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  11. 福島正則
国史大辞典

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福島正則
ふくしままさのり
一五六一 - 一六二四
安土桃山・江戸時代前期の武将。安芸国広島藩主。尾張の住人福島市兵衛正信の長男。母は豊臣秀吉の伯母木下氏と伝えられている。永禄四年(一五六一)尾張海東郡二寺邑(愛知県海部郡美和町)に生まれる。幼時より秀吉に仕え、市松と称した。はじめ知行二百石を領し、天正六年(一五七八)播磨三木城攻め、同九年因幡鳥取攻め、同十年山崎の戦などに戦功を顕わし、同年九月二十五日播磨神東郡矢野仙分三百石を加増された。同十一年四月二十一日の近江賤ヶ岳の戦では一番槍、一番首の殊勲をたて、八月一日近江栗太郡および河内八上郡のうち五千石を与えられた。いわゆる七本槍の面々はいずれも三千石で、その功績のほどと秀吉の期待が窺われる。同十二年の小牧・長久手の戦には二重堀の退き口の際に、翌年の紀伊雑賀攻め(紀州征伐)には和泉畠中城攻めに功あり、伊予今治城主に抜擢され十一万石を領し、七月には従五位下左衛門尉に叙任、左衛門大夫と称した。同十五年九州征伐に従軍、戦後戸田勝隆と肥後の代官および検地奉行を勤め、同十八年には北条氏攻め(小田原征伐)にも従軍、伊豆韮山城攻めの先手となってこれを落とした。文禄元年(一五九二)、文禄の役には渡海して竹島にて代官を勤め、兵粮輸送などにも関与した。同四年尾張清洲城主となり二十四万石。慶長二年(一五九七)七月二十六日侍従に進んだ。秀吉没後の慶長五年閏三月四日、かねて対立していた石田三成を加藤清正・細川忠興ら六大名とともに襲い、失脚に追い込んだ。徳川家康の会津上杉景勝攻撃(会津征伐)にも従軍し、三成が大坂にて挙兵すると、率先して三成攻撃を主張、東軍の先鋒となって西上し八月十九日清洲に入城した。この時、家康の本隊の進軍が遅いことを憤って到着を待ったが、家康の使者村越直吉が東軍味方の証拠として出馬せよと伝えたことにより軍事行動を開始、二十二日美濃に進んで杉原五左衛門の守備する竹鼻城を落とし、翌日加藤嘉明・細川忠興らとともに織田秀信の籠る岐阜城を攻撃、靱屋口を破り柏原彦右衛門の守る瑞竜寺丸を乗取って、秀信を投降させた。九月十五日の関ヶ原の戦では、先陣を勤め、宇喜多秀家・島津義弘の軍と戦った。十九日家康の命により京都の警護を担当し、二十三日には大坂に至った。この過程における正則の働きは、秀吉恩顧の武将であるにもかかわらず家康に属し、積極的に三成攻撃を主張するという抜群の政治的功績を上げたので、同年十一月安芸・備後二ヵ国四十九万八千二百二十三石の大封を与えられ、広島城主となった。ただし、これは周防・長門に押し込められた毛利氏への押えという意味もある。同七年三月七日右近衛少将に進む。翌年二月家康の上洛に供奉し、同十年二月の上洛にも供奉した。長男正友は早世していたが、同十二年、養子としていた正之を乱行の理由で殺害。同十五年六月家康の命により尾張名古屋城の普請を勤める。同十九年の大坂冬の陣の時は、江戸にとどまり留守居を勤めたが、これは家康が正則を警戒したためと伝えられている。秀吉の遺児豊臣秀頼攻撃は、正則にとっても痛恨事であり、秀頼荷担はもとよりできなかったが、大坂蔵屋敷の兵粮米については大坂方の奪うに任せたという。元和元年(一六一五)の夏の陣には、徳川秀忠の命により継嗣の三男忠勝を出陣させたが、戦闘には間にあわなかった。同三年六月二十一日参議に任じ、従四位下に叙す。同五年六月九日、牧野忠成・花房正成を上使として、先に広島城を無届けで修築したことを咎められ本丸そのほかことごとく破却すべきことを命じられながら、石垣を少し壊しただけでそのままにしておいたことを責められ、安芸・備後両国を没収され、陸奥津軽への転封を命じられた。