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日本三代実録

ジャパンナレッジで閲覧できる『日本三代実録』の日本大百科全書・世界大百科事典・日本国語大辞典・国史大辞典のサンプルページ

日本大百科全書(ニッポニカ)

日本三代実録
にほんさんだいじつろく

50巻。六国史 (りっこくし)の一つ。『文徳 (もんとく)実録』に続く勅撰 (ちょくせん)の歴史書。清和 (せいわ)(在位858~876)、陽成 (ようぜい)(在位876~884)、光孝 (こうこう)(在位884~887)三天皇の時代30年を収めた編年体の実録。宇多 (うだ)天皇(在位887~897)の勅を奉じて、藤原時平 (ときひら)、菅原道真 (すがわらのみちざね)、大蔵善行らが編纂 (へんさん)を開始したが、同天皇の譲位で一時停滞した。しかし、即位した醍醐 (だいご)天皇(在位897~930)の勅で復活し、901年(延喜1)に完成した。六国史のなかでもっとも分量が多く、記述が詳細になり、記載法が整備され、正確性を増し、政治・法制に関する記事が多いのが本書の特色といえよう。現存の本書は完本ではなく、50巻のうち、一巻全部を欠くところはないが、巻によりかなりの脱漏がある。しかし、『国史大系』本は、これを『類従国史』『日本紀略』『扶桑 (ふそう)略記』などによって補っている。

[林 幹彌]



世界大百科事典

日本三代実録
にほんさんだいじつろく

日本古代の官撰の史書。略して《三代実録》ともいう。六国史の第6。50巻。《日本文徳天皇実録》のあとをうけ,清和,陽成,光孝3天皇の代,858年(天安2)から887年(仁和3)まで30年間のことを記す。宇多天皇の命により編纂され,醍醐天皇の901年(延喜1),藤原時平らの手で完成された。六国史中もっとも詳細でかつ史書としての体裁が整備されているが,現存する写本には脱文や後人伝写のさいの抄略が多い。《新訂増補国史大系》所収。
[笹山 晴生]

[索引語]
藤原時平


日本国語大辞典

にほんさんだいじつろく 【日本三代実録

解説・用例

六国史の第六。五〇巻。源能有、藤原時平、菅原道真らの撰。宇多天皇の勅をうけて着手、醍醐天皇の延喜元年(九〇一)奏送。清和・陽成・光孝の三代三〇年間を編年体で叙述。六国史中最大の巻数を持ち、内容も精細かつ正確である。三代実録。

発音

〓[ジ]




