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  11. 大谷吉継
国史大辞典

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大谷吉継
おおたによしつぐ
一五五九 - 一六〇〇
安土桃山時代の武将。永禄二年(一五五九)に生まれる。父は豊後の国主大友宗麟の家臣大谷盛治であるといわれている。はじめ紀之介と称し、のち吉継と改めた。豊臣秀吉に近侍して信任を受け、天正十三年(一五八五)七月、従五位下刑部少輔に叙任された。賤ヶ岳の戦に軍功をあらわし、九州征伐には石田三成らと兵站奉行を勤め、同十七年越前敦賀の城主に封ぜられて、五万石を領した。翌年の小田原征伐、それに続く奥羽地方の経略に参加して戦功をたて、平定後出羽地方の検地を担当した。文禄元年(一五九二)の朝鮮出兵に際しては、石田三成らとともに船奉行を命ぜられて船舶の調達にあたり、さらにその年六月には石田三成・増田長盛ともに在朝鮮部隊督励の奉行として渡海し、翌年明軍との和平交渉に努めた。秀吉の死後、吉継は徳川家康に接近し、慶長五年(一六〇〇)七月、家康の会津征伐の軍に従うため敦賀をたち、途中美濃の垂井から使者を佐和山城の石田三成のもとへ送り、三成の子重家の同道を求めた。ところが三成は吉継を佐和山城に迎えて、家康討伐の計画を打ち明け吉継の協力を要請した。吉継は家康を敵として戦うことの得策でないことを説いて、三成に思いとどまるよう切言したが、三成の決心の固いのを知り、ついに意を決して三成と行動をともにすることにした。吉継は敦賀に引き返して兵を挙げ、前田利家の軍と戦ってこれを破り、家康が会津征伐の途中から軍を返して西上したとの報に接すると、敦賀をたって美濃関ヶ原に向かった。吉継はかねて松尾山に陣する小早川秀秋の態度に疑心を抱き、秀秋に備えて松尾山の北、藤川台に陣した。九月十五日の戦闘では、一旦は藤堂高虎・京極高知らの東軍の攻撃を却けたが、秀秋の軍が東軍に内応して吉継の陣に襲いかかったので、吉継は側背を衝かれて苦戦に陥り、奮闘の末に自尽した。時に四十二歳。
[参考文献]
小瀬甫庵『太閤記』(『(改定)史籍集覧』六)、『関原始末記』(同二六)、板坂卜斎『慶長年中卜斎記』(同)
(今井 林太郎)
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検索コンテンツ
1. 大谷吉継
日本大百科全書
安土(あづち)桃山時代の武将。刑部少輔(ぎょうぶしょうゆう)。母は北政所(きたのまんどころ)の侍女。紀之介(きのすけ)といった早いころから豊臣(とよとみ)秀吉に ... ...
2. 大谷吉継
世界大百科事典
1559-1600(永禄2-慶長5) 安土桃山時代の武将。はじめ紀之介と称する。豊臣秀吉に近侍し,賤ヶ岳,九州,小田原の戦に参加して軍功をあげ,陸奥地方の検地奉 ... ...
3. おおたに‐よしつぐ【大谷吉継】
日本国語大辞典
安土桃山時代の大名。刑部(ぎょうぶ)少輔。秀吉に仕え、越前敦賀五万石を領する。文祿・慶長の役に出陣。関ケ原の戦いでは石田三成に味方して戦死。永祿二〜慶長五年(一 ... ...
4. おおたによしつぐ【大谷吉継】 画像
国史大辞典
一五五九―一六〇〇 安土桃山時代の武将。永禄二年(一五五九)に生まれる。父は豊後の国主大友宗麟の家臣大谷盛治であるといわれている。はじめ紀之介と称し、のち吉継 ... ...
5. おおたに-よしつぐ【大谷吉継】
日本人名大辞典
1559−1600 織豊時代の武将。永禄(えいろく)2年生まれ。豊臣秀吉につかえ,天正(てんしょう)17年越前(えちぜん)(福井県)敦賀(つるが)城主(5万石) ... ...
6. 大谷吉継[文献目録]
日本人物文献目録
『武将言行録』山鹿高祐(編)『大谷刑部少輔吉隆とその一族 関ヶ原戦における大谷吉隆を中心に』森脇宏之(著刊)『大谷吉継の画』- ... ...
