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応仁記

ジャパンナレッジで閲覧できる『応仁記』の国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典のサンプルページ

国史大辞典

応仁記
おうにんき
応仁・文明の乱を題材とした室町時代の戦記文学。著者は明らかでないが、成立の時期は応仁・文明の乱の直後、それも文明五年(一四七三)からさほど時間を経ないころの作と考えられる。内容は三巻からなっているが、各巻とも何々事という見出しを付したいくつかの話にまとめられ、各巻の巻首には目録がつけられている。巻一は、乱前における将軍足利義政の政道紊乱に筆を起し、政所執事伊勢貞親の横暴や御台日野富子の幕政参画を難じ、将軍若君(のちの義尚)の誕生から、将軍の継承争いに及び、細川勝元・山名宗全の対立、両畠山の内紛に触れて、同乱の原因を論じ、御霊林の合戦をもって終っている。巻二は、応仁元年(一四六七)五月の勝元の蜂起に始まって、乱の開始から相国寺合戦に至る洛中合戦の様子について詳述している。巻三は、赤松家の歴史について触れ、戦乱が洛外から隣国へと拡大していく過程について述べ、途中に後花園天皇の崩御や足利義視の西軍へ帰属するありさまを挿んで、文明五年細川勝元・山名宗全の両軍主将が没し、参戦した各地の守護大名が帰国して行くところで巻を終えている。文体は、漢字を多く混じえた片仮名文で、『太平記』に似た調子を持っている。全巻中には、十一首に及ぶ京童の落書を収めるなど、作者が庶民との交流の中で、この戦乱を過ごした様子をしのばせてくれるが、作品全体を支えているのは儒教的な思想であり、各所に道徳的な諷諭がみられる。なお、同じく応仁の乱を題材とした類本に『応仁略記』『応仁別記』があるが、ことに『応仁別記』は全体の構成ばかりではなく、いちいちの語句についても『応仁記』の踏襲がみられ、いずれか一方を原としたものか、あるいは共通の底本によったものと考えられ、これらは『群書類従』合戦部に収められ、『応仁記』と『応仁別記』は『日本歴史文庫』一一にも収められている。また、乱前の事情を記した『応仁前記』、乱後の様子を描いた『応仁後記』『続応仁後記』や、乱前・乱後に及ぶ『応仁広記』なども、関連すべきもので『(改定)史籍集覧』三に収められ、これらは『重編応仁記』としてまとめられている。
[参考文献]
『群書解題』一三、今中寛司「戦国・安土桃山時代の歴史思想」(日本思想史研究会編『(日本における)歴史思想の展開』所収)、桜井好朗「室町軍記における歴史叙述」(名古屋大学文学部国史学研究室編『名古屋大学日本史論集』上所収)、松林靖明「応仁記試稿」(『古典遺産』二〇)、同「『太平記』と『応仁記』」(『太平記研究』二)
(黒川 直則)


日本大百科全書(ニッポニカ)

応仁記
おうにんき

室町時代後期の戦記物。流布本は3巻3冊。作者、成立年ともに不明。応仁の乱の経過を『太平記 (たいへいき)』に倣って叙述したものであるが、文学的価値は低い。本編は「乱前御晴之事」以下30段に分かれ、乱の原因とみられた将軍足利義政 (あしかがよしまさ)の失政から筆を進め、1473年(文明5)に山名持豊 (やまなもちとよ)が死去する条 (くだり)までを内容とする。戦記物だけに史料的価値は全面的には信用できない。しかし、原形は乱当時の記録をもとにして記されたと考えられ、幾度か転写の段階での潤色が認められるものの、他の戦記類に比すれば概して信憑 (しんぴょう)性は高いと推定される。最古の写本は竜門文庫所蔵の永禄 (えいろく)6年(1563)の奥書のあるもので、寛永 (かんえい)古活字本は各地に残存している。『群書類従』合戦部に収録。

[今谷 明]



世界大百科事典

応仁記
おうにんき

応仁の乱の原因と洛中合戦のようす,東軍細川勝元,西軍山名宗全の死に至る模様を述べた室町時代の戦記物。3巻。作者不明。1473年(文明5)の両軍大将の死後まもなく作られたとする説と,このころに原形ができ16世紀中ごろ完成したとする説がある。漢字交じりのかたかな文で《太平記》の影響を受けており,儒教的な色彩も濃く見られる。本記は《応仁別記》《応仁略記》とともに《群書類従》に収められている。
[鳥居 和之]

