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  11. 徳川家継

徳川家継

ジャパンナレッジで閲覧できる『徳川家継』の国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典のサンプルページ

国史大辞典

徳川家継
とくがわいえつぐ
一七〇九 - 一六
江戸幕府第七代将軍。一七一二―一六在職。六代将軍家宣の第三子。生母は勝田氏(於喜世、月光院)。宝永六年(一七〇九)七月三日、江戸城内山里の別殿で誕生。幼名世良田鍋松。世良田の称は徳川氏発祥の地、上野国新田郡世良田郷(群馬県新田郡尾島町)にちなんだもの。兄の家千代・大五郎が早世したため嗣子となり、正徳二年(一七一二)十月十四日家宣の死去のあとをうけて相続する。時に四歳。翌三年正月一日袴着、三月二十六日元服、四月二日将軍宣下。幼少の将軍であったので、幕政の実権は側用人の間部詮房が握り、その下で、前代と同様儒者新井白石の提案する諸政策(正徳金銀の発行、海舶互市新例(正徳長崎新例)の発布など)が推し進められた。一方この時期、大奥の紊乱が表面化し、生母月光院に仕える年寄絵島らが処罰される事件が起っている。五年九月、霊元法皇の皇女八十宮と婚約したが、実現を見ぬまま、享保元年(一七一六)四月三十日死去。享年八。増上寺(東京都港区)に葬り、有章院殿と諡名された。→正徳期(しょうとくき)
[参考文献]
『徳川実紀』七、『徳川幕府家譜』乾(『徳川諸家系譜』一)
(松尾 美恵子)


日本大百科全書(ニッポニカ)

徳川家継
とくがわいえつぐ
[1709―1716]

江戸幕府第7代将軍。6代将軍家宣 (いえのぶ)の三男。母は家宣の側室輝子 (てるこ)(月光院)。兄2人の夭死 (ようし)により、家宣没後、1713年(正徳3)4歳で将軍職就任。在職わずか4年だったが、間部詮房 (まなべあきふさ)、新井白石 (あらいはくせき)の補佐により、父家宣の遺業である、金銀貨改良、長崎貿易改革(海舶互市新例 (かいはくごししんれい))を完成したほか、評定所 (ひょうじょうしょ)の公平な運営により多くの名判決を残した。室鳩巣 (むろきゅうそう)の手紙によれば、聡明 (そうめい)仁慈でふるまいも静かで上品だったという。1715年に正夫人として皇女八十宮 (やそのみや)との婚約がなったが、翌年家継が没したため、降嫁は実現しなかった。法号有章院。

[宮崎道生]



世界大百科事典

徳川家継
とくがわいえつぐ
1709-16(宝永6-享保1)

江戸幕府7代将軍。6代将軍家宣の第3子。生母は勝田氏お喜世の方,月光院。1713年(正徳3)将軍宣下。治世は〈正徳の治〉の後半にあたり,側用人間部詮房(まなべあきふさ)が新井白石の助言をえて運営の中枢に立った。前代家宣の遺言の権威を頼りに,貨幣改鋳(正徳金銀の発行)や貿易の改正(正徳新令=海舶互市新例)など注目すべき施策もあったが,詮房,白石らへの反感がたかまり,また幕臣間の腐敗も進行して,幕政は停滞しがちであった。
[辻 達也]

