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  11. 野口英世

野口英世

ジャパンナレッジで閲覧できる『野口英世』の国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典のサンプルページ

国史大辞典
野口英世
のぐちひでよ
一八七六 - 一九二八
明治から昭和時代にかけての医学者、細菌学者。幼名清作。明治九年(一八七六)十一月九日佐代助・シカの長男として福島県耶麻郡三ツ和村(猪苗代町)に生まれる。二十九年秋、東京に出て高山歯科医学院の学僕となり、翌年済生学舎に学ぶ。同年十月医術開業試験に合格ののち、高山歯科医学院講師、順天堂医院助手を経て、三十一年北里柴三郎の主宰する伝染病研究所の助手補に採用され、細菌学研究への機縁となる。この年英世と改名。三十二年横浜の長浜海港検疫所の医官補、ついで清国牛荘(営口)に発生したペストの国際予防委員会要請による日本医師団の一員として参加。三十三年十二月渡米、翌年一月ペンシルバニア大学教授サイモン=フレクスナーの厚意により、同大学病理学助手となる。三十六年デンマーク国立血清研究所に留学、ヘビ毒の研究に従事、ここでの業績により、翌年新設のロックフェラー医学研究所の助手として入所する。四十四年梅毒スピロヘータの純粋培養に成功し、大正二年(一九一三)進行性麻痺・脊髄癆が梅毒スピロヘータに起因することを実証した。これにより研究所正員に昇進。これより前、明治四十年ペンシルバニア大学からマスター=オブ=サイエンス、四十四年京都帝国大学から医学博士の学位を受け、大正三年東京帝国大学から理学博士、さらに四年には帝国学士院から恩賜賞が授与され、帝国学士院会員に推された。大正七年エクアドルに流行の黄熱病病原調査に参加、以来三年間にわたってメキシコ・ペルー・ブラジルに該病調査に赴く。昭和三年(一九二八)黄熱病が西南アフリカに発生、調査委員会が組織され、再び参加したが研究中感染、五月二十一日現在のガーナ、アクラで死去した。五十三歳。米国ニューヨーク市北郊のウッドローン墓地に葬られ、故郷の菩提寺長照寺に遺髪が埋葬された。猪苗代町三ツ和に野口英世記念館があり遺品を陳列する。立志伝中の人として多数の伝記がある。
[参考文献]
奥村鶴吉『野口英世』、G・エクスタイン『野口英世』(内田清之助訳)、筑波常治『野口英世』(『講談社現代新書』一七五)、中山茂『野口英世』(『朝日評伝選』二一)、野口英世記念会編『野口英世伝』、イザベル・R・プレセット『野口英世』(中井久夫・枡矢好弘訳)、サイモン=フレキシナー「野口英世を憶ふ」(『日本医事週報』一七八八―一七九一)
(松田 武)


日本大百科全書(ニッポニカ)
野口英世
のぐちひでよ
[1876―1928]

