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  11. 義経記

義経記

ジャパンナレッジで閲覧できる『義経記』の国史大辞典・世界大百科事典・日本古典文学全集・東洋文庫のサンプルページ

国史大辞典
義経記
ぎけいき
著者未詳。八巻。『判官物語』『義経双紙』『義経物語』などとも呼ばれ、これらの名称が物語るように、群雄の行動を軸に時代の変革を描く叙事詩としての軍記物語というよりは、源義経個人の数奇な生涯を描いた伝奇物語というべきもので、琵琶法師がその語り物として語った。琵琶法師の表芸として『平家物語』の語りがあったが、その室町時代の諸本本文に、佐藤忠信の吉野合戦や義経最期がみられること、南北朝時代ごろの『源平盛衰記』に弁慶の活躍がみえ始め、義経の物語への芽生えがみられること、一方、義経の物語そのものも、室町時代の所産である中世舞曲(幸若舞)と重なる面が多く、また、室町時代の中世小説(御伽草子)に通う様式性の濃いことなどから、少なくとも現存の義経の物語は、室町時代の成立と見られる。語り物の常として異本が伝わるが、諸本は、『判官物語』から流布本へと続く系列と、『判官物語』系に比べてやや簡略な田中本をうけながら義経の北国落ちを詳しくし、在地の語りを思わせるむごさと笑いの色を濃くする『義経物語』系、との二系列に分かれる。そのいずれが本来の形態であるかはまだ明らかでないが、いずれにしろ、語り物の典型としての『平家物語』の場合、その諸本が構成や叙事のあり方にも及ぶ質的な異同を見せるのに比べて、義経の物語の場合、その諸本間の異同は決定的なものではない。この事実については、多角的な考察が必要だが、一つには、この義経を主人公とする語りが、ようやく室町時代、京の都市人の間にも流布し始めるや、いち早く物語として固定してしまったことがあるだろう。物語の内容は、大きく分けて、遮那王としての幼時を描く前半と、義経としての北国落ちを描く後半とに分かれ、義経の盛時である英雄の時期はほとんど描かれていない。遮那王時代の物語には、中世舞曲や、さらにさかのぼって『平治物語』にも源を探り得る常盤物語(巻一)、神変性の濃い遮那王の行動を痛快に描く遮那王物語(巻一・二)、陰陽師・印地など京の無頼の徒、鬼一法眼との対決を描く笑いに満ちた鬼一法眼物語(巻二)、発生的には熊野の修験者がかかわると思われる、これも笑いに満ちた弁慶物語(巻三)が含まれ、いずれも発生的には独立の語り物を、義経の一代記として集成したものである。後半の北国落ちでは、武蔵坊弁慶・勧修坊得業・亀井六郎ら、義経の従者たちのスリルと笑いに満ちた行動を主に描き、主人公の義経は、あたかも能の子方を思わせる弱々しいワキ役的な存在と化す。その義経一行の北国下向の経路の記述が正確であることから、北国路を往還した修験者がその語りの発生にかかわったらしく思われる。その物語は、主人公の北国落ちを描きながら、悲劇としての色は薄く、弁慶らの豪快で笑いに満ちた行動のゆえに明るい。神変性に満ちた遮那王の物語とともに全体を通して見られるこのような笑いのよって来たるところについては、なお今後の課題というべきだが、一つには、物語を集成した室町時代の京の都市人の、行動性の欠如のゆえの超人的世界への空想がかかわるだろう。しかし、上述したように、義経の盛時を欠くままに悲劇的な貴種流離譚へと展開するこの物語の構造は見のがせず、その根底には、辺境の後進性のゆえに古代性を容易には剋服し得ず、そのため人々の畏怖と悲哀を貴種流離譚に託さざるを得なかった、特に北陸から東北へかけての厳しさ、それにそれを踏まえて神変的な物語を構想せざるを得なかった京の都市人の姿勢もあるだろう。南北朝の動乱から、ひき続き戦国の大乱へと、いつ果てるとも知れない動乱の時代にその動乱の記録としての『明徳記』や『応永記』など群小軍記が多く生み出された。その一方で、『義経記』同様に、貴種流離譚の構造を踏まえた、神変性と様式性の濃い義経の物語が、いわゆる判官物として、曾我兄弟を扱う曾我物と並んで、広く中世小説・中世舞曲・能・浄瑠璃、さらには歌舞伎の世界にも再生産されていった。『日本古典文学大系』三七、『日本古典文学全集』三一などに収められている。→義経伝説(よしつねでんせつ)
[参考文献]
島津久基『義経伝説と文学』、市古貞次『中世小説の研究』、桜井好朗『中世日本人の思惟と表現』、柳田国男「義経記成長の時代」(『定本柳田国男集』七所収)
(山下 宏明)


