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  11. 中岡慎太郎

中岡慎太郎

ジャパンナレッジで閲覧できる『中岡慎太郎』の世界大百科事典のサンプルページ

改訂新版 世界大百科事典
中岡慎太郎
なかおかしんたろう
1838-67(天保9-慶応3)

幕末の尊攘派志士。道正と名のり,大山彦太郎,石川清之助などの変名をもつ。土佐国安芸郡北川郷大庄屋の中岡小伝次の長男。1857年(安政4)より大庄屋見習として村政にかかわるが,間崎滄浪から文を,武市瑞山から剣を学んだことから,61年(文久1)土佐勤王党結成に参加し,瑞山の〈正系〉を継承すると評価される。勤王党弾圧後は脱藩して長州に走った。しかし長州尊攘派の敗北と再起を目のあたりにして単純な尊攘主義を克服し,富国強兵と武力討幕のための薩長同盟を構想して,坂本竜馬とともに奔走した。67年(慶応3)脱藩の罪が許され,京都で陸援隊を組織して藩に協力するようになったが,藩の大政奉還の方針をのりこえて武力討幕の方針を固め,薩長両藩の討幕路線に同調する方向を土佐藩に求めるが,同年11月15日京都三条で坂本竜馬とともに暗殺された。
[池田 敬正]

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検索コンテンツ
1. 中岡慎太郎画像
日本大百科全書
幕末の討幕派志士。土佐国安芸(あき)郡北川郷(高知県北川村)の大庄屋(おおじょうや)小伝次(こでんじ)の長男。名は道正、初め光次と称し、のち慎太郎と改めた。学問
2. 中岡慎太郎[百科マルチメディア]画像
日本大百科全書
©小学館ライブラリー
3. 中岡慎太郎
世界大百科事典
1838-67(天保9-慶応3) 幕末の尊攘派志士。道正と名のり,大山彦太郎,石川清之助などの変名をもつ。土佐国安芸郡北川郷大庄屋の中岡小伝次の長男。1857年
4. なかおか‐しんたろう【中岡慎太郎】
日本国語大辞典
幕末の志士。土佐の人。諱は道正。薩長二藩の提携に尽力。坂本龍馬とともに刺客に暗殺された。天保九~慶応三年(一八三八~六七)
5. なかおかしんたろう【中岡慎太郎】
国史大辞典
りくえんたい) [参考文献]寺石正路『土佐偉人伝』、尾崎卓爾『中岡慎太郎先生』、平尾道雄『坂本竜馬・中岡慎太郎』、同『中岡慎太郎陸援隊始末記』(『中公文庫』)、
6. なかおか-しんたろう【中岡慎太郎】画像
日本人名大辞典
1838−1867 幕末の尊攘(そんじょう)運動家。天保(てんぽう)9年4月13日土佐(高知県)安芸(あき)郡柏木村の庄屋の家に生まれる。文久元年土佐勤王党にく
7. 中岡慎太郎[文献目録]
日本人物文献目録
難始末』寺石正路『中岡慎太郎先生』尾崎卓爾『坂本竜馬・中岡慎太郎』伊藤仁太郎『中岡慎太郎先生伝』中岡慎太郎先生銅像建設会(編刊)『坂本竜馬・中岡慎太郎』平尾道雄
8. なかおかしんたろうきゅうたく【中岡慎太郎旧宅】高知県:安芸郡/北川村/北川村
日本歴史地名大系
[現]北川村柏木 沢ノ宮 奈半利川左岸に沿って村道を遡行、巻の深淵を過ぎてやや進んだ所にある。県指定史跡。中岡慎太郎は天保九年(一八三八)北川郷大庄屋中岡小伝次
9. あきぐん【安芸郡】
国史大辞典
治政・風教の規範となった。また幕末には当郡から多くの勤王志士が輩出し国事に奔走したが、北川村出身の中岡慎太郎の活動、田野の郷士清岡道之助を中心とする野根山二十三
