《同》遺伝因子(genetic factor).遺伝形質を規定する因子.メンデルの法則における基本概念として各遺伝形質(単位形質)に対応して想定され,G.J.Mendelはこれを因子と呼んだが,のちにW.L.Johannsen(1909)が遺伝子(gene)と呼ぶことを提案し,この語が定着した.遺伝子は自己増殖し(⇒複製),細胞世代,個体世代を通じて親から子に継代的に正確に受けつがれ,形質発現に必要な遺伝情報を伝達する.各々の遺伝子は互いに独立の単位であるが,物理的に独立して存在しているのではなく,染色体上にそれぞれ固有の位置を占め,一般には線状に配列して連鎖群を形成している(⇒染色体地図).遺伝子は安定なものであるが突然変異や遺伝的組換えによって変化することがあり,以後の世代には変化した遺伝子が伝達されることになる.古典遺伝学的には,ある形質(野生型)に対する突然変異型の存在によって,はじめてその形質に対する遺伝子が認識され染色体上の位置が決定される.二つの異なった突然変異型遺伝子が同一の遺伝子に由来するものかどうかは,シス-トランス位置効果を利用した相補性検定によって判定される.この方法で検出されるのは機能的単位としての遺伝子であって,シストロンと呼ばれる.遺伝的組換えの有無を判定の規準とすれば,シストロンはさらに小さな単位に細分される(⇒偽対立遺伝子).遺伝子の本体はDNA(一部のウイルスではRNA)であり,そのヌクレオチド配列によって個々の遺伝子が規定される.すなわち遺伝子とは核酸分子上のある長さをもった特定の領域(ドメインdomain)を指すことになる.原核生物の場合,例えば,ある蛋白質に対する遺伝子とはその蛋白質の一次構造(アミノ酸配列)に対応するヌクレオチド配列を指し,翻訳の際の開始点と終止点とにはさまれた部分をいう(⇒蛋白質生合成).その長さは,アミノ酸1個に,連続する3個のヌクレオチドが対応するため(⇒遺伝暗号),蛋白質の分子量に応じて通常数百~数千ヌクレオチド程度のものである.これに対し真核生物の多くの遺伝子では,最終的に蛋白質として翻訳されるヌクレオチド配列が,翻訳されない配列(⇒イントロン)によって分断されており,それらの部分は転写されたRNAの段階で除去される(⇒スプライシング).したがってこれらの遺伝子では,蛋白質の分子量に対応する長さよりも,その分だけ長くなっていることになる.遺伝子にはリボソームRNA(rRNA),トランスファーRNA(tRNA)などのように,転写産物(またはその一部)であるRNA自体が形質となるようなものもある.蛋白質やrRNA,tRNAなどの一次構造を規定している遺伝子を特に構造遺伝子(structural gene)と呼び,一般的に遺伝子というときには構造遺伝子を指す場合が多い.他方DNA(分子)を構成するヌクレオチド配列には,制御領域と呼ばれる特定の配列も存在する.例えばプロモーターやオペレーター,エンハンサーなどのように,転写や翻訳によって機能が発現されるのではなく,特定のヌクレオチド配列そのものが核酸上の特定の部位を指定しているものもあり,ある蛋白質と特異的に結合することなどによって,形質発現や複製などの制御,調節に重要な役割を果たすと考えられている.これらも広義の遺伝子に含めることができる.
