版]画像
国史大辞典
引馬文庫 国史 歌集 物語 軍記 教訓 宦職 公事 氏族 服飾 雑史 記録 地理 類聚 雑 (c)Yoshikawa kobunkan Inc. ...
9. 遺老閑話(著作ID:99138)
新日本古典籍データベース
いろうかんわ 水野忠邦逸事 伝記 天保年間? ...
10. 目録(水野忠邦領知目録写)[文献解題]静岡県
日本歴史地名大系
成立 天保一〇年 写本 東京都立大学附属図書館蔵水野家文書 解説 天保一〇年浜松藩主水野忠邦に宛てて出された領知目録。 活字本 「静岡県史」資料編九 ...
11. あいずり【藍
】
国史大辞典
浮世絵版画の一種。藍一色で摺った絵。藍絵ともいう。天保十三年(一八四二)、水野忠邦の改革令による贅沢品禁止の結果つくられたという説がある。だが、文政から天保初 ...
12. あげち【上知】
国史大辞典
北方警備のため寛政・安政の両度幕府が松前藩に命じて蝦夷地を収公した上知、天保の改革にあたり老中水野忠邦が幕政強化のため江戸・大坂十里(約三九キロ)四方の私領を収 ...
13. あげち‐れい【上知令】
日本国語大辞典
〔名〕江戸時代、幕府の老中首座水野忠邦が中心となって行なった政治改革の際に発せられた法令。天保一四年(一八四三)九月、江戸・大坂一〇里四方(大坂は五里四方という ...
14. 上知令
日本大百科全書
年貢先納銀などが棒引きにされるのを恐れて、各所で反対運動が起こった。このような状況が幕府内にも反映し、水野忠邦(ただくに)に協力していた老中土井利位(としつら) ...
15. 上知令
世界大百科事典
場から深刻な不満をもって抵抗し,これが幕府内部に対立を生み,閏9月には撤回され,この直後老中水野忠邦が罷免され,天保改革が挫折する直接の契機となった。→天保改革 ...
16. あげちれい【上知令】
国史大辞典
令。天保十四年(一八四三)六月一日、まず江戸城最寄り一円を幕領とすることが公告され、老中首座水野忠邦の領地下総印旛郡の内百十二石余が上知された。さらに同日若年寄 ...
17. あさひやまはん【朝日山藩】
国史大辞典
近江国朝日(滋賀県東浅井郡湖北町)を藩庁とした藩。藩主水野氏。譜代。城持。藩祖は水野忠元。十一代浜松藩主水野忠邦(七万石)は、天保の改革に失敗し弘化二年(一八四 ...
18. あとべ-よしすけ【跡部良弼】
日本人名大辞典
?−1869* 江戸時代後期の武士。肥前唐津藩(佐賀県)藩主水野忠光(ただあきら)の5男。水野忠邦の弟。旗本跡部氏をつぐ。天保(てんぽう)7年(1836)大坂東 ...
19. あねがこうじのつぼね【姉小路局】
国史大辞典
西ノ丸に戻った。天保八年(一八三七)家慶が将軍になると本丸大奥の上臈・年寄として権威をふるう。水野忠邦の天保の改革は大奥にも倹約を求めたが、それを巧みに回避した ...
20. アヘン戦争画像
世界大百科事典
がいよいよ明白になり,幕府当局者らに深刻な衝撃を与えた。ちょうどこの時期に幕政の実権を握った水野忠邦によって開始された天保改革も,全体としてこのような対外的危機 ...
21. 阿部正弘画像
日本大百科全書
備後(びんご)(広島県)福山藩主で1843年(天保14)老中に就任。翌々年、天保(てんぽう)の改革に失敗した水野忠邦(ただくに)の後を受け、26歳の若さで老中首 ...
22. あべ‐まさひろ【阿部正弘】
日本国語大辞典
幕末の老中。備後福山藩主。水野忠邦の失脚後、老中首座となる。鎖国を解いてペリーと和親条約を締結。洋学所、軍艦教授所を創設するなど進歩的政策をとった。文政二~安政 ...
