1. 『誹風柳多留』
日本史年表
1765年〈明和2 乙酉〉 7・‐ 呉陵軒可有編 『誹風柳多留』 刊。
2. はいふうやなぎだる【誹風柳多留】
日本国語大辞典
川柳集。一六七冊。呉陵軒可有ほか編。明和二~天保一一年(一七六五~一八四〇)刊。一~二四編前半までは初代柄井川柳、以下五世まで代々の撰集。「川柳評万句合」の中か
3. はいふうやなぎだる【誹風柳多留】
全文全訳古語辞典
[書名]江戸後期の川柳集。初代から五世まで代々の柄井川柳選句を集めたもの。略して、『柳多留(柳樽)』とも。一七六五年(明和二)の初編から一八三八年(天保九)の百
4. はいふうやなぎだる【誹風柳多留】
国史大辞典
『岩波文庫』の二十四篇まで、全篇としては『誹風柳多留全集』全十二巻が総索引一巻も付して定本となろう。 [参考文献]沼波瓊音『柳樽評釈』、武笠山椒『誹風柳樽通釈』
5. 柳多留(著作ID:7705)
新日本古典籍データベース
やなぎだる 誹風柳多留 誹風/柳多留 柳樽 呉陵軒可有(ごりょうけんあるべし) 等 編 雑俳 明和二‐天保九刊
6. はいふうやなぎだるしゅうい[ハイフウやなぎだるシフヰ]【誹風柳多留拾遺】
日本国語大辞典
〇年(一七九六~九八)に刊行。これを享和元年(一八〇一)星運堂が蔦屋から板木を譲り受けて「誹風柳多留拾遺」と改題板行したもの。「古今和歌集」の部立にならい、川柳
7. 『誹風柳多留拾遺』
日本史年表
1801年〈享和元(2・5) 辛酉〉 この年 『誹風柳多留拾遺』 刊。
8. あおとふじつな【青砥藤綱】
日本架空伝承人名事典
れた。[小池 章太郎]なまくらな武士に青砥はあわぬ也編者/評者:呉陵軒可有ら(編)出典:『誹風柳多留』編・相印(月)・番号(枚、丁、日):13‐32刊行/開き:
9. あかししがのすけ【明石志賀之助】
日本架空伝承人名事典
ようになった。[池田 雅雄]角力にも昔荒にし志賀之助編者/評者:呉陵軒可有ら(編)出典:『誹風柳多留』編・相印(月)・番号(枚、丁、日):92‐34刊行/開き:
10. あかしのおんかた【明石御方】
日本架空伝承人名事典
目をひく。[今井 源衛]胸をあかしの入道のしんせつさ編者/評者:呉陵軒可有ら(編)出典:『誹風柳多留』編・相印(月)・番号(枚、丁、日):91‐6刊行/開き:1
11. あかぞめえもん【赤染衛門】
日本架空伝承人名事典
まえだという感想。寝なましものを小夜更ケてまだうせず編者/評者:呉陵軒可有ら(編)出典:『誹風柳多留』編・相印(月)・番号(枚、丁、日):65‐10刊行/開き:
12. あさのたくみのかみ【浅野内匠頭】
日本架空伝承人名事典
れば。仮名手本忠臣蔵四段目判官で見るのはいたひ芝居也編者/評者:呉陵軒可有ら(編)出典:『誹風柳多留』編・相印(月)・番号(枚、丁、日):66‐6刊行/開き:1
13. あさひなよしひで【朝比奈義秀】
日本架空伝承人名事典
坂東訛り(もさ詞)を使う)男伊達初買曾我小林の朝比奈苗字計りなり編者/評者:呉陵軒可有ら(編)出典:『誹風柳多留』編・相印(月)・番号(枚、丁、日):40‐28
14. あしかがたかうじ【足利尊氏】
日本架空伝承人名事典
それぞれ見立てたおかしみ。尊氏はとほうづもなくにげて行編者/評者:呉陵軒可有ら(編)出典:『誹風柳多留』編・相印(月)・番号(枚、丁、日):12‐4刊行/開き:
15. あべのさだとう【安倍貞任】
日本架空伝承人名事典
:1779(安永8年)(開き)衣川敵と味方で一首出来編者/評者:呉陵軒可有ら(編)出典:『誹風柳多留』編・相印(月)・番号(枚、丁、日):39‐29刊行/開き:
16. あべのやすな【安倍保名】
日本架空伝承人名事典
776(安永5年)(開き)安名には九百余歳の大としま編者/評者:呉陵軒可有ら(編)出典:『誹風柳多留』編・相印(月)・番号(枚、丁、日):11‐24刊行/開き:
17. あまかわやぎへい【天河屋義平】
日本架空伝承人名事典
絞め殺すべき其矻相。仮名手本忠臣蔵十段目忠臣の蔵元もする天川屋編者/評者:呉陵軒可有ら(編)出典:『誹風柳多留』編・相印(月)・番号(枚、丁、日):95‐1刊行
18. あまてらすおおかみ【天照大神】
日本架空伝承人名事典