遺伝形質の決定に働く細胞内の構造単位。遺伝子は核酸分子の一部であり、自己複製により子孫に伝えられ、また転写と翻訳によりタンパク質の構造を決定し、その働きにより遺伝形質を発現する。
チェコのブルノの町で修道院の司祭をしていたメンデルは1865年にエンドウの交雑実験の結果をまとめて『植物雑種の研究』という論文を発表した。この論文はのちに「メンデルの法則」とよばれるようになった遺伝の原理を示したものであるが、このなかでメンデルは、親から子孫に生殖細胞を通して伝えられ、遺伝形質を決定するものの存在を推定し、これを「要素」とよんだ。メンデルが初めて明らかにした遺伝の要素は、1909年にデンマークの遺伝学者のヨハンセンによってドイツ語でゲンGenと名づけられ、日本語では「遺伝子」とよばれるようになった。その後、主としてショウジョウバエを用いた研究から遺伝子と染色体の関係が明らかにされ、アメリカの遺伝学者T・H・モーガンが1926年にその著書『遺伝子説』で主張したように、遺伝子は染色体上に線状に配列する粒子であると考えられるようになった。1940年代には、遺伝生化学や分子遺伝学研究が発展し、遺伝子は染色体をつくる核酸の一種であり、酵素分子の働きを支配して遺伝形質を決定することが明らかにされた。1960年代には、遺伝子のもつ遺伝暗号がすべて解読され、遺伝情報の発現機構が解明された。さらに1970年代には、遺伝子の人工合成が可能になり、また細胞から取り出した遺伝子を異種の細胞に入れて増殖させ利用する遺伝子工学技術が発展してきた。
遺伝子の本体は核酸の一種デオキシリボ核酸(DNA)である。例外的にある種のウイルスではリボ核酸(RNA)が遺伝子として働く。遺伝子がDNAであることは1944年アメリカのエーブリーO. T. Avery、マクレオドC. M. MacLeod、マッカーティーM. McCartyの3人により、肺炎菌を用いた形質転換実験により初めて証明された。彼らは肺炎菌で多糖類の膜をもち、病原性のある野生型細胞からDNAを抽出し、多糖類の膜をもたず、病原性のない突然変異型細胞に加えると、突然変異型が野生型に変化することをみいだし、膜構造と病原性が野生型か突然変異型かを決定している遺伝子はDNAであると結論した。その後、1952年にはアメリカのハーシェイA. D. HersheyとチェイスM. ChaseがバクテリオファージT2の生活史の研究から、T2の増殖に必要な遺伝情報をもつのはDNAであることを証明し、遺伝子がDNAであることが確認された。
DNAは多数のデオキシリボヌクレオチドが結合してできた高分子物質である。デオキシリボヌクレオチドはリン酸、デオキシリボース(糖の一種)、プリンまたはピリミジン塩基が結合したものである。DNAをつくる塩基は、アデニン(A)、グアニン(G)、シトシン(C)、チミン(T)の4種である。1953年にアメリカの生物学者ワトソンとイギリスの物理学者クリックは協力して遺伝子DNAの分子構造を示す「DNAの二重鎖モデル」を提出した。このモデルは、DNA分子はデオキシリボヌクレオチドが結合してできた2本の長い鎖が螺旋 (らせん)状に巻いた構造からなるというものである(図A)。2本の鎖はAとT、GとCが塩基対をつくるように結び付き、二重螺旋構造をとっている。二重螺旋の直径は2.0ナノメートル、螺旋の1回転の距離は3.4ナノメートルで、その間に塩基対が10個並んでいる。このようなDNA鎖をつくる塩基の配列順序は遺伝暗号として働き、遺伝情報を決定するものである。DNA分子の二重鎖の長さは種によって異なるが、遺伝学研究によく用いられる大腸菌のDNA分子の長さは約1.1ミリメートルで、数百万の塩基対からなり、その分子量は約25億である。大腸菌は約3000の遺伝子をもつと考えられ、一つの遺伝子は1000余りの塩基対からなり、平均して分子量が数百万と推定される。