23. あべまさひろ【阿部正弘】
国史大辞典
七月、勝手掛を命ぜられ、またこの月、海防掛がおかれたとき、正弘はその一員に列した。同二年二月、水野忠邦の罷免後、老中首席の地位についた。嘉永四年(一八五一)二月 ...
24. いいだし【飯田市】長野県
日本歴史地名大系
は外様でありながら老中格の若年寄として、水野忠邦を助けて天保改革を推進した。一二代目の親広に至って廃藩置県を迎えた。幕末から明治初期にかけて ...
25. 飯田藩
日本大百科全書
(ちかしげ)は、幕府の要職にあり7000石を加増され、老中格に進んだが、水野忠邦(ただくに)の失脚に伴い、1万石の減封を受けている。小笠原氏時代、伊那街道の西に ...
26. いいだはん【飯田藩】
国史大辞典
十二月寺社奉行、十一年十月若年寄、天保十四年十二月老中格に進み、七千石の加増があったが、老中水野忠邦の失脚に連座して一万石の減知を受けた。親義もまた元治元年(一 ...
27. いずしじょうあと【出石城跡】兵庫県:出石郡/出石町/出石城下
日本歴史地名大系
事件が老中首座松平康任に関連していたため(久寿の子小太郎の妻が康任の姪)、将軍徳川家斉は老中水野忠邦・寺社奉行脇坂安董に吟味を命じた。安董はこの仙石家の内紛を久 ...
28. いずのくに【伊豆国】静岡県
日本歴史地名大系
天保八年モリソン号事件が起きると、無二念打払令の実行が懸念される事態となった。これを憂慮する韮山代官江川英龍は水野忠邦に抜擢され、目付鳥居耀蔵とともに異国船防御 ...
29. いちかわだんじゅうろう【市川団十郎】
国史大辞典
能の『安宅』に倣ったいわゆる松羽目物の本格的な歌舞伎化を試みたものである。天保十三年(一八四二)六月、水野忠邦の改革政策にあって江戸十里四方追放に処せられ、以後 ...
30. いっかんじむら【壱貫地村】静岡県:磐田郡/豊岡村
日本歴史地名大系
米・材木などの売買で家産をなし、しばしば浜松藩の御用金を用立てたが、弘化三年(一八四六)藩主水野忠邦が出羽山形へ転封する際一〇八両を借倒された(大箸家文書)。曹 ...
31. 井上氏
日本大百科全書
など城地を移し、1758年(宝暦8)正経(まさつね)のとき遠江浜松城主(5万石)となったが、水野忠邦(ただくに)の浜松襲封(しゅうほう)により陸奥国(むつのくに ...
32. いのうえし【井上氏】画像
国史大辞典
明和三年(一七六六)正経の遺領を正定がつぎ、正定は奏者番・寺社奉行、ついで正甫の文化十四年(一八一七)水野忠邦浜松就封により、奥州棚倉に移され(六万石)、天保七 ...
33. 伊庭軍兵衛
日本大百科全書
す。本姓は三橋銅四郎。7代目秀淵(ひでなみ)の門に入り、その剣才を認められて養子となり、老中水野忠邦(ただくに)の推挙で御書院番士に登用されたが、水野の失脚後は ...
34. いば-ぐんべえ【伊庭軍兵衛】
日本人名大辞典
伊庭軍兵衛秀淵(ひでなみ)の養子となり,宗家(8代)をつぎ,同流中興の名剣士といわれる。老中水野忠邦(ただくに)の推挙で書院番士に登用されたが,忠邦失脚後に職を ...
35. いばむら【伊場村】静岡県:浜松市/旧敷知郡・引佐郡地区
日本歴史地名大系
祭神とし、社号は真淵の号にちなむ。賀茂真淵の生家跡背後の台地上にある。天保一〇年(一八三九)浜松藩主水野忠邦や遠江国学運動を推進した高林方朗などの尽力で創建され ...
36. いべ-こうざん【井部香山】
日本人名大辞典
江戸で葛西因是(かさい-いんぜ)に朱子学をまなび,築地で塾をひらく。遠江(とおとうみ)(静岡県)浜松藩主水野忠邦(ただくに)や,生地である越後(えちご)(新潟県 ...