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検索コンテンツ
1. 応仁記
日本大百科全書
室町時代後期の戦記物。流布本は3巻3冊。作者、成立年ともに不明。応仁の乱の経過を『太平記たいへいき』に倣って叙述したものであるが、文学的価値は低い。本編は「乱前
2. 応仁記
世界大百科事典
応仁の乱の原因と洛中合戦のようす,東軍細川勝元,西軍山名宗全の死に至る模様を述べた室町時代の戦記物。3巻。作者不明。1473年(文明5)の両軍大将の死後まもなく
3. おうにんき【応仁記】
国史大辞典
いちいちの語句についても『応仁記』の踏襲がみられ、いずれか一方を原としたものか、あるいは共通の底本によったものと考えられ、これらは『群書類従』合戦部に収められ、
4. 応仁記(著作ID:15203)
新日本古典籍データベース
おうにんき 戦記 
5. 応仁乱消息(著作ID:115888)
新日本古典籍データベース
おうにんのらんしょうそく 応仁消息 応仁記一札 応仁記消息 往来物 
6. 絵本応仁記(著作ID:111444)
新日本古典籍データベース
えほんおうにんき 絵本重編応仁戦記 高井蘭山(たかいらんざん) 編 渓斎英泉(けいさいえいせん) 画 戦記 文政九刊
7. 重編応仁記(著作ID:225229)
新日本古典籍データベース
じゅうへんおうにんき 重編/応仁記 小林正甫(こばやしまさとし) 雑史 宝永八刊
8. あい‐かぎ[あひ‥]【合鍵】
日本国語大辞典
〔名〕(1)一定の鍵のほかに、その錠に合う他の鍵。または、その錠に合わせて作った鍵。かけがえの鍵。*応仁記〔15C後〕二・今出川殿勢州下向之事「鎰(かぎ)なしと
9. あげつち‐もん【上土門】画像
日本国語大辞典
之」*庭訓往来〔1394~1428頃〕「御館造作事、〈略〉於平門、上土門、薬医門之際、可相計之」*応仁記〔15C後〕三・洛中大焼之事「大名の家づくり、〈略〉畠山
10. あさごぐん【朝来郡】兵庫県
日本歴史地名大系
めざして丹波から東軍が朝来郡の磯部・東河・粟鹿などに乱入したが、留守居役の太田垣新兵衛らはよく撃退した(応仁記)。西軍が反幕府軍とされたことから山名氏の播磨守護
11. あしかがきせいき【足利季世記】
国史大辞典
文学的粉飾は少なく事件の経過中心の叙述で、史料的価値も比較的高い。同時期の畿内合戦記に『重編応仁記』などがあるが、別本である。各巻ごとにそれぞれ題名が付されてい
12. あべの【阿倍野】大阪府:大阪市/阿倍野区地図
日本歴史地名大系
六九―一五〇一)には細川・畠山両氏がしばしば天王寺・阿倍野地域で戦火を交えたのをはじめ(重編応仁記など)、戦渦は慶長一九年(一六一四)と翌年の大坂の陣で大坂城が
13. あまがさき【尼崎】兵庫県:尼崎市
日本歴史地名大系
敗れた高国は当地で捕らえられ同四年六月八日に切腹を遂げているが(「二水記」同日条)、「細川両家記」や「重編応仁記」などの合戦記によれば、紺屋の瓶の中に潜んでいる
14. あまたぐん【天田郡】京都府
日本歴史地名大系
竹田城(跡地は現兵庫県朝来郡和田山町)の城主太田垣新兵衛尉が国境に近い夜久野ヶ原で合戦した(応仁記)。室町期に入ると夜久郷の一部は建仁寺(現京都市東山区)領とな
15. あわがむら【粟鹿村】兵庫県:朝来郡/山東町
日本歴史地名大系
西地・西谷・比叡・東に分れる。「和名抄」に記す朝来郡粟鹿郷の遺称地で、式内社の粟鹿神社が鎮座する。「応仁記」によれば、応仁二年(一四六八)三月二〇日、丹波の長九
16. あわじのくに【淡路国】兵庫県
日本歴史地名大系
細川尚春は逃れ、阿波にいた細川澄元に庇護を求めたが、阿波高津で之長勢により暗殺されてしまった(重編応仁記)。淡路守護細川氏の事実上の滅亡である。現洲本市千光寺の
17. いかるがのしょう【鵤庄】兵庫県:揖保郡/太子町
日本歴史地名大系
種々の人夫役を課したことなどをあげている。享徳四年五月山名宗全は檀特山に籠った赤松則尚を攻めている(応仁記)。文明九年(一四七七)三月一一日の鵤庄春成年貢算用状
18. いけがはらそまのしょう【池原杣庄】滋賀県:甲賀郡/甲南町
日本歴史地名大系
