1. 木下藤吉郎・羽柴秀吉・豊臣秀吉
日本史年表
丙戌〉 12・19 秀吉 ,太政大臣に任官(公卿補任)。 1587年〈天正15 丁亥〉 3・1 豊臣秀吉 ,島津氏攻めのため,大坂を出立(多聞院日記)。 158 ... ...
2. 豊臣秀吉 画像
日本大百科全書
安土(あづち)桃山時代の武将。小者から身をおこし、織田信長の後を継いで天下を統一し、近世封建社会の基礎を確立した。尾張(おわり)中村(名古屋市中村区)の百姓弥右 ... ...
3. 豊臣秀吉[百科マルチメディア]
日本大百科全書
「豊臣秀吉画像 南化玄興賛」 東京大学史料編纂所所蔵模写(部分) ©東京大学史料編纂所 ... ...
4. 豊臣秀吉
世界大百科事典
1536-98(天文5-慶長3) 安土桃山時代の武将。天文6年出生説もある。織田信秀に仕えた足軽木下弥右衛門を父として尾張中村に生まれた。はじめ木下藤吉郎を名の ... ...
5. とよとみ‐ひでよし【豊臣秀吉】
デジタル大辞泉
[1536〜1598]安土桃山時代の武将。尾張の人。幼名、日吉丸。初名、木下藤吉郎。織田信長に仕え、戦功をたて、羽柴秀吉と名のった。信長の死後、明智光秀・柴田勝 ... ...
6. とよとみ‐ひでよし【豊臣秀吉】
日本国語大辞典
安土桃山時代の武将。幼名日吉丸、初名木下藤吉郎。尾張国(愛知県)の人。初め松下之綱に仕えたが、のち織田信長のもとで戦功をたて、重用されて、苗字を羽柴に改める。中 ... ...
7. とよとみひでよし【豊臣秀吉】 画像
国史大辞典
死後江戸時代前期にかけて多くの伝記が作成された。小瀬甫庵『太閤記』・竹中重門『豊鑑』・林羅山『豊臣秀吉譜』などが代表的で、甫庵のように儒教的立場から論評を加えた ... ...
8. とよとみ-ひでよし【豊臣秀吉】
日本人名大辞典
1537−1598 織豊時代の武将。天文(てんぶん)6年生まれ。尾張(おわり)(愛知県)の足軽木下弥右衛門の子。母はなか(天瑞(てんずい)院)。織田信長に足軽と ... ...
9. とよとみひでよし【豊臣秀吉】
日本架空伝承人名事典
うな風潮もあったことを考える必要があろう。[三鬼 清一郎]爰に後陽成院之御宇に当て、太政大臣豊臣秀吉公と云人有。自©微小 ... ...
10. 豊臣秀吉[文献目録]
日本人物文献目録
豊臣秀吉の刀狩』桑田忠親『豊臣秀吉の灌城』川島鋥三郎『豊臣秀吉の狐狩に関する文書』桑田忠親『豊臣秀吉の勤皇』花見朔巳『豊臣秀吉の検地事業』牧野信之助『豊臣秀吉の ... ...
11. Toyotomi Hideyoshi 【豊臣秀吉】
Encyclopedia of Japan
1537−1598 Warlord of humble origins who in 1590 completed the work of national r ... ...
12. 豊臣秀吉印[図版] 画像
国史大辞典
(c)Yoshikawa kobunkan Inc. ... ...
13. 豊臣秀吉花押[百科マルチメディア]
日本大百科全書
©Shogakukan ... ...
14. 豊臣秀吉花押[図版] 画像
国史大辞典
(c)Yoshikawa kobunkan Inc. ... ...
15. 豊臣秀吉の指物と馬印[百科マルチメディア]
日本大百科全書
右から、幟(のぼり)、馬印(うまじるし)、母衣(ほろ)、番指物(ばんさしもの)、大馬印、番指物。『御馬印』 巻4 寛永年間(1624~1644) ... ...
16. Ro・dri・gues 音声
ランダムハウス英和
2 ロドリゲス:João,(1561-1634):ポルトガルのイエズス会宣教師;豊臣秀吉,徳川家康の知遇を得た;『日本大文典』(1604). ... ...
17. San Fe・li・pe 音声
ランダムハウス英和
エラ北東部,Orinoco 川に臨む都市.2 サンフェリペ:1596年,暴風で土佐に漂着し,豊臣秀吉に積荷を没収された(San Felipe Incident) ... ...
18. あいおいちょう【相生町】京都市:上京区/京極学区 地図
日本歴史地名大系
「京内まいり」(宝永五年)などによれば今出川通以北、寺町通以東の地一帯は、文禄年中(一五九二―九六)豊臣秀吉の命で四条櫛笥(現中京区)から移建された日蓮宗立本寺 ... ...
19. 愛知[県] 画像
世界大百科事典
農業技術の発展に伴う農業生産力の飛躍的増大によるところが大きい。戦国時代に出現した織田信長,豊臣秀吉,徳川家康が天下統一を成し遂げるに至った要因としても,京に近 ... ...