改訂新版・世界大百科事典
義経記
ぎけいき

準軍記物語。室町初期の成立。8巻。作者不詳。《判官(ほうがん)物語》《義経(よしつね)物語》ともいう。源義経の一代記だが,義経が平家追討の大将として活躍するもっとも華やかな時期の事跡はほとんど書かれず,幼少期と,平家滅亡後兄の源頼朝に追われて自殺するまでの逸話を内容とする。その点,語り本《平家物語》と相補関係にあり,成立当時の〈判官びいき〉の風潮を背景として,義経に関して一般には知られていない部分を主にしていると言える。つまり理想化ないし美化された〈牛若丸〉と〈判官殿〉を主人公とし,副人物に忠実な家来弁慶と愛人静御前とを配したロマンの香りに満ちた物語であって,御伽草子に通じるものがある。ただし物語としての構想は緊密さを欠き,前半には破綻も見られる。これはもともと独立して存在した各種の〈語り物〉をまとめあげたためと考えられる。それら〈語り物〉の管理者としては,京都の五条天神社に奉仕した陰陽師(おんみようじ),鎌倉の勝長寿院の法師,熊野神社の系統の修験道の山伏,奥州の座頭などが想定されている。それらを《義経記》として編成したのは,京都の都市生活者として白河の印地打(いんじうち)など下層の庶民生活にも多大の興味を示す,好奇心旺盛な知識人であろう。《太平記》や仮名本《曾我物語》など同じころの軍記物語とはちがい,儒仏的な倫理に基づく批判や,行為の規範として故事説話を列挙する手法はとっていない。義経像は,その場その場の危機を機敏な行動力と才知で切りぬける無邪気で楽天的な性格を帯びている。

全編は巻四を連結部分として前後2部に分けられる。前半は,平治の乱の敗者源義朝の末子として鞍馬寺に預けられた牛若丸(遮那王)が逆境のうちで武将となっていく過程,金売り吉次に伴われての〈奥州下り〉,兵法書入手の〈鬼一法眼(きいちほうげん)譚〉,生涯の好伴侶となる武蔵坊弁慶の出生から義経臣従までの〈弁慶物語〉などが含まれる。後半は,弁慶・佐藤忠信・静ら郎従や愛人の活躍が中心となっている。頼朝に敵視される悲運のなかで主従恩愛のきずなの固さが,諧謔味を有する独特の表現で描かれる。頼朝への直訴を描く〈腰越状〉,土佐坊正尊による〈堀川夜討〉,嵐で難破して挫折した〈西国落〉,愛人との別離となる雪の〈吉野潜行〉,鎌倉での〈静の舞〉,苦難の〈北国落〉,頼朝勢を相手に最期をとげる〈衣川合戦〉など。いずれも能や幸若舞の〈判官物〉としても知られているが,《義経記》の筋立とは相違するものが多い。〈義経伝説〉の流布は,これら他のジャンルの作の影響のほうが大きいと言えよう。
→源義経
[村上 学]

[索引語]
判官(ほうがん)物語 義経(よしつね)物語 源義経 判官物


新編 日本古典文学全集
義経記
ぎけいき
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義経記 全体

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義経記 拡大

【現代語訳】
義朝都落の事 
わが国の昔の例を尋ねてみると、坂上田村麻呂・藤原利仁・平将門・藤原純友・藤原保昌・源頼光、それに漢の樊噲・陳平・張良は、いずれも武勇の士であったというが、その名を聞いているだけで実際に目で見たわけではない。それに対し、眼前にその武芸のほどを世に示し、天下の人々の目を驚かされたのは、下野の左馬頭義朝の末っ子の源九郎義経という方で、まさに本朝無双の名将軍でいらっしゃった。

