1. 『吾妻鏡』
日本史年表
1180年〈治承4 庚子〉 この年 『吾妻鏡』記述始まる(~文永三年七月二〇日)。 1522年〈大永2 壬午〉 9・5 大内氏の部将陶弘詮, 『吾妻鏡』(吉川
2. あずまかがみ[あづまかがみ]【吾妻鏡・東鑑】
日本国語大辞典
鎌倉時代の史書。五二巻のうち、巻四五が欠ける。鎌倉幕府が公的にかかわった編纂物と推定される。治承四年(一一八〇)の源頼政の挙兵から、文永三年(一二六六)に惟康(
3. あずまかがみ【吾妻鏡】
国史大辞典
[参考文献]八代国治『吾妻鏡の研究』、和田英松「吾妻鏡古写本考」(『国史説苑』所収)、益田宗「吾妻鏡の本文批判のための覚書き」(『東京大学史料編纂所報』六)、同
4. 吾妻鏡(あずまかがみ)
古事類苑
文學部 洋巻 第3巻 446ページ
5. 吾妻鏡
世界大百科事典
が,実証性に乏しい。《吾妻鏡》は後世散逸したらしく,戦国武将は治国の資にしようとして,不足の年代を諸方から補おうと努力している。とくに徳川家康は,長年月をかけて
6. あづまかがみ【吾妻鏡】
全文全訳古語辞典
[書名]鎌倉時代の史書。鎌倉幕府編。五二巻中、巻四五が欠ける。一一八〇年(治承四)の源頼政の挙兵から一二六六年(文永三)までの八七年にわたる幕府の歴史を日記体で
7. 吾妻鏡(あづまかがみ)
日本大百科全書
、各種の史料を使って編纂したもので、当時の日用文体の集大成ともいえる。中世の変則的な漢文体を吾妻鏡風文体とよぶゆえんはここにある。記事の内容は、幕府や御家人ごけ
8. 吾妻鏡(著作ID:10719)
新日本古典籍データベース
あずまかがみ 東鑑 通史 鎌倉中期
9. 吾妻鏡三箇夕職 (見出し語:吾妻鏡)
古事類苑
文學部 洋巻 第2巻 654ページ
10. 吾妻鏡(あずまかがみ)
日本大百科全書
→吾妻鏡
11. 吾妻鏡抜書(著作ID:1927759)
新日本古典籍データベース
あずまかがみぬきがき 歴史
12. 吾妻鏡要目集成(著作ID:83385)
新日本古典籍データベース
あずまかがみようもくしゅうせい 東鑑要目集成 榊原香山(さかきばらこうざん) 通史 寛政四
13. 吾妻鏡要目抄(著作ID:588794)
新日本古典籍データベース
あずまかがみようもくしょう 通史
14. 吾妻鏡類標(著作ID:607283)
新日本古典籍データベース
あずまかがみるいひょう 山崎知雄(やまざきともお) 編 語彙
15. あずまかがみたい【吾妻鏡体】
国史大辞典
⇒変体漢文(へんたいかんぶん)
16. 男達吾妻鏡(著作ID:297870)
新日本古典籍データベース
おとこだてあずまかがみ 田辺万斎(たなべまんさい)
17. あいこうぐん【愛甲郡】神奈川県
日本歴史地名大系
、この相模森が、のちの毛利庄に比定される。「延喜式」神名帳には小野神社(現厚木市)が載る。「吾妻鏡」養和元年(一一八一)正月一八日条に「相模国毛利庄住人僧印景云
18. あいこうむら【愛甲村】神奈川県:厚木市地図
日本歴史地名大系
寛元元年(一二四三)七月二八日の将軍藤原頼経家政所下文(県史一)にみえる「熊野山領相模国愛甲庄」の一部で、「吾妻鏡」治承四年(一一八〇)二月二〇日条にみえる愛甲
19. あいさくて‐ぶぎょう[あゐサクてブギャウ]【藍作手奉行】
日本国語大辞典
〔名〕鎌倉幕府における職名。藍(蓼藍)の栽培をつかさどる。その具体的職権などについては未詳。*吾妻鏡‐暦仁元年〔1238〕五月一一日「河内国藍御作手奉行。近江国
20. あいさくてぶぎょう【藍作手奉行】
国史大辞典
藍の作付・栽培を管掌する役職。『吾妻鏡』暦仁元年(一二三八)五月十一日条に、坂上左兵衛尉明胤がその亡父明定より相続した遺領のなかに、石見国長田保・播磨国巨智荘