[索引語]
月光院
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1. 徳川家継画像
日本大百科全書
江戸幕府第7代将軍。6代将軍家宣いえのぶの三男。母は家宣の側室輝子てるこ(月光院)。兄2人の夭死ようしにより、家宣没後、1713年(正徳3)4歳で将軍職就任。在
2. 徳川家継
世界大百科事典
1709-16(宝永6-享保1) 江戸幕府7代将軍。6代将軍家宣の第3子。生母は勝田氏お喜世の方,月光院。1713年(正徳3)将軍宣下。治世は〈正徳の治〉の後半
3. とくがわ‐いえつぐ【徳川家継】
日本国語大辞典
江戸幕府第七代将軍。家宣の三男。幼名鍋松。正徳三年(一七一三)将軍となる。幼少であったため、側用人間部詮房、儒者新井白石により幕政刷新が行なわれた。宝永六~享保
4. とくがわいえつぐ【徳川家継】画像
国史大辞典
一七〇九―一六 江戸幕府第七代将軍。一七一二―一六在職。六代将軍家宣の第三子。生母は勝田氏(於喜世、月光院)。宝永六年(一七〇九)七月三日、江戸城内山里の別殿
5. 徳川家継
日本史年表
1713年〈正徳3 癸巳⑤〉 4・2 徳川家継 、将軍宣下(実紀)。 1716年〈享保元(6・22) 丙申②〉 4・30 没。
6. 德川家繼(とくがわいえつぐ)
古事類苑
官位部 洋巻 第3巻 21ページ
7. とくがわ-いえつぐ【徳川家継】
日本人名大辞典
1709−1716 江戸幕府7代将軍。在職1713-16。宝永6年7月3日生まれ。徳川家宣(いえのぶ)の3男。母はお喜世の方(月光院)。正徳(しょうとく)3年5
8. 徳川家継印[図版]画像
国史大辞典
 (c)Yoshikawa kobunkan Inc. 
9. あすまむら【遊馬村】埼玉県:草加市地図
日本歴史地名大系
畑七一石余・一五町八反余、屋敷三石余・四反余(「篠葉村万手控書」関根家文書)。正徳四年(一七一四)七代将軍徳川家継の生母月光院の父勝田元哲著邑が没すると、一部が
10. いばむら【伊庭村】滋賀県:神崎郡/能登川町
日本歴史地名大系
神崎・蒲生・野洲の三郡に七千石を得た。宝永七年(一七一〇)武蔵国に五〇〇石を加えられ、七代将軍徳川家継の側近となり、菊の間詰を許された。陣屋を伊庭に置き、幕末に
11. えじま【絵島】
日本人名大辞典
1681−1741 江戸時代中期の大奥女中。天和(てんな)元年生まれ。7代将軍徳川家継の生母月光院につかえ,年寄として大奥に権勢をふるう。正徳(しょうとく)4年
12. 絵島・生島事件
日本大百科全書
絵島事件(一件)ともいう。江戸大奥女中の乱行事件。7代将軍徳川家継いえつぐの生母月光院(6代将軍家宣いえのぶの側室左京局さきょうのつぼね)に仕えた大年寄(大奥女
13. えじま・いくしまじけん【絵島・生島事件】
国史大辞典
正徳四年(一七一四)江戸大奥に生じた風俗紊乱事件。将軍徳川家継の生母月光院に仕えた女房の絵島(江島とも書く)・宮路らが正月十二日寛永寺・増上寺へ代参の帰途、木
14. 江島事件
世界大百科事典
1714年(正徳4)に江戸城大奥で起こった風紀紊乱(びんらん)事件。将軍徳川家継の生母月光院に仕えていた江島(絵島とも書く),宮路らが正月12日寛永寺,増上寺へ
15. えどじようあと【江戸城跡】東京都:江戸・東京/東京地図
日本歴史地名大系
元和四年に東照社(正保二年東照宮となる)が造営されて以来、歴代将軍の霊廟(御霊屋)が設けられた。七代徳川家継以降新たな霊廟は造られずに合祀された。霊廟の北側には
16. おおおかきよすけ【大岡清相】
国史大辞典
在任中正徳長崎新例が発布される。かねて幕閣の中では長崎貿易制度検討の必要性がさけばれていたが、徳川家継の将軍相続を契機として、長崎貿易組織の吟味・調査は具体化し