その父の義朝は、平治元年(一一五九)十二月二十七日に、衛門督藤原信頼に加担して、京都での戦いに敗北を喫し、先祖代々仕えてきた郎等たちも、この戦いでみな討たれてしまったので、その勢三十余騎というありさまになって、東国の方角へと落ちて行かれた。元服した成人の子供たちを引き連れ、幼い子供は都に置き去りにして落ちられたのである。同行したのは、嫡子の鎌倉の悪源太義平、次男の中宮大夫進朝長十六歳、三男の兵衛佐頼朝十二歳であった。

【目次】
目次
古典への招待
凡例

義経記(扉)
巻第一目録
梗概
義朝都落の事
常盤都落の事
牛若鞍馬入の事
少進坊の事
牛若貴船詣の事
吉次が奥州物語の事
遮那王殿鞍馬出の事
巻第二目録
梗概
鏡の宿吉次が宿に強盗の入る事
遮那王殿元服の事
阿濃禅師に御対面の事
義経陵が館焼き給ふ事
伊勢三郎義経の臣下にはじめて成る事
義経はじめて秀衡に対面の事
義経鬼一法眼が所へ御出の事
巻第三目録
梗概
熊野の別当乱行の事
弁慶生まるる事
弁慶山門を出る事
書写山炎上の事
弁慶洛中にて人の太刀を奪ひ取る事
弁慶義経に君臣の契約申す事
頼朝謀反の事
頼朝謀反により義経奥州より出で給ふ事
巻第四目録
梗概
頼朝義経対面の事
義経平家の討手に上り給ふ事
腰越の申状の事
土佐坊義経の討手に上る事
義経都落の事
住吉大物二か所合戦の事
巻第五目録
梗概
判官吉野山に入り給ふ事
静吉野山に捨てらるる事
義経吉野山を落ち給ふ事
忠信吉野に止まる事
忠信吉野山の合戦の事
吉野法師判官を追ひかけ奉る事
巻第六目録
梗概
忠信都へ忍び上る事
忠信最期の事
忠信が首鎌倉へ下る事
判官南都へ忍び御出ある事
関東より勧修坊を召さるる事
静鎌倉へ下る事
静若宮八幡宮へ参詣の事
巻第七目録
梗概
判官北国落の事
大津次郎の事
愛発山の事
三の口の関通り給ふ事
平泉寺御見物の事
如意の渡にて義経を弁慶打ち奉る事
直江の津にて笈探されし事
亀割山にて御産の事
判官平泉へ御着の事
巻第八目録
梗概
秀衡死去の事
秀衡が子共判官殿に謀反の事
鈴木三郎重家高館へ参る事
衣川合戦の事
判官御自害の事
兼房が最期の事
秀衡が子共御追討の事
補遺
継信兄弟御弔の事

校訂付記
解説
一 はじめに
二 組織と内容
三 成立
四 文章
五 流布と影響
六 伝本
付録(扉)
義経記関係年表
義経記影響一覧
清和源氏系図
奥州藤原氏系図
義経記関係地図
登場人物略伝
地名索引
奥付



東洋文庫
義経記 1
ぎけいき 1
東洋文庫114
佐藤謙三・小林弘邦訳
義経を愛する「判官びいき」が育てた非運の英雄「義経」の物語。民衆のつくりあげた数多くの「義経」イメージの祖型と,その成立過程を解明する豊富な注を加えた現代語訳。第1巻は,巻一から巻四,物語の発端,義朝の都落ちから,頼朝に追われた義経の都落ちまで。巻末に解説を付す。
1968年05月刊