37. 印旛沼画像
日本大百科全書
水田冠水の害も出た。そのため数次にわたって干拓が進められ、とくに田沼意次(たぬまおきつぐ)、水野忠邦(ただくに)ら幕府の要人が新田開発を意図して江戸湾への堀割を ...
38. 印旛沼
世界大百科事典
分担した5藩は巨額にのぼる工事費にあえいだ。大名側からの不満,幕府内の意見対立もあり,閏9月の老中水野忠邦の罷免とともに工事を幕府の直営に移し,翌年6月には工事 ...
39. いんばぬま【印旛沼】千葉県:印旛郡地図
日本歴史地名大系
著わした。水野忠邦は上地令などの新政策を打出したが、じきに失脚し、新水路の完成には至らなかった。その後も沼の開発について何度か出願されたが、実現を見ないまま近代 ...
40. いんばぬまかんたく【印旛沼干拓】
国史大辞典
され、加うるに意次も職を免ぜられついに中絶した。つづいて第三回の企ては天保の改革の一環として水野忠邦によって行われた。すなわち開疏の令が下ったのは天保十四年(一 ...
41. うちこしむら【打越村】兵庫県:姫路市/旧飾磨郡地区
日本歴史地名大系
領、宝永七年(一七一〇)旗本脇坂領、宝暦九年(一七五九)幕府領、文政九年(一八二六)大坂城代水野忠邦(遠江浜松藩)領、同一三年幕府領となり幕末に至る(新版「姫路 ...
42. 江川太郎左衛門
世界大百科事典
迫,百姓一揆の頻発,外に異国船来航と内憂外患をかかえる幕府の解体期にあたり,改革派幕吏として水野忠邦の天保改革に参画した。代官役所の綱紀を粛正し,百姓一揆を鎮圧 ...
43. えがわたろうざえもん【江川太郎左衛門】
国史大辞典
事情や砲術を学んだが、天保八年鼎が罪せられるに及んで、田原藩士渡辺登(崋山)に師事した。閣老水野忠邦の親任が厚く、同九年正月、特に抜擢されて、目付鳥居耀蔵ととも ...
44. 江川英龍画像
日本大百科全書
演練に尽力したため、ふたたび鳥居らと対立、秋帆の捕縛に及んだ。1843年鉄炮方となるも、老中水野忠邦(ただくに)の失脚により罷免。以後、農兵論を主張し、海防策の ...
45. えちごのくにしいやはんしゅ【越後国椎谷藩主】 : 堀氏/(2)
国史大辞典
命じられた。その後、直起以下三代の藩主はそれぞれ三河国西尾藩主松平乗佑、岡山藩主池田治政、老中水野忠邦の弟水野忠光家から迎えられた。代々、菊間詰。明治十年(一八 ...
46. えづれようすい【江連用水】茨城県:結城郡
日本歴史地名大系
は結束を強め、生命・財産を賭して再興をなしとげる決意を固めて起請文を認めた。同年五月には老中水野忠邦への直訴を試みている。一〇月に中居指・本宗道の両組合二八ヵ村 ...
47. 江戸三座画像
日本大百科全書
森田座には河原崎座がそれぞれ控櫓と定められた。 1841年(天保12)中村、市村両座の火災を機に、水野忠邦(ただくに)の緊縮政策により、翌年から翌々年にかけ三座 ...
48. 江戸参府紀行 288ページ
東洋文庫
時の将軍家斉の四男。母は押田敏勝の女楽子。一八三七(天保八)年四月、 =一代将軍となる。将軍となってからは老中水野忠邦を信任し、い ...
49. 江戸参府紀行 2ページ
東洋文庫
11,97,108,117,132,155 254小倉藩主 84御城代(水野忠邦) 238コマキ→熊吉小森肥後介 158,2 ...
50. 江戸時代(年表)
日本大百科全書
2月 大塩平八郎の乱。6月 生田万、柏崎陣屋襲撃。モリソン号事件1839(天保10)12月 水野忠邦、老中首座となる(天保の改革開始)。蛮社の獄1841(天保1 ...