レ。沙石集巻一「太神宮御事」神代さへ海山陸と家督分け編者/評者:呉陵軒可有ら(編)出典:『誹風柳多留』編・相印(月)・番号(枚、丁、日):40‐22刊行/開き:
19. あらきまたえもん【荒木又右衛門】
日本架空伝承人名事典
キの無いことを言いかける。大イそうな助太刀四十七騎也編者/評者:呉陵軒可有ら(編)出典:『誹風柳多留』編・相印(月)・番号(枚、丁、日):37‐40刊行/開き:
20. ありわらのなりひら【在原業平】
日本架空伝承人名事典
、今業平という語さえある。色事にかけてはまめな男なり編者/評者:呉陵軒可有ら(編)出典:『誹風柳多留』編・相印(月)・番号(枚、丁、日):16‐22刊行/開き:
21. いけのぜんに【池禅尼】
日本架空伝承人名事典
96~97(寛政8~9)(刊)頼朝は海より深い池の恩編者/評者:呉陵軒可有ら(編)出典:『誹風柳多留』編・相印(月)・番号(枚、丁、日):66‐7刊行/開き:1
22. いざなきのみこといざなみのみこと【伊弉諾尊・伊弉冉尊】
日本架空伝承人名事典
よみ給ふ歌の心なり。玉伝深秘巻せきれいは一度おしへてあきれはて編者/評者:呉陵軒可有ら(編)出典:『誹風柳多留』編・相印(月)・番号(枚、丁、日):68‐25刊
23. いしかわごえもん【石川五右衛門】
日本架空伝承人名事典
順礼に御報謝。金門五山桐二幕目しらなみが打と千鳥は音をはつし編者/評者:呉陵軒可有ら(編)出典:『誹風柳多留』編・相印(月)・番号(枚、丁、日):32‐26刊行
24. いちかわだんじゅうろう【市川団十郎】
日本架空伝承人名事典
き:1782(天明2年)(開き)妨が団十冠を引おろし編者/評者:呉陵軒可有ら(編)出典:『誹風柳多留』編・相印(月)・番号(枚、丁、日):88‐26刊行/開き:
25. いっきゅう【一休】
日本架空伝承人名事典
卓絶の滑稽和尚として認識された。一休ははしはわたらず中通り編者/評者:呉陵軒可有ら(編)出典:『誹風柳多留』編・相印(月)・番号(枚、丁、日):73‐35刊行/
26. いわふじ【岩藤】
日本架空伝承人名事典
ことであろうとのキョクリ。念力で岩もとをしたかゞみ山編者/評者:呉陵軒可有ら(編)出典:『誹風柳多留』編・相印(月)・番号(枚、丁、日):55‐10刊行/開き:
27. うえすぎけんしん【上杉謙信】
日本架空伝承人名事典
常山紀談巻之二「信濃国川中島合戦の事」川中嶋ハしんけんの勝負なり編者/評者:呉陵軒可有ら(編)出典:『誹風柳多留』編・相印(月)・番号(枚、丁、日):79‐1刊
28. うきふね【浮舟】
日本架空伝承人名事典
妙境トモ神境トモ云ベシ。孔雀楼筆記巻之三花ちる里へ浮舟で息子行キ編者/評者:呉陵軒可有ら(編)出典:『誹風柳多留』編・相印(月)・番号(枚、丁、日):94‐32
29. うすゆきひめ【薄雪姫】
日本架空伝承人名事典
劣りはせじと打ち笑う。新薄雪物語薄雪は三年が内とけぬなり編者/評者:呉陵軒可有ら(編)出典:『誹風柳多留』編・相印(月)・番号(枚、丁、日):84‐4刊行/開き
30. うたん【雨譚】
日本国語大辞典
江戸中期の川柳作者。小山氏。江戸の人。医師。柄井川柳と親交をもち、天明五年(一七八五)刊「誹風柳多留」二〇編に序文を寄せる。旧蔵書として雨譚自身が注を施した「川
31. うとうやすかた【善知鳥安方】
日本架空伝承人名事典
いふかと思へば失せにけり。謡曲善知鳥いゝ声でうたふ安方面白し編者/評者:呉陵軒可有ら(編)出典:『誹風柳多留』編・相印(月)・番号(枚、丁、日):84‐5刊行/
32. うめのよしべえ【梅の由兵衛】
日本架空伝承人名事典
奪うという設定になっている。[法月 敏彦]由兵衛を口の酢くなるほど誉る編者/評者:呉陵軒可有ら(編)出典:『誹風柳多留』編・相印(月)・番号(枚、丁、日):26
33. うめわかまる【梅若丸】
日本架空伝承人名事典
以来カモメが都鳥と改名されたとの説。梅若の地代は宵に定マらず編者/評者:呉陵軒可有ら(編)出典:『誹風柳多留』編・相印(月)・番号(枚、丁、日):初‐2刊行/開
34. うらしまたろう【浦島太郎】
日本架空伝承人名事典