遺伝子は細胞分裂のとき正しく同じものに複製され、子孫細胞に伝えられる。DNA分子の複製のときには、二重螺旋構造は部分的に巻き戻されて1本鎖となり、それぞれの鎖を鋳型として、DNA合成酵素の働きにより対になる新しい鎖が合成される。このようにDNA分子の複製は自己複製であり、また二重鎖の1本から新しい分子がつくられるので半保存的複製とよばれる。
高等動植物など真核生物の細胞では、DNAは核に含まれ、細胞分裂のときには染色体となり、子孫細胞に分配される。核や染色体をつくっている物質はクロマチンとよばれる。クロマチンはDNA、ヒストンを主とするタンパク質、少量のRNAを含む。DNA分子はヒストン粒と結合し、ヌクレオソームnucleosomeとよばれる単位構造をつくり、折り畳まれて、核や染色体を構成する。細菌類など原核生物の細胞では、細胞分裂のとき真核細胞でみられるような核や染色体をつくらず、DNA分子はクロマチン構造をとることなく、裸の状態で細胞質中に分布している。
遺伝子は染色体上に一定の順序で線状に配列している。二つの遺伝子が異なる染色体上にあるときには、交雑の結果メンデルの独立の法則に従って分離するが、同じ染色体上にあるときにはこの法則に従わず、行動をともにし、連鎖の現象を示す。1本の染色体上の遺伝子は一つの連鎖群を形成する。交雑の結果、連鎖している遺伝子の組合せが親と異なる組合せに変わることがあり、この現象は遺伝的組換えとよばれる。組換えは減数第1分裂の過程で対合した相同染色体の間で交叉 (こうさ)とつなぎ換えがおこり、新しい遺伝子組合せ、すなわち組換え型が生ずる現象である。組換え型の出現頻度をパーセント(%)で示した値を組換え価とよぶ。組換え価を遺伝子間の距離とし、これを線上に目盛ると、遺伝子が染色体上にどのように並んでいるかを示す図ができる。この図は染色体地図、遺伝地図、あるいは連鎖地図とよばれる。
組換えはDNA分子間の交叉切断と、相同な相手分子へのつなぎ換えによっておこると考えられている。組換え過程では、DNA鎖の切断酵素、修復酵素、連結酵素などが働いている。DNA鎖の特定塩基配列部位を切る酵素は制限酵素とよばれる。同じ制限酵素で切った2種のDNA鎖は切り口の構造が相補的であり、それらを結合してできた分子は組換えDNAとよばれる。遺伝子DNAと細胞質で自己増殖するプラスミドのDNAの間で組換えDNAをつくり、遺伝子のコピーを増やすことができる。これは遺伝子のクローン化とよばれる現象で、遺伝子工学の主要な手段となっている。
遺伝子は遺伝形質を決定する。アメリカの遺伝学者のビードルとテータムは1941年にアカパンカビのビタミン合成に関する生化学的突然変異体の研究を行い、「一遺伝子一酵素説」を提唱した。この仮説は、遺伝子は一つの酵素の構造や働きを支配し、遺伝形質を発現するとするものである。その後、1958年にクリックがセントラルドグマとして主張しているように、遺伝子DNAの遺伝情報はまず伝令RNAに転写されて、細胞質に移動する(図B)。細胞質では伝令RNAはリボゾームとよばれる小粒に付着し、運搬RNAなどの働きで翻訳され、遺伝暗号に従ってアミノ酸が結合され、タンパク質のポリペプチド鎖が合成される(図B)。タンパク質は酵素として細胞内の代謝反応を触媒し、また細胞構造をつくり遺伝形質の発現に働く。
遺伝子のもつ遺伝暗号は、1961年から約5年間に解読された。解読された遺伝暗号は、遺伝子DNAの三つのヌクレオチドがコドンcodonとよばれる暗号の単位となって一つのアミノ酸を指定するというもので(図B)、トリプレット暗号ともいわれる。コドンは64種あり、そのうち61種はタンパク質をつくる20種のアミノ酸のどれかを指定する。3種のコドンはどのアミノ酸も指定せず、遺伝暗号の読みの終了暗号として働く。また、メチオニンの暗号(AUG)は遺伝暗号の読みの開始暗号となる。ウイルスからヒトに至るまで、どの生物も同じ遺伝暗号を用いている。
