NHK大河ドラマ「光る君へ」特集
ジャパンナレッジは約1700冊以上の膨大な辞書・事典などが使い放題の「日本最大級のオンライン辞書・事典・叢書」サービスです。
➞ジャパンナレッジについて詳しく見る
  1. トップページ
  2. >
  3. カテゴリ一覧
  4. >
  5. 歴史
  6. >
  7. 日本史
  8. >
  9. 系譜書
  10. >
  11. 寛政重修諸家譜

寛政重修諸家譜

ジャパンナレッジで閲覧できる『寛政重修諸家譜』の国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典のサンプルページ

国史大辞典
寛政重修諸家譜
かんせいちょうしゅうしょかふ
寛政年間(一七八九―一八〇一)に江戸幕府が編修した系譜の書。千五百二十巻目九巻序・条例一冊(千五百三十冊)。文化九年(一八一二)完成。『寛永諸家系図伝』編集の後、『譜牒余録』を経て、系譜の補筆改訂の動きが寛政の初年におこった。寛政三年に「万石以下、拝謁以上のともがら家系を差出すべし」の触書が出され、同五年に大学頭林述斎と若年寄堀田正敦との相談で寛永譜の続集編纂の議が進展した。その後、新資料の発見や寛永譜の訂正が増え、続集ではなく改訂の方針に変わり、同十一年に官制が整えられ、堀田正敦を総裁に、堀田正穀を副に、大目付一人、目付二人、奥右筆組頭一人、奥右筆六人で構成し、新体例の指導には林述斎があたり、編修を開始し、十四ヵ年を費やして完成した。この家譜は、国主・領主をはじめ御目見以上の士について、神代より寛政十年までの世系を立て、寛永以前は大体寛永譜に従い、以後は『譜牒余録』やその他の新資料に拠っている。記載の内容は、母氏・生誕・養子・初見・元服・賜号・婚姻・官爵・班次・襲封・領知・秩禄・入部・職掌・軍旅・公役・恩賞・罪科・慰問・進献・嘉言・善行・致仕・卒去・年齢・法名・葬地・妻室などにわたり、万石以下の士の場合には省略事項もあった。また、徳川氏の三家・三卿・一門は除かれている。序次は、『新撰姓氏録』の例にならって皇別・神別・諸蕃の三種とした。この時の献上本は、現在、内閣文庫に架蔵されており(千五百三十冊)、他に五百九十七冊本(副本で、明治初年の火災で焼け残った分)がある。静嘉堂文庫にも一部(千五百二十巻目録十巻人名録十八巻)ある。編纂完了時に日光東照宮にも副本一部を納めた。この系譜は、近世最大の系譜で、大名と幕臣の系譜と経歴は詳細であって、『徳川実紀』とともに重要な研究資料である。文章は平易簡明であり、また、編者が諸家の呈譜をよく吟味し、疑問のある場合は、一応そのままに採録してあるが、その旨を記して慎重な態度を示している。ただし、出典は一々明記していない。完成時の編纂従事者は計四十六人で、その氏名は条例の末尾に載せてある。御目見以上の士二十人、以下の士二十六人である。このほかに、堀田家の家臣や死亡者・転任者、また他の職からの出役の者を含めると従事者の数はさらに増加する。本書は大正六年(一九一七)から七年に栄進社出版部より、十一年から十二年に国民図書株式会社から刊行され(全九冊)、昭和三十九年(一九六四)から四十二年にかけて『(新訂)寛政重修諸家譜』(二十二冊、索引四冊)として続群書類従完成会より刊行されている。
[参考文献]
柴田実「江戸幕府の修史事業について」(史学会編『本邦史学史論叢』下所収)、日下寛「寛政重修諸家譜考」(『史学会雑誌』一六)
(山本 武夫)


日本大百科全書
寛政重修諸家譜
かんせいちょうしゅうしょかふ

江戸幕府が寛政~文化(ぶんか)年間(1789~1818)に編集した武家系図集。幕府は『寛永諸家系図伝』を補訂、続修するため、1799年(寛政11)に本書の編集に着手し、1812年(文化9)に終了した。この間、若年寄堀田正敦(まさあつ)以下60余名の学者、幕臣が編集に従事した。幕府が貞享(じょうきょう)~寛政年間(1684~1801)に大名、旗本から提出させた家譜に基づいて内容を整え、本文1520巻と目録10巻、合計1530冊の詳細な大系図集が完成した。江戸時代の武家の伝記資料としてもっとも正確、広範で、信頼性が高く、研究資料としてよく利用されている。完成当時の献上本は国立公文書館に保存されており、江戸時代の伝写本や活版本が流布している。
[福井 保]