国史大辞典

日本三代実録
にほんさんだいじつろく
六国史のうちの最後の正史。『三代実録』と略称される。『日本文徳天皇実録』に次ぎ、清和・陽成・光孝天皇の三代、すなわち天安二年(八五八)八月から仁和三年(八八七)八月までの二十九年余りを収録する。五十巻。『日本紀略』によると、宇多天皇の勅による編纂の開始は寛平四年(八九二)五月である。序文によると、宇多天皇の勅を奉じたのは、源能有・藤原時平・菅原道真・大蔵善行・三統理平であるが、能有の死没や宇多天皇の譲位によって中断し、醍醐天皇の時平らに対する勅によって再開され、完成して延喜元年(九〇一)八月に奏進された。奏進の直前、道真は時平との対立によって失脚している。本書の特色としては、六国史のなかで最も記事の分量の多いことが上げられる。特に年中行事に関する記事や詔勅・上表・願文などが詳しい。たとえば正月の卯杖(うづえ)、白馬(あおうま)節会、四月の賀茂祭など、他の国史が必ずしも載せていないのに対し、本書にはほとんど毎年記載がある。また詔勅・上表・願文などは煩を厭わずできるだけ詳しく載せる方針である。次に記事の正確さが上げられる。たとえば、授位の記事における官人の序列は、『続日本紀』以下の五国史のなかで最も正確であり、五位以上については本位に叙された先後を厳密に守っている。本書の写本は数多いが、いずれも三条西本を伝写したものである。本奥書によると、三条西本は永正十二年(一五一五)から大永四年(一五二四)までの間、三条西実隆・公条が卜部本によって書写したものであることが知られる。なお今日に伝わる写本は完本ではなく、巻によっては書写の際の省略や脱漏がある。このような省略・脱漏は巻十五と巻十九から四十八までの諸巻にみられる。活字本には寛文十三年(延宝元、一六七三)版本を底本とする増補六国史本(朝日新聞社)、谷森本(宮内庁書陵部蔵)を底本とする新訂増補国史大系本があるが、いずれも省略・脱漏の箇所を『類聚国史』『日本紀略』『扶桑略記』などによって補っている。
[参考文献]
武田祐吉・佐藤謙三訳『訓読日本三代実録』、坂本太郎『六国史』(吉川弘文館『日本歴史叢書』二七)、井上薫「日本三代実録」(坂本太郎・黒板昌夫編『国史大系書目解題』上所収)
(柳 雄太郎)
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検索コンテンツ
1. 『日本三代実録』
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5・1 源能有・藤原時平らに命じ 『日本三代実録』 を編修させる(紀略)。 901年〈延喜元(7・15) 辛酉⑥〉 8・2 藤原時平・大蔵善行、 『日本三代実録
2. 日本三代実録
日本大百科全書
50巻。六国史りっこくしの一つ。『文徳もんとく実録』に続く勅撰ちょくせんの歴史書。清和せいわ(在位858~876)、陽成ようぜい(在位876~884)、光孝こう
3. 日本三代実録
世界大百科事典
日本古代の官撰の史書。略して《三代実録》ともいう。六国史の第6。50巻。《日本文徳天皇実録》のあとをうけ,清和,陽成,光孝3天皇の代,858年(天安2)から88
4. にほんさんだいじつろく【日本三代実録】
日本国語大辞典
六国史の第六。五〇巻。源能有、藤原時平、菅原道真らの撰。宇多天皇の勅をうけて着手、醍醐天皇の延喜元年(九〇一)奏送。清和・陽成・光孝の三代三〇年間を編年体で叙述
5. にほんさんだいじつろく【日本三代実録】
国史大辞典
っている。 [参考文献]武田祐吉・佐藤謙三訳『訓読日本三代実録』、坂本太郎『六国史』(吉川弘文館『日本歴史叢書』二七)、井上薫「日本三代実録」(坂本太郎・黒板昌
6. 日本三代実録(著作ID:50124)
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にほんさんだいじつろく 三代実録 源能有(みなもとよしあり) 藤原時平(ふじわらときひら) 菅原道真(すがわらみちざね) 大蔵善行(おおくらよしゆき) 三統理平
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8. 日本三代実録故事考(著作ID:1540052)
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10. だいげんしゃく【大玄錫】(Dà Xuánxī)
世界人名大辞典
回遣使[872,77,82,92:貞観14,元慶1,6,寛平4].〖文献〗 新唐書219.日本三代実録21,31.