遺伝子が働くか働かないかは、調節作用をもつ遺伝子や環境条件などにより調節されている。フランスのジャコブF. JacobとモノーJ. Monodは1961年に大腸菌の乳糖代謝の調節機構の研究から、酵素合成が調節遺伝子によりオペロンとよばれる遺伝子群を単位として調節されるという「オペロン説」を提出した。オペロン説によると、大腸菌の培養中に乳糖がないときには、調節遺伝子からつくられる調節物質(抑制体とよばれるタンパク質)がオペロンの一端(オペレーターとよばれる)に結合し酵素合成を止めているが、乳糖が加えられると抑制体は不活性化され、オペロンから酵素が合成される。真核細胞は多数の遺伝子をもつが、組織に特有の遺伝子のみが働き、ほかは働きを停止している。このような真核細胞における遺伝子作用調節機構は、染色体構造と密接な関係をもつものと考えられている。
遺伝子は普通、非常に安定した状態で保たれているが、まれに変化することがある。遺伝子の構造が変化し、遺伝情報が変わる現象は突然変異とよばれる。特別な処理をしないで自然の状態でおこるのは自然突然変異である。突然変異が一定時間内にどのくらいの頻度でおこっているかは突然変異率で示される。自然突然変異率は生物種により、また遺伝子ごとに異なるが、微生物では一般に突然変異率が低く、1億分の1くらいであり、高等動植物では10万分の1、あるいはそれ以上の場合が多い。細胞をX線照射したり、アルキル化剤のようなDNAに作用する化学物質で処理すると、突然変異率が上昇する。突然変異はDNA塩基対の置換、欠失、転座、逆位、挿入などにより、遺伝暗号が変化し、指定するアミノ酸が変わることにより、誘発される。
同じ遺伝子の突然変異体を多数分離して相互に交雑すると、低頻度ではあるが組換え型が得られる。各突然変異体の間の組換え価を直線上に目盛ると、遺伝子の微細構造地図が得られる。遺伝子の異なる位置の変化したものはすべて対立遺伝子とよばれる。微細構造地図上の点はDNA分子の1塩基対に対応する。遺伝子内でおこる突然変異の最小単位はミュトンmuton、組換えの最小単位はリコンreconとよばれるが、これらの単位は一つの塩基対に対応するもので、遺伝子はこのような単位が多数集まってできているといえる。三つの塩基が集合すると、遺伝暗号のコドンとなる。遺伝子はコドンの連結したもので、その遺伝暗号によりポリペプチド鎖のアミノ酸配列が決定される。同じ遺伝子の二つの突然変異が、同じ細胞内の異なる染色体上にあるときには、普通は突然変異形質を示すが、ときには助けあって野生型形質を表すことがある。このような突然変異は、シストロンcistronとよばれる遺伝子内の異なる働きの単位に属すとされる。シストロンはタンパク質をつくる一続きのポリペプチド鎖に対応する遺伝単位である。普通、遺伝子は一つのシストロンからなり、1種のポリペプチド鎖の遺伝情報をもつが、まれに二つのシストロンからなり、2種のポリペプチド鎖の遺伝情報をもつものがある。
遺伝子の名称は遺伝子記号で表される。遺伝子記号は、その遺伝子の決定する形質の特徴を示す英語やラテン語などの省略形と番号や記号からつくられる。たとえば、微生物でアミノ酸の一種であるトリプトファンの要求性を示す遺伝子の記号はtrpである。トリプトファン合成系にはいくつもの酵素反応があり、それぞれの反応を支配する遺伝子には番号やアルファベットをつけtrp1、trp2あるいはtrpA、trpBのようによぶ。ショウジョウバエの白眼の遺伝子はWで、はねの曲がったものはCyである。小文字は劣性、大文字は優性遺伝子である。