改訂新版・世界大百科事典
寛政重修諸家譜
かんせいちょうしゅうしょけふ

寛政年間(1789-1801)に江戸幕府が編修した系譜集。1530冊。1812年(文化9)完成。《寛永諸家系図伝》の続集を編修する意図のもとに着手されたが,途中より改訂編修に切り替えられ,1799年に官制を整え,総裁堀田正敦以下を任命し編修を開始,14年を費やして完成した。国主・領主をはじめ御目見(おめみえ)以上の士について1798年までの事跡を記す。徳川諸家については除かれている。献上本は内閣文庫に所蔵。活字本は続群書類従完成会より刊行(22冊,索引4冊)。
[橋本 政宣]

[索引語]
堀田正敦
上記は、日本最大級のオンライン辞書・事典・叢書サービス「ジャパンナレッジ」のサンプル記事です。

ジャパンナレッジは、自分だけの専用図書館。
すべての辞書・事典・叢書が一括検索できるので、調査時間が大幅に短縮され、なおかつ充実した検索機能により、紙の辞書ではたどり着けなかった思わぬ発見も。
パソコン・タブレット・スマホからご利用できます。


寛政重修諸家譜の関連キーワードで検索すると・・・
検索ヒット数 1942
※検索結果は本ページの作成時点のものであり、実際の検索結果とは異なる場合があります
検索コンテンツ
1. 寛政重修諸家譜
日本大百科全書
江戸幕府が寛政~文化(ぶんか)年間(1789~1818)に編集した武家系図集。幕府は『寛永諸家系図伝』を補訂、続修するため、1799年(寛政11)に本書の編集に ...
2. かんせいちょうしゅうしょかふ[クヮンセイチョウシウショカフ]【寛政重修諸家譜】
日本国語大辞典
江戸後期の大名・旗本・御家人らの系図集。一五三〇巻。徳川幕府編。文化九年(一八一二)成立。「寛永諸家系図伝」を全面的に改訂し、新たに諸家に寛政一〇年(一七九八) ...
3. かんせいちょうしゅうしょかふ【寛政重修諸家譜】
国史大辞典
書株式会社から刊行され(全九冊)、昭和三十九年(一九六四)から四十二年にかけて『(新訂)寛政重修諸家譜』(二十二冊、索引四冊)として続群書類従完成会より刊行され ...
4. 寬政重修諸家譜(かんせいちょうしゅうしょかふ)
古事類苑
姓名部 洋巻 第1巻 387ページ ...
5. 寛政重修諸家譜
世界大百科事典
寛政年間(1789-1801)に江戸幕府が編修した系譜集。1530冊。1812年(文化9)完成。《寛永諸家系図伝》の続集を編修する意図のもとに着手されたが,途中 ...
6. 『寛政重修諸家譜』
日本史年表
1799年〈寛政11 己未〉 1・15 幕府、 『寛政重修諸家譜』 の編纂に着手(続実紀)。 1812年〈文化9 壬申〉 12・19 幕府、 『寛政重修諸家譜』 ...
7. あおきむら【青木村】千葉県:鴨川市地図
日本歴史地名大系
元禄郷帳に村名がみえ、高二一一石余。初め幕府領であったが、享保元年(一七一六)旗本大島領となり(「寛政重修諸家譜」・元文村高帳など)、天保一四年(一八四三)武蔵 ...
8. あおきむら【青木村】山梨県:韮崎市
日本歴史地名大系
信時は氏直の誘いを断って父信親・子信安とともに家康陣営に加わり、北条軍が籠る「小沼の小屋」を攻略した(寛政重修諸家譜)。その功もあって、天正一〇年八月一六日、「 ...
9. あおきむら【青木村】静岡県:静岡市/旧有渡郡・庵原郡地区
日本歴史地名大系
府領、同一〇年駿府城代松平勝政領、のち幕府領、元禄一一年(一六九八)旗本坂部領となる(「寛政重修諸家譜」など)。享保一六年(一七三一)の駿府代官所村高帳に村名が ...
10. あおすげむら【青菅村】千葉県:佐倉市地図
日本歴史地名大系
郷口に真言宗豊山派正福寺、陣屋口に浄土宗称念寺がある。正福寺は川口氏三代の葬地であった(寛政重修諸家譜)。称念寺は天正五年(一五七七)の創建といい(印旛郡誌)、 ...
11. あおやぎむら【青柳村】群馬県:館林市
日本歴史地名大系
青柳藩が成立した。元和五年(一六一九)近藤氏は旧領遠江国内を与えられて移り、廃藩となった(寛政重修諸家譜)。寛文郷帳では田方四〇六石余・畑方六六三石六斗余、館林 ...
12. あおやぎむら【青柳村】埼玉県:草加市地図
日本歴史地名大系
医師で旗本の塙宗悦・奈須玄竹に当村内各で五〇〇石が与えられ、幕府領と合せ三給となった(「寛政重修諸家譜」など)。同一二年の旗本二氏分の地詰改帳(藤波家文書)では ...
13. あおやなぎむら【青柳村】茨城県:取手市
日本歴史地名大系
[現]取手市青柳など 北相馬台地東の平坦地に位置する純農村。西北は井野村。「寛政重修諸家譜」によれば井野村に住した本多重次は慶長元年(一五九六)に没し、「其地青 ...
14. あかおむら【赤尾村】山梨県:塩山市
日本歴史地名大系
ほかに大明神(現大石神社)領四石余があった。寛永一〇年(一六三三)から旗本大久保領(元禄郷帳・「寛政重修諸家譜」)、宝永二年(一七〇五)甲府藩領、同七年からは甲 ...
15. あかつつみむら【赤堤村】東京都:世田谷区地図
日本歴史地名大系