しかし、津軽の津軽信枚が転封を喜ばず、また七月津軽が遠方であるとの理由で越後魚沼郡の内二万五千石と信濃川中島二万石の四万五千石を与えられることになり、信濃高井郡高井野邑(長野県上高井郡高山村)に蟄居した。この時本多正純は正則を庇う姿勢を見せたが、これは同八年正純失脚の重要な罪条となっている。同六年三男忠勝が没し、越後の二万五千石は返上し、寛永元年(一六二四)七月十三日高井野邑において没した。年六十四。この時、正則の家臣津田四郎兵衛が、幕府の検使の到着前に高井郡鴈田村厳松院(同郡小布施町雁田)において遺骸を火葬したため、領地を没収された。法名海福寺殿前三品相公月翁正印大居士。のち、四男正利が、川中島の旧領の内三千石を与えられ、寄合に列した。遺骨は京都妙心寺海福院(京都市右京区花園妙心寺町)に葬られた。高野山悉地院、東京三田の正覚院にも墓がある。室は津田長義の女、継室は牧野康成の女。剛直な性格で、意にあわぬ人間に対しては著しく攻撃的になるが、旧誼を忘れず、気に入った人間に対しては厚情をかけた。幕府に対しても強硬な態度を貫き、たとえば関ヶ原の戦後、島津家久が上洛した時、保護する姿勢を示すなど徳川家に対する圧力者として行動し、幕府旗本には傲慢ともいえる対応をしている。このような行動が幕府に嫌われ、晩年の不遇を招いたと考えられる。武辺のみの大名ではなく、秀吉存命中は検地奉行や兵粮奉行なども勤め、正則死後正利が秀忠・家光に献上した遺物の中に、きのめの肩衝・あふらの茶入などの名物があることから、茶道にも通じていたことが知られる。
[参考文献]
『寛政重修諸家譜』一四三九、『福島家系譜』、『広島県史』近世一、平出鏗郎「福島正則の狂暴」(『史学雑誌』五ノ一二)、瀬川秀雄「福島正則の改易を論ず」(同八ノ一・三・四)
(山本 博文)
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検索コンテンツ
1. 福島正則 画像
日本大百科全書
安土(あづち)桃山時代の武将。永禄(えいろく)4年尾張(おわり)国海東郡二寺(ふたつでら)村(愛知県あま市)に生まれる。幼名市松。父は正信(市兵衛)、母は豊臣( ... ...
2. 福島正則[百科マルチメディア]
日本大百科全書
「福島正則画像 雄厳賛」 東京大学史料編纂所所蔵模写(部分) ©東京大学史料編纂所 ... ...
3. 福島正則
世界大百科事典
1561-1624(永禄4-寛永1) 安土桃山~江戸初期の大名。幼名市松,左衛門大夫,清須侍従と称し,高斎と号す。尾張国二ッ寺村(現愛知県あま市,旧美和町)に出 ... ...
4. ふくしま‐まさのり【福島正則】
デジタル大辞泉
[1561〜1624]安土桃山・江戸初期の武将。尾張の人。幼少時から豊臣秀吉に従い各地を歴戦、賤ヶ岳(しずがたけ)の戦いでは七本槍の筆頭として活躍。関ヶ原の戦い ... ...
5. ふくしま‐まさのり【福島正則】
日本国語大辞典
安土桃山・江戸初期の武将。幼時から豊臣秀吉に仕えた。賤ケ岳七本槍の筆頭となり、小牧・長久手の戦い、九州・小田原征伐などで活躍。関ケ原の役で徳川方につき、安芸広島 ... ...
6. ふくしままさのり【福島正則】 画像
国史大辞典
修諸家譜』一四三九、『福島家系譜』、『広島県史』近世一、平出鏗郎「福島正則の狂暴」(『史学雑誌』五ノ一二)、瀬川秀雄「福島正則の改易を論ず」(同八ノ一・三・四) ... ...
7. 福島正則
日本史年表
1619年〈元和5 己未〉 6・2 幕府、広島城無断修築を理由に 福島正則 を改易(東武実録)。 1624年〈寛永元(2・30) 甲子〉 7・13 没。 ... ...
8. ふくしま-まさのり【福島正則】
日本人名大辞典
1561−1624 織豊-江戸時代前期の大名。永禄(えいろく)4年生まれ。福島正信(まさのぶ)の長男。豊臣秀吉につかえ,賤ケ岳(しずがたけ)の戦い(七本槍のひと ... ...