遺伝子の固有名とは別に、遺伝子が細胞のどの部分にあるか、どんな形質を支配するか、どんな働きをするかなどにより、種類分けがなされている。核にある遺伝子は核遺伝子、または染色体遺伝子であり、細胞質にあって細胞質遺伝の原因となるのは細胞質遺伝子である。細胞質のミトコンドリアにあればミトコンドリア遺伝子、あるいはコンドリオーム、色素体にあれば色素体遺伝子、あるいはプラストムとよばれる。一遺伝子一酵素説に従いタンパク質の構造を決定しているのは構造遺伝子であり、構造遺伝子の働きを誘導したり抑制したりしているのが調節遺伝子である。また、生物個体の発生過程で致死作用を示す遺伝子は致死遺伝子といわれる。自然界に普通にみられる正常な遺伝子は野生型遺伝子で、変化すると突然変異型遺伝子になる。一つの形質を支配し、メンデルの法則に従った分離をするのが主働遺伝子であり、量的形質を支配し、メンデル式分離をしないのが微働遺伝子である。また、一つの形質を発現するのに複数の遺伝子が働いていることがあり、それぞれ重複遺伝子、あるいは同義遺伝子とよばれる。これらのほかにも、各種の遺伝現象を表すため多数の遺伝子名が記載されている。
遺伝形質を規定する因子。
G.J.メンデル(1865)はエンドウの子葉の色の緑と黄というような対立的な形質を支配する遺伝因子として対立する要素を想定し,両親由来のこのような対立要素,例えばAとa,をもつ雑種が配偶子を形成するとき,Aとaが分かれて別々の配偶子に入り,これが子どもに伝えられてその形質を規定すると考えた。1900年のメンデルの遺伝法則の再発見以降,多くの生物でこのような対立形質の遺伝様式が盛んに研究されるようになり,それぞれの形質に対応してそれを規定する仮想的な遺伝因子が設定されてきた。このような遺伝因子はメンデル因子,または単に因子とよばれていたが,W.L.ヨハンセン(1909)の提案した遺伝子という語がしだいにこれにとって代わるようになった。
サットンW.S.Sutton(1902)らはいち早く成熟分裂における染色体の行動がメンデル因子の行動と一致することを明らかにしたが,さらに,1910年に始まるT.H.モーガンらのキイロショウジョウバエの研究により,遺伝子は染色体に線状に配列して連鎖群を形成しており,一つの遺伝子は特定の染色体の特定の部位を占めていることがわかった。このような研究により,それまで仮想的な存在であった遺伝子が物質的基礎をもつことになり,その構造と機能を物質的に研究する道が開けた。
英語の〈gene〉に対し,日本で〈遺伝子〉という語をあてるようになったのは1936-37年ごろである。1936年に編まれた《遺伝学用語》第1輯ではgeneに対し〈遺伝因子〉が,genotypeやgeneanalysisに対しては〈遺伝子型〉や〈遺伝子分析〉があてられている。そして,37年の田中義麿著の《遺伝学》再版で初めてgeneに対し〈遺伝因子〉〈ゲン〉と並んで〈遺伝子〉が登場し,同年の井上頼数の論文に〈易変遺伝子〉の語が現れる。この時期より古い著書・論文では〈遺伝単位〉〈遺伝因子〉〈因子〉〈ゲン〉〈ジーン〉が用いられており,〈遺伝子〉は見あたらない。
1940年代に入り,ビードルG.W.BeadleとテータムE.L.Tatum(1941)らはアカパンカビの栄養要求性の遺伝を研究し,生体内における物質の生合成経路の各段階がそれぞれ固有の遺伝子に支配されていることを知った。すでに,生化学的研究により生合成経路の個々の過程が酵素に触媒されていることがわかっていたので,ビードルはこれらの知見を総合して一遺伝子一酵素説を立てた。こうして,遺伝子が直接支配するのは特定酵素の生産であり,この酵素を媒介にして遺伝子が生合成産物を支配するものと考えられるようになった。その後,酵素はもちろんのこと,酵素以外のタンパク質の生産も遺伝子の直接的支配下にあること,およびタンパク質の多くは複数の同種あるいは異種ポリペプチドからなることがわかってきたため,一遺伝子一酵素説は一遺伝子一ポリペプチド説に修正・拡張されることになった(ハルトマンP.E.Hartman,1965)。