服部貞信は天正一八年の徳川家康の関東入国に伴い、武蔵国荏原郡内で二〇〇石の知行地を宛行われた(寛政重修諸家譜)。元禄(一六八八―一七〇四)の地方直しののち幕府領 ...
16. あかぬまむら【赤沼村】埼玉県:比企郡/鳩山町地図
日本歴史地名大系
の相給。ほかに地内円正寺領があった。「風土記稿」成立時には同三家と岩槻藩領の四給。なお「寛政重修諸家譜」によると大里郡・比企郡などで六千石を領していた旗本内藤上 ...
17. あかはまむら【赤浜村】埼玉県:大里郡/寄居町地図
日本歴史地名大系
余を宛行われた(昌国寺文書)。長勝は徳川家康と従兄弟の関係にあり、同月旗本に取立てられ(寛政重修諸家譜)、菩提寺として曹洞宗昌国寺を開基。慶長四年(一五九九)同 ...
18. あきやまむら【秋山村】埼玉県:大里郡/寄居町地図
日本歴史地名大系
)のこととも考えられる。同一八年の徳川家康関東入国後、旗本成瀬吉右衛門の知行地となる(「寛政重修諸家譜」など)。田園簿に村名はみえず、元禄郷帳・天保郷帳では三品 ...
19. あぐまむら【阿熊村】埼玉県:秩父郡/吉田町地図
日本歴史地名大系
元治元年(一八六四)安房船形藩領となり、同藩領で明治維新に至ったと考えられる(「風土記稿」「寛政重修諸家譜」「郡村誌」など)。貞享四年(一六八七)には当村下郷内 ...
20. あけとむら【明戸村】埼玉県:大里郡/川本町地図
日本歴史地名大系
宝暦六年(一七五六)大久保氏に継嗣がなく、知行地は収公されてすべてが幕府領となる(以上「寛政重修諸家譜」)。「風土記稿」による家数二二。天保元年(一八三〇)忍藩 ...
21. あげおじゅく【上尾宿】埼玉県:上尾市地図
日本歴史地名大系
石の内に含まれていたとみられ、元和四年(一六一八)西尾氏の常陸土浦移封により収公された(寛政重修諸家譜)。田園簿では上尾町とあり、田三九八石余・畑七〇三石余。内 ...
22. あげたむら【上ヶ田村】静岡県:裾野市
日本歴史地名大系
宝永二年(一七〇五)残りの幕府領(西分)も旗本安藤領となり、以後旗本両家の相給で幕末に至った(「寛政重修諸家譜」・旧高旧領取調帳・柏木家文書・渡辺家文書・志村家 ...
23. あげなりまつむら【上成松村】兵庫県:氷上郡/氷上町
日本歴史地名大系
日損・水損少しあり。同藩領。慶安三年(一六五〇)幕府領、元禄八年(一六九五)近江山上藩領となり(「寛政重修諸家譜」など)、国立史料館本元禄郷帳では同藩領。同一二 ...
24. あげまき【総角】
国史大辞典
諸家紋』には、総角を布施・丹下・神保の諸氏とし、枠の中の総角を和州の布施氏としている。『寛政重修諸家譜』には、総角紋を三善姓の布施氏の所用という。→美豆良(みず ...
25. あこうし【赤穂市】兵庫県
日本歴史地名大系
田輝政領(寛政重修諸家譜)、同一八年備前岡山藩領となり、同二〇年赤穂藩(池田氏)領。正保二年(一六四五)まで同藩領として続くが、藩主池田輝興改易のため一時幕府領 ...
26. あこうじょうあと【赤穂城跡】兵庫県:赤穂市/赤穂城下
日本歴史地名大系
平福(現佐用町)から入封し、政綱領を引継いだ(校正池田氏系譜・「寛政重修諸家譜」)。正保二年輝興は乱心のため改易(寛政重修諸家譜)、外様の浅野長直が常陸国笠間( ...
27. あごむら【安居村】静岡県:静岡市/旧有渡郡・庵原郡地区
日本歴史地名大系
正保三年(一六四六)没した(「寛政重修諸家譜」など)。照久の子息照清は寛文四年(一六六四)祭主を辞して久能山総御門番を勤め、以後榊原家は代々同職に就いた(寛政重 ...
28. あさいぐん【朝夷郡】千葉県:安房国
日本歴史地名大系
比奈の訓がみえ、「延喜式」民部省ではアサヒナと訓を付す。「和名抄」名博本ではアサイナ、「寛政重修諸家譜」では「あさい」としている。中世には朝平郡または朝平南郡な ...
29. あさかむら【朝坂村】兵庫県:氷上郡/氷上町
日本歴史地名大系
日損・水損少しあり。柏原藩領。慶安三年(一六五〇)幕府領、天和三年(一六八三)旗本柴田領となり(「寛政重修諸家譜」など)、国立史料館本元禄郷帳でも同領。「丹波志 ...
30. あさくさぶんこ【浅草文庫】
国史大辞典
建てて和漢書数万冊を蔵し、世にこれを「浅草文庫」と称したが、のちに火災に焼亡したと伝える。しかし『寛政重修諸家譜』の正盛の条にはこれについての記載はみえない。幕 ...
31. あさくらむら【浅倉村】兵庫県:城崎郡/日高町
日本歴史地名大系
れていたとする説があるが確かではない。元和五年(一六一九)以後は江戸後期まで出石藩領(「寛政重修諸家譜」「寛文朱印留」、宝永三年「仙石政明知行目録」・天保一〇年 ...
32. あさごぐん【朝来郡】兵庫県
日本歴史地名大系
郡名は古代には「安佐古」(和名抄)・「アサコ」(「延喜式」民部省)とあり、近世後期にも「あさこ」とあるが(寛政重修諸家譜)、明治期にアサゴとよぶようになっている ...
33. あさづまじょうあと【朝妻城跡】滋賀県:坂田郡/米原町/朝妻村
日本歴史地名大系
天正一一年(一五八三)に羽柴秀吉の命で摂津山崎(現大阪府三島郡島本町)に移封されており(寛政重修諸家譜)、この時点で廃城になったと考えられる。城跡に比定される中 ...