10. あきぐん【安芸郡】 : 安芸郡/(二)
国史大辞典
治政・風教の規範となった。また幕末には当郡から多くの勤王志士が輩出し国事に奔走したが、北川村出身の中岡慎太郎の活動、田野の郷士清岡道之助を中心とする野根山二十三
11. あきぐん【安芸郡】高知県
日本歴史地名大系
安芸郡府定目を独自に制定して民政の引締めを図っている。幕末維新の動乱に身を投じた者に、北川郷の庄屋中岡慎太郎や、田野の郷士清岡道之助ら野根山事件の二十三士がいる
12. あきぐんこおりぶぎょうしょあと【安芸郡郡奉行所跡】高知県:安芸郡/田野町/田野村
日本歴史地名大系
らが教鞭をとったが、高島秋帆の門人田所左右次が洋式砲術を教授したこともある。学生のなかから中岡慎太郎・石田英吉・仙石貢などの人材が出た。奉行所の獄については、岩
13. あぐらむら【安倉村】高知県:安芸郡/北川村
日本歴史地名大系
平家の落人が開いたという伝承があるが、江戸時代に全集落が山崩れで埋没したことがあるともいわれる。なお中岡慎太郎が庄屋見習の時に、村内ナガサデを開墾したともいわれ
14. 伊木三猿斎
日本大百科全書
出して西洋流の茶事を行った話は有名。幕府による長州征伐の不可を藩主に説いて調停を勧め、坂本龍馬(りょうま)、中岡慎太郎ら志士をかくまう。1871年(明治4)岡山
15. いぐち-しんすけ【井口新助】
日本人名大辞典
うゆ)商「近江(おうみ)屋」の主人。坂本竜馬(りょうま)を寄宿させていたが,慶応3年竜馬は中岡慎太郎とともに見廻組に暗殺された。以後も尊攘(そんじょう)派に肩入
16. 板垣退助画像
日本大百科全書
市ら勤王党員のおもだった者を糾問し処刑した。1867年5月、江戸からの帰藩の途中に京都で、中岡慎太郎の仲介で西郷隆盛(さいごうたかもり)と会見して薩土(さつど)
17. 近江屋
日本史年表
1867年〈慶応3 丁卯〉 11・15( 12・10 ) 坂本竜馬・中岡慎太郎、京都河原町 近江屋 で京都見廻組に襲撃され、坂本は即死、中岡は17日死亡(維新
18. かいえんたい【海援隊】
国史大辞典
亦究竟此意を失する勿れ。 皇慶応三丁卯四月 竜馬の脱藩罪を許して海援隊長に任命すると同時に中岡慎太郎の脱藩罪を許し、京都に陸援隊を組織して中岡をその隊長に補任
19. 北川[村]
世界大百科事典
1960年代より奈半利川水系の電源開発が行われ,長山,二又,魚梁瀬(やなせ)に発電所が建設された。幕末の志士中岡慎太郎の生家がある。萩原 毅
20. 京都守護職始末 2 旧会津藩老臣の手記 199ページ
東洋文庫
しかし薩長両藩士の対立感情は根深く、容易に和解の糸口は開けなかった。 そこで土佐脱藩の士である中岡慎太郎や坂本竜馬が斡旋にあたった。その結果、慶応元年七月長州藩
21. 京都見廻組
世界大百科事典
その活動の事跡もはっきりしない。ただ67年(慶応3)11月15日,京都の近江屋に坂本竜馬,中岡慎太郎を襲撃したのは佐々木只三郎組の者たちであったとされている。高
22. 日柳燕石
日本大百科全書
寄せる者は多く、また吉田松陰(しょういん)、桂小五郎(かつらこごろう)、久坂玄瑞(くさかげんずい)、中岡慎太郎(しんたろう)、本間精一郎(ほんませいいちろう)、
23. 日柳燕石
世界大百科事典
名は政章,通称は加島屋長次郎,燕石は号。詩文を学び,のち博徒の長となる。京坂を遊歴して高杉晋作,木戸孝允,中岡慎太郎らの志士と交際し,また彼らを自邸に庇護もした