17. 大奥画像
日本大百科全書
として、「表」の政治向き、人事などにも陰から容喙ようかいし、大きな影響を与えていた。7代将軍徳川家継いえつぐのときに、大奥に表の粛正の手が入り、御年寄の絵島えじ
18. おだ-のぶかど【織田信門】
日本人名大辞典
貞享(じょうきょう)4年家督をつぎ,元禄(げんろく)2年高家に列する。中御門(なかみかど)天皇の即位,徳川家継の将軍宣下(せんげ)の際などに京都におもむいた。正
19. 甲子夜話 1 354ページ
東洋文庫
875432112徳川家慶 慎徳院徳川家斉徳川家治徳川家重徳川吉宗徳川家継6徳川家宣徳川綱吉徳川家綱徳川家光徳川秀忠徳川家
20. きんだいざっき【近代雑記】
国史大辞典
林信篤著。内閣文庫蔵、四冊。天正年間(一五七三―九二)より七代将軍徳川家継の代にわたる諸家の覚書や聞書を抄出し、また幕初以来の政務・制度・行事・慣習などの覚書
21. くつき-たねもと【朽木稙元】
日本人名大辞典
宝永5年丹波福知山藩(京都府)藩主朽木家2代となり,弟稙治(たねはる)に3000石を分与。奏者番をつとめ,徳川家継(いえつぐ)の将軍宣下の儀式や,徳川吉宗(よし
22. 采覧異言
日本大百科全書
新井白石あらいはくせきの著書。ひとまず1713年(正徳3)に成ったが、完成は1725年(享保10)。7代将軍徳川家継いえつぐに献上したもので、「異言(外国の言語
23. しばじゆみよういんあげやしき【芝寿命院上ヶ屋敷】東京都:港区/旧芝区地区地図
日本歴史地名大系
享保二〇年(一七三五)同人は神田岸町(現千代田区)に拝領地引替えとなり、上屋敷となったところが天英院(七代将軍徳川家継生母)鉄砲洲屋敷(現中央区)の番人や仕丁六
24. 謝恩使・恩謝使
日本史年表
)、徳川家綱に謁見(実紀)。 1714年〈正徳4 甲午〉 12・2 琉球使節( 恩謝使 )、徳川家継に謁見(実紀)。 1752年〈宝暦2 壬申〉 12・15 琉
25. 正徳・享保金銀
世界大百科事典
位を低下させて通貨量の増大をはかったため,物価は上昇し,通貨に対する信用が失われた。7代将軍徳川家継の補佐役新井白石は1714年(正徳4)5月,改鋳益金によって
26. 正徳の治
世界大百科事典
脚した。辻 達也 徳川家宣 間部詮房 新井白石 荻原重秀 折たく柴の記 正徳金銀 萩原美雅 徳川家継
27. じゅんけんし【巡見使】
国史大辞典
筋・奥州筋・関東筋・東海道筋)に分けて、将軍の代替りごとに行うという型が定着し、その後、七代徳川家継の時を除いて十二代将軍代替りの天保九年(一八三八)まで続けら
28. 想古録 2 近世人物逸話集 123ページ
東洋文庫
ら抜目なぎ御意ありて、掛吏の面々を何の御咎めも無く下げられけるとぞ、文昭〈徳川家宣〉、有章〈徳川家継〉両公の時代には百事無用の冗費を消耗しけるが、有徳公の御世と
29. 想古録 2 近世人物逸話集 316ページ
東洋文庫
三九三、 四元、豊三、六尭土岐朝旨(豊前守) 七元土岐豊前守 二七二、三九七徳川家定 七δ、δ晃徳川家継 四七、三蓋徳川家綱 δ四七徳川家斉 二四七、元五、三8
30. ちょうあんじ【長安寺】長崎県:大村市/大村
日本歴史地名大系
寺領は四〇石であったが、のち三六石。正徳年間(一七一一―一六)二代将軍徳川秀忠、六代将軍徳川家宣、七代将軍徳川家継の位牌を安置したことから、これ以後は徳川家代々
31. 徳川慶喜公伝 4 210ページ
東洋文庫
公は在府各藩の重役を召し、宮軍の発向を止めらる二やう、各藩主の周旋を依嘱せられしこと、仙台藩記に見ゆ)。さて徳川家継ぐべき人については、公は、「三家・三卿の中に
32. 徳川吉宗画像
日本大百科全書
藩主として12年間在位し、藩財政窮乏のため厳しい緊縮政策をとり倹約に努めた。1716年(正徳6)4月、7代将軍徳川家継いえつぐが危篤に陥るや将軍後見となり、家継