34. 浅羽氏
世界大百科事典
同国入間郡浅羽を名字としたものと解し,《太平記》にも児玉党の一族として浅羽があげられている。《寛政重修諸家譜》にみえる旗本の浅羽氏にはその先祖を遠江と武蔵とする ...
35. あさりむら【浅利村】山梨県:東八代郡/豊富村
日本歴史地名大系
と旗本跡部氏と岩間正次・岩間正成の知行地がある。岩間正次(正森)と正成は親子と思われる(寛政重修諸家譜)。元禄郷帳によると跡部氏と岩間氏の知行と諏訪神領がある。 ...
36. あざまむら【阿佐間村】埼玉県:北埼玉郡/大利根町地図
日本歴史地名大系
石余が久喜藩領となっており、寛政一〇年(一七九八)に藩主米津氏の転封に伴い上知された(「寛政重修諸家譜」、文久三年「米津家由緒書」学習院大学史料館蔵児玉氏収集資 ...
37. あしたやしき【芦田屋敷】福井県:福井市/福井城下
日本歴史地名大系
を殺し除封されたが、結城秀康に招かれ、名を加藤康寛(号宗月)と変えて越前松平氏に仕えた(寛政重修諸家譜)。その子孫は芦田氏を名乗り、福井藩の重臣であった。芦田屋 ...
38. あしのじょうあと【芦野城跡】栃木県:那須郡/那須町/芦野町
日本歴史地名大系
政泰の子資泰の遺領を正保三年(一六四六)に継いだ資俊の所領は那須・芳賀両郡内で新田を含め三千一〇石余(「寛政重修諸家譜」など)。元禄郷帳によると所領は那須郡内一 ...
39. あしのやむら【芦谷村】愛知県:額田郡/幸田町
日本歴史地名大系
取られた件がある。後裔として永禄四年(一五六一)に酒井正親付属に芦野谷源七某が出ている(寛政重修諸家譜)。近世の当村地頭の内藤家の文書によると、碧海郡上野(現豊 ...
40. あしやむら【芦屋村】兵庫県:美方郡/浜坂町
日本歴史地名大系
・寛永一六年知高帳・元禄郷帳・宝暦七年但馬国高一紙、「但馬国高附郡訳手控」岡田家文書、「寛政重修諸家譜」「断家譜」、「二方郡城主時代記」竹中家文書など)。郡中惣 ...
41. あすまむら【遊馬村】埼玉県:大宮市地図
日本歴史地名大系
慶安四年(一六五一)旗本本目氏は当村の内で采地を与えられ四給となり、以後幕末まで変わらなかった(「寛政重修諸家譜」、寛政八年「足立郡村々高辻帳」都築家文書、改革 ...
42. あそうじんやあと【麻生陣屋跡】茨城県:行方郡/麻生町/麻生村
日本歴史地名大系
下野国芳賀・都賀・河内の八郡に三万余石を与えられ、麻生を根拠地としたことに始まる(新庄家譜、寛政重修諸家譜)。延宝四年(一六七六)嗣子が無く断絶したが、同年に支 ...
43. あそうむら【麻生村】愛知県:額田郡/額田町
日本歴史地名大系
親忠は滝脇(現豊田市)松平氏の乗清を麻生城に入れた。麻生城は乗清・親正・清房・忠相が相続したとしている。「寛政重修諸家譜」では、親正の次男が出家して文盈と称し阿 ...
44. あだちぐん【足立郡】埼玉県:武蔵国
日本歴史地名大系
現川口市)に住んだ(「寒松日記」など)。万石以下の中・下級家臣は、阿部正勝が「市原」(「寛政重修諸家譜」には鳩谷郷とある。現鳩ヶ谷市)で五千石、牧野康成が石戸( ...
45. あなせむら【穴瀬村】茨城県:行方郡/北浦村
日本歴史地名大系
賀保・皆川各氏領を経て、元禄一三年(一七〇〇)守山(松川)藩松平氏領となる(徳川加封録、寛政重修諸家譜)。寛政元年(一七八九)の常州御領銘細帳写(宮内家蔵)には ...
46. あのりむら【安乗村】三重県:志摩郡/阿児町
日本歴史地名大系
内膳の支城と考えられる。関ヶ原の戦で九鬼嘉隆・守隆父子が相戦ったとき守隆がここに拠った(寛政重修諸家譜)。近世を通じて鳥羽藩領で答志郡に属した。志州四箇津(安乗 ...
47. あべぐちしんでん【安倍口新田】静岡県:静岡市/旧安倍郡地区
日本歴史地名大系
谷領、残りが同本多領となるが、宝暦元年(一七五一)本多領は再び幕府領となり幕末に至る(「寛政重修諸家譜」など)。旧高旧領取調帳では幕府領三〇一石余・石谷領四七石 ...
48. あまかすむら【甘粕村】埼玉県:大里郡/寄居町地図
日本歴史地名大系
享保一八年(一七三三)幕府領となる経緯は木持村と同じ。寛保三年(一七四三)旗本逸見領となる(「寛政重修諸家譜」など)。「風土記稿」による家数二二。明治六年(一八 ...
49. あまがたむら【天方村】静岡県:周智郡/森町
日本歴史地名大系
当村権現(白山社)領五石を含む寺社領二三ヵ所分は七二石余とある。元禄一〇年(一六九七)旗本花房領となり(寛政重修諸家譜)、元禄郷帳では高三三五石余。旧高旧領取調 ...
50. あまだんじんやあと【天谷陣屋跡】福井県:丹生郡/朝日町/天谷村
日本歴史地名大系
正徳四年(一七一四)四代正与の妹殺害事件が発端で知行所農民と確執が生じ、越前国丹生郡内に所領替が行われた(寛政重修諸家譜)。その領分は天谷、宿堂・別所(うち五〇 ...
「寛政重修諸家譜」の情報だけではなく、「寛政重修諸家譜」に関するさまざまな情報も同時に調べることができるため、幅広い視点から知ることができます。
ジャパンナレッジの利用料金や収録辞事典について詳しく見る▶