24. ぐんけんせいどろん【郡県制度論】
国史大辞典
慶応三年(一八六七)十一月の六廷臣建白)も、幕府(いわゆる「ロッシュ建白」の同調者たちの発言)も、討幕派(中岡慎太郎『時勢論』)も、それぞれに郡県制にもとづく政
25. 高知(県)画像
日本大百科全書
尊皇思想が醸成された。 1861年(文久1)武市瑞山(たけちずいざん)を盟主に、坂本龍馬(りょうま)、中岡慎太郎、吉村虎太郎(とらたろう)らにより結成された土佐
26. こうちはん【高知藩】画像
国史大辞典
はかったおこぜ組、安政期に吉田東洋を中心に改革をすすめた新おこぜ組、坂本竜馬の指導によりつくられた海援隊、中岡慎太郎が組織した陸援隊などが著名である。以上の四隊
27. 小梅日記 3 幕末・明治を紀州に生きる 281ページ
東洋文庫
慶喜、大政奉還を請うn・12紀州藩奥右筆田中善蔵、藩内反対派に暗殺されるn・15坂本龍馬・中岡慎太郎、京都で暗殺される12・9王政復古の大号令12・9茂承、京都
28. こくしょかんこうかい【国書刊行会】
国史大辞典
録(徳川斉昭)・会津藩文書・有村家文書・隈山春秋(平井収二郎)・帰南日記(同)・海西雑記(中岡慎太郎)・行行筆記・指華入京日載 神道叢説 神道由来記(卜部兼直)
29. 坂本龍馬画像
日本大百科全書
)を設けて通商航海業に乗り出し、これを媒体として倒幕のため薩長2藩を同盟させる運動に奔走、中岡慎太郎(しんたろう)と協力して翌1866年1月20日には京都で薩長
30. さかもとりょうま【坂本竜馬】
国史大辞典
山に社中を開き、他方では三条実美らを太宰府に訪ね、閏五月六日には下関で木戸孝允と会談する。中岡慎太郎・土方久元らの動きに協力し、薩長同盟のために努力することとな
31. さかもと-りょうま【坂本竜馬】画像
日本人名大辞典
に幕府の大政奉還を実現させ,新統一国家の建設を目ざしたが,慶応3年11月15日京都近江屋で中岡慎太郎とともに暗殺された。33歳。名は直陰,のち直柔(なおなり)。
32. さかもとりょうま【坂本竜馬】
日本架空伝承人名事典
また新国家構想(船中八策)を説き、大政奉還を側面からリードしたが、その直後、京都の近江屋で中岡慎太郎とともに、幕府の京都見廻組に暗殺された。下手人に関しては多く
33. 坂本竜馬[文献目録]
日本人物文献目録
竜馬』品川陣居『坂本竜馬』水守亀之助『坂本竜馬先生』-『竜馬と象二郎』矢田挿雲『坂本竜馬・中岡慎太郎』平尾道雄『坂本竜馬』竹越和夫『幕末維新の元勲青年坂本竜馬の
34. さかもとりょうまあんさつじけん【坂本竜馬暗殺事件】
国史大辞典
屋にて遭難した事件。竜馬は宿所としていた土佐藩邸の出入商人近江屋の二階奥で、来談中であった中岡慎太郎と不意を襲われ、下男山田藤吉とともに殺害された。襲撃者につい
35. 坂本竜馬・坂本龍馬
日本史年表
海援隊長に任命(維新史料綱要)。 1867年〈慶応3 丁卯〉 11・15( 12・10 ) 坂本竜馬・中岡慎太郎、京都河原町 近江屋 で京都見廻組に襲撃され、坂
36. 薩長同盟
世界大百科事典
66年6月5日に第2次長州征伐の総攻撃の命が下ったが,それより先の正月21日には坂本竜馬,中岡慎太郎の熱心な周旋で,薩摩藩の小松帯刀,西郷隆盛と長州藩の桂小五郎
37. 薩長連合
日本大百科全書