際して、甲賀谷は幕府軍の進入を阻止する拠点となり、望月氏らは高頼を支えたとの伝承もある(重編応仁記)。一六世紀以降、望月氏は禁裏修理料を負担したり(「言継卿記」
19. いし‐つぶて【石礫・礫】
日本国語大辞典
〔名〕小石を投げること。また、その石。つぶて。*書陵部本応仁記〔15C後〕「谷深く隔れば、下り渡て潜(かづく)処を、石〓(ツフテ)
20. いそべのしょう【磯部庄】兵庫県:朝来郡/山東町
日本歴史地名大系
軍忠状によって判明する(出石神社文書)。次いで応仁の乱に際しても、磯部付近で合戦があった。「応仁記」の但馬合戦之事には、大要次のように記されている。応仁二年(一
21. いち‐ぐ【一隅】
日本国語大辞典
〔名〕「いちぐう(一隅)」に同じ。*書陵部本応仁記〔15C後〕「さて又諸宗の寺々を数るに、先、相国寺の広大を一隅(グ)を挙て可〓
22. いっぽうむら【一品村】兵庫県:朝来郡/山東町
日本歴史地名大系
[現]山東町一品 早田村の東に位置する。中世よりみえる地名で、「応仁記」によれば、応仁二年(一四六八)三月二〇日、東軍の長九郎左衛門尉政連・丹波内藤孫四郎や足立
23. いのお-つねふさ【飯尾常房】
日本人名大辞典
ともよむ。【格言など】汝(なれ)や知る都は野辺の夕雲雀(ひばり)あがるを見ても落つる涙は(「応仁記」)
24. いのおむら【飯尾村】徳島県:麻植郡/鴨島町
日本歴史地名大系
官として活躍。また応仁の乱に際して、「汝ヤシル都ハ野辺ノ夕雲雀アカルヲ見テモ落ルナミタハ」(応仁記)の歌を残した飯尾常房はよく知られる。天正年間(一五七三―九二
25. いまぎれ【今切】静岡県:浜名郡
日本歴史地名大系
明応七年の形成を否定する説もある。これに対し永正七年とするものには「皇年代略記」「足利季世記」「重編応仁記」などがあり、八月二七日から二八日の高潮によるとし、い
26. いまずしちょう【今図子町】京都市:上京区/小川学区地図
日本歴史地名大系
南北に通る室町通と新町通の間に位置。当町西側に室町幕府の管領細川勝元の宿所、北小路屋敷があったといわれる。「応仁記」応仁元年(一四六七)五月二六日条に「勝元北小
27. いまでがわてい【今出川第】
国史大辞典
『建内記』によれば、永享十一年(一四三九)足利義視誕生の記事に、将軍義教が三条実雅の今出川亭に渡御、とあり、『応仁記』には浄土寺殿義尋還俗して義視と改め、御外戚
28. いわやむら【岩屋村】福井県:三方郡/三方町
日本歴史地名大系
日付「永井忠家常満保成力名代僧職宛行状」谷田寺文書)、その一族であろう。貫所氏も武田氏被官(応仁記)。
29. うおずみじょうあと【魚住城跡】兵庫県:明石市/西嶋村
日本歴史地名大系
応仁元年(一四六七)八月山名方として兵を率い上京して来た魚住長秀が、大内政弘と摂津で戦って討死した(「応仁記」群書類従)。文明一九年(一四八七)八月一四日、赤松
30. うじいむら【雲林院村】三重県:安芸郡/芸濃町
日本歴史地名大系
室町時代長野工藤家の一族が当地に居住して雲林院氏を名乗り、常に室町幕府の配下に属して、応仁の乱(応仁記)や北畠氏や関氏との争いに戦功を立てた(満済准后日記)。天
31. うちがまえちょう【内構町】京都市:上京区/室町学区地図
日本歴史地名大系
明治維新前、上古京上立売親九町組に属した枝町で、二二軒役を負担。室町幕府の管領細川勝元邸は「応仁記」文正二年(一四六七)一月一七日条に「上御霊ヘ打上テ藪ヲ小楯ニ
32. うち‐ぼり【内堀・内壕・内濠】
日本国語大辞典
〔名〕(1)城の内部にある堀。ないごう。*応仁記〔15C後〕一・義就政長闘乱之事「屋形の前なる仏陀寺へ上て、屋形と一所に持続けて、櫓舁げ楯密く挙げ、外堀内堀掘り
33. うらべかねともたくあと【卜部兼倶宅跡】京都市:上京区/滋野学区/常泉院町地図
日本歴史地名大系
路の南に「吉田卜部」と記すが、中古京師内外地図は、当地辺りに「卜部亭日本三千館社」とある。「応仁記」応仁元年(一四六七)六月八日条に「又近衛ノ町ノ吉田神主ノ宅ヲ
34. うわ‐え[うはヱ]【上絵】
日本国語大辞典
〔名〕(1)地塗りの絵の具や下染めの上に、さらに絵の具でかいて仕上げた絵や模様。*応仁記〔15C後〕二・相国寺炎上之事「或時上えの短冊を硯箱(すずりばこ)の蓋(
35. え‐ぐそく【得具足】
