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曽我物語

ジャパンナレッジで閲覧できる『曽我物語』の国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典のサンプルページ

国史大辞典
曾我物語
そがものがたり
曾我十郎祐成(すけなり、幼名一万)・五郎時致(ときむね、幼名箱王)の兄弟が、十八年間の苦難に耐え、建久四年(一一九三)五月、富士野の狩場に父祐通(一説に祐重・祐泰)のかたき工藤祐経を討つまでを語る、軍記物語風の伝記物語。仇討ちは果たしながら、横さまの死をとげねばならなかった兄弟の霊魂が、その思いを、霊媒としての巫女に語らせるところから、その伝承が始まった。古く、死者の霊魂が浮遊したと考えられる箱根にかかわりを有した修験比丘尼が、その伝承者のはじめと考えられる。これを物語として固定した編著者については、『神道集』を生み出した安居院(あぐい)の唱導者、時衆教団、上野国ゆかりの神人団、下野宇都宮氏の関係者などが考えられるが定まらない。おそらく物語の生成流伝にこれらの諸団体がかかわったのであろう。現在でも、農耕生活上、兄弟の霊が五月のさまざまの災厄や虫害をなすという民俗が東国に伝わることから考えても、曾我兄弟の伝承が、兄弟の果てた関東の御霊信仰に源を発したことは確かである。鎌倉時代末期から南北朝時代にかけて物語は成立するが、当時の古態をより忠実に伝える十巻の真字本系諸本(妙本寺本。角川源義編『貴重古典籍叢刊』、山岸徳平・中田祝夫編影印本など)のほか、十巻(太山寺本。荒木良雄校注)もしくは、『平家物語』にならって十二巻に仕立てた流布本(市古貞次・大島建彦校注『日本古典文学大系』八八)などの仮名本系諸本が伝わる。その仮名本は、現存真字本の原型を母胎とするものであるが、真字本が有した関東の土俗性から離れ、訓蒙性を増し、類型化を伴いつつ物語として完成を見たものである。中世の開幕に、京都王朝に拮抗し得る拠点を関東に設けた源頼朝の存在意義は大きく、その秩序は東国人の生活に大きな影響を与え、これが文学にも及んだ。『曾我物語』も、この状況のもとに成り立った。兄弟の仇討ちは、藤原南家の子孫で伊豆に住む狩野氏の一門、工藤と河津(伊東)の所領争いに端を発する。河津三郎祐重が、その父祐親のひき起した工藤祐経との対立にまき込まれ横死をとげる。その遺児である兄弟の、亡父への思慕が、かたき祐経への憎悪をかき立て、兄弟は仇討ちを決意する。しかし源頼朝の武威により世の秩序は回復している。それをあえて乱そうとする兄弟の行動は、秩序に対する叛逆である。それに兄弟の祖父祐親は、かつて頼朝が伊豆に流人として源氏再興を志した初期の段階で、わが娘と頼朝との仲を裂き、二人の間に生まれた男児を殺し、さらに頼朝を討とうとしたことがあり、この祖父の所行からも兄弟は叛逆児であることを余儀なくされていた。兄弟はこれらを十分に承知し、自分たちが秩序に対する罪人であることを自覚しつつ、仇討ちの初志を貫こうとする。一方、かたきの祐経は、頼朝の寵臣として秩序の側にある。それに、祐重が横死をとげた直後、兄弟に仇討ちを誓わせた母が、一門の曾我祐信と再婚する。兄弟も、この義父に養育されることになって、母は身辺の平穏を望み、仇討ちの志を捨てさせようとする。このような諸般の事情が、兄弟の仇討ちを一層困難にするわけである。物語は、兄弟の幼時から、その苦難と、人々や神々の援助による仇討ちの成就を語る。しかも、その行動が叛逆であるがゆえに、兄弟は非業の死をとげねばならず、兄弟もあらかじめ事なってのちの死を覚悟していた。物語によれば、頼朝が兄弟の志を感じて名誉を回復させ、それに兄弟の死を悲しむ母と、十郎の恋人虎御前の、兄弟の供養(鎮魂)、それに東国の人々の共感とおそれが、兄弟を御霊神に昇華させた。もともと土俗信仰に結び付いて成立した物語(真字本系)は瞽をうつ盲御前や、絵解(えとき)法師の語り物として行われ、やがて京都にもたらされて物語(仮名本系)として完成した。流伝を通して、その完成の土壌をなした幸若舞曲・能・室町時代の物語、さらには近世の浄瑠璃・歌舞伎・各種草子にも、いわゆる曾我物として再生し続けることで国民文学となった。