細菌学者。福島県翁島(おきなじま)村(現、猪苗代(いなわしろ)町)の貧農佐代助(1851―1923)とシカ(1853―1918)の長男に生まれ、幼名は清作(せいさく)。尋常小学校のとき、訓導小林栄(1860―1940)は野口の英才を認め高等小学校進学の学費を与えた。卒業後、会津若松の渡部鼎(わたなべかなえ)(1858―1932)の医院の書生となり、4年間医学と外国語を習得。1896年(明治29)上京、医術開業前期試験に合格、ただちに歯科医血脇守之助(ちわきもりのすけ)(1870―1947)の紹介で高山歯科学院の用務員となり、1897年済生学舎に入り、5か月後、医術開業後期試験に合格した。翌1898年大日本私立衛生会伝染病研究所(所長は北里柴三郎(きたさとしばさぶろう))助手に採用され、細菌学の道に入った。1899年、アメリカの細菌学者フレクスナーが来日、その通訳を務めたことを機に渡米を決意した。その後、横浜港検疫官補、続いて中国の牛荘(営口)でのペスト防疫に従事した。1900年(明治33)12月、血脇の援助を得て渡米し、ペンシルベニア大学にフレクスナーを訪ね、彼の厚意で助手となり、またヘビ毒研究の大家ミッチェルを紹介された。野口はヘビ毒の研究をはじめ、1902年フレクスナーと連名で第1号の論文を発表した。1903年デンマーク、コペンハーゲンの国立血清研究所でアレニウスとマドセンThorvald Madsen(1870―1957)に血清学を学び、翌1904年アメリカに戻り、フレクスナーが初代所長を務める新設のロックフェラー研究所に入所した。1911年梅毒病原スピロヘータの純培養に成功、世界的にその名を知られ、京都帝国大学から医学博士を得た。ついで1913年(大正2)梅毒スピロヘータが脳と脊髄(せきずい)の梅毒組織内に存在することを確かめた。1914年ロックフェラー研究所正所員に昇進、同年東京帝国大学から理学博士を得た。1915年帝国学士院恩賜賞を授与され、15年ぶりに帰国、歓迎を受けた。この際、母親に孝養を尽くした美談は多いが、父とはともに語らなかった。
1918年黄熱病(おうねつびょう)原体解明のためエクアドルに赴き、病原スピロヘータを発見、しかしその後黄熱はワイル病であり、ワイル病スピロヘータと同一と判定された。1923年帝国学士院会員となる。1926年ペルーの悪性風土病オロヤ熱の病原体の純培養に成功、またペルー疣(いぼ)の病原体がオロヤ熱病原体と同一種であることを証明、媒介昆虫も確認した。1927年(昭和2)黄熱研究のためにアフリカに赴き、翌1928年5月21日ガーナのアクラで黄熱により死去した。福島県猪苗代町に野口英世記念館、アクラに野口英世博士記念医学研究所がある。
[藤野恒三郎]



世界大百科事典
野口英世
のぐちひでよ
1876-1928(明治9-昭和3)

医学者,細菌学者。幼名清作。福島県翁島村(現,猪苗代町)に生まれる。1896年秋,東京に出て高山歯科医学院の学僕となり,翌年済生学舎に入る。同年10月医術開業試験に及第,ただちに高山歯科医学院講師となり,順天堂医院助手,海港検疫医を経て,98年伝染病研究所助手に採用され,北里柴三郎のもとで細菌学の研究に入る。1900年12月アメリカに渡り,翌年フレクスナーSimon Flexner(1863-1946)の厚意により,ペンシルベニア大学で病理学助手となる。03年デンマーク国立血清研究所に入り,ここでの業績により,翌年ロックフェラー医学研究所に助手として入所し,ヘビ毒に関する研究を継続する。11年梅毒スピロヘータ(梅毒トレポネマ)の純粋培養に成功し,13年進行麻痺,脊髄癆(ろう)が梅毒スピロヘータに起因することを確かめた。07年ペンシルベニア大学よりMaster of Scienceの学位,11年京都帝国大学より医学博士を受け,14年ロックフェラー研究所部長に昇進,同年7月東京帝国大学より理学博士を受けた。さらに15年梅毒スピロヘータの研究に対して帝国学士院から恩賜賞が授与された。18年エクアドルに赴き,同地方流行の黄熱の原因調査に従事,この功で同国名誉陸軍軍医監に任ぜられた。23年帝国学士院会員に推された。28年アフリカにおける黄熱の研究のため,現在のガーナで研究中感染し,5月21日死去。立志伝中の人として,多くの伝記が子ども向けなどにつくられている。
[松田 武]

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で初めて樋口一葉が取り上げられた。裏の図柄は尾形光琳の「燕子花図」。1000円札の新しい顔は野口英世(裏は富士山と桜)。偽造防止策として、2000円札に採用され ...
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日本国語大辞典
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20年ぶりにデザインを一新した新紙幣の流通が始まる。お札の顔として新五千円札に樋口一葉、新千円札に野口英世の肖像が登場。新一万円札は現行紙幣と同じ福沢諭吉。偽造 ...
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49. そう‐さ[サウ‥]【操作】
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『屈伸道』といふ、身体を静かに前後に屈伸させる健康術をやっていた。この平凡な操作(サウサ)の発明者は〈略〉野口英世氏から『世界的発見なり』といふ折紙をつれられ」 ...
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