寛政重修諸家譜と同じ系譜書カテゴリの記事
新撰姓氏録(日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典・国史大辞典)
815年(弘仁6)に編纂された古代氏族の系譜書。本書の編纂は799年(延暦18)、諸国に本系帳の撰上を命じたことに始まる。814年に至り万多親王、藤原園人、同緒嗣らによって完成されたが、さらに源朝臣の条などを追加し、不備な点を補って翌年に
寛政重修諸家譜(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
寛政年間(一七八九―一八〇一)に江戸幕府が編修した系譜の書。千五百二十巻目九巻序・条例一冊(千五百三十冊)。文化九年(一八一二)完成。『寛永諸家系図伝』編集の後、『譜牒余録』を経て、系譜の補筆改訂の動きが寛政の初年におこった
寛永諸家系図伝(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
「しょか」は「しょけ」と読む人もある。寛永年間(一六二四―四四)に江戸幕府が編修した系譜の書。仮名本・真名本各百八十六冊。松平氏・清和源氏・平氏・藤原氏・諸氏の五種、および医者・同朋・茶道の三類に分類して収めてある
系図纂要(国史大辞典)
皇室および諸氏・諸家の系図を集成した書物。飯田忠彦が編集したものとみられる。内閣文庫本は百三冊。ただしもとこれと一具をなしたと思われる一冊が東大史料編纂所に蔵せられ、現伝の形で完具するか否か一考の余地がある。成立年代は本文に安政四年(一八五七)までの記事を含むことや
尊卑分脈(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
諸氏の系図を集成・編集した書物。洞院公定原撰。現行の本には欠逸した部分があり、また後人の追補・改訂も多いとみられる。伝本によって収載する系図に出入・異同があり、その配列も区々で、原形を復原推定することは困難である。江戸時代の刊本『諸家大系図』は十四冊
系譜書と同じカテゴリの記事をもっと見る