11. はいてい【裴頲】(Péi Tǐng)
世界人名大辞典
文名が高く,菅原道真や紀長谷雄らと詩を応酬.道真との応酬詩は《菅原文草》に収録.〖文献〗 日本三代実録42.日本紀略前篇20.本朝文粋7.
12. あい‐ともに[あひ‥]【相共】
日本国語大辞典
演密蔵〓」*日本三代実録‐貞観一二年〔870〕六月二二日「此状を聞こしめして、相共爾 助け矜
13. あきたじょう‐じょうし[あきたジャウジャウシ]【秋田城城司】
日本国語大辞典
〔名〕「あきたじょうのすけ(秋田城介)」に同じ。*日本三代実録‐元慶三年〔879〕六月二六日「秋田城城司正六位上行左衛門少尉兼権掾清原真人令望」
14. あく‐せん【悪銭】
日本国語大辞典
あくぜに。〓精銭(せいせん)。*日本三代実録‐貞観七年〔865〕六月一〇日「禁
15. あじゃり【阿闍梨】
日本国語大辞典
法を伝授する儀式)を受けた者をいう。後に伝法灌頂を受けた僧に宣旨によって与えられる称号。*日本三代実録‐元慶八年〔884〕三月「詣〓少僧都真紹
16. あずち[あづち]【〓・堋・安土】画像
日本国語大辞典
〔名〕的弓の施設。的をかけるために弓場の正面に設ける山形の盛り土。南山。的山。あむつち。いくはどころ。*日本三代実録‐仁和元年〔885〕一一月六日「及
17. あずま‐まい[あづままひ]【東舞】
日本国語大辞典
〔名〕「あずまあそび(東遊)」に同じ。*日本三代実録‐貞観三年〔861〕三月一四日「近衛壮歯者廿人、東舞」*儀式〔872〕一・春日祭儀「馬寮牽
18. あつか・う[あつかふ]【熱・暑】
日本国語大辞典
痛(アツカヒ)て自ら勝ふること能はず」*日本三代実録‐貞観八年〔866〕九月二二日「日夜間無く憂れひ念ほし熱 加比 御座
19. あつ‐みつ【遏密】
日本国語大辞典
)諒闇(りょうあん)の時に音楽を禁止すること。あつびつ。→鳴物停止(なりものちょうじ)。*日本三代実録‐天安二年〔858〕九月七日「宣
20. 吾妻鏡(あづまかがみ)
日本大百科全書
もともと編纂されずに未完成の書物であったかは未詳。現存部分だけでも、六国史りっこくし中もっとも多い『日本三代実録』をしのぐ分量である。13世紀末か14世紀初頭に
21. あなな・う[あななふ]
日本国語大辞典
ま)りに阿奈々比(アナナヒ)奉り、輔佐(たすけ)奉らむ事に依りて」*日本三代実録‐元慶四年〔880〕一二月四日「忠貞の心を持ちて御世御世与り天下の政を相安奈々比
22. あまてら‐・す【天照─】
日本国語大辞典
らします神に祈りて」(2)支配者として、天下にのぞんでおられる。天下に君臨しておられる。*日本三代実録‐元慶四年〔880〕一二月四日・宣命「朕が食国を平く安く天
23. あらきだ【荒木田】
日本国語大辞典
代々伊勢の皇大神宮の禰宜(ねぎ)、権(ごんの)禰宜を世襲。江戸時代には国学者を輩出した。*日本三代実録‐元慶三年〔879〕五月二三日「伊勢国度会郡大神宮氏人神主
24. あれ‐おとめ[‥をとめ]【阿礼少女】
日本国語大辞典
・天長八年〔831〕一二月壬申「皇大神の阿礼乎止売(アレヲトメ)に進(まゐ)れる内親王」*日本三代実録‐元慶元年〔877〕二月二四日「敦子内親王を卜定て、阿礼乎
25. あわた[あはた]【粟田】
日本国語大辞典
このあたり一帯を広く白河とも称し、平安京の別荘地であった。粟田口は東海道の出入り口にあたる。*日本三代実録‐元慶四年〔880〕二月五日「山城国愛宕郡下粟田郷百姓
26. いち‐ぐん【一軍】
日本国語大辞典
〔名〕(1)一隊の軍勢。一万二千五百人の兵士で構成される軍隊。*日本三代実録‐元慶三年〔879〕三月二日「以〓一万三千六百人
27. いっしん‐でん【一身田】
日本国語大辞典
【一】〔名〕古代、本人一代を限って朝廷から腸わった田地。租を免除される。いしんでん。*日本三代実録‐元慶二年〔878〕六月二日「勅以
28. いつき‐め【斎女】
日本国語大辞典
一門の子女の中から選任するならわしであった。春日斎女(かすがのいつきめ)。斎子(いつきこ)。*日本三代実録‐貞観一〇年〔868〕閏一二月二一日「宣
29. いみ‐ど【斎戸】
日本国語大辞典
〔名〕けがれを去った神聖な戸。*日本三代実録‐貞観二年〔860〕八月二七日「夜、偸児開〓神祇官西院斎戸神殿
30. いわいじんじゃ【伊波比神社】埼玉県:比企郡/吉見町/黒岩村地図
日本歴史地名大系
「続日本後紀」嘉祥二年(八四九)二月五日条によると「武蔵国伊波比神」が従五位下の神階を授けられている。「日本三代実録」貞観元年(八五九)一〇月七日条では、「武蔵
