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渭伊神社
いいじんじや
[現]引佐町井伊谷
井伊谷の北西端に鎮座する。社域西側を神宮寺川が半円を描いて流れ、杉・檜・楠の古木が社叢をなす。祭神は品陀和気命・息気長足姫命・玉依姫命。旧郷社。「延喜式」神名帳にみえる引佐郡六座のうちの「渭伊神社」に比定される。「三代実録」貞観八年(八六六)一二月二六日条によると、「遠江国正六位上蟾渭神」が従五位下に昇叙されており、これは当社の旧名とされる(遠江国風土記伝)。当社は井伊谷八幡宮または単に八幡宮とも通称される。八幡宮は井伊氏の氏神といわれ、初め七〇〇メートル南東の現在の龍潭寺の位置にあり、享禄年中(一五二八―三二)に渭伊神社の地に遷座したという(山本家文書)。すなわち井伊郷の産土神渭伊神社に井伊氏の氏神八幡宮が合祀されたため、両用の呼称が生れたのであろう。「井伊郷八幡宮」では、井伊直隆によって大永六年(一五二六)八月に梵鐘が鋳造され(「鐘銘写」龍潭寺蔵)、同八年八月には鰐口が奉納された(「鰐口銘」大日堂蔵)。江戸期の朱印地一五石は幕末まで存続している(正保郷帳・旧高旧領取調帳など)。正徳四年(一七一四)近江彦根藩主井伊直興が社参、当地の領主旗本井伊谷近藤家の崇敬も厚く、両氏からの太刀・弓などが現在も祭礼行列に使われている。中世末までは社域に社僧の住した神宮寺があったらしいが(「南渓和尚過去帳」龍潭寺文書)、同寺廃絶後は正楽寺(現廃寺)が祭事導師を勤めた(兵藤家文書)。
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