9. 福島正則[文献目録]
日本人物文献目録
『加藤・福島』羽皐隠史『福島正則伝』田部井鉚太郎『海外の資料に表はれたる福島正則』H・チースリク『福島正則の改易を論ず』瀬川秀雄『福島正則の狂暴』平出鏗二郎『福 ... ...
10. Fukushima Masanori 【福島正則】
Encyclopedia of Japan
1561−1624 Daimyo of the Azuchi-Momoyama period (1568−1600) and early Edo period ... ...
11. 福島正則花押[図版] 画像
国史大辞典
 (c)Yoshikawa kobunkan Inc.  ... ...
12. ふくしままさのりかちゅうぶげんちょう【福島正則家中分限帳】
国史大辞典
安芸広島城主福島正則(元和五年(一六一九)改易)の家中分限帳。三好城主尾関石見・神辺城主福島丹波・東条城主長尾隼人など支城主の家老を最初に、軍事的組編成に従っ ... ...
13. ふくしままさのりやしきあと【福島正則屋敷跡】長野県:上高井郡/高山村/高井野村
日本歴史地名大系
る。この荒廃は、天明五年(一七八五)高井寺が移転してからという(長野県町村誌)。県指定史跡。福島正則は安芸広島五〇万石の城主であったが、水害破損の城石垣普請が幕 ... ...
14. あいちぐん【愛知郡】愛知県
日本歴史地名大系
八四)徳川家康と結んで秀吉と小牧・長久手に戦った。同一八年、信雄は秀吉に追放され、豊臣秀次や福島正則がその跡を継ぐなど、領主はたびたび交代した。この時期の当郡は ... ...
15. あいづせいばつ【会津征伐】
国史大辞典
景勝は若松城に拠った(『上杉家記』)。しかるに、石田三成挙兵の報を七月二十四日夜に得た家康は、福島正則らの建議を容れるという形で三成討伐を決し、下野宇都宮城に結 ... ...
16. あかいけむら【赤池村】愛知県:愛知郡/日進町
日本歴史地名大系
これに赤の字をあてたのが村名の由来と寺伝にある。初めはこの地方の豪族丹羽氏の領地、次に織田信雄(一説に福島正則)の臣長谷川孫八郎、尾張藩成立後は村の大部分がその ... ...
17. あかいわむら【赤岩村】長野県:中野市
日本歴史地名大系
元和二―五年(一六一六―一九)黒田長政の女婿井上庸名領当時、綱苧の産出がみえる(神屋文書)。以後福島正則領・直轄領・飯山城主松平忠倶領となる。注目される地字名に ... ...
18. あがりはらむら【上里原村】広島県:比婆郡/高野町
日本歴史地名大系
て鑪用の木炭生産用にあてられ、村人の利用は禁じられた。当地の賀茂神社は、慶長六年(一六〇一)福島正則の家臣尾関石見が京都の賀茂別雷神社を勧請したものと伝える。大 ... ...
19. あきぐん【安芸郡】広島県
日本歴史地名大系
東の郡境も明確ではなかったようである。〔近世〕慶長五年(一六〇〇)毛利輝元が萩(現山口県萩市)に移ったあと、福島正則が芸備両国四九万八千石に封じられたが、元和五 ... ...
20. 安芸国 画像
日本大百科全書
となった。 1600年(慶長5)関ヶ原の戦いの結果、毛利氏は防長2国に削封(さくほう)され、福島正則(ふくしままさのり)が芸備両国49万石の大名として広島城に入 ... ...
21. 安芸国
世界大百科事典
問われた輝元は,防長2ヵ国に削封されて広島を去り,そのあと芸備両国の大守として広島城に入るのは福島正則である。正則は翌01年,太閤検地の基準による領内の総検地を ... ...
22. あきのくに【安芸国】 画像
国史大辞典
戦国大名的性格が少なからず温存された。関ヶ原の戦後、西軍の総大将であった毛利輝元は改易され、福島正則が広島城主となって芸備両国一円四十九万八千二百二十三石余を領 ... ...
23. あきのくに【安芸国】広島県
日本歴史地名大系
周防・長門二ヵ国に削封され、広島城を退去した。この後安芸・備後両国を領し、広島城へ入ったのが福島正則で、安芸・備後二ヵ国を領域とする広島藩が誕生した。正則は支城 ... ...