一方,ベリングJ.Belling(1928)らにより太糸期染色体が染色小粒とそれをつなぐ糸状部分からなる数珠状構造を示すこと,およびC.B.ブリッジズ(1935)らにより唾腺(だせん)染色体が染色性の高い横縞部分と染色性の低い介在部分からなることが明らかにされ,染色小粒や横縞が遺伝子に対応するという考えが生まれた。この考えは偽対立遺伝子の組換えや遺伝子の突然変異機構の研究成果をふまえ,遺伝子は機能(すなわち形質の支配)・組換え・突然変異という三つの現象に共通な基本単位であるとするグリーンM.M.Green(1955)らの《遺伝子の統一概念》へと発展した。
しかし,バクテリアやウイルスが研究材料に登場するに及び,これまで検出不能であったごく低頻度の組換え体の検出が可能となった。そして,ベンザーS.Benzer(1957)らにより,交叉(こうさ)部位や突然変異部位は一つの遺伝子が占める染色体上の領域内に多数存在することが明らかにされ,究極的には単一のヌクレオチド対が交叉や突然変異の単位であることが推定されるに至った。同じことは高等動植物の若干の遺伝子についても証明されてきた。一方,遺伝子の本体がDNAであることが確実になり,バクテリアやウイルスでは一つのゲノムの全遺伝子が単一のDNA分子に組み込まれていること,また,高等動植物においても電子顕微鏡で確認できるかぎりでは,1本の染色体に含まれるDNAは連続した1本の糸であることもわかり,遺伝子の統一概念は自然に消滅した。
1950年代以降の分子遺伝学の発達により,まず,遺伝子の本体とポリペプチドの生産を支配する機構の概要が明らかとなった。ほとんどの生物では二重鎖のDNA(一部のウイルスでは1本鎖のDNAや二重鎖あるいは1本鎖のRNA)が遺伝子の本体をなしており,個々の遺伝子の特異性はそれを構成する4種類のヌクレオチド対の数と配列順序によって決められる。二重鎖DNAの転写によりRNAがつくられるが,この際,2本のDNA鎖のうち1本の鎖における4種類のヌクレオチド,すなわち,デオキシアデニル酸(Aで表す),デオキシグアニル酸(G),デオキシチミジル酸(T),デオキシシチジル酸(C)の配列順序に従ってRNAにおける4種類のヌクレオチド,すなわち,アデニル酸(A),グアニル酸(G),ウリジル酸(U),シチジル酸(C)の配列順序が決まる。転写されるDNA鎖のA,G,T,Cに対応してRNA鎖にU,C,A,Gが配位される。
RNAは機能的に3種に分かれる。タンパク質とともにリボソームを構成するリボソームRNA(rRNAで表す),リボソームへアミノ酸を運ぶ転移RNA(tRNA),およびポリペプチドの一次構造,すなわちアミノ酸配列を規定するメッセンジャーRNA(mRNA)である。mRNAに転写された遺伝情報,すなわちそのヌクレオチド配列がポリペプチドの一次構造に変換される過程を翻訳という。このとき,mRNAを構成するヌクレオチドの三つずつが一組になってポリペプチド鎖の一つ一つの位置に入るアミノ酸の種類を規定してゆく。このヌクレオチドのトリプレットには43,すなわち64の種類がある。個々のトリプレットとポリペプチドに含まれる20種類のアミノ酸との対応関係を遺伝暗号とよぶが,これはニーレンバーグM.W.Nirenberg(1966)らの研究によって完全に解読された。64のトリプレットのうち三つはどのアミノ酸にも対応しない。これらはナンセンスコドンとよばれ,翻訳において終止符の役をする。単一のmRNA分子の翻訳により,単一または複数のポリペプチドがつくられる。