7. 大谷吉継印[図版] 画像
国史大辞典
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8. 大谷吉継花押[図版] 画像
国史大辞典
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9. あさのながまさ【浅野長政】 画像
国史大辞典
陥したが、秀吉の軍略に悖(もと)るところもあって叱責されている。同年の奥羽検地には石田三成・大谷吉継らと奉行を務め、翌年の九戸政実の乱には羽柴秀次の軍奉行として ... ...
10. あんらくじ【安楽寺】岐阜県:大垣市/旧多藝郡・不破郡地区/赤坂村
日本歴史地名大系
平津庄生石社推鐘」とある。同鐘は生石神社(現兵庫県高砂市)の旧鐘で、関ヶ原の合戦の際に西軍の大谷吉継が陣鐘として用い、合戦後家康が当寺に寄進したといわれる。境内 ... ...
11. いしかわ-さだのぶ【石川貞信】
日本人名大辞典
豊臣秀吉につかえ,越前(えちぜん)田村(福井県鯖江(さばえ)市)に1万石をあたえられる。関ケ原の戦いでは,大谷吉継(よしつぐ),青木秀以(ひでもち)とともに石田 ... ...
12. 石田三成
世界大百科事典
行として名護屋に駐留し,秀吉の朝鮮渡海を主張したが,それが中止されると,代官として増田長盛,大谷吉継などとともに渡海し,前線の諸軍を監察し,明軍と交戦し,戦況を ... ...
13. いしだみつなり【石田三成】 画像
国史大辞典
文禄元年(一五九二)の朝鮮出兵に際しては、船奉行を勤めて渡航部隊の輸送にあたり、さらにその年六月には増田長盛・大谷吉継とともに在朝鮮部隊督励のため奉行として渡海 ... ...
14. いわた-ごすけ【岩田五助】
日本人名大辞典
?−1600 織豊時代の武将。越前(えちぜん)(福井県)敦賀(つるが)城主大谷吉継(よしつぐ)の家臣。関ケ原の戦いで東軍の藤堂高虎(とうどう-たかとら)軍とたた ... ...
15. うえすぎかげかつ【上杉景勝】 画像
国史大辞典
十八年三月秀吉の小田原征伐に従い、前田利家とともに上野松井田城、武蔵鉢形・八王子両城を攻略。ついで大谷吉継とともに出羽の太閤検地、奥羽の一揆鎮圧に従事、出羽庄内 ... ...
16. うおんまち【魚屋町】佐賀県:唐津市/唐津城下
日本歴史地名大系
城築城の際材木運搬船頭として堺(現大阪府)から移住し、毛利家文書に「名古屋船奉行、石田三成、大谷吉継外二名、船頭木屋山内利右衛門」とある。利右衛門は大石町に住み ... ...
17. うぬましゅく【鵜沼宿】岐阜県:各務原市/鵜沼村
日本歴史地名大系
脇本陣は坂井家のあと天保期以降東町の野口家となり、問屋も兼ねた。野口家は関ヶ原の合戦で敗れた大谷吉継の三男吉矩を祖としたという(年未詳「野口家由緒書」大竹文書) ... ...
18. えいけんじ【永建寺】福井県:敦賀市/今浜村
日本歴史地名大系
文書)によれば、文禄四年(一五九五)までは茶町近くの鳧江にあったが、敦賀城本丸に近いので領主大谷吉継より所替を命ぜられ、山林ともに与えられて慶長二年(一五九七) ... ...
19. えいとくじ【永徳寺】岩手県:胆沢郡/金ヶ崎町/永徳寺村
日本歴史地名大系
「永徳寺一村」が寄進された(同年四月二四日「葛西晴信寄進状」当寺文書)。天正一九年(一五九一)九月石田三成や大谷吉継から禁制を下され、寛永二年(一六二五)には伊 ... ...
20. 越前国
世界大百科事典
勝家のあとは,丹羽,堀,青木氏と続いたが,1600年(慶長5)関ヶ原の戦の後,北ノ庄の青木一矩はじめ織田秀雄,大谷吉継らの改易,堀尾吉晴の転封により旧領主はすべ ... ...
21. えちぜんのくに【越前国】福井県
日本歴史地名大系
子康秀が継ぎ、同一〇年蜂屋頼隆が代わり、封地は敦賀郡より南条郡の一部を含め五万石であった。同一七年大谷吉継(隆)が頼隆に代わり、領地は敦賀郡のほか南条・丹生・今 ... ...
22. えらうら【江良浦】福井県:敦賀市
日本歴史地名大系
得シモノアリシカ(中略)明治五年断然其業ヲ廃セリ」と、塩業のかつての繁盛を記す。慶長三年領主大谷吉継時代、塩浜七反七畝一〇歩に反別一石四斗代の分米一〇石八斗四升 ... ...