24. あさのながあきら【浅野長©】 画像
国史大辞典
平らげて治国の基を築いた。夏の陣の翌元和二年(一六一六)正月家康の三女振姫を室に迎え、同五年福島正則の改易により、安芸国・備後半国四十二万六千余石に加増されて広 ... ...
25. あさの-ながあきら【浅野長晟】
日本人名大辞典
兄浅野幸長(よしなが)の跡をつぎ紀伊(きい)和歌山藩主浅野家2代となるが,元和(げんな)5年福島正則の改易(かいえき)により安芸(あき)広島藩主浅野家初代となる ... ...
26. あしうらむら【蘆浦村】滋賀県:草津市
日本歴史地名大系
安堵状案(毛利家文書)では、蘆浦村のうち四二〇石が観音寺朝賢に与えられた。同年九月二〇日には福島正則・池田輝政連署の禁制が下された。江戸時代を通し観音寺領。寛永 ... ...
27. あしなぐん【芦品郡】広島県
日本歴史地名大系
ある。〔近世〕近世初期、現芦品郡地域は毛利氏の領知するところであったが、慶長五年(一六〇〇)福島正則の所領(広島藩)となり、以後、元和五年(一六一九)水野勝成の ... ...
28. あたごやま【愛宕山】高知県:高知市/秦泉寺村
日本歴史地名大系
南の土佐郡江ノ口の小津に対して中津ともいわれた(南路志)。この地に寛永六年(一六二九)、もと福島正則の家臣で、のち土佐藩二代藩主山内忠義の家臣となった仙石但馬守 ... ...
29. あぶらやかたつき【油屋肩衝】
国史大辞典
たので、油屋肩衝と称されるようになった。この肩衝は竹蔵屋紹滴・油屋浄言・油屋浄祐・豊臣秀吉・福島正則・福島正利と転伝し、福島家の改易後、徳川将軍家の所有となった ... ...
30. あま(市) 画像
日本大百科全書
産は全国第一位を誇る。戦国時代の武将蜂須賀小六正勝(はちすかころくまさかつ)、豊臣秀吉家臣の福島正則(ふくしままさのり)をはじめ、多くの大名が輩出した。尾張四観 ... ...
31. あま[市]
世界大百科事典
古くからの繊維工業に加え,金属・機械などの重化学工業も伸びている。中央部を東西に名鉄津島線が通る。福島正則,蜂須賀小六の出生地。萩原 毅 ... ...
32. あま 画像 地図
デジタル大辞泉
愛知県西部にある市。名古屋市の西に隣接しベッドタウン化が進む。戦国期には蜂須賀正勝・福島正則・豊臣秀次らを輩出した。七宝焼き工芸が盛ん。平成22年(2010)に ... ...
33. あまぐん【海部郡】
国史大辞典
ど一向宗徒の手にあって、門徒の支配は天正二年長島一揆が鎮圧されるまで続いた。なお蜂須賀正勝・福島正則はこの地の出身である。江戸時代に入ると、新田開発が進み、沿岸 ... ...
34. あまぐん【海部郡】 : 海部郡/(一)
国史大辞典
ど一向宗徒の手にあって、門徒の支配は天正二年長島一揆が鎮圧されるまで続いた。なお蜂須賀正勝・福島正則はこの地の出身である。江戸時代に入ると、新田開発が進み、沿岸 ... ...
35. あまぐん【海部郡】愛知県
日本歴史地名大系
吉良・石橋・斯波義銀と連合して謀反を計画している(同書)。文禄四年(一五九五)豊臣秀次の死後は福島正則が清須城主として領した。〔近世〕慶長五年(一六〇〇)の関ヶ ... ...
36. あまざきじょうあと【甘崎城跡】愛媛県:越智郡/上浦町/甘崎村
日本歴史地名大系
以備不虞」とみえており、関ヶ原役の翌年、高虎は家康の命を受けて、甘崎城へ騎将須知定信を駐在させ、芸備両国の大守福島正則の挙動に備えている。同年一〇月一九日付、板 ... ...
37. あらいむら【荒井村】長野県:中野市
日本歴史地名大系
慶長一九年(一六一四)七月大坂の陣に山城本願寺教如(光寿)に銀子を贈り、忠輝改易後は井上庸名領となり、次いで福島正則領となった。村高は、慶長七年森右近検地の時、 ... ...