日本国語大辞典
〔名〕上手に扱える武具。手なれた甲冑(かっちゅう)や兵器。*書陵部本応仁記〔15C後〕「思々の得(エ)具足に混(ひた)甲〓(きたる
36. えごうしゅう【会合衆】
国史大辞典
江戸時代初期の『糸乱記』に納屋貸(なやがし)の衆十名が堺の訴訟の審理にあたったとある。『重編応仁記』に「堺津会合衆ト云ヘル三十六人庄官ノ富家共」といわれるように
37. えんみょうじあと【円明寺跡】三重県:津市/津城下/岩田町
日本歴史地名大系
献上したとある。応仁の乱によって京都から逃れた足利義視は、北畠氏などを頼って伊勢国へ入るが、「応仁記」によると、応仁二年(一四六八)八月一七日「岩田ノ円明寺ヘ御
38. おい‐くず・す[おひくづす]【追崩】
日本国語大辞典
〔他サ四〕追いかけて攻めくずす。敵陣を破って追い散らす。おっくずす。*応仁記〔15C後〕二・岩倉合戦之事「城中には両度の敵追崩勝にのり、木々の透、岩の陰より散々
39. 応仁の乱画像
日本大百科全書
傭兵集団が主要戦力を構成した最初の大規模な戦乱であるといわれる。東軍16万、西軍11万という『応仁記』の両軍の動員兵力には誇張があるとしても、各荘園、郷村からは
40. おおだち【大太刀】
国史大辞典
刀を大太刀と呼んでいないことも注目される。『嘉吉物語』には村の助景安の六尺あまりの大太刀、『応仁記』にも一宮入道勝梅が「七尺三寸ノ棟ニ銭ヲ伏程ノ大太刀」の所用を
41. おぐらむら【小倉村】京都府:天田郡/夜久野町
日本歴史地名大系
っていた。高二六〇石(同書)。小倉村には応仁の乱に東軍細川方として夜久野ヶ原合戦で戦死した(応仁記)という八木城(跡地は現船井郡八木町)城主丹波守護代内藤孫四郎
42. 伽婢子 1 255ページ
東洋文庫
御霊の馬場で畠山政長の陣の流れ矢に当っ   て討死すると描かれる隅屋藤九郎・藤四郎父子は、『応仁記』に同旨で出る隅屋二郎とその子(『応   仁私記』では子を孫四
43. 伽婢子 2 263ページ
東洋文庫
『長禄寛正記』の寛正二年(一四六一)六 月「嶽山籠城之事」(須屋孫次郎、〈『応仁私記』で は隅屋孫次郎〉)や『応仁記』の応仁元年(一四 六七)正月の「御霊合戦之
44. 伽婢子 2 299ページ
東洋文庫
政元軍に攻めら れて敗北、捕えられ京都に送られて自害した。与 一が応仁の乱に参加している事実は『応仁記』 (巻三)等に見られる。?一一五〇四。康方(八ノ5) 未
45. 伽婢子 2 327ページ
東洋文庫
現在の道路が昔の馬場跡 という。応仁元年(一四六七)正月畠山義就と同 政長の合戦が行われた所(『応仁記』巻一)で、
46. おとわじょうあと【音羽城跡】滋賀県:蒲生郡/日野町/音羽村
日本歴史地名大系
解き帰京の途についたが(長享年後畿内兵乱記)、貞秀軍がこれを追撃し小谷畷の戦で赤沢勢に大勝したという(重編応仁記)。細川政元は六角高頼と敵対する非を考えたのか、
47. おなり‐はじめ【御成始】
日本国語大辞典
御成始之事伺〓之。処々御成。今月中則御点心也」*応仁記〔15C後〕一・武衛家騒動之事「翌日は二日故より管領御成始なれば」*年中定例記〔1525頃〕「正月二日
48. おやまとごう【小倭郷】三重県:一志郡/白山町
日本歴史地名大系
「京城万寿禅寺記」によれば、京都万寿寺領三賀野庄に「小倭庄内并八知山両郷」が含まれている。「応仁記」には応仁元年(一四六七)八月に、応仁の乱を避けた足利義視が北
49. おわり‐がさ[をはり‥]【尾張笠】
日本国語大辞典
る笠。*康富記‐文安元年〔1444〕八月一日「自大宮檀紙十帖〈略〉尾張笠一進之畢」*書陵部本応仁記〔15C後〕「ふしゃうなるたけを頼て尾張笠くむよりはやくふちぞ
50. かいづむら【海津村】滋賀県:高島郡/マキノ町
日本歴史地名大系
仁の乱で東軍に寝返った朝倉孝景が越前守護代甲斐政盛を攻略し、政盛は海津辺りで没落したという(応仁記)。同年三月に蓮如が越前吉崎(現福井県坂井郡金津町)に下向した
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(国史大辞典・世界大百科事典)
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