23. おうしこじんじゃ【生石神社】兵庫県:高砂市/生石村
日本歴史地名大系
備中入道沙弥玄助が願主となり生石社の鐘として鋳造されている。この鐘は関ヶ原の合戦の際に西軍の大谷吉継の陣鐘として使われ、合戦後徳川家康によって同寺に寄進されたと ... ...
24. おおたに-ぎょうぶ【大谷刑部】
日本人名大辞典
⇒大谷吉継(おおたに-よしつぐ) ... ...
25. おおたににゃんぶ
デジタル大辞泉プラス
ひこね街の駅所属。ショウブの花を持った、ブルーの身体、白い頭の猫。同県出身とされる戦国時代の武将、大谷吉継(よしつぐ)(刑部(ぎょうぶ)省の少輔に任命され大谷刑 ... ...
26. おおたにむら【小谷村】滋賀県:伊香郡/余呉町
日本歴史地名大系
毛受兄弟戦死の地ともいう(以上「輿地志略」)。当地はもと大谷と称したと考えられ、豊臣秀吉の臣大谷吉継の出生地といい(温故録)、また「輿地志略」にも大谷村と記され ... ...
27. おおもりじょうあと【大森城跡】秋田県:平鹿郡/大森町/大森村
日本歴史地名大系
仙北各地に検地反対の一揆が起こり、一揆の鎮圧後、上杉景勝・横目付大谷吉継は上杉家臣色部次郎兵衛に後事を託して大森を去った(「大谷吉継書状」色部文書)。慶長五年( ... ...
28. おがちぐん【雄勝郡】秋田県
日本歴史地名大系
県会津若松市)で奥羽各地の総検地を号令したのは天正一八年八月一〇日であった。この地域の検地は大谷吉継を監視役として上杉景勝があたった。天正一八年頃と思われる「御 ... ...
29. おのでらし【小野寺氏】 画像
国史大辞典
のばし、戦国時代には居城を稲庭から横手に移している。天正十八年(一五九〇)その支配領域内で、大谷吉継の手による太閤検地に反対して土豪・百姓が一揆をおこしたが(仙 ... ...
30. おのでらし【小野寺氏】 : 小野寺氏/(二)
国史大辞典
のばし、戦国時代には居城を稲庭から横手に移している。天正十八年(一五九〇)その支配領域内で、大谷吉継の手による太閤検地に反対して土豪・百姓が一揆をおこしたが(仙 ... ...
31. かがしまむら【鏡島村】岐阜県:岐阜市/旧厚見郡地区
日本歴史地名大系
通り岐阜に着いた(言継卿記)。天正一八年(一五九〇)豊臣秀吉の命による検地が実施され(年未詳一二月二四日「大谷吉継書状」乙津寺文書)、同年と推定される一一月五日 ... ...
32. 甲子夜話三篇 1 201ページ
東洋文庫
令下二子安元一従上レ軍。会二三成反一道不レ通。従二大津侯一如二敦賀4遣二山岡景仲、藤堂高虎書→言レ不二敢背叛岨大谷吉継疑二秀秋為ワ変。徒二安治、朽木元綱、小川祐 ... ...
33. かみさかいむら【上境村】秋田県:横手市
日本歴史地名大系
菅生村と太田ノ上村が廃村となり田地字に変わったとある。天正一八年(一五九〇)一〇月、太閤検地の際、大谷吉継が横手城主小野寺義道に交付した仙北上浦郡指出目録に「さ ... ...
34. かみまくわむら【上真桑村】岐阜県:本巣郡/真正町
日本歴史地名大系
安書状」安藤鉦司氏所蔵文書)。当村の支配は秀吉政権下では一柳末安以後、古田秀勝・山田出羽守・大谷吉継と継承された。関ヶ原の合戦後は幕府領、明和七年(一七七〇)か ... ...
35. かんのんじじょうあと【観音寺城跡】山形県:飽海郡/八幡町/麓村
日本歴史地名大系
け、水不足を敵に知らせないようにしたといわれる。天正一八年八月一日、上杉景勝は豊臣秀吉の命で大谷吉継とともに、大宝寺領と庄内三郡の検地に着手。その一方で反対一揆 ... ...
36. きゅうしゅうせいばつ【九州征伐】
国史大辞典
の四人に、三十万の軍勢の一年分の兵粮米と二万疋の馬の飼料の調達を命じ、その出納係に石田三成・大谷吉継・長束正家の三人を任命した。九州遠征軍は全部隊を七軍に編成し ... ...
