神社の社殿およびその付属建築。古代人は、神霊のよる神聖な場所を神籬 (ひもろぎ)として崇 (あが)め、また祖先の霊を祀 (まつ)るために、伝来の宝物を御霊代 (みたましろ)として崇めた。したがって、神籬のある場所、御霊代を祀る場所が、その神の社地として定着してゆくが、前者の場合は神籬そのものが神の依代 (よりしろ)であるから、本殿はつくられない(奈良・石上 (いそのかみ)神宮や同大神 (おおみわ)神社、長野・諏訪 (すわ)大社、埼玉・金鑽 (かなさな)神社など)。一方、御霊代を祀る際には、それを奉納する建物が必要であり、高床の倉が神社の本殿へと発展したものと思われる。伊勢 (いせ)皇大神宮外宮 (げくう)の御饌殿 (みけでん)は、横板を井籠 (せいろう)組みにした板倉の形式をいまもとどめ、古式を伝えている。
本殿の形式
これには種々の形式があるが、大別して、棟と直角方向に扉口のある平入 (ひらいり)と、棟と同方向に扉口のある妻入 (つまいり)に分けることができ、平入には神明造 (しんめいづくり)、流 (ながれ)造、八幡 (はちまん)造、日吉 (ひえ)造、妻入には大社 (たいしゃ)造、住吉 (すみよし)造、大鳥 (おおとり)造、春日 (かすが)造がある。本殿の屋根はすべて切妻造であるが、流造や春日造では正面に庇 (ひさし)がつく。
これらのうち、もっとも古い形式を伝えると考えられるのは、神明造、大社造、住吉造で、飛鳥 (あすか)時代に仏教建築が輸入される以前にその形式の基本的特徴がつくりだされたと思われる。
神明造
伊勢皇大神宮正殿は桁行 (けたゆき)(棟の方向)3間、梁間 (はりま)(棟に直交する方向)2間、高床で、柱を円柱の掘立て柱とする。屋根は直線的な垂木 (たるき)で、反りがなく、茅 (かや)で葺 (ふ)く。妻の破風 (はふ)は交差して棟上では千木 (ちぎ)となり、その間に堅魚木 (かつおぎ)が飾られ、破風上部には鞭掛 (むちかけ)が4本ずつつく。中央床下には心御柱 (しんのみはしら)、両妻中央の柱は棟持 (むなもち)柱として独立して立つ。このような外観をもつものを神明造といい、長野・仁科 (にしな)神明宮は現存神明造本殿の最古の遺構だが、屋根は檜皮葺 (ひわだぶ)きである。なお、伊勢皇大神宮の正殿は、とくに他と区別して唯一 (ゆいつ)神明造ともよばれる。
流造
京都・賀茂別雷 (かもわけいかずち)神社(上賀茂 (かみかも)社)、賀茂御祖 (みおや)神社(下鴨 (しもかも)社)本殿・権殿 (ごんでん)にみられる。賀茂社の本殿は桁行3間、梁間3間で、桁行前寄り1間分が庇になる。庇は吹放しで後寄り2間の母屋 (おもや)柱は円柱になるが、庇柱は角柱。庇が吹放しにならず、前室風につくられるものもある。流造は桁行柱間数により一間社、二間社、三間社、五間社に分類され、賀茂社の場合は三間社流造という。広島・厳島 (いつくしま)神社本殿のように前後に庇があるものを両流造という。
八幡造
前後に切妻造の建物が並ぶ形式で、代表的遺構に大分・宇佐神宮本殿、京都・石清水八幡宮 (いわしみずはちまんぐう)本殿・外殿がある。前方の外院は桁行3間、梁間1間で、後方の内院は桁行3間、梁間2間となり、両院の軒先は接するので排水用の雨樋 (あまどい)がつき、中間は造合の間 (ま)になっている。
日吉造