5(安永4年)(開き)浦島ははぐきをかんでくやしがり編者/評者:呉陵軒可有ら(編)出典:『誹風柳多留』編・相印(月)・番号(枚、丁、日):37‐10刊行/開き:
35. うんけい【運慶】
日本架空伝承人名事典
はない」と云つた。夢十夜うんけいの作のそばから乗て行編者/評者:呉陵軒可有ら(編)出典:『誹風柳多留』編・相印(月)・番号(枚、丁、日):7‐24刊行/開き:1
36. えじまいくしま【江島・生島】
日本架空伝承人名事典
(安永8年)(開き)まんぢうに成ルは作者も知らぬ智恵編者/評者:呉陵軒可有ら(編)出典:『誹風柳多留』編・相印(月)・番号(枚、丁、日):初‐4刊行/開き:17
37. おうしゅう【逢州】
日本架空伝承人名事典
消えて形はなかりけり。」けいせい浅間嶽暁の反吐に其角の名のたかさ編者/評者:呉陵軒可有ら(編)出典:『誹風柳多留』編・相印(月)・番号(枚、丁、日):72‐21
38. おうじんてんのう【応神天皇】
日本架空伝承人名事典
あらはれ給ふ八幡大菩薩御縁起雑兵に宿禰はやめを買に遣り編者/評者:呉陵軒可有ら(編)出典:『誹風柳多留』編・相印(月)・番号(枚、丁、日):39‐26刊行/開き
39. おおいしくらのすけ【大石内蔵助】
日本架空伝承人名事典
、この説もかなり流布された。煤掃の日迄は顔を汚してる編者/評者:呉陵軒可有ら(編)出典:『誹風柳多留』編・相印(月)・番号(枚、丁、日):27‐31刊行/開き:
40. おおくにぬしのかみ【大国主神】
日本架空伝承人名事典
汝命獲たまはむ。」とまをしき。古事記上巻耳長く波濤を経たる御聟入編者/評者:呉陵軒可有ら(編)出典:『誹風柳多留』編・相印(月)・番号(枚、丁、日):96‐40
41. おおくぼひこざえもん【大久保彦左衛門】
日本架空伝承人名事典
→一心太助[小池 章太郎]麩のごとく大久保にぎりたてまつり編者/評者:呉陵軒可有ら(編)出典:『誹風柳多留』編・相印(月)・番号(枚、丁、日):55‐29刊行/
42. おおたどうかん【太田道灌】
日本架空伝承人名事典
常山紀談巻之一「太田持資歌道に志す事」気のきかぬ人と山吹おいてにげ編者/評者:呉陵軒可有ら(編)出典:『誹風柳多留』編・相印(月)・番号(枚、丁、日):25‐3
43. おおもりひこしち【大森彦七】
日本架空伝承人名事典
見失いてぞ失せにける。大森彦七彦七も初手は業平気取也編者/評者:呉陵軒可有ら(編)出典:『誹風柳多留』編・相印(月)・番号(枚、丁、日):49‐40刊行/開き:
44. おかるかんぺい【お軽・勘平】
日本架空伝承人名事典
待てお詫せん。仮名手本忠臣蔵三段目うろたへてか勘平どのそこは臍編者/評者:呉陵軒可有ら(編)出典:『誹風柳多留』編・相印(月)・番号(枚、丁、日):120‐5刊
45. おきく【お菊】
日本架空伝承人名事典
雨は頻りに降り頻る。播州皿屋舗皿のかはりに丼りとむごいこと編者/評者:呉陵軒可有ら(編)出典:『誹風柳多留』編・相印(月)・番号(枚、丁、日):55‐11刊行/
46. おぐりはんがん【小栗判官】
日本架空伝承人名事典
当流小栗判官二段目「小栗鬼鹿毛曲乗の段」にげ尻でかいばくわせる寺おとこ編者/評者:呉陵軒可有ら(編)出典:『誹風柳多留』編・相印(月)・番号(枚、丁、日):5‐
47. おしゅんでんべえ【お俊・伝兵衛】
日本架空伝承人名事典
れる。[小池 章太郎]ソリヤ聞へません聾さん耳ツとう編者/評者:呉陵軒可有ら(編)出典:『誹風柳多留』編・相印(月)・番号(枚、丁、日):159‐15刊行/開き
48. おたけ【お竹】
日本架空伝承人名事典
うかがわせる。[森下 みさ子]仏ともしらず壱両弐分で置き編者/評者:呉陵軒可有ら(編)出典:『誹風柳多留』編・相印(月)・番号(枚、丁、日):28‐17刊行/開
49. おに【鬼】
日本架空伝承人名事典
766年(明和3)(開き)渡辺へ伯母より先へ山師くる編者/評者:呉陵軒可有ら(編)出典:『誹風柳多留』編・相印(月)・番号(枚、丁、日):127‐80刊行/開き
50. おにおうどうざぶろう【鬼王・団三郎】
日本架空伝承人名事典
される)恋便仮名書曾我鬼の目になみだをながす曾我の貧編者/評者:呉陵軒可有ら(編)出典:『誹風柳多留』編・相印(月)・番号(枚、丁、日):10‐32刊行/開き: