NHK大河ドラマ「光る君へ」特集
ジャパンナレッジは約1700冊以上の膨大な辞書・事典などが使い放題の「日本最大級のオンライン辞書・事典・叢書」サービスです。
➞ジャパンナレッジについて詳しく見る
  1. トップページ
  2. >
  3. カテゴリ一覧
  4. >
  5. 歴史
  6. >
  7. 歴史上の人物
  8. >
  9. 日本史上の人物
  10. >
  11. 吉野太夫

吉野太夫

ジャパンナレッジで閲覧できる『吉野太夫』の国史大辞典のサンプルページ

吉野太夫
よしのだゆう
江戸時代初期の京都の代表的な遊女。文化九年(一八一二)の序文のある『吉野伝』には、天正から寛文・延宝ごろまでに、吉野を名乗った遊女が十人あったと記している。しかし二代目以外はほとんどその実体がよくわからない。二代目の吉野太夫は、『色道大鏡』の「扶桑列女伝」によると、慶長十一年(一六〇六)に生まれ、七歳で林与次兵衛家に入り林弥という禿となった。十四歳で雲州侯後援で太夫に昇進した。さわやかで知恵深く、あでやかで香道の名手で、宴席の取持ちが上手で客の心を引きつけ、廓内の大評判となった。かくて吉野の名は中国にまで聞えた、とある。当時の関白近衛信尋(応山)と灰屋紹益が吉野を争い、寛永八年(一六三一)二十六歳で紹益に身請された。彼女の容姿のすぐれていたことは、『色道大鏡』の巻三やこの話をさらに潤色した井原西鶴の『好色一代男』の巻五や伴蒿蹊の『続近世畸人伝』に述べられている。それは独身の刀鍛冶が吉野に一目惚れし、一生に一度でもと悲願をたて、大金をためてやっと目的を果たしたとき、あまりの嬉しさに思い残すことなしと、翌日桂川に身を投げて果てたというのである。この二代目吉野太夫は寛永二十年三十八歳で没した。墓は不明、京都市北区鷹ヶ峯(北鷹峯町)の常照寺に吉野塚がある。
(西山 松之助)
©Yoshikawa kobunkan Inc.
上記は、日本最大級のオンライン辞書・事典・叢書サービス「ジャパンナレッジ」のサンプル記事です。

ジャパンナレッジは、自分だけの専用図書館。
すべての辞書・事典・叢書が一括検索できるので、調査時間が大幅に短縮され、なおかつ充実した検索機能により、紙の辞書ではたどり着けなかった思わぬ発見も。
パソコン・タブレット・スマホからご利用できます。


吉野太夫の関連キーワードで検索すると・・・
検索ヒット数 39
※検索結果は本ページの作成時点のものであり、実際の検索結果とは異なる場合があります
検索コンテンツ
1. 吉野太夫
日本大百科全書
江戸時代、京都の遊廓(ゆうかく)島原の遊女。吉野太夫を名のった者は時代を前後して数人以上みられ、そのうち灰屋紹益(しょうえき)(佐野重孝(しげたか))の妻になっ ... ...
2. よしのだゆう【吉野太夫】
国史大辞典
名乗った遊女が十人あったと記している。しかし二代目以外はほとんどその実体がよくわからない。二代目の吉野太夫は、『色道大鏡』の「扶桑列女伝」によると、慶長十一年( ... ...
3. よしのたゆう【吉野大夫】
デジタル大辞泉
後藤明生(めいせい)の小説。信濃追分宿の遊女、吉野大夫の伝承を手掛かりに、大夫の小説を書こうとする作家を描く。昭和56年(1981)刊行。同年、第17回谷崎潤一 ... ...
4. よしのだゆう【吉野太夫】
日本人名大辞典
⇒吉野(よしの) ... ...
5. おにがわら の 席(せき)
日本国語大辞典
(破風(はふ)に鬼瓦を掲げているところから)京都高台寺の境内にある茶室。もと灰屋佐野紹益(しょうえき)の席で、吉野太夫の席と向かい合っている。 ... ...
6. 好色一代女(井原西鶴集) 429ページ
日本古典文学全集
そちらでよろしく世話され、自分と同じように頼む」と、この送り状を書き送られたお方は、越後の幅様と申して、先代の吉野太夫のお客、「今時には稀なお大尽様でした。中二 ... ...
7. 西鶴置土産(井原西鶴集) 564ページ
日本古典文学全集
少しもこたえぬ身代であった。この前、長崎の鹿という大尽は、それほどの金持でもないのに、先代の吉野太夫と馴染み、初めて逢った日に約束したとおり、やがて身請けして本 ... ...
8. 西鶴置土産(井原西鶴集) 565ページ
日本古典文学全集
目利はかしこし。わづか五尺にたらぬ身を、小判でのべたる上作物をみわけ侍る。 ある。ところでこの吉野太夫は、少しも遊女らしいところがなく、口数も少ない。気が弱そう ... ...
9. 西鶴置土産(井原西鶴集) 588ページ
日本古典文学全集
三条の何某という人の家に草鞋をぬいだ。官位を願い出るのによい日がらを見合せているうちに、都の大尽が吉野太夫に逢う時の座興にしようと、「一緒に出かけないか」と誘っ ... ...
10. さくらしぐれ【桜時雨】
歌舞伎事典
子三郎兵衛は、京の廓で全盛を誇る吉野太夫を、権勢高い大尽の応山公と争い、金力で勝つが勘当される。第二幕は桜町の侘住居。三郎の妻おとくと名をかえ、立ち働く吉野太夫 ... ...
11. 佐野紹益
世界大百科事典
性・教養とを受け継いだ町衆であった。1631年(寛永8),六条柳町林与次兵衛抱えの遊女2代目吉野太夫を,人臣の位を極めた近衛信尋と争い,正妻にしたという逸話は有 ... ...
12. しまばら【島原】 画像
国史大辞典
いき・粋・通など独特な価値観をもつ世界であった。そこに生きる遊女たち、特に地位の高かった太夫は、吉野太夫のようにきわめて高い教養をもち、琴・三弦・生花・香道・茶 ... ...
13. しまばら【島原】 : 島原/(一)
国史大辞典
いき・粋・通など独特な価値観をもつ世界であった。そこに生きる遊女たち、特に地位の高かった太夫は、吉野太夫のようにきわめて高い教養をもち、琴・三弦・生花・香道・茶 ... ...
14. 心中刃は氷の朔日(近松門左衛門集) 256ページ
日本古典文学全集
五十六匁、三十五匁は銀の価。金に換算して、合計約一両一分。緋縮緬を使う張本人、の意。恐れ多い。吉野太夫を恋した鍛冶屋の仁蔵が、恋がかなえられたあと入水して死んだ ... ...
15. 時代祭
日本大百科全書
士列が続く。次に江戸時代の徳川城使上洛(じょうらく)列、江戸時代婦人列(和宮(かずのみや)、吉野太夫(だゆう)など)、ついで安土(あづち)桃山時代の豊公参朝列、 ... ...
16. じょうしょうじ【常照寺】京都市:北区/鷹ヶ峰 地図
日本歴史地名大系
六条三筋町(現京都市下京区)の名妓吉野太夫が日乾に帰依して寄進したと伝える。また本堂の北東にある遺芳庵は、吉野好みの大丸窓がある茶席。境内には日乾廟、吉野太夫の ... ...
17. 高尾
世界大百科事典
江戸の傾城町吉原の三浦屋に抱えられた遊女(太夫)の名。京都島原の吉野太夫と並び称される。ただし,遊女が太夫名を継承することは珍しくなかったから,高尾太夫を名のっ ... ...
18. たかお【高尾】
日本架空伝承人名事典
江戸の傾城町吉原の三浦屋に抱えられた遊女(太夫)の名。京都島原の吉野太夫と並び称される。ただし、遊女が太夫名を継承することは珍しくなかったから、高尾太夫を名のっ ... ...
19. 鷹峯
日本大百科全書
徳川家康から土地を与えられ、一族を率いて居住した所で、光悦寺はその菩提寺(ぼだいじ)である。吉野太夫(だゆう)ゆかりの常照寺もある。京都市街を遠望できる高燥地で ... ...
20. たきつけ草・もえくゐ・けしずみ(仮名草子集) 422ページ
日本古典文学全集
兼座元。嵐三右衛門の「手管の狂言」(傾城買い狂言)としては「吉野身受」が知られ、伊藤小太夫の吉野太夫の相手役小倉屋源兵衛を演じて半年余りの大当りをとったと伝える ... ...
21. 茶室一覧
日本大百科全書
よく和合している。重文。遺芳庵(いほうあん) 京都市東山区の高台寺境内にある。京都島原の遊女吉野太夫(よしのだゆう)をしのんで建てられ、壁面いっぱいの大きな円窓 ... ...
22. 東京年中行事 2 240ページ
東洋文庫
門物の直侍、頼政、伴作、実盛等、梅幸物の三千歳、滝夜叉、白酒売等、芝翫物の十郎、淀君、義貞、吉野太夫等、菊五郎物の松前屋、権太、忠信等、吉右衛門物の一心太助、道 ... ...
23. 男色大鑑(井原西鶴集) 419ページ
日本古典文学全集
これには人々もあきれてしまった。この男はその頃、島原第一の大尽客で、新在家の長吉様といわれていた。初代の吉野太夫を手に入れ、その後は葛城という太夫に馴染んでいた ... ...
24. 男色大鑑(井原西鶴集) 492ページ
日本古典文学全集
一筋にして渡り、都の人々の目を驚かした。とても人間業とは思われなかった。ことに吉野身受の狂言で、吉野太夫の道中姿を演じたが、本物の吉野も顔負けで、つまらない桜に ... ...
25. 男色大鑑(井原西鶴集) 493ページ
日本古典文学全集
おしなべて歌舞伎若衆のつつしむべきは女色だ。三年か五年もたって若衆盛りが過ぎると、昼も夜もなく、道 代目吉野太夫を千両で身請けして、長崎へ伴い帰った一件(恋慕水 ... ...
26. 灰屋紹益[文献目録]
日本人物文献目録
【書誌】:0件 【図書】:1件 【逐次刊行物】:4件 『灰屋紹益と吉野太夫』江馬務『光悦と灰屋紹益』江馬務『紹益・貞徳書簡 発見と報告』小高敏郎『灰屋紹益』江馬 ... ...
27. はいやじょうえき【灰屋紹益】
国史大辞典
桂離宮の造営にも関与したことが知られ、のちに法橋に叙せられた。また彼が京都の六条三筋町、通称島原の名妓吉野太夫を身請けして妻としたことは名高い語り草である。紹益 ... ...
28. はいや-じょうえき【灰屋紹益】
日本人名大辞典
俳諧(はいかい)を松永貞徳にまなぶ。また書,蹴鞠(けまり),茶の湯などにも長じた。島原の名妓吉野太夫を近衛信尋(のぶひろ)とあらそい,正妻とした。元禄(げんろく ... ...
29. はやし-またいちろう【林又一郎】
日本人名大辞典
9)ごろ豊臣秀吉の許しをえて,二条柳町という茶屋町をつくる。妓楼(ぎろう)藤屋を経営し,名妓吉野太夫(よしのだゆう)をだした。のち大坂新町で妓楼扇屋をひらいた。 ... ...
30. 梵雲庵雑話 89ページ
東洋文庫
前に云ったように、た父「より」とだけ書いてあってもその手跡を見て、「確かに是れは吉野太夫から」と知ると云うのですが、この時代に名高い吉野太夫と云う遊女が居たと云 ... ...