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義経記 1 全体

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義経記 1 拡大

【目次】
表紙
(扉)
凡例
巻第一
巻第二
巻第三
巻第四
解説
裏表紙
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日本大百科全書
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世界大百科事典
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日本国語大辞典
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義経を愛する「判官びいき」が育てた非運の英雄「義経」の物語。民衆のつくりあげた数多くの「義経」イメージの祖型と,その成立過程を解明する豊富な注を加えた現代語訳。 ...
10. 『義経記』[百科マルチメディア]
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11. 御前義経記
日本大百科全書
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12. ごぜんぎけいき【御前義経記】
日本国語大辞典
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13. あい‐あい[あひあひ]【間間】
日本国語大辞典
〔名〕(1)たくさんある物と物とのそれぞれの空間。また、所々の間。あいだあいだ。*義経記〔室町中か〕一・遮那王殿鞍馬出の事「あひあひ引柿(ひきがき)したる摺尽( ...
14. あい‐きゃく[あひ‥]【相客】
日本国語大辞典
(2)(宿屋などで)二人以上の客が、同室に泊まり合わせること。また、その客。*浮世草子・御前義経記〔1700〕二・四「相客(アヒキャク)なきを幸に」*滑稽本・東 ...
15. あい‐ざしき[あひ‥]【相座敷】
日本国語大辞典
〔名〕(「あい」は接頭語)「あいやど(相宿)」に同じ。*浮世草子・御前義経記〔1700〕三・三「相座敷(アヒザシキ)に勧進比丘尼の美しき者が二人泊ってゐると」 ...
16. あいそう が 尽(つ)きる
日本国語大辞典
「あいそ(愛想)が尽きる」に同じ。*義経記〔室町中か〕六・判官南都へ忍び御出ある事「明日門外に候事御覧じ候ひなば、義経があいそうもつきて思召されんずる」*浮世草 ...
17. あい た 口(くち)が塞(ふさ)がらぬ
日本国語大辞典
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18. あい‐つ・ける[あひ‥]【相付】
日本国語大辞典
*曾我物語〔南北朝頃〕七・勘当ゆるす事「心のはやるままに、人のあひつけたる鹿(しし)、いたまふべからず」*義経記〔室町中か〕五・忠信吉野山の合戦の事「づと登り上 ...
19. あえ・す【落・零】
日本国語大辞典
〔他サ四〕(「あやす(零)」の変化した語か)したたらす。血、汗などをたらす。*義経記〔室町中か〕二・義経鬼一法眼が所へ御出の事「未だ所作も果てざらんに切りて社壇 ...
20. あおがさき【青崎】石川県:金沢市/旧石川郡地区/粟崎村
日本歴史地名大系
けられた橋の下が境界とされていた。関連の絵図も作成されている。室町期の流通ルートを反映した「義経記」巻七の記述では、井上左衛門の配下が源義経主従に教えた逃走経路 ...
21. あお‐どうしん【青道心】
仏教語大辞典
墨の衣の玉襷見物ぞめきに取まかれ」 2 ちょっとした思いつきで起こした信仰心、また、慈悲心。 →生道心 義経記 四・住吉大物二ケ所合戦の事 「末も通らぬ青道心」 ...
22. あお‐ほろ[あを‥]【青保呂】
日本国語大辞典
〔名〕矢羽根の名。青鷺(あおさぎ)の翼の下端に連なる保呂羽(ほろば)を用いたもの。*義経記〔室町中か〕五・忠信吉野山の合戦の事「上矢にはあをほろ・鏑(かぶら)の ...
23. あか‐ぎ【赤木】