37. くさつおんせん【草津温泉】
国史大辞典
天正十五年(一五八七)近衛前久(竜山)は来湯して薬師堂法楽和歌を残し、つづいて本願寺光佐・豊臣秀次・大谷吉継・前田利家らが来り、豊臣秀吉は文禄四年(一五九五)草 ... ...
38. 朽木氏
世界大百科事典
郡下新荘内新村の検地代官に任じられている。1600年(慶長5)の関ヶ原の戦では,はじめ西軍の大谷吉継に属したが,小早川秀秋らとともに途中から東軍に転じ,その功に ... ...
39. くつきし【朽木氏】 画像
国史大辞典
伊勢国安濃郡・近江国高島郡の蔵入地代官を勤めた。関ヶ原の戦では、西軍に属したが、途中より東軍方となり、大谷吉継の陣を破って西軍の潰滅をはかった。戦後、朽木を中心 ... ...
40. 朽木元綱
世界大百科事典
には越前国今南東郡下新荘内新村の検地代官をつとめた。1600年の関ヶ原の戦では,はじめ西軍の大谷吉継(隆)に属したが,小早川秀秋らとともに途中から東軍に寝返り, ... ...
41. くつきもとつな【朽木元綱】
国史大辞典
関ヶ原の戦においては、西軍に属して大谷吉継らとともに関ヶ原に陣したが、小早川秀秋が東軍に内応するとともに、これに応じて東軍になり、脇坂安治らとともに大谷吉継の陣 ... ...
42. 五奉行
世界大百科事典
豊臣氏の奉行は政権の樹立以来存在し,初期の奉行には桑原貞也,杉原家次,細井方成,石田三也(成),増田長盛,大谷吉継,伊藤秀盛など多くの人名を挙げることができる。 ... ...
43. さかたぐん【坂田郡】滋賀県
日本歴史地名大系
慶長三年(一五九八)秀吉が没すると、有力大名間の角逐抗争が激化、三成は反徳川家康の立場をとり、同五年七月大谷吉継・安国寺恵瓊らと謀って家康追討の兵を挙げたが、同 ... ...
44. さし‐ず[:ヅ]【指図・差図】
日本国語大辞典
指揮すること。また、その指示・指揮。命令。下知(げち)。*島津家文書‐(慶長二年)〔1597〕七月九日・大谷吉継書状(大日本古文書二・九六二)「併治少 ... ...
45. さなだ-あぎ【真田安岐】
日本人名大辞典
?−1649 織豊-江戸時代前期,真田幸村(ゆきむら)の妻。大谷吉継(よしつぐ)の娘。天正(てんしょう)18年結婚,2男6女を生む。関ケ原の戦いののち,夫にした ... ...
46. 真田幸村
日本大百科全書
94年(文禄3)豊臣信繁の名で従(じゅ)五位下左衛門佐(さえもんのすけ)に叙任した。妻は秀吉の奉行(ぶぎょう)大谷吉継(おおたによしつぐ)の女(むすめ)。のち父 ... ...
47. さなだゆきむら【真田幸村】 画像
国史大辞典
だため一時景勝のもとに預けられたが、同十五年昌幸が豊臣秀吉へ帰属するに及び秀吉の近侍となり、大谷吉継の娘を妻とした。十八年の小田原征伐では父や兄とともに出陣、中 ... ...
48. さなだゆきむら【真田幸村】
日本架空伝承人名事典
。一五八五年(天正一三)父の策で上杉景勝の人質となり、のち豊臣秀吉の幕下に加わり、その仲介で大谷吉継の娘を妻とした。一六〇〇年(慶長五)の関ヶ原の戦では父ととも ... ...
49. さわやまじょうあと【佐和山城跡】滋賀県:彦根市/旧坂田郡地区/古西法寺村
日本歴史地名大系
同年閏三月加藤清正・黒田長政らに追われ、家康を頼ってその庇護で当城に退去した(梵舜日記)。同五年七月、三成は大谷吉継・安国寺恵瓊らと謀って、毛利輝元を盟主に家康 ... ...
50. しゅくうら【宿浦】福井県:丹生郡/越前町
日本歴史地名大系
北は海浦、南は新保浦で、西に日本海を望み、集落は越前海岸の段丘崖下に列をなす。天正一七年(一五八九)大谷吉継が敦賀に居城し、丹生郡の一部である当浦から南方の米浦 ... ...
「大谷吉継」の情報だけではなく、「大谷吉継」に関するさまざまな情報も同時に調べることができるため、幅広い視点から知ることができます。
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