聖帝 (しょうてい)造ともいわれ、滋賀・日吉大社東本宮・西本宮・宇佐宮の各本殿にみられる。いずれも桁行5間、梁間3間、入母屋 (いりもや)造で、正面および両側面に庇がつく。したがって、庇が前室になる三間社流造の、側面にも庇が設けられたような形になる。だが、庇柱は流造のように角柱とならず、すべて円柱である。
大社造
島根県の出雲 (いずも)大社本殿や神魂 (かもす)神社本殿にみられるような、桁行2間、梁間2間、切妻造妻入の本殿の形式で、殿内中央には太い心御柱が立ち、正背面妻中央の棟持柱の名残 (なごり)をとどめる宇頭 (うず)柱も太くつくられ、正面扉口前の木階上には霧除 (よ)けの屋根がかけられる。出雲大社と神魂神社とでは殿内の仕切りが左右逆になり、神座の向きも異なっている。この形式は島根県下に数多く、扉口が逆になる佐太神社本殿や、2棟の大社造を横に並べて接続したような美保神社本殿など変型のものもある。
住吉造
大阪・住吉大社本殿にみられる形式で、桁行4間、梁間正面1間、背面2間の切妻造妻入で、殿内は内陣・外陣の2室に分かれる。このような2室をもつ本殿の平面形式は、天皇の践祚 (せんそ)の際に設けられる大嘗祭 (だいじょうさい)の正殿 (しょうでん)とよく似ている。福岡・住吉神社本殿では内陣がさらに2室に分かれている。
大鳥造
外観は大社造に似ているが、正面を1間とし中央に扉口を開き、内部も心御柱がなく、住吉造のように内陣・外陣の2室に分かれる。大阪・大鳥神社本殿が代表例である。
春日造
奈良の春日大社本社本殿や若宮神社本殿に代表される本殿形式。桁行1間、梁間1間、切妻造妻入の建物の前面に庇がつき、本格的なものは縁が正面にだけつく。前面に庇があるため、正面は入母屋造風にみえるが、実際に前面両端に隅木 (すみぎ)を入れて入母屋造とする隅木入春日造もある。この種の前面隅木入で、母屋の奥行が2間以上あり、殿内が内陣・外陣に分かれる熊野本宮大社本殿のような形式を、熊野造または王子造ともいう。
以上のほか、入母屋造の屋根の本殿も多い。これらの本殿にも平入、妻入の両者があり、なかには前後に入母屋造の屋根を並べた、岡山・吉備津 (きびつ)神社本殿のような例もある。
これらの社殿のなかには、一定期間たつと造り替える制度があり、これを式年造替 (ぞうたい)(遷宮)という。住吉大社は20年、北野神社は50年、出雲大社は60年の式年造替であったが、中世以降しだいに廃れ、現在は伊勢皇大神宮のみ20年ごとに行われている。
付属建築
神社建築のなかでは、本殿に次いで拝殿、幣殿 (へいでん)の数が多い。拝殿のなかで、中央部が通路となるものを割 (わり)拝殿といい、大阪・桜井神社のものが有名である。また熊野神社関係では長床 (ながとこ)があり、福島・熊野神社のものが古例としてあげられる。近世に入ると、本殿・拝殿、あるいは本殿・幣殿・拝殿を接続した複合社殿が多くつくられているが、このうちでは各地の東照宮に多くみられる権現 (ごんげん)造が著名である。古式を伝えるものに京都・北野天満宮があり、本殿と拝殿の間は床が低い石の間になる。
古い時期の神社の付属建築は、伊勢神宮にみるように、本殿の周囲を囲む玉垣、入口のシンボルである鳥居と、神宝を納める倉がおもなものであった。しかし、しだいに拝殿・幣殿のほか、社頭の景観を整えるためのものが加わるようになる。これには回廊、御供所 (ごくしょ)、神饌 (しんせん)所、祝詞 (のりと)舎、舞殿、神楽 (かぐら)殿、直会 (なおらい)殿、手水屋 (ちょうずや)などがある。