日本国語大辞典
紫檀あかぎは寄らずして、流れ来で」*謡曲・葵上〔1435頃〕「赤木の数珠の苛高(いらたか)を」*義経記〔室町中か〕七・判官北国落の事「あかぎの柄(つか)の刀にだ ...
24. あか‐つき【閼伽坏】
日本国語大辞典
鈴虫「わかき尼君たち二三人、花たてまつるとて、ならすあかつきのおと、水のけはひなど聞ゆる」*義経記〔室町中か〕七・判官北国落の事「一挺の笈には鈴(れい)、独鈷( ...
25. あがりぜん を 食(く)う
日本国語大辞典
人の揚げた遊女などと密会すること。*浮世草子・御前義経記〔1700〕一・凡例「あげ屋入の上まへをはね、明がたのわかれ、門の片角はし女郎のあき局にて、あがりぜんを ...
26. あきげ の 行縢(むかばき)
日本国語大辞典
毛皮が寒さに向かって濃さが増し、斑点が明白になった秋毛で老人が多く用いる(了俊大草紙{1395頃})。*義経記〔室町中か〕一・遮那王殿鞍馬出の事「あひあひ引柿( ...
27. あき‐つぼね【空局】
日本国語大辞典
賜はりて、あきつぼねにほこらかして置きたるを」(2)客のない、下級の遊女の部屋。*浮世草子・御前義経記〔1700〕一・凡例「はし女郎(ぢょらう)のあき局(ツボネ ...
28. あくぎょう‐ぶとう[アクギャウブタウ]【悪行無道】
日本国語大辞典
〔名〕(形動)悪行を強めた語。けたはずれの悪行。あくぎょうむどう。*義経記〔室町中か〕六・判官南都へ忍び御出である事「我等南都にてあくぎゃう無道なる名を取りたれ ...
29. あく‐ぎん【悪銀】
日本国語大辞典
〔1688〕五・五「先程の利銀の内三匁五分の豆板悪銀(アクギン)と出しける」*浮世草子・御前義経記〔1700〕四・一「此様な悪銀(アクギン)つかひぬる心からは、 ...
30. あくしょう‐ぎ[アクシャウ‥]【悪性気】
日本国語大辞典
〔名〕遊蕩にふける性質・気分。また、浮気心。*浮世草子・御前義経記〔1700〕七・三「悪性気(アクシャウキ)のつかぬうち、妻に定おかば、身持くづす事有まじ」 ...
31. あく‐ま【悪魔】
日本国語大辞典
川合社前絶入事「且は悪魔をしたがへ、仏法を守り、且は賞罰をあらはして、信心を発さしめ給ふ」*義経記〔室町中か〕六・忠信が首鎌倉へ下る事「剛の者の首を久しく晒して ...
32. あく‐りょう[‥リャウ]【悪霊】
日本国語大辞典
「あくりゃうは執念(しふね)きやうなれど業障(ごふしゃう)にまとはれたる、はかなものなり」*義経記〔室町中か〕三・書写山炎上の事「われ一人の咎ならぬに、残りを失 ...
33. あくろおう【悪路王】
国史大辞典
『元亨釈書』には奥州逆賊「高丸」が駿河国に遠征し、田村麻呂に攻められ奥州へ逃げて殺されたとみえ、『義経記』では「あくじ(悪路・悪事)の高丸」と同一人になる。以後 ...
34. あくんぐるし‐の‐さいなん【─災難】
日本国語大辞典
つけるために添えたものという)悪事災難。心身を苦しめ悩ますわざわい。あっくんぐるしのさいなん。*浮世草子・御前義経記〔1700〕三・三「あくんぐるしのさいなんは ...
35. あげ つ 下(お)ろしつ
日本国語大辞典
ば結城判官に預けられ夜昼三日まで、上(アゲ)つ下(ヲロシ)つ拷問(がうもん)せられけるに」*義経記〔室町中か〕四・土佐坊義経の討手に上る事「『さもあるらん、召捕 ...
36. あさ‐えびす【朝恵(ヱ)比須】
日本国語大辞典
朝(アサ)ゑびすに参り給ふに」(2)早朝の客。商人が福の神の恵比須に見立て、縁起を祝っていう。*浮世草子・御前義経記〔1700〕一・三「床(とこ)の男よろこび、 ...
37. あさぎ‐こもん【浅葱小紋・浅黄小紋】
日本国語大辞典
678〕二「浅黄(アサギ)ごもんは、初心めきて当道に嫌ふ、中着には是を許す」*浮世草子・御前義経記〔1700〕五・一「次に流紋(りうもん)の小袖、羅紗(らしゃ) ...
38. あし【足・脚】
日本国語大辞典
て区別する。→足が入る。*高倉院厳島御幸記〔1180〕「御舟のあし深くて湊へかかりしかば」*義経記〔室町中か〕四・住吉大物二ケ所合戦の事「潮干なれども小船なり、 ...
39. あし‐きき【足利】
日本国語大辞典