20. あいちぐん【愛知郡】愛知県
日本歴史地名大系
が、最後は織田信秀の手に帰した(信長公記)。その子信長は天文三年(一五三四)この城内で、また豊臣秀吉も二年後に程近い中村に生れたといわれる。信長の後は、長子信忠 ... ...
21. あいづせいばつ【会津征伐】
国史大辞典
動員して香刺(こうざし)に新城を取り立て、家康の上洛の要請に応じなかったことにあった。しかし家康の真意は豊臣秀吉死後の政局を有利に展開し、かつ石田三成一党を挑発 ... ...
22. あいづにしかいどう【会津西街道】栃木県:総論
日本歴史地名大系
奥州と関東を結ぶこの谷筋は要衝であった。同一八年八月会津黒川(会津若松)で奥州仕置をすませた豊臣秀吉は、帰途はこの道を通っている。寛永二〇年(一六四三)会津藩主 ... ...
23. あいづはん【会津藩】
国史大辞典
まさに「奥羽の王者」にふさわしい強大な大名となった。政宗は黒川を拠点として関東進出の野望をもっていたが、豊臣秀吉の忌諱にふれ、わずか一年余で会津は没収され、蒲生 ... ...
24. あいづわかまつし【会津若松市】福島県
日本歴史地名大系
白鬚水とよぶ。〔近世〕天正一八年六月、伊達政宗は会津蘆名氏攻略の罪と小田原参戦の遅参をとがめられ、豊臣秀吉から会津一円と岩瀬・安積両郡を没収され、同年九月五日蒲 ... ...
25. あいのうらむら【相之浦村】長崎県:南松浦郡/奈留町
日本歴史地名大系
・古巣・下り松・相ノ浦が点在する。文禄元年(一五九二)肥前名護屋(現佐賀県鎮西町)に在陣中の豊臣秀吉は五島に猪瀬彦作(湯野瀬孫作)を派遣して材木を求めたが、相ノ ... ...
26. あいのまち【愛野町】長崎県:南高来郡
日本歴史地名大系
島津氏と連合して天正一二年(一五八四)龍造寺隆信を沖田畷(現島原市)で敗死させ、再び旧領を回復、豊臣秀吉による九州仕置を迎える。江戸時代には天保郷帳に記される野 ... ...
27. あいのまちどおり【間之町通】京都市:中京区
日本歴史地名大系
天正一八年(一五九〇)豊臣秀吉の都市改造に際して開かれた通りで、現在の中・下京区を南北に貫通し、高倉通の西に位置する。姉小路通と高辻通間、松原通と万寿寺通間は中 ... ...
28. あいのまち‐どおり【間之町通り】 地図
デジタル大辞泉
京都市街地を南北に走る道路の呼び名。北の丸太町通りから南の七条通りに至る。全長約2キロ。豊臣秀吉によって新設されたといわれる。 ... ...
29. あいのやま【間山】三重県:伊勢市
日本歴史地名大系
隠宇治岡©」とある。豊臣秀吉は天正年中(一五七三―九二)この地の奉行でもあった田丸城主稲葉道通に命じて道を通じさせた。以後民家が並び ... ...
30. あいはらにしむら【鮎原西村】兵庫県:津名郡/五色町
日本歴史地名大系
った。毘沙門堂には大坂大仏師宮内法橋作の金剛界大日如来がある。境内には春日神社がある。西方に豊臣秀吉の白巣城攻めにゆかりがあるといわれる幟立がある。 ... ...
31. あいらごう【姶良郷】鹿児島県:肝属郡/吾平町
日本歴史地名大系
(「上井覚兼日記」同月七日条)。同一五年島津氏が豊臣秀吉に降ったのちは姶良を含む肝属郡は伊集院幸侃(忠棟)へ宛行われた(同年五月二五日「豊臣秀吉朱印状」島津家文 ... ...
32. あいらちょう【吾平町】鹿児島県:肝属郡
日本歴史地名大系
残して所領を没収され、伊地知伯耆守重秀が姶良に地頭として配された。伊地知氏と、同一五年島津氏が豊臣秀吉に降伏したのち肝属郡を領した伊集院幸侃(忠棟)の下で、麓の ... ...
33. あい-りょうさ【安威了佐】
日本人名大辞典
?−? 織豊-江戸時代前期の武士。豊臣秀吉の右筆(ゆうひつ)。天正(てんしょう)14年(1586)大坂城でのイエズス会準管区長コエリョと秀吉との会見の仲立ちをし ... ...
34. あおき[あをき]【青木】
日本国語大辞典
その一族とする説がある。〔二〕近世の摂津国麻田藩主。初代の重直は美濃に住し、土岐氏・斎藤道三・織田信長、ついで豊臣秀吉に仕え、摂津国豊島郡に千四百石の地を宛行な ... ...
35. 青木氏
世界大百科事典
近世大名。美濃国の出身。一重はもと今川氏に仕え,一時徳川家康に属したが,その後父重直とともに豊臣秀吉に仕えて1万石を領した。1615年(元和1)豊臣氏滅亡後,再 ... ...