[参考文献]
塚崎進『物語の誕生』(『民俗民芸双書』四二)、山下宏明『軍記物語と語り物文芸』、村上学・徳江元正・福田晃編『彰考館蔵曾我物語』下(『伝承文学資料集』一〇)、角川源義『語り物文芸の発生』、村上学『曾我物語の基礎的研究』、福田晃「曾我語りの発生」(『立命館文学』三二九―三三三・三七三・三七四)
(山下 宏明)


日本大百科全書
曽我物語
そがものがたり

軍記物語。作者不明。真名本(まなぼん)(擬漢文体)10巻、大石寺本(たいせきじぼん)10巻、仮名第一次本10巻、同第二次本12巻。原型は1285年(弘安8)11月以前に成立していたかと推測され、『吾妻鏡(あづまかがみ)』にこれに近い記事が載る。真名本・仮名第一次本は14世紀後半(南北朝期)にそれぞれ原型を改訂増補して成立したものであろう。大石寺本は16世紀後半に真名本を延べ書きで抄出したもの。
伊豆(いず)国久須美庄(くすみのしょう)(静岡県伊東市の一帯)の相続をめぐり工藤祐経(くどうすけつね)と伊東祐親(いとうすけちか)とが争い、祐経に暗殺された河津祐通(かわづすけみち)(伊東祐親の子)の遺児曽我十郎祐成(すけなり)(幼名一万)とその弟五郎時致(ときむね)(幼名箱王(はこおう))の兄弟が辛苦のすえ、1193年(建久4)5月28日に源頼朝(よりとも)の寵臣(ちょうしん)としてその富士野遊猟に付き従った祐経を井出(いで)(富士宮市)の宿営地で討ち、十郎は斬(き)り死にをし、五郎は捕らえられて処刑された事件を筋の中心とする。物語は、兄弟の忍苦の生涯に、その母や十郎の愛人大磯(おおいそ)宿の遊女虎(とら)の愛情物語を配したものであるが、背景として頼朝が鎌倉幕府体制を樹立する過程で、伊東祐親が頼朝と自分の娘との仲を裂き、頼朝の子を川へ沈めるなど、その怨恨(えんこん)の対象となるいきさつを述べて、曽我兄弟の仇討(あだうち)が私闘の域にとどまらず、将軍の仇敵(きゅうてき)の孫が寵臣を暗殺するという体制反逆の事件としての意味づけをしている。そのためこの事件は、仇討には成功しても兄弟は謀反人として生命を奪われざるをえないという悲劇的性格を有することとなり、それが逆に兄弟の復讐(ふくしゅう)心の純粋さを保証することとなって、事件後出家した虎の純情さとあわせて、後世に人気を博する原因となった。
もともとこの物語の原型は、忍苦の生涯を送った兄弟の怨霊(おんりょう)を鎮魂するために在地で発想されたと考えられており、その性格は真名本に直接受け継がれている。真名本は関東地方の本地説話を集めた『神道集(しんとうしゅう)』と共通する特殊な当て字や文章が多量に含まれ、箱根権現(ごんげん)を軸とする宗教色と地方的性格が強くみられる。これに対し仮名本は、いわゆる「切兼(きりがね)曽我」や「和田酒盛」の場面など劇的な場面構成には富むが、歴史性と在地的なリアリティーは消去され、京都での改作と考えられる。一般に流布したのは仮名本で、演劇の曽我物の淵源(えんげん)となり、また近世には『絵本曽我物語』『曽我勲功記』『陰顕曽我物語』などの実録小説を生んだ。
[村上 学]


『曽我物語』[百科マルチメディア]
『曽我物語』[百科マルチメディア]
仮名十二巻本 巻1 1627年(寛永4)刊 国立国会図書館所蔵


改訂新版・世界大百科事典
曾我物語
そがものがたり