38. あんげんじしんでんむら【安源寺新田村】長野県:中野市
日本歴史地名大系
、村高は一八七石五斗一升二合で一村であったが(川中島四郡検地打立之帳)、元和七年(一六二一)福島正則検地により、安源寺村高二二一石八斗五升、同新田村高一八三石四 ... ...
39. 安藤重信
世界大百科事典
・結城両郡において1万石を領す。大坂冬・夏の両陣に従い,2万石を加増された。19年(元和5)福島正則の改易にあたって広島城受取りの役を務め,同年上野高崎5万40 ... ...
40. あんどうしげのぶ【安藤重信】 画像
国史大辞典
大坂が落城すると、井伊直孝とともに、豊臣秀頼処分の事を掌っている。同年二万石を加えられ、同五年、福島正則改易のときには広島に赴いてこれを沙汰し、上野国高崎で五万 ... ...
41. あんらくいん【安楽院】広島県:世羅郡/甲山町/甲山町/今高野山
日本歴史地名大系
文明三年六月一六日の西国寺不断経修行勧進并上銭帳(西国寺文書)に今高野衆として「十疋 安楽坊」とある。福島正則からは二〇石の歳米が給せられ、次の浅野氏にも踏襲さ ... ...
42. いいぼにますあまてらすじんじゃ【粒坐天照神社】兵庫県:龍野市/日山村
日本歴史地名大系
時に現在地に遷座した。同一三年福島正則が同城主のとき社殿を造営し、熊野権現・八幡宮・春日神社を祀り三社大権現と改称、粒坐天照神社を境内末社とした。同一五年福島正 ... ...
43. 伊賀者
日本大百科全書
0人を正式の忍之衆(しのびのしゅう)に採用している。そのほか、伊賀者は前田利家(としいえ)や福島正則(まさのり)などの大名の下で活躍した。渡邉一郎 ... ...
44. 伊賀流
日本大百科全書
逃れて大和、山城、丹波(たんば)、河内(かわち)に流散、また徳川家康や前田利家(としいえ)、福島正則(まさのり)らの大名を頼った。翌1582年本能寺の変後、泉州 ... ...
45. イグサ 画像
世界大百科事典
であったが,1602年(慶長7)短いイグサも活用できる中継(なかつぎ)表が発明され,広島藩主福島正則の奨励もあっておおいに発展し,沼隈郡では48年(慶安1)機数 ... ...
46. いけだじょうあと【池田城跡】広島県:佐伯郡/五日市町/五日市村
日本歴史地名大系
南北朝時代の池田教正とし、永禄九年(一五六六)からは毛利氏家臣高木信光としている。信光の孫信行は福島正則の帰農策に抵抗したが、元和元年(一六一五)八月に福島勢に ... ...
47. いけだてるまさ【池田輝政】 画像
国史大辞典
あった。しかし秀吉の没後、慶長五年(一六〇〇)関ヶ原の戦に際しては、輝政は東軍徳川方に属し、福島正則らとともに先鋒の将となって、八月下旬、西軍の将織田秀信(信長 ... ...
48. いしづちさん【石鎚山】愛媛県:総論
日本歴史地名大系
島城主の村上通総から、新居郡内の前神寺の神領が安堵されている。天正一五年に伊予の領主となった福島正則は石鎚権現を信仰し、前神寺に宿坊を建てて参籠したといわれ、慶 ... ...
49. いしてむら【石手村】愛媛県:松山市/石手川下流域(旧温泉郡の大部分)
日本歴史地名大系
通盛が本拠湯築城をこの村の西方に構築すると、石手寺の境内は城郭の東門と相接した。近世の初頭に福島正則が本拠をこの地から越智郡国分城に移すに及んで廃虚となり、広大 ... ...
50. いちのたにのかぶと【一谷の冑】
国史大辞典
。鉢の頂辺を高く、峰を一文字にした断崖を設けた張り懸け漆ぬりの鉢で、摂津の一谷にちなむ名称。福島正則の所用として著名であったが、文禄の役の後、黒田長政の水牛の脇 ... ...
「福島正則」の情報だけではなく、「福島正則」に関するさまざまな情報も同時に調べることができるため、幅広い視点から知ることができます。
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一五七五-一六一五。安土桃山時代の武将。土佐国の大名。幼名千熊丸、右衛門太郎(増田右衛門尉長盛を烏帽子親として右衛門、盛親を名乗る)、土佐守。天正三年(一五七五)岡豊(おこう)城(高知県南国市)に生まる。長宗我部元親の四男、母は斎藤氏。
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