31. ゆうかく【遊廓】
国史大辞典
これが江戸吉原遊女の「いき」の重要な一条件であった。これらの高級遊女たとえば江戸の高尾太夫、京都の吉野太夫、大坂の夕霧太夫などはいずれも高級社交場としての遊廓の ... ...
32. 吉野
世界大百科事典
名乗る太夫は,江戸時代初期に限っても,10人以上いたという。なかでも有名なのは,六条柳町の林与兵衛家の2代目吉野太夫徳子(1606-43)である。彼女は,京都の ... ...
33. よしの【吉野】
日本架空伝承人名事典
江戸時代初期に限っても、一〇人以上いたという。なかでも有名なのは、六条柳町の林与兵衛家の二代目吉野太夫徳子(一六〇六‐四三)である。彼女は、京都の方広寺大仏の近 ... ...
34. 吉野[文献目録]
日本人物文献目録
【書誌】:0件 【図書】:1件 【逐次刊行物】:3件 『灰屋紹益と吉野太夫』江馬務『蟹の盃台』江馬務『再び吉野遺愛蟹の盃台に就て』江馬務『吉野太夫』西堀一三 ... ...
35. よしの‐かんとう[:カンタウ]【吉野間道】
日本国語大辞典
赤と萌葱の入り交じった地に、萌葱・赤・白などの糸を用いて格子縞を織り出したもの。京都島原の遊女吉野太夫が愛用したところからの名という。*随筆・雅遊漫録〔1755 ... ...
36. よのすけ【世之介】
日本架空伝承人名事典
一躍して二万五〇〇〇貫の遺産の相続人となり、これより数多くの名妓との交渉を描いた大尽遊びが始まる。吉野太夫をはじめとして、三笠、夕霧、藤浪、御舟、初音、吉田、野 ... ...
37. りゅうほんじ【立本寺】京都市:上京区/仁和学区/一番町 地図
日本歴史地名大系
承徳三年経朝点本。京都国立博物館寄託)や三十番神絵像などを蔵する。本堂南西隅には豪商灰屋紹益、島原の名妓吉野太夫、石田三成の宿将島左近などの供養塔がある。〈京都 ... ...
38. ろくじょうみすじまち【六条三筋町】京都市:下京区/尚徳学区/上柳町 地図
日本歴史地名大系
八月、上京の豪商灰屋家の嫡子佐野三郎兵衛紹益に身請けされてその妻となった名妓林又一郎家抱えの吉野太夫徳子がいた(吉野伝)。また、四条河原の遊女歌舞伎への進出があ ... ...
39. 1643年〈寛永20 癸未〉
日本史年表
10・2 天海(108、天台宗学僧)。 10・24 吉良義弥(58、高家)。 この年 吉野太夫(2代)(38、遊女)。 【世界】 この年 朝鮮、キリスト ... ...
