伝説として古典文学に記された説話。動物(亀 (かめ))の報恩によって異郷(常世国 (とこよのくに)、蓬莱 (ほうらい)郷、竜宮城)を訪れたという昔話の全国的伝承でもある。およその梗概 (こうがい)は次のごとくである。ある日漁に出ていた浦島は、亀を釣ったが、海に返してやる。ところが、翌日、女房の姿となって小舟に現れる。請われるままに竜宮城に送って行き、そこで女房と夫婦になる。3年を経て故郷に帰るとき、女房から、けっしてあけるなと、形見に美しい箱(玉匣 (たまくしげ)、玉手箱)をもらう。故郷は荒れ果てて700年の時がたっていた。禁を犯して箱をあけると三筋 (すじ)の雲が立ち上り、浦島は老人となる(御伽草子 (おとぎぞうし)では、のちに浦島明神として現れ亀姫と結ばれる)。古くは、『万葉集』巻9に「詠水江浦島子一首并 (ならびに)短歌」とある。丹後 (たんご)(京都府)の日下部 (くさかべ)氏の氏族伝承的な、己の出自を述べる神話としては『日本書紀』雄略 (ゆうりゃく)天皇22年条や、『丹後国風土記 (ふどき)逸文』(『釈日本紀 (しゃくにほんぎ)』所引)、『浦島子伝』『続浦島子伝記』(『群書類従』135所収)など、平安初期までに漢文学化されている。『続浦島子伝略抄』(『扶桑 (ふそう)略記』所収)もある。『源氏物語』夕霧にも浦島の玉匣への思いが詠まれているし、和歌も多く、中世説話文学の時代に入っても、『古事談』『宇治拾遺 (うじしゅうい)物語』(巻12の22)、『本朝神仙伝』『無名抄 (むみょうしょう)』『元亨釈書 (げんこうしゃくしょ)』にその系統を継ぎ、御伽草子『浦島太郎』で初めて「太郎」の名を与えられて伝説の悲劇性を本地物の祝言性に変更する。謡曲『浦島』も同じ傾向であるが、さらに近世に入ると赤本などにも収められ子供向きに脚色され、錦絵 (にしきえ)などにもなった(『燕石 (えんせき)雑志』4に詳しい考証がある)。明治期に入っても幸田露伴 (こうだろはん)、森鴎外 (おうがい)、坪内逍遙 (しょうよう)などの解釈において取り上げられている。京都府与謝 (よさ)郡伊根町の宇良神社(浦嶋神社)蔵の諸縁起は、在地性を備える伝承である。
そのほかに、全国的伝承は丹後半島を中心に、横浜市の蓮法寺 (れんぽうじ)や長野県木曽郡の寝覚床 (ねざめのとこ)や埼玉県秩父 (ちちぶ)郡小鹿野 (おがの)町など約20ほどの伝説が報告されていて、「椀貸淵 (わんかしぶち)」や「竜宮伝説」とも重層している。この伝説のモチーフは、他郷滞在、禁忌 (タブー)侵犯、時の超経過の三つといえる。人界から異なる他界への畏怖 (いふ)観を、禁忌不可侵(玉匣、玉手箱)の鉄則を破ることで社会的な罰則、破綻 (はたん)をこうむるという筋立ては、昔話の動物報恩による異類婚姻譚 (たん)の型である。海神の使者ともいうべき他界の動物報恩は、浦島伝説のみならず、『日本霊異記 (にほんりょういき)』上「亀を購 (あがな)ひて放生せしめ現報を得る縁」をはじめ中世説話文学にもみえ、昔話「蛤 (はまぐり)女房」などと軌を一にするものである。それは沖縄のニライカナイ信仰などに伝存する他界水平観における神霊の豊穣 (ほうじょう)致富の約諾の古代的発想が伝承されたといえる。南太平洋諸島にも類似の伝承がある。
今日もっとも知られている亀の背による竜宮城往復は中世以降の型である。口承の伝説的昔話では、太郎が継子 (ままこ)であったり(福井)、鶴 (つる)と化したり(香川)、3人兄弟の長男の申し子であったり(京都)、亀がカレイであったり(青森)する。「竜宮童子」「竜宮女房」「黄金の斧 (おの)」「沼神の手紙」などのモチーフとも比較されるべきであろう。また他界の短時間が人界の超時間となるのは、『竹取物語』や、甲賀 (こうが)三郎譚などにみえ、そこには同じく他界への畏敬観が伝承されている。
浦島太郎の話は,一般には次のようなものとして知られている。浦島は助けた亀に案内されて竜宮を訪問。歓待を受けた浦島は3日後に帰郷するが,地上では300年の歳月が過ぎている。開けるなといわれた玉匣(玉手箱)を開けると白煙が立ち上り,浦島は一瞬にして白髪の爺となり死ぬという内容で,動物報恩,竜宮訪問,時間の超自然的経過,禁止もしくは約束違反のモティーフを骨子とする。奈良時代の《日本書紀》雄略22年の条,《万葉集》巻九の高橋虫麻呂作といわれる〈詠水江浦島子一首幷短歌〉,《丹後国風土記》,平安時代の漢文資料〈浦島子伝〉〈続浦島子伝記〉などにも記述がみえる。これら古記録には亀の恩返しという動物報恩のモティーフはなく,《万葉集》を別として,丹後水江浦日下部氏の始祖伝説の形をとっているところに特徴がある。時代が下って室町時代の御伽草子《浦島太郎》になると,動物報恩の発端が登場し,浦島が鶴となって丹後国浦島明神にまつられるという形をとるようになる。また,浦島に“太郎”の名が付与され,竜宮城の名称が現れるのもこのころである。江戸時代の赤本類ではさらに童話化が進み,太郎は亀の背に乗って地上と竜宮城を往復する話に変容していく。浦島伝説を素材にした文学作品には近松門左衛門《浦島年代記》,明治時代に入ってからは,島崎藤村《浦島》(詩),森鷗外《玉篋両浦嶼(たまくしげふたりうらしま)》(戯曲),坪内逍遥《新曲うら島》(楽劇)などが知られている。
現在,浦島伝説を伝える地は,京都府与謝郡の宇良神社(浦島神社),神奈川県横浜市の浦島の足洗い井戸・腰掛石,長野県木曾郡の寝覚ノ床などがあり,それぞれ独自の話を伝えている。一方,昔話の〈浦島太郎〉は全国に分布し,内容的には,動物報恩のモティーフを発端とする一般型が多い。東北地方では,竜宮訪問,時間の超自然的経過のモティーフが独立した話として語られ,香川・鳥取では太郎が鶴と化す御伽草子系の伝承がみられる。奄美の沖永良部島では海彦・山彦説話と複合している。竜宮は海上彼方に楽土があるという常世(とこよ)思想の反映であろう。女から課せられた約束を男が一方的に破るのは〈蛇女房〉〈鶴女房〉などの異類女房譚の特色であり,常に人間によって禁止事項が犯され,不幸な結果を招来することになる。これは《古事記》の豊玉姫説話にも現れている古い説話モティーフといえよう。浦島説話と同型の話は,朝鮮,台湾,中国,チベットなど東アジアや東南アジアの諸国にも分布している。なかでも中国の洞庭湖周辺の伝承は,〈竜女説話〉と〈仙郷淹留(えんりゆう)譚〉の複合により成立したものとみられ,日本の浦島説話とも非常に似ているところから,浦島説話の原郷土を探るうえで重要な位置を占めている。
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