33. とくがわ-よしむね【徳川吉宗】
日本人名大辞典
宝永2年紀伊(きい)和歌山藩5代藩主となり,藩財政の立て直しに実績をあげた。享保(きょうほう)元年徳川家継(いえつぐ)の跡をつぎ,将軍となる。倹約の実行,実学の
34. 日東壮遊歌 ハングルでつづる朝鮮通信使の記録 346ページ
東洋文庫
我々には一切を見せずにおぎ替え玉を処刑して  騙すつもりであるとか   (1)国の忌日 第七代将軍徳川家継の没日(一七一六年四月三十日)であるためか。  四月三
35. 日本漢詩集 316ページ
日本古典文学全集
紀州加勢田屋平右衛門刊。木下順庵門下五名の詩を、祇園南海が纂評したもの)。享保二年(六十一歳)正月、前将軍徳川家継に仕えた臣の屋敷が召し上げられることになったが
36. 日本年号一覧
日本大百科全書
、厚生惟和」によるという〔勘申者〕菅原総長(文章博士もんじょうはかせ)〔当代の主要事件〕3年徳川家継いえつぐ将軍となる 5年長崎貿易の正徳新令出る 6年間部詮房
37. 幕末の宮廷 25ページ
東洋文庫
一人で、天皇の乳母で生存の場合のみ。親王以下の乳母は御乳人という。一三 八十宮 吉子内親王。ただし徳川家継に降嫁のことは治定のみで、家継七歳早世のため実現しな 
38. ぶけしょはっと【武家諸法度】
国史大辞典
江戸幕府の基本法規の一つで、代々の将軍は、短期に終った徳川家継と慶喜とを除いて、その就任後、これを諸大名に公示した。初令は、将軍職を退いた後の徳川家康が、元和
39. まなべにっき【間部日記】
国史大辞典
上野国高崎藩主で、宝永六年(一七〇九)から享保元年(一七一六)まで、六代将軍徳川家宣・七代将軍徳川家継のもとで側用人として活躍した間部越前守詮房の公務日記。国立
40. もちづきさんえい【望月三英】画像
国史大辞典
一説に元禄十年生まれともいう。同十六年、本家元椿の死によりその跡を継ぎ、正徳三年(一七一三)将軍徳川家継に謁見。享保十一年(一七二六)番医。同十三年今大路親顕ら
41. ゆうしょういんどの【有章院殿】
国史大辞典
徳川家継(とくがわいえつぐ)
42. よしこないしんのう【吉子内親王】
国史大辞典
正徳四年(一七一四)八月二十二日誕生。ついで九月十日八十宮と命名。同五年九月二十三日、時に七歳であった将軍徳川家継との婚約が成り、翌享保元年(一七一六)二月十八
43. よしこないしんのう【吉子内親王】
日本人名大辞典
1714−1758 江戸時代中期,霊元天皇の第12皇女。正徳(しょうとく)4年8月22日生まれ。5年7代将軍徳川家継の婚約者にさだめられたが,家継は翌年死去。享
44. 1713年〈正徳3 癸巳⑤〉
日本史年表
減員、3人制とする(実紀)。 3・‐ 幕府、 人宿組合 を廃止(江戸町触集成)。 4・2 徳川家継 、将軍宣下(実紀)。 4・23 幕府、代官に幕領支配の
45. 1714年〈正徳4 甲午〉
日本史年表
京都所司代水野忠之に、禁裏・院中・公家に関する条規を示す(教令類纂)。 12・2 琉球使節( 恩謝使 )、徳川家継に謁見(実紀)。 12・22 幕府、新銭を
46. 1716年〈享保元(6・22) 丙申②〉
日本史年表
2・29 山田光徳(78、剣術家)。 閏2・12 融観(68、融通念仏僧侶)。 4・30 徳川家継(8、江戸幕府第七代将軍)。 6・2 尾形光琳(59、画
47. 1758年〈宝暦8 戊寅〉
日本史年表
中井甃庵(66、儒学者)。 9・5 柳沢淇園(55、文人)。 9・22 吉子内親王(45、徳川家継許婚)。 9・24 市川団十郎(2代)(71、歌舞伎俳優
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