21. あいざわはら【藍沢原】静岡県:駿東郡
日本歴史地名大系
沢に作る。富士と足柄の間にあるを以て間沢と云」とある。藍沢は愛沢・合沢・遇沢などとも書く。「吾妻鏡」の文治元年(一一八五)二月一六日条に「今日、武衛歴覧山沢之間
22. あい‐そく【愛息】
日本国語大辞典
〔名〕愛する子息。かわいいむすこ。ふつう、他人のむすこについていう。*吾妻鏡‐治承四年〔1180〕一一月二六日「彼老母 武衛御乳母也 聞
23. 英多保
世界大百科事典
英多郡英多郷が荘園化したものらしい。〈あがたのほ〉とよむこともある。平安後期には六勝寺の一つ尊勝寺の寺領で,《吾妻鏡》文治3年(1187)8月8日条によれば,年
24. あいたほ【英多保】岡山県:英田郡/作東町
日本歴史地名大系
史料上で楢原郷(現美作町)と一括されることや、河北がみえるので、現作東町西部の吉野川右岸一帯に推定される。「吾妻鏡」文治三年(一一八七)八月八日条に尊勝寺(跡地
25. あいだぐん【英田郡】岡山県
日本歴史地名大系
神社(現京都市東山区)に寄進され、室町中頃には幕府御料所になっている。林野保(現美作町)は「吾妻鏡」文治三年(一一八七)条に尊勝寺領とあり、室町期には京都北野社
26. あいちぐん【愛知郡】愛知県
日本歴史地名大系
承久の乱が起きると、山田庄の実力者山田重忠はじめ尾張源氏の大部分が京都方に属して幕府の軍に敗れ(吾妻鏡、承久記)、その後、那古野庄も所領争いを生じて荘園はしだい
27. あい‐の‐おんつかい[あひのおんつかひ]【合御使】
日本国語大辞典
〔名〕御使のうち、正使に対して副使をいう。*
吾妻鏡‐文治三年〔1187〕八月三〇日「有
疑貽
28. あいのやま【間山】三重県:伊勢市
日本歴史地名大系
いる。「太神宮諸雑事記」の治暦四年(一〇六八)九月の条に「宇治岡之東、字陽田片岸」とあり、「吾妻鏡」の治承五年(一一八一)一月五日条に「江四郎経
29. あいひろ‐の‐うまば[あひひろ‥]【相広馬場】
日本国語大辞典
(あずち)と馬を走らせる疏(さくり)との間の広い馬場ともいう(武家名目抄{19C中か})。*
吾妻鏡‐寿永元年〔1182〕六月七日「積
此杖数
30. あいみぐん【会見郡】鳥取県:伯耆国
日本歴史地名大系
賞する綸旨(相見家文書)を与えられた。一方紀氏本流は、紀成盛の子とされる「海大成国」が捕らえられたという「吾妻鏡」建久元年(一一九〇)六月二七日条の記事を最後に
31. あい‐もよお・す[あひもよほす]【相催】
日本国語大辞典
〔他サ四〕(「あい」は接頭語)せきたてて集める。*
吾妻鏡‐貞応二年〔1223〕一〇月四日「駿河守相
催人々
32. あい‐やけ[あひ‥]【相舅・相親家】
日本国語大辞典
あいおや。しゅうと同士。また、配偶者を介して義理の兄弟になる者同士の関係。あいむこ。あいよめ。*吾妻鏡‐仁治元年〔1240〕四月二五日「被
33. あおうむら【粟生村】茨城県:鹿島郡/鹿島町
日本歴史地名大系
西は谷津田を境に木滝村。鎌倉初期、常陸大掾氏一族の鹿島三郎政幹は神宮惣追捕使職に任ぜられ(「吾妻鏡」治承五年三月一二日条)、当地に居住したといわれ、文永三年(一
34. あお‐おんな[あををんな]【青女】
日本国語大辞典
〔名〕(1)年が若く、世なれない女。また、宮仕えをしない普通の女。*
吾妻鏡‐治承四年〔1180〕一一月一〇日「以
武蔵国丸子荘
35. あおきし【青木氏】画像
国史大辞典
家と、新里恒房の子真直から始まる家とがあるが、入間郡青木の地を領して家名としたのであろう。『吾妻鏡』建久元年(一一九〇)十一月七日条、源頼朝上京中の随兵として記
