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  11. 細川ガラシャ
国史大辞典

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細川ガラシャ
ほそかわガラシャ
一五六三 - 一六〇〇
安土桃山時代の代表的なキリシタン女性。細川忠興夫人。永禄六年(一五六三)明智光秀の次女として生まれる。本名玉子、ガラシャGraciaは霊名。諡は秀林院。天正六年(一五七八)織田信長の媒酌により細川藤孝の息忠興と結婚し、細川氏の居城山城勝竜寺城(京都府長岡京市)に輿入れ、のち丹後宮津城に住む。天正十年本能寺の変後に丹後の味土野(三戸野、京都府竹野郡弥栄町)に幽閉される。十二年豊臣秀吉に許されて復縁し大坂玉造の細川邸に移る。忠興が高山右近から聴いて話すキリスト教の教義に関心を抱き、忠興の九州出陣中の天正十五年二月二十一日(一五八七年三月二十七日)、復活祭の祝日に侍女数人を従えてイエズス会の教会を訪れ、スペイン人パードレのセスペデスGregorio de Céspedesと日本人イルマン高井コスメに会って説教を聴き教理について質す。翌日侍女頭の清原枝賢女の小侍女おいとの方を遣して教理を学ばせ、彼女を通じて教理の理解を深める。小侍女は日本人イルマン洞院ビセンテVicenteより教えを受けて受洗しマリアと称す(清原マリア)。夫人は同年八月マリアから洗礼を受く。インド副王使節として上洛したバリニァーノAlexandro Valignanoは彼女に幾度も使者を遣した。司祭らの贈ったキリシタン版『コンテムツス=ムンジ』を愛読して信仰を深め、ローマ字文の書状を司祭に送り、みずから霊的書物を日本語に訳して侍女らに読み聞かせ彼女らの改宗に努める一方、教会に対する物的援助も惜しまなかった。慶長五年(一六〇〇)、忠興が徳川家康の上杉征伐に従って出陣中の七月十七日(一六〇〇年八月二十五日)石田三成が人質となるよう命じて玉造の細川邸を包囲するや、家老小笠原少斎は忠興の命令もあって夫人に最期の時が来たことを伝え、礼拝堂に入って祈る夫人をみずからの手で討った。三十八歳であった。夫人の最期の様子は侍女霜の手記『霜女覚書』により知られる。大阪市東淀川区東中島の崇禅寺境内に夫人とその殉死者少斎の墓がある。また、熊本市黒髪四丁目の泰勝寺跡にも細川忠興夫妻の廟所がある。→霜女覚書(しもじょおぼえがき)
[参考文献]
ルイス=フロイス『日本史』五・一二(松田毅一・川崎桃太訳)、『細川家記』一〇、ヘルマン=ホイヴェルス『細川ガラシア夫人』、ヨハネス=ラウレス『細川ガラシヤ夫人』(柳谷武夫訳)、結城了悟『キリシタンになった大名』(『キリシタン文化研究シリーズ』二七)

(五野井 隆史)


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検索コンテンツ
1. 細川ガラシャ
日本大百科全書
細川忠興(ただおき)の夫人。キリシタン婦人としても著名。ガラシャは教名で、本名は「玉(たま)」。明智光秀(あけちみつひで)の娘で、織田信長のとりなしによって、細 ...
2. 細川ガラシャ
世界大百科事典
1563-1600(永禄6-慶長5) 安土桃山時代の女性。本名たま。ガラシャ(伽羅奢)はキリスト教受洗名。諡号(しごう)は秀林院。明智光秀の次女。母は妻木勘解由 ...
3. ほそかわ‐ガラシャ【細川ガラシャ】
デジタル大辞泉
[1563〜1600]細川忠興の妻。明智光秀の娘。名は玉。ガラシャは洗礼名。高山右近の影響でキリスト教に改宗。関ヶ原の戦いに際し、石田三成に反抗して自殺。  ...
4. ほそかわ‐ガラシャ【細川ガラシャ】
日本国語大辞典
(ガラシャはGracia )安土桃山時代の女性。細川忠興の妻。明智光秀の娘。本名、玉。熱心なキリスト教徒で、ガラシャは洗礼名。忠興に嫁したが、光秀が本能寺で信長 ...
5. ほそかわガラシャ【細川ガラシャ】
国史大辞典
一五六三―一六〇〇 安土桃山時代の代表的なキリシタン女性。細川忠興夫人。永禄六年(一五六三)明智光秀の次女として生まれる。本名玉子、ガラシャGraciaは霊名 ...
6. ほそかわ-がらしゃ【細川ガラシャ】
日本人名大辞典
1563−1600 織豊時代のキリシタン。永禄(えいろく)6年生まれ。明智(あけち)光秀の娘。細川忠興(ただおき)の妻。本能寺の変後,夫により丹後(京都府)味土 ...