軍記物ふうの英雄伝記物語。作者不詳。鎌倉後期から室町初期にかけての成立。伝本に真字本(10巻)と仮名本(10巻,または12巻)とがある。1193年(建久4)5月28日夜,曾我十郎祐成(すけなり)・同五郎時致(ときむね)兄弟が父の敵工藤祐経(すけつね)を討ち取った事件を中心に構成された物語で,この仇討の原因となった伊東家同族間の所領争い,祐経による兄弟の父河津三郎の暗殺,母の曾我氏への再嫁などから物語が始められる。次いで兄弟の生い立ちや貧困に耐えながら助け合い励まし合って敵をねらうさまが描かれ,ついに復讐をとげる。時代的な背景として源頼朝の旗揚げや開幕に至る過程をからませ,狩りのようす,新(仁)田四郎の猪退治,河津三郎・俣野五郎の相撲など,関東武士の行動や気質も描かれ,大磯の宿の遊女虎(とら)と十郎祐成との恋なども配されている。仇討の後,兄弟の忠実な家来鬼王・道(団)三郎が高野山で出家し,虎は箱根で兄弟の菩提を弔い,みずからも出家して諸国を回国修行し,ついに大磯の高麗寺で往生をとげるまでの後日談で終わっている。

《吾妻鏡》にもこの仇討事件ばかりでなく,虎が箱根で仏事を修し,出家して善光寺におもむいたことが記されているところから,曾我兄弟の物語は事件直後からある程度まとまった形で語り伝えられたものと考えられる。おそらくそれは激しく祟(たた)る五郎や十郎の御霊を慰撫する鎮魂のために,冥界の消息に詳しい遊行の巫女や回国の比丘尼などが口頭で語り伝えたのであろうとされている。真字本をみると,関東武士の動向に強い関心を示すなど同時代的性格をもつが,他方では《神道集》や《宝物集》などにみえる諷誦唱導文ふうの文章と同じものが多く含まれている。このことから,先の口頭による曾我兄弟の物語が安居院(あぐい)の唱導とも関係しながら伝えられ,鎌倉後期に箱根山の僧などによってまとめられたのが真字本の祖本ではないかと考えられている。これに比べて,仮名本は唱導的な色彩が薄れ,登場人物にはっきりとした輪郭が与えられ,全体の構成の緊密さを犠牲にしてまでも各場面での劇的な盛上がりを作り出そうとする傾向がみられ,例えば巻三〈畠山重忠乞い許さるる事〉での御家人たちの兄弟助命の嘆願や頼朝と重忠との議論,巻六〈大磯の盃論(さかずきろん)の事〉での虎の心意気をみようとしてくりひろげられる十郎祐成と和田義盛との対決,その直後の五郎時致と朝比奈義秀との草摺引(くさずりびき)などは仮名本特有の趣向である。仮名本は京都近辺で室町前期に再修・増補されたものと考えられている。後の謡曲に《切兼曾我》《小袖曾我》など,幸若舞に《和田酒盛》《夜討曾我》など,多くの曾我物があり,これらは直接仮名本に取材したといえないまでも,劇的な盛上がりをみせるという点で,仮名本の傾向に通じるものがある。近世に入っても仮名本が広く読まれたらしく,多種の刊本があり,謡曲・幸若舞の曾我物とともに,浄瑠璃・歌舞伎に大きな影響を与えた。
→曾我兄弟 →虎御前
[村上 学]

[索引語]
曾我十郎 曾我五郎
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11. あいざわはら【藍沢原】静岡県:駿東郡
日本歴史地名大系
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12. あい‐ちか・い[あひ‥]【相近】
日本国語大辞典
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13. あい‐つ・ける[あひ‥]【相付】
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14. あ・う[あふ]【合・会・逢・遭】
日本国語大辞典
前〕八・名虎「せい小さう妙(たへ)にして、片手にあふべしとも見えぬ人」(ニ)道理にかなう。*曾我物語〔南北朝頃〕三・臣下ちゃうしが事「さあらんにとりては、あはざ ...