強め、長州再征への出兵拒否と諸藩連合への姿勢に変わっていた。そのうえに、土佐藩の坂本龍馬、中岡慎太郎(しんたろう)らが両藩の提携を図って薩摩藩名による長崎での長
38. さっちょう‐れんごう[サッチャウレンガフ]【薩長連合】
日本国語大辞典
慶応二年(一八六六)、薩摩藩と長州藩との間に結ばれた軍事同盟。第一次長州征伐ののち土佐の坂本龍馬・中岡慎太郎が薩長両藩間をあっせんし、京都において西郷隆盛・木戸
39. さっちょうれんごう【〓長連合】
国史大辞典
この両者の間には、文久期以来の対立と反目がある。これを除去して両者を同盟の関係にみちびいたのは、坂本竜馬と中岡慎太郎であった。慶応元年六月に坂本・中岡の斡旋がな
40. 薩土盟約
世界大百科事典
講じさせることになる。ところが土佐藩の藩論は,5月21日に薩摩藩と討幕挙兵の密約をむすんだ中岡慎太郎や板垣退助らの挙兵論と,幕府に同調しようとする山内豊信を中心
41. さつどめいやく【〓土盟約】
国史大辞典
を申し入れた。六月二十二日、土佐藩の後藤象二郎・寺村左膳・福岡孝弟・真辺栄三郎・坂本竜馬・中岡慎太郎と、薩摩藩の小松帯刀・西郷隆盛・大久保利通との会議がなり、盟
42. しおやちょう【塩屋町】京都市:中京区/立誠学区地図
日本歴史地名大系
属し、二一軒役を負担。なお当町東側には慶応三年(一八六七)一〇月一五日夜、土佐の坂本竜馬・中岡慎太郎が、京都見廻組に襲撃・暗殺された醤油屋近江屋井口新助宅があっ
43. 四国地方画像
日本大百科全書
幕末からの四国は土佐が中心である。尊王攘夷(じょうい)の先兵として坂本龍馬(りょうま)、中岡慎太郎などを輩出し、藩主山内容堂は率先して版籍を奉還した。それに比
44. しょうりんじ【松林寺】高知県:安芸郡/北川村/北川村
日本歴史地名大系
山門のみ残ったが室町期の建築といわれる。山門を入ると地蔵堂があり、子安地蔵として信仰を集める。当村出身の中岡慎太郎の遺髪墓もある。現在は無住で、奈半利町極楽寺住
45. 時勢論(著作ID:2842139)
新日本古典籍データベース
じせいろん 中岡慎太郎(なかおかしんたろう) 政治
46. 大政奉還画像
世界大百科事典
に働きかけて薩土盟約を結んだ。これは後藤のほかに,土佐藩の寺村左膳,福岡孝弟,真辺栄三郎,中岡慎太郎らが加わり,薩摩藩の小松帯刀(たてわき),西郷隆盛,大久保利
47. たけちずいざん【武市瑞山】
国史大辞典
瑞山は大石らと土佐勤王党血判盟約書を起草、九月に帰国し同志を募り同三年二月までに間崎哲馬・坂本竜馬・中岡慎太郎ら下士・郷士・庄屋を中心に百九十二名の加盟を得た。
48. 田中光顕
日本大百科全書
く)の知遇を得、長州征伐では丙寅丸(へいいんまる)に乗り幕軍と戦った。1867年(慶応3)中岡慎太郎(なかおかしんたろう)が組織した陸援隊の幹部となる。1868
49. たなかみつあき【田中光顕】
国史大辞典
勤王党の弾圧にあい、蟄居・謹慎を命ぜられたが、元治元年(一八六四)長州藩の尊王倒幕運動を援助するため脱藩。中岡慎太郎らとともに薩長連合の成立に尽力し、慶応二年(
50. 倒幕運動
世界大百科事典
らによる藩政改革=富国強兵化がすすめられた。1866年1月,薩長両藩は,土佐藩の坂本竜馬,中岡慎太郎らを仲介として薩長軍事同盟を結び,また,11月には日本貿易独
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