36. あおきし【青木氏】 : 青木氏/(一)
国史大辞典
家と、新里恒房の子真直から始まる家とがあるが、入間郡青木の地を領して家名としたのであろう。『吾妻鏡』建久元年(一一九〇)十一月七日条、源頼朝上京中の随兵として記
37. あお・ぐ[あふぐ]【扇・煽】
日本国語大辞典
座了、此間寒風頻扇、殿上燈消了」*吾妻鏡‐嘉祿三年〔1227〕五月一日「自
38. あお‐ぐろ[あを‥]【青黒】
日本国語大辞典
)馬の毛色の名。黒に赤みを帯びたもの。*色葉字類抄〔1177~81〕「青驪 アヲクロナリ」*吾妻鏡‐寿永元年〔1182〕正月二八日「神馬十疋引
39. あおさぎ‐かすげ[あをさぎ‥]【青鷺糟毛】
日本国語大辞典
〔名〕馬の毛色の名。水青(みずあお)の毛並みに白い巻き毛のあるもの。*吾妻鏡‐建久二年〔1191〕一一月二二日「公文所送文云、〈略〉一疋、あをさきかすけ」
40. あおさぎ の 羽(は)
日本国語大辞典
矢羽(やばね)の一種。青鷺の羽で、狩猟用の鏑矢(かぶらや)に用い、箙(えびら)のうわざしにする。*吾妻鏡‐建久元年〔1190〕九月一八日「以
41. あおしまのしょう【青島庄】山梨県:西八代郡
日本歴史地名大系
本貫地とみられる浅利郷(現豊富村)内の領有、鎌倉初期における甲斐源氏浅利氏の奥州合戦などでの活躍(「吾妻鏡」文治五年七月一九日条など)、戦国期の比内地方の豪族浅
42. 青砥藤綱
日本大百科全書
時代に評定衆ひょうじょうしゅうとして活躍したことが『弘長記こうちょうき』に記されているが、『吾妻鏡あづまかがみ』『関東評定衆伝』には藤綱の名はみえない。数十か所
43. 青砥藤綱
世界大百科事典
知行した。その質素廉直な評定衆としての政治姿勢について数々の逸話を残すが(《弘長記》《太平記》),《吾妻鏡》等の幕府関係の記録にまったくあらわれず,その実在につ
44. あおとふじつな【青砥藤綱】
国史大辞典
続松(たいまつ)を五十文で買い求め、これを探し得た話など(『太平記』)の逸話が名高いが、『関東評定衆伝』『吾妻鏡』をはじめ鎌倉幕府関係の記録には青砥左衛門尉藤綱
45. あおとふじつな【青砥藤綱】
日本架空伝承人名事典
知行した。その質素廉直な評定衆としての政治姿勢について数々の逸話を残すが(『弘長記』『太平記』)、『吾妻鏡』等の幕府関係の記録にまったくあらわれず、その実在につ
46. あおはかしゅく【青墓宿】岐阜県:大垣市/旧多藝郡・不破郡地区/青墓村
日本歴史地名大系
保元の乱後斬られた源為義の子、乙若・亀若・鶴若・天王丸の母は青墓宿の長者の女であった(「保元物語」、「吾妻鏡」建久元年一〇月二九日条)。平治の乱に敗れた源義朝は
47. あおはかのしゅく【青墓宿】
国史大辞典
古代末期から中世にかけての東山道の宿駅。青波賀(『吾妻鏡』)・遭墓(『尊卑分脈』)とも書く。現在の岐阜県大垣市青墓で、不破関の東約一〇キロにあたる。『吾妻鏡』建
48. あお‐ぶち[あを‥]【青駁】
日本国語大辞典
〔名〕馬の毛色の名。白の地に黒の斑(ぶち)のあるもの。*吾妻鏡‐建久二年〔1191〕八月一八日「一疋 青駮 武田五郎進」
49. あおみごう【青海郷】新潟県:越後国/蒲原郡
日本歴史地名大系
沼垂町(現新潟市)の南に鐙・近江新田・近江山・近江沢の地名が残り、ともに青海に近いので郷名の遺称地かとする。「吾妻鏡」文治二年(一一八六)三月一二日条所載の関東
50. あおもりし【青森市】青森県
日本歴史地名大系
の一つをなしている。平泉(現岩手県西磐井郡平泉町)の藤原氏の影響が外ヶ浜にまで及んだとする「吾妻鏡」文治五年(一一八九)九月一七日条の記事や、同書建久元年(一一