15. あえ‐な・い[あへ‥]【敢無】
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16. あお に 衣(ころも)
日本国語大辞典
(襖の上に衣を重ねて着るという意から)物事が重なることのたとえ。*曾我物語〔南北朝頃〕八・屋形まはりの事「日ごろは親の敵、ただ今は日の敵、あをにころもをかさねて ...
17. あおのき‐ざま[あふのき‥]【仰様】
日本国語大辞典
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18. あかざわむら【赤沢村】静岡県:伊東市
日本歴史地名大系
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19. あか ず
日本国語大辞典
々あかず思ひてみな泣くを、をさなき心地には、ましてこのやどりを立たむことさへあかずおぼゆ」*曾我物語〔南北朝頃〕四・三浦の片貝が事「十郎は、ちぢに腹をきり、うち ...
20. あきげ の 行縢(むかばき)
日本国語大辞典
柿(ひきがき)したる摺尽(すりづく)しの直垂(ひたたれ)にあきげの行縢(むかばき)はいて」*曾我物語〔南北朝頃〕八・富士野の狩場への事「紺小袴(こんこはかま)、 ...
21. あき の 鹿(しか)は笛(ふえ)に=寄(よ)る[=心(こころ)を乱(みだ)す]
日本国語大辞典
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22. あき の 野(の)
日本国語大辞典
(みへ)がさねの御唐衣(からごろも)に、あきののをぬひものにし、ゑにもかかれたるにやとぞ」*曾我物語〔南北朝頃〕七・千草の花見し事「よくはなけれ共、紋柄おもしろ ...
23. あくごう‐ぼんのう[アクゴフボンナウ]【悪業煩悩】
日本国語大辞典
*百座法談〔1110〕三月八日「慈悲忍辱の衣にはむかれなむ人は悪業煩悩の病もすなはちのぞかり」*曾我物語〔南北朝頃〕一一・鬼の子とらるる事「我らは、悪ごうぼんな ...
24. あくじ 千里(せんり)を=行(ゆ)く[=走(はし)る]
日本国語大辞典
」による)悪い行ないや悪い評判はたちまち世間に知れ渡るということ。悪事千里。*曾我物語〔南北朝頃〕一〇・伊豆二郎が流されし事「扨も悪事千里をはしるならひにて、伊 ...
25. あく‐じょ[‥ヂョ]【悪女】
日本国語大辞典
〔名〕(1)容貌の醜い女。醜女。〓美女。*曾我物語〔南北朝頃〕二・橘の事「当腹二人は、ことの外あく女なり」*虎清本狂言・鏡男〔室町末〜近世初〕「かしら ...
26. あく は 一旦(いったん)の事(こと)なり
日本国語大辞典
悪事が通用するのは一時的なものであって、結局は正義にかなわない。*曾我物語〔南北朝頃〕二・奈良の勤操僧正の事「されば悪は一旦の事なり、小利ありといへども、終には ...
27. あくりょう‐しりょう【悪霊死霊】
仏教語大辞典
悪霊や怨みを抱いてたたりをする死者のたましい。 曾我物語 八・富士野の狩場への事 「自害して悪霊死霊ともなりて本意をとげん」  ...
28. あけ に 染(そ)まる
日本国語大辞典
(血まみれになって)赤い色に染まる。*寛永版曾我物語〔南北朝頃〕九・十番斬の事「あけにそまりたる友切真甲にさしかざし、電(いなづま)の如くに飛んで掛かる」*浄瑠 ...
29. あけ ぬ 暮(く)れぬ
日本国語大辞典
0〕雑中・一九一一「鐘の音は明けぬ暮ぬときけど猶おどろかぬ身のはてぞかなしき〈藤原実香〉」*曾我物語〔南北朝頃〕一・河津がうたれし事「一日片時も、ただしのぶべき ...