「吉野太夫」の情報だけではなく、「吉野太夫」に関するさまざまな情報も同時に調べることができるため、幅広い視点から知ることができます。
ジャパンナレッジの利用料金や収録辞事典について詳しく見る▶

吉野太夫と同じ日本史上の人物カテゴリの記事
真田幸村(真田信繁)(国史大辞典・日本大百科全書・日本架空伝承人名事典)
一五六七 - 一六一五 安土桃山時代から江戸時代前期にかけての武将。幼名御弁丸、のち源次郎。左衛門佐と称す。名は信繁。幸村の名で有名であるが、この称の確実な史料はない。高野山蟄居中に剃髪して好白と号した。永禄十年(一五六七)信濃国上田城主真田昌幸の次男
徳川家康(日本大百科全書・国史大辞典・改訂新版 世界大百科事典)
江戸幕府初代将軍(在職1603~1605)。三河(愛知県東部)の小大名の家に生まれ、幼年時代は隣国駿河(静岡県)の大名今川氏の人質となって苦労したが、桶狭間の戦いののち今川氏から独立し、織田信長と同盟して駿河・遠江(とおとうみ)(静岡県)・三河3か国に所領を拡大した
坂本竜馬(坂本龍馬)(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典・日本架空伝承人名事典)
幕末期の討幕運動指導者、海援隊長。竜馬は通称。直陰のちに直柔と名乗り、脱藩後は才谷梅太郎などの変名を使う。天保六年(一八三五)十一月十五日(十月十五日説・十一月十日説あり)、土佐藩の町人郷士坂本八平直足・幸の次男として
織田信長(日本大百科全書・国史大辞典・世界大百科事典・日本架空伝承人名事典)
戦国・安土桃山時代の武将。戦国動乱を終結し全国統一の前提をつくった。[脇田 修]家系織田氏は近江津田氏と関係があると伝えられているが、室町期斯波氏に仕え、越前(福井県)織田荘を根拠とし織田劔神社を氏神と崇敬した。斯波氏が尾張(おわり)守護の関係で尾張守護代として尾張(愛知県)に入る
上杉景勝(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
一五五五 - 一六二三 安土桃山・江戸時代前期の大名。越後春日山城・会津若松城主、出羽国米沢藩主。幼名を卯松、喜平次と称し、はじめ顕景と名乗った。弘治元年(一五五五)十一月二十七日に生まれる。父は越後国魚沼郡上田荘坂戸(新潟県南魚沼郡六日町)
日本史上の人物と同じカテゴリの記事をもっと見る


「吉野太夫」は真田丸に関連のある記事です。
その他の真田丸に関連する記事
明石掃部(明石全登/あかしてるずみ)(日本人名大辞典・世界大百科事典・国史大辞典)
織豊-江戸時代前期の武将。宇喜多秀家につかえ,関ケ原の戦いで西軍に属して敗れ筑前(福岡県)秋月にすんだ。大坂の陣では豊臣秀頼の招きに応じ,真田幸村らと活躍したが,慶長20年(1615)大坂落城の際に死んだとも,逃亡して元和4年に病死したともいう。
長宗我部盛親(国史大辞典)
一五七五-一六一五。安土桃山時代の武将。土佐国の大名。幼名千熊丸、右衛門太郎(増田右衛門尉長盛を烏帽子親として右衛門、盛親を名乗る)、土佐守。天正三年(一五七五)岡豊(おこう)城(高知県南国市)に生まる。長宗我部元親の四男、母は斎藤氏。
毛利勝永(日本人名大辞典)
織豊-江戸時代前期の武将。毛利勝信の子。関ケ原の戦いで西軍に属し,敗れて父とともに土佐高知藩主山内一豊(かずとよ)にあずけられる。慶長19年子の勝家と脱走して大坂城にはいり
後藤基次(後藤又兵衛)(改訂新版・世界大百科事典)
織豊政権期の武将。通称又兵衛。氏房,政次ともいう。播磨三木城主別所氏に仕えた新左衛門の子。豊前黒田氏に養われ,孝高・長政父子に仕えた。長政に従って豊臣秀吉の九州征伐,文禄・慶長の役に従軍,関ヶ原の戦にも戦功をあげる。
豊臣秀頼(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
一五九三-一六一五。豊臣秀吉の第二子。文禄二年(一五九三)八月三日大坂城内に生まれた。母は側室浅井氏(茶々、淀殿)。秀吉は実子に恵まれず、浅井氏との間に鶴松を得たが三歳にして死別した。このため秀頼誕生の喜びは大きく、みずから肥前名護屋の陣中より正室北政所に書状を送り
真田丸に関連する記事をもっと見る


ジャパンナレッジは約1700冊以上(総額750万円)の膨大な辞書・事典などが使い放題の「日本最大級のインターネット辞書・事典・叢書サイト」です。日本国内のみならず、海外の有名大学から図書館まで、多くの機関で利用されています。
ジャパンナレッジの利用料金や収録辞事典について詳しく見る▶