36. あおきうら【青木浦】香川県:丸亀市
日本歴史地名大系
は家数七八・人数三八九、船数一九のうち二八〇―九〇〇石船七(「塩飽諸訳手鑑」藤井家蔵)。山は豊臣秀吉の大坂城築城の際積出された青木石の産地。明治以降当地は青木石 ... ...
37. あおきかずしげ【青木一重】
国史大辞典
徳川家康の家人のとき姉川の戦に参陣、勇名をはせたが、元亀三年(一五七二)丹羽長秀に属し、ついで豊臣秀吉に仕え、使番・黄母衣衆となり、天正十三年(一五八五)摂津国 ... ...
38. あおき-かずしげ【青木一重】
日本人名大辞典
1551−1628 織豊-江戸時代前期の大名。天文(てんぶん)20年生まれ。青木重直の長男。徳川家康,のち豊臣秀吉・秀頼につかえる。大坂落城後出家して宗佐と号し ... ...
39. あおきし【青木氏】 画像
国史大辞典
青木重直が土岐頼芸・斎藤道三・織田信長に仕え、豊臣秀吉の時、摂津国豊島郡・兎原郡で千七百六十石余を知行した。その子一重は、今川氏・徳川家康・豊臣秀吉に仕え、豊島 ... ...
40. あおき-しげなお【青木重直】
日本人名大辞典
享禄(きょうろく)元年生まれ。土岐頼芸(とき-よりなり),斎藤道三(どうさん),織田信長につかえたのち,豊臣秀吉の伽衆(とぎしゅう)となる。文禄(ぶんろく)3年 ... ...
41. あおき-ひでもち【青木秀以】
日本人名大辞典
?−1600 織豊時代の武将。豊臣秀吉の一族。天正(てんしょう)11年賤ケ岳(しずがたけ)の戦いに従軍,13年紀伊(きい)入山(にゅうやま)城主。のち播磨(はり ... ...
42. あおきむら【青木村】岐阜県:大垣市/旧安八郡地区
日本歴史地名大系
「新撰美濃志」によれば、青木刑部卿法印浄憲の先祖は当村出身で、浄憲は土岐・斎藤両氏に仕え、のち織田信長・豊臣秀吉に従ったが、慶長一八年(一六一三)に「大坂の城に ... ...
43. あおきむら【青木村】静岡県:三島市
日本歴史地名大系
天正一八年(一五九〇)五月一七日青木之郷の百姓は、伊奈忠次より田地の耕作・開発と、徳川家康や豊臣秀吉からの伝役・御用を勤めることを命じられている(「伊奈忠次郷中 ... ...
44. あおつか【青塚】愛知県:西春日井郡/豊山町/豊場村
日本歴史地名大系
頂上に富士社(祭神木花開哉姫命)を祀る(西春日井郡誌)。俗に天正一二年(一五八四)の小牧・長久手の戦の時、豊臣秀吉の将森長可がこの塚に陣し、長久手で一敗するや、 ... ...
45. あおはかむら【青墓村】岐阜県:大垣市/旧多藝郡・不破郡地区
日本歴史地名大系
天正一四年(一五八六)九月二一日、大谷村の一八八貫六八〇文の地が那波和泉守に安堵されている(「豊臣秀吉朱印知行目録写」名和文書)。慶長郷帳には大谷村とみえ、村高 ... ...
46. あおばらむら【青原村】島根県:鹿足郡/日原町
日本歴史地名大系
集落西の尾中山城跡(標高二〇〇メートル)は吉見氏の部将中屋氏の居城跡。中屋善四郎は文禄二年(一五九三)豊臣秀吉の朝鮮出兵に従軍し、京城の西三里の所で討死した(朝 ... ...
47. あおむら【阿保村】大阪府:松原市 地図
日本歴史地名大系
。丹北郡に属する。文禄三年(一五九四)一二月二日、豊臣秀吉は代官末吉勘兵衛利方に「安保村」八〇八石余を支配させ、年貢の徴収を命じた(「豊臣秀吉朱印状」末吉文書) ... ...
48. あおやなぎむら【青柳村】岐阜県:揖斐郡/池田町
日本歴史地名大系
ねて安堵している。安国寺は小寺にある臨済宗妙心寺派寺院。天正一七年(一五八九)一一月二一日付豊臣秀吉の美濃国御蔵入目録(内閣文庫蔵)に青柳一六一石余とみえる。慶 ... ...
49. あおやまはちまんぐう【青山八幡宮】静岡県:藤枝市/八幡村
日本歴史地名大系
が伝えられ、また名請人として神主のほか社僧の真言宗青山寺などがみえる。同一八年一二月二八日、豊臣秀吉は神主三郎左衛門(石橋氏)に宛てて青山八幡領として八幡領一七 ... ...
50. あおやまむら【青山村】滋賀県:愛知郡/愛東町
日本歴史地名大系
山の内」とみえ、同人宛に外村・青山村のうち四〇〇石が宛行われている。天正一九年一〇月二一日の豊臣秀吉朱印宛行状(同文書)によれば、「おくらとの」へ青山村のうち五 ... ...