30. あさくら‐がえし[‥がへし]【朝倉返】
日本国語大辞典
〈末〉我が居れば名宣りをしつつ行くは誰」とある、「我が居れば」を返してうたうことをいうか。*曾我物語〔南北朝頃〕四・鎌倉殿箱根御参詣の事「あさくらがへしの謡物は ...
31. あさ‐ぐろ・い【浅黒】
日本国語大辞典
あさぐろ・し〔形ク〕少し黒い。薄黒い。多く皮膚の色についていう。*曾我物語〔南北朝頃〕一・おなじく相撲のこと「菩薩なりにして色あさぐろく、丈は六尺二分」*評判記 ...
32. あさ の 衣(ころも)
日本国語大辞典
。*散木奇歌集〔1128頃〕冬「風ふけばとなせに落すいかだしのあさの衣に錦をりかく」*寛永版曾我物語〔南北朝頃〕一二・虎と少将法然に逢ひ奉りし事「麻のころも紙の ...
33. 朝比奈義秀
世界大百科事典
かれているわけではない。《源平盛衰記》などに一騎当千の女武者巴御前の子であったとするほか,《曾我物語》に曾我兄弟のよき理解者として登場し,五郎との力比べのことが ...
34. あさひなよしひで【朝比奈義秀】
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宮崎県西臼杵郡「あさまにゃくるうぇー(暗い)うち」038全国方言資料(日本放送協会)1966~67曾我物語五・三原野の御狩の事「夜るならばこうこうとこそ鳴くべき ...
36. あさ‐ま【朝間】
日本国語大辞典
〔名〕(1)朝のうち。朝のあいだ。*曾我物語〔南北朝頃〕五・三原野の御狩の事「夜るならばこうこうとこそ鳴くべきにあさまに走る昼狐かな」*実隆公記‐文明八年〔14 ...
37. あさま【浅間】
日本国語大辞典
の略。*山家集〔12C後〕中「いつとなくおもひに燃ゆる我身哉あさまのけぶりしめる世もなく」*曾我物語〔南北朝頃〕五・浅間の御狩の事「信濃のあさまをからるべきにて ...
38. あさまし・い【浅】
日本国語大辞典
が強者の気に入られようとする浅間敷(アサマシ)い世辞笑をしてから」(8)地位や身分が低い。*曾我物語〔南北朝頃〕六・曾我にて虎が名残おしみし事「わらはは大磯の君 ...
39. あし‐がる【足軽】
日本国語大辞典
以上并武家御扶持人例書・三「武家之足軽中間之類は、百姓町人等御仕置同様」(4)足の早い人。*曾我物語〔南北朝頃〕五・五郎、女に情かけし事「『申べき子細候、しばし ...
40. あした‐ゆうべ[‥ゆふべ]【朝夕】
日本国語大辞典
聞えつるにこそ命も延び侍りつれ」*名語記〔1275〕三「あしたゆふべの食物をはむといへり」*曾我物語〔南北朝頃〕一一・箱根にて仏事の事「かの一条摂政謙徳公の二人 ...
41. あし‐だか【足高】
日本国語大辞典
2頃〕根合「白き鳥どものあしだかにて立てまつるも」【二】〔名〕(1)足の高い器物。*大石寺本曾我物語〔南北朝頃〕一〇「彼等が首を足高に入て曾我の里へ送葬せよ」( ...
42. あし‐ぬき【足抜】
日本国語大辞典
〔名〕(1)足を抜きあげるようにして音を立てずに歩くこと。抜き足。*曾我物語〔南北朝頃〕四・小二郎かたらひえざること「五郎も足ぬきしてたちけるが」*両足院本周易 ...
43. あしひき‐の【足引─】
日本国語大辞典
〇「いつのまにさ月来ぬらんあしひきの山郭公(やまほととぎす)今ぞ鳴くなる〈よみ人しらず〉」*曾我物語〔南北朝頃〕二・兼隆聟にとる事「足にまかせて、あしびきの山路 ...
44. あ‐じ【阿字】
仏教語大辞典
観ずる阿字観により、真理を体得できるとして極めて重視する。 塵添壒囊鈔 五・五九 「阿字者仏心也」 曾我物語 七・三井寺大師の事 「山河大事(地)、こと ...