7. ほそかわがらしゃ【細川ガラシャ】
日本架空伝承人名事典
ガラシャは「神の恵み」という意味のキリシタン名。明治期になって、キリスト教徒らが彼女を讃えて「細川ガラシャ」と呼ぶようになった。 一五八二年(天正一〇)の本能寺 ...
8. 細川ガラシャ[文献目録]
日本人物文献目録
ども』西村貞『細川ガラシャ』西村真次『ガラシャ玉子夫人』臼井信義『細川ガラシャの生涯』森田草平『細川ガラシア夫人』ホイヴェルス・ヘルマン『細川ガラシャ夫人』森田 ...
9. 明智光秀
世界大百科事典
08初演)において,いっそう鮮明になる。守屋 毅 明智惟任(これとう)日向守 本能寺の変 細川ガラシャ 武智光秀 絵本太功記 ...
10. あけち-みつひで【明智光秀】
日本人名大辞典
1528−1582 戦国-織豊時代の武将。享禄(きょうろく)元年生まれ。細川ガラシャの父。美濃(みの)(岐阜県)の土岐氏の一族とされる。故実,典礼に通じた教養ゆ ...
11. あけち-みつひでの-つま【明智光秀妻】
日本人名大辞典
1535−1582 戦国-織豊時代の女性。天文(てんぶん)4年生まれ。細川ガラシャの母。妻木氏の出身で,名は煕子(ひろこ)とも。光秀の没後,近江(滋賀県)坂本城 ...
12. 梅若六郎
JK Who's Who
都港区)で新作能『伽羅沙―細川ガラシャ―』を発表。「キリスト教の能」をテーマに、シテと演出を担当する。パイプオルガンの伴奏をつけ、戦国武将細川忠興の妻・細川ガラ ...
13. おさきのおか【おさきの岡】京都府:竹野郡/弥栄町/野間村
日本歴史地名大系
味土野 約二〇平方メートルの平坦な丘で、土地の人は女城または御殿といい、細川忠興の妻玉子(細川ガラシャ)の隠れ家があった所と伝える。西北隅のシデの大木の根元に観 ...
14. カルサン【軽衫】
国史大辞典
たのである。文禄・慶長のころには豊臣秀吉や徳川家康をはじめ、ひろく上下にわたって用いられ、細川ガラシャ夫人もその最期の時にこれを着用したという。しかし江戸時代に ...
15. ガラシア【Gracia】
デジタル大辞泉
⇒細川(ほそかわ)ガラシャ  ...
16. ガラシャ
日本人名大辞典
細川ガラシャ(ほそかわ-ガラシャ) ...
17. ガラシャ夫人
日本大百科全書
細川ガラシャ ...
18. ガラシャ‐ふじん【─夫人】
日本国語大辞典
〓ほそかわガラシャ(細川ガラシャ) ...
19. 吉利支丹文学集 2 355ページ
東洋文庫
    5細川ガラシャを描いた小説にしばしば『こんてむつすむん地』のことが出てくる。たとえば、永井路子の『朱なる十字架』では、ひそかにキリシタンの教理に関心を抱 ...
20. 吉利支丹文学集 2 356ページ
東洋文庫
むん地』の文章が引かれるが、すべて本書『吉利支丹文学集』からの引用である。これは三浦綾子『細川ガラシャ夫人』(主婦の友社、一九七五/新潮文庫、一九八六)の場合も ...
21. 熊本[市]
世界大百科事典
2011年には九州新幹線熊本駅が開業した。市内には,1960年に復元された熊本城天主閣,清正をまつる本妙寺,細川ガラシャ夫人の眠る泰勝寺など名勝・史跡が多い。岩 ...
22. しもじょ【霜女】
日本人名大辞典
?−1657 織豊-江戸時代前期の女性。細川ガラシャの侍女。慶長5年関ケ原の戦いのとき石田三成の人質になることをこばんで自害したガラシャから遺言を託される。のち ...
23. しもじょおぼえがき【霜女覚書】
国史大辞典
死。自筆本は細川家に蔵し、『細川家記』一〇に写本を収める。また別本『お志も覚書』がある。→細川ガラシャ(ほそかわガラシャ) (五野井 隆史)  ...
24. 『霜女覚書』
日本史年表
1648年〈慶安元(2・15) 戊子①〉 2・‐ 細川ガラシャ侍女霜、 『霜女覚書』 を著す。  ...
25. セスペデス
日本人名大辞典
イエズス会司祭。天正(てんしょう)5年(1577)長崎に来着。京坂各地で布教,豊臣秀吉に謁見。15年細川ガラシャの入信を手引きした。文禄(ぶんろく)の役には小西 ...