「寛政重修諸家譜」は日本の歴史に関連のある記事です。
その他の日本の歴史に関連する記事
長篠の戦(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
天正三年(一五七五)五月二十一日織田信長・徳川家康連合軍が武田勝頼の軍を三河国設楽原(したらがはら、愛知県新城(しんしろ)市)で破った合戦。天正元年四月武田信玄が没し武田軍の上洛遠征が中断されると、徳川家康は再び北三河の奪回を図り、七月二十一日長篠城
姉川の戦(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
元亀元年(一五七〇)六月二十八日(新暦八月十日)、現在の滋賀県東浅井郡浅井町野村・三田付近の姉川河原において、織田信長・徳川家康連合軍が浅井長政・朝倉景健連合軍を撃破した戦い。織田信長は永禄の末年(永禄二年(一五五九)・同七年・同八―十年ごろという
平成(国史大辞典)
現在の天皇の年号(一九八九―)。昭和六十四年一月七日天皇(昭和天皇)の崩御、皇太子明仁親王の皇位継承に伴い、元号法の規定により元号(年号)を平成と改める政令が公布され、翌一月八日より施行された。これは、日本国憲法のもとでの最初の改元であった。出典は
河原者(新版 歌舞伎事典・国史大辞典・日本国語大辞典)
江戸時代に、歌舞伎役者や大道芸人・旅芸人などを社会的に卑しめて呼んだ称。河原乞食ともいった。元来、河原者とは、中世に河原に居住した人たちに対して名づけた称である。河川沿岸地帯は、原則として非課税の土地だったので、天災・戦乱・苛斂誅求などによって荘園を
平安京(国史大辞典・日本歴史地名大系・日本大百科全書)
延暦十三年(七九四)に奠(さだ)められた日本の首都。形式的に、それは明治二年(一八六九)の東京遷都まで首府であり続けたが、律令制的な宮都として繁栄したのは、承久二年(一二二〇)ころまでであって、その時代から京都という名称が平安京の語に替わってもっぱら
日本の歴史に関連する記事をもっと見る


ジャパンナレッジは約1700冊以上(総額750万円)の膨大な辞書・事典などが使い放題の「日本最大級のインターネット辞書・事典・叢書サイト」です。日本国内のみならず、海外の有名大学から図書館まで、多くの機関で利用されています。
ジャパンナレッジの利用料金や収録辞事典について詳しく見る▶