生産されるポリペプチドの数はmRNA分子に含まれるナンセンスコドンの数で決まる。mRNAを介して個々のポリペプチドに対応する二重鎖DNAの領域が,一遺伝子一ポリペプチド説にいうところの遺伝子である。このカテゴリーの遺伝子をシストロンまたは構造遺伝子とよぶ。これはポリペプチドの一次構造を決定する遺伝子という意味である。これに対し,転写によって個々のrRNA分子やtRNA分子をつくるDNA領域をrRNA遺伝子やtRNA遺伝子といい,これらがつくるRNAは翻訳されることがない。
遺伝子の本体や作用機構に関する研究と並んで,その作用の調節機構も研究されるようになった。F.ジャコブとJ.モノー(1961)らの研究から構造遺伝子の作用は作働遺伝子や促進遺伝子の働きにより調節されていることがわかってきた。大腸菌のLac遺伝子の場合,その作働遺伝子は他の構造遺伝子が生産するタンパク性抑制物質の結合部位であり,促進遺伝子は転写をつかさどるRNAポリメラーゼの結合部位である。ここに,遺伝子作用の調節に直接関与する種々の物質の結合部位を構成しているDNA領域が新しいカテゴリーの遺伝子として浮かび上がってきた。
その後,転写中のDNA分子や,DNA・DNAあるいはDNA・RNA分子雑種の電子顕微鏡による直接的観察法の確立,およびmRNAの逆転写によるcpDNAの調製,DNAのクローン化,そのヌクレオチド配列の決定などに関する技術的進歩により,真核生物の遺伝子の構造や作用発現について多くの新知見が加わった。遺伝子と遺伝子の間には,スペーサーとかサイレントDNAとよばれる転写されないDNA領域がふつう存在する。その一部はヌクレオチド配列からみて,現在も活動中の遺伝子と起源を同じくする遺伝子の残骸とみなされ,偽遺伝子とよばれる。また,一つの遺伝子の領域内に,転写に先立ってDNA分子内組換えによって除去されてしまうDNA部分や,翻訳に先立ってRNA分子から除去されるRNA部分に対応するDNA部分が存在することもわかった。構造遺伝子の領域内にあって翻訳に関与しないこのようなDNA部分をイントロンintronまたは介在配列とよぶ。これに対し,翻訳にあずかるDNA部分をエクソンexonという。真核生物の構造遺伝子はふつう複数のエクソンとイントロンがモザイク状に配列したものであり,イントロンを包含しない原核生物の遺伝子とは内部構造が異なっている。
このように多様な構造と機能を考慮するとき,遺伝子の包括的定義としては〈DNA(RNAウイルスにあってはRNA)分子中の,遺伝的になんらか固有の意味をもつ,決まった長さのヌクレオチド配列〉とするのが適当と考えられる。ここにいう“遺伝的な意味”は主として機能的なものであり,RNAやポリペプチドの構造を規定したり,遺伝情報の発現・調節に関与する種々の分子の結合や離脱部位を構成したりすることであるが,偽遺伝子の場合のように,その起源を示唆する歴史的な意味も包含する。
遺伝子はその細胞内の所在する場所により,核内遺伝子,染色体遺伝子,染色体外遺伝子,細胞質遺伝子,葉緑体遺伝子,ミトコンドリア遺伝子などに分類される。核内遺伝子と染色体遺伝子,染色体外遺伝子と細胞質遺伝子は同義である。葉緑体遺伝子とミトコンドリア遺伝子はともに細胞質遺伝子に含まれる。これらの遺伝子の間にはその構造や機能に関して本質的な差がない。しかし,染色体と細胞小器官(オルガネラ)DNAの間には次代への伝達様式に差があり,核内遺伝子はメンデルの遺伝法則にのっとって遺伝するが,細胞質遺伝子の伝達はこれに従わない(細胞質遺伝)。遺伝子はまた,その効果の表れ方により主働遺伝子,微働遺伝子,致死遺伝子,ポリジーンなどに分類される。
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