31. いん‐う【淫雨】
日本国語大辞典
〓」*日本三代実録‐貞観七年〔865〕二月一〇日「在
32. 印地
世界大百科事典
は飛礫の実態は不明であるが,881年(元慶5)京の一条で児童数百が戦闘のまねをしたのは(《日本三代実録》),おそらく石合戦で,10世紀以後,記録・文書に頻出する
33. いん‐じ[ヰン‥]【院事】
日本国語大辞典
〔名〕(1)院中の諸雑事。*日本三代実録‐貞観元年〔859〕四月二三日「太上皇甚親任、以〓安仁
34. いん の 別当(べっとう・べとう)
日本国語大辞典
執事と呼ばれる別当もあった。鎌倉時代、本官が大臣である別当を大別当(おおべっとう)とも称した。*日本三代実録‐貞観元年〔859〕四月二三日「安倍朝臣安仁薨〈略〉
35. いん‐みょう[‥ミャウ]【因明】
日本国語大辞典
ga =陳那)の改革大成した新因明の二つに大別される。→五明。*日本三代実録‐仁和二年〔886〕七月二二日「因明九句義二巻」*今鏡〔1170〕五・飾太刀「僧の読
36. 宇治拾遺物語 407ページ
日本古典文学全集
親しみを込めて言った呼称。光孝・宇多天皇時代(九世紀末葉)の相撲人。大伴氏、右近衛府の官人。『日本三代実録』仁和二年(八八六)五月二十八日条に、「膂力之士(強豪
37. うちのかしわで‐の‐かみ[うちのかしはで‥]【内膳正】
日本国語大辞典
定員二人。うちのかしわでのつかさのかみ。かしわでのかみ。奉膳(ぶぜん)。ないぜんしょう。*日本三代実録‐貞観六年〔864〕三月八日「右兵庫頭従五位下連扶王為
38. うめのみや‐まつり【梅宮祭】
日本国語大辞典
もと橘氏が奉幣の任にあたり、のち藤原氏、源氏の長者が代行して務めたという。酒造家の信仰があつい。《季・夏》*日本三代実録‐貞観二年〔860〕四月五日「梅宮祭如
39. う‐めりょう[‥メレウ]【右馬寮】
日本国語大辞典
。及飼部戸口名籍事〓〉」*日本三代実録‐貞観一六年〔874〕二月六日「祭
40. う‐りん【羽林】
日本国語大辞典
二十八宿の危宿南東方の衆星。天宮で大将軍の地位にあたり、天軍をつかさどるという。羽林軍。*日本三代実録‐貞観六年〔864〕七月二三日「有
41. うれ・う[うれふ]【憂・愁・患】
日本国語大辞典
うれえる(憂)。【二】〔他ハ上二〕心を痛める。思いなやむ。心配する。*日本三代実録‐貞観八年〔866〕九月二二日「日夜無
42. うん‐ちん【運賃】
日本国語大辞典
〔名〕(古くは「うんぢん」)運送料金。貨物や旅客などの運送に対して支払われる報酬。*日本三代実録‐貞観一八年〔876〕三月九日「六国一年所
43. えい‐ざん【叡山】
日本国語大辞典
(「えいさん」とも)「ひえいざん(比叡山)」の略。*日本三代実録‐貞観六年〔864〕正月一四日「大同末年、随〓縁入
44. えしゃ‐ちょう[ヱシャチャウ]【会赦帳】
日本国語大辞典
一五日・太政官符「後司拠実造会赦帳、前後官司共署言上者。然則名是会赦帳、実則不与解由状」*日本三代実録‐元慶四年〔880〕一二月七日「且未
45. え‐どころ[ヱ‥]【画所・絵所】
日本国語大辞典
さ)に代わって設置され、別当には五位の蔵人が、預(あずかり)には専門の絵師が任命された。*日本三代実録‐仁和二年〔886〕九月一二日「画所犬死、〈略〉画所者、在
46. 延喜・天暦の治
世界大百科事典
〉と称される宇多天皇の治世をうけ,荘園整理など地方行政への施策や,延喜格式・儀式や国史(《日本三代実録》)の編修,銭貨改鋳(延喜通宝)など実質的には解体しつつあ
47. えんぎ の 治(ち)
日本国語大辞典
後世並び称せられた時代。藤原氏の摂関政治が一時中絶して天皇が政治の表面に立ち、荘園の新立禁止や、「日本三代実録」、「延喜式」、「古今集」の編纂など積極的な活動が
48. えん‐しょう[‥セウ]【延焼】
日本国語大辞典
三四日不〓滅。延焼数百余町」*日本三代実録‐貞観元年〔859〕二月五日「西京失火。延
49. えんのまつばら【宴松原】
日本国語大辞典
。豊楽院の後方にあたる。「今昔物語集」に、月のある夜、若い女がここで鬼に食われたとある。*日本三代実録‐仁和三年〔887〕八月一七日「武徳殿東縁松原西有
50. おう‐し[ワウ‥]【王氏】
日本国語大辞典
旧皇室典範では五世以下の皇族をいい、現皇室典範では三世以下の嫡男系嫡出の子孫をいう。王姓。*日本三代実録‐天安二年〔858〕一一月一一日「天皇即位之日、択
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