45. あじ‐ほんぷしょう[‥ホンプシャウ]【阿字本不生】
日本国語大辞典
うることきはめてかたし」*徒然草〔1331頃〕一四四「こはめでたき事かな。阿字本不生にこそあなれ」*曾我物語〔南北朝頃〕九・波斯匿王の事「『万法一如(まんぼうい ...
46. あじ‐ほんぷしょう【阿字本不生】
仏教語大辞典
阿字本不生(一切の事物は真実そのもののすがたであるということ)を観想すること。また、その観想。 曾我物語 九・波斯匿王の事 「万法一如にして、阿字本不生の観おな ...
47. 阿字本不生の観
仏教語大辞典
阿字本不生(一切の事物は真実そのもののすがたであるということ)を観想すること。また、その観想。 曾我物語 九・波斯匿王の事 「万法一如にして、阿字本不生の観おな ...
48. あずさ‐ゆみ[あづさ‥]【梓弓】
日本国語大辞典
。長七尺六寸。槻柘檀准〓此」*曾我物語〔南北朝頃〕一一・母と虎、箱根へのぼりし事「かくこそかよひなれしと、思ひやらるるあづさゆみ、矢立の杉 ...
49. あせ を かく
日本国語大辞典
にすくんでねれば汗をかき〈利牛〉」(2)乾物などの食品、あるいは器物の表面に水滴が生ずる。*曾我物語〔南北朝頃〕四・眉間尺が事「然るに、この剣、常にあせをぞかき ...
50. あせ を 流(なが)す
日本国語大辞典
(1)汗をかく。ひや汗をかくことにもいう。*曾我物語〔南北朝頃〕一〇・犬房が事「あのえせ太刀におはれて、小柴垣をやぶりてにげしはいかに。御分のよき太刀も、心にく ...
「曽我物語」の情報だけではなく、「曽我物語」に関するさまざまな情報も同時に調べることができるため、幅広い視点から知ることができます。
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平安時代の軍記物。修飾の多い和風漢文体。「まさかどき」ともいわれるが、古くは「将門合戦章(状)」などとよばれた。巻頭部を欠く「真福寺本」、稿本の概をみせるといわれるが零本の「片倉本(楊守敬旧蔵本)」のほか数種の抄本が伝えられている。物語の主人公平将門の系譜から
陸奥話記(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典・日本古典文学全集)
平安時代十一世紀後半の天喜・康平年間(一〇五三―六四)に陸奥国北部で俘囚安倍氏が起した反乱、いわゆる前九年の役の顛末を漢文体で記した書。一巻。『陸奥物語』『奥州合戦記』などともよばれたらしい。著者・成立年代ともに未詳であるが、本文末尾に
平治物語(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
軍記物語の一つ。『平治記』ともいう。『保元物語』『平家物語』『承久記』とあわせ四部合戦状(四部之合戦書)とも称される。作者としては、『保元物語』と同じく、葉室(藤原)時長(『醍醐雑抄』、『参考平治物語』凡例)、源瑜僧正(『旅宿問答』(『続群書類従』雑部所収)
保元物語(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典・日本古典文学全集)
軍記物語の一つ。『保元記』ともいう。『平治物語』『平家物語』『承久記』とあわせ、四部合戦状とも呼ばれた。作者としては、葉室(藤原)時長(『醍醐雑抄』『参考保元物語』)、中原師梁(『参考保元物語』)、源瑜(『旅宿問答』(『続群書類従』雑部所収)、ただし『安斎随筆』
承久記(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
承久の乱に関する軍記物語。一名、『承久兵乱記』。異本が多く、同名異書もある。すべて作者・成立年代未詳。古くは、『公定公記』応安七年(一三七四)四月二十一日条に「承久物語三帖」、『蔗軒日録』文明十七年(一四八五)二月七日条に
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豊後国風土記(日本古典文学全集)
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豊後の国は、本、豊前の国と合わせて一つの国であった。昔、纏向の日代の宮で天下をお治めになった大足彦の天皇
魯迅 その文学と革命(東洋文庫)
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