26. そうぜん‐じ【崇禅寺】地図
デジタル大辞泉
嘉吉2年(1442)細川持資が将軍足利義教の菩提(ぼだい)を弔うために伽藍(がらん)を建立。境内に細川ガラシャの墓がある。  ...
27. そうぜん‐じ【崇禅寺】
日本国語大辞典
)行基(ぎょうき)が創建。嘉吉二年(一四四二)細川持賢(もちかた)が再興。境内に足利義教、細川ガラシャ夫人の墓がある。ソーゼンジ ...
28. なかむらうたえもん【中村歌右衛門】[付録]
歌舞伎事典
化粧鏡》などの復活上演、《狐と笛吹き》《鰯売恋曳網》《熊野(ゆや)》《天守物語》《荒絹》《細川ガラシャ夫人》《建礼門院》《伝授山姥》など数々の新作を上演してきた ...
29. 永井路子
日本大百科全書
お市の方を描いた『流星』(1979)、豊臣秀吉の妻おねを主人公とする『王者の妻』(1971)、細川ガラシャを描く『朱なる十字架』(1971)、お市の方の末娘で淀 ...
30. 日本評論
世界大百科事典
1956年に別の出版社から同名の雑誌が1冊出た),そのまま廃刊となった。小説では森田草平《細川ガラシャ夫人》などがあった。松浦 総三 日本評論社 1919年に茅 ...
31. ビセンテ【Vicente】
国史大辞典
またToinとあり、洞院とも称したらしい。翌年安土セミナリヨの教師となり、安土焼亡後、大坂で細川ガラシャの入信を助け、天正の伴天連追放令後は九州に下り、諸キリシ ...
32. ほそかわ【細川】
デジタル大辞泉
姓氏の一。清和源氏。鎌倉中期、足利義康の曽孫義季が三河国細川郷を領したのに始まる。嫡流は室町幕府の管領(かんれい)家となった。 「細川」姓の人物 細川勝元(ほそ ...
33. 細川ガラシア
日本大百科全書
細川ガラシャ ...
34. ほそかわ-ただおき【細川忠興】
日本人名大辞典
1563−1646* 織豊-江戸時代前期の大名。永禄(えいろく)6年11月13日生まれ。細川幽斎の長男。細川ガラシャの夫。父とともに織田信長,豊臣秀吉,徳川家康 ...
35. ほそかわ-ただおきの-つま【細川忠興妻】
日本人名大辞典
細川ガラシャ(ほそかわ-ガラシャ) ...
36. ほそかわ-ただたかの-つま【細川忠隆妻】
日本人名大辞典
慶長5年忠隆が徳川家康の会津攻めにしたがって出陣中,大坂の屋敷にとどまる。石田三成方の人質要求を拒否し義母の細川ガラシャが自殺した際,侍女につれだされ脱出。おこ ...
37. ほそかわ-ただとし【細川忠利】
日本人名大辞典
江戸時代前期の大名。天正(てんしょう)14年10月11日生まれ。細川忠興(ただおき)の3男。母は細川ガラシャ。大坂の陣に徳川方として参戦し,元和(げんな)6年豊 ...
38. マッテオ・リッチ伝 3 183ページ
東洋文庫
日本で細川護煕という人が首相になった。すると夫妻がともにイエズス会経営の上智大学の出身者で祖先に細川ガラシャ夫人がいたことなどがたちまち『タイム』などの有力週刊 ...
39. マッテオ・リッチ伝 3 285ページ
東洋文庫
II-290b 『銅蘭渉筆』 II-290b朴武吉 II-293ボシュエ  Ill-104b細川ガラシャ III-183b細川潤次郎 1-125a,226b,  ...
40. 三浦綾子
日本大百科全書
浴びた。その後『積木の箱』(1967~68)、『塩狩峠(しおかりとうげ)』(1969)、『細川ガラシャ夫人』(1973)、『天北(てんぽく)原野』(1976)『 ...
41. 弥栄(京都府)
日本大百科全書
麓(ふもと)に大規模な丹後森林公園(スイス村)が開設された。南東部の味土野(みどの)には、細川ガラシャ隠棲地の碑がある。黒部銚子山古墳(府指定史跡)など遺跡が多 ...
42. 1600年〈慶長5 庚子〉
日本史年表
修理銘)。 【死没】 2・8 北条氏規(56、武将)。 7・17 中村一氏(武将)。 細川ガラシャ(38、細川忠興室)。 7・19 水野忠重(60、大名) ...
43. 1648年〈慶安元(2・15) 戊子①〉
日本史年表
自身番 ・ 夜番 などについて定める(江戸町触集成・御触及口達)。 【社会・文化】 2・‐ 細川ガラシャ侍女霜、 『霜女覚書』 を著す。 4・11 天海 に ...
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