足立ち。*平家物語〔13C前〕七・火打合戦「馬の足ききよい所で候へば、いそぎわたさせ給へ」*田中本義経記〔室町中か〕三・熊野の別当乱行の事「いで立ってあしききの ...
40. あし‐ばや【足早】
日本国語大辞典
移動のはやいさま。はやあし。*平家物語〔13C前〕四・信連「いとどあしばやに過ぎさせ給ふ」*義経記〔室町中か〕四・土佐坊義経の討手に上る事「聞ゆる足早(アシバヤ ...
41. あし を はかりに
日本国語大辞典
(「はかり」は「限度」の意)「あし(足)を限りに」に同じ。*義経記〔室町中か〕五・静吉野山に棄てらるる事「あしをはかりに行く程に、高き峰に上りて」*虎明本狂言・ ...
42. あせ の 如(ごと)し
日本国語大辞典
汗之綸言、豈如〓此哉」*義経記〔室町中か〕八・継信兄弟御弔の事「侍の言葉は綸言にも同じ。猶しあせのごとしとて、既に自害せんとせしままに」 ...
43. あせ を 流(なが)す
日本国語大辞典
やぶりてにげしはいかに。御分のよき太刀も、心にくからずといひければ、聞人、みなあせをなかさぬはなかりけり」*義経記〔室町中か〕五・忠信吉野山の合戦の事「大の法師 ...
44. あそば‐・す【遊】
日本国語大辞典
強める場合もある。(イ)動作性の名詞につく場合。接頭語「御」のついた漢語である場合が多い。*義経記〔室町中か〕五・忠信吉野山の合戦の事「一先づ落ちさせ給ふべく候 ...
45. 安宅(能)
日本大百科全書
能の曲目。四番目物。五流現行曲。『義経記(ぎけいき)』などに拠(よ)ったもので、観世小次郎信光(のぶみつ)の作とも、不明ともいわれる。関守の武士の情を強調する歌 ...
46. あたか【安宅】
国史大辞典
主従が現在の不遇をなげいていると富樫のおわびの酒が届く。弁慶の男舞があり、一行は奥州へ下る。『義経記』や幸若舞曲の「富樫」「笈捜」などに素材をあおいでいる。小書 ...
47. あたか【安宅】
国史大辞典
天正七年(一五七九)柴田勝家がこれを焼くまで、しばしば戦場となった記録がある。能楽の「安宅」は、『義経記』に描かれた源義経一行の受難の場面を、一幕に集めたもので ...
48. あたか【安宅】石川県:小松市/旧能美郡地区/安宅町
日本歴史地名大系
室町時代成立の「義経記」巻七(平泉寺御見物の事)によれば、北陸を逃避行中の源義経は「斎藤別当実盛が手塚の太郎光盛に討たれけるあいの池を見て、安宅の渡りを越えて、 ...
49. あたか【安宅】[能曲名]
能・狂言事典
わびて酒を勧めるので、弁慶は杯を受けて舞を舞い(〈男舞〉)、虎口を逃れる思いで道を急ぐ。 『義経記』や幸若舞曲《富樫》《笈(おい)さがし》などと素材を一にし、悲 ...
50. 安宅関
世界大百科事典
《兵部式》は北陸道加賀国に安宅駅を記す。謡曲の《安宅》では,義経追捕のため設けられた新関とするが,出典の《義経記》には〈安宅の渡〉とするのみで,関はなく,《八雲 ...
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義経記と同じ軍記物・戦記・兵法カテゴリの記事
将門記(日本大百科全書・世界大百科事典・国史大辞典・日本古典文学全集)
平安時代の軍記物。修飾の多い和風漢文体。「まさかどき」ともいわれるが、古くは「将門合戦章(状)」などとよばれた。巻頭部を欠く「真福寺本」、稿本の概をみせるといわれるが零本の「片倉本(楊守敬旧蔵本)」のほか数種の抄本が伝えられている。物語の主人公平将門の系譜から
陸奥話記(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典・日本古典文学全集)
平安時代十一世紀後半の天喜・康平年間(一〇五三―六四)に陸奥国北部で俘囚安倍氏が起した反乱、いわゆる前九年の役の顛末を漢文体で記した書。一巻。『陸奥物語』『奥州合戦記』などともよばれたらしい。著者・成立年代ともに未詳であるが、本文末尾に
平治物語(国史大辞典・世界大百科事典)
軍記物語の一つ。『平治記』ともいう。『保元物語』『平家物語』『承久記』とあわせ四部合戦状(四部之合戦書)とも称される。作者としては、『保元物語』と同じく、葉室(藤原)時長(『醍醐雑抄』、『参考平治物語』凡例)、源瑜僧正(『旅宿問答』(『続群書類従』雑部所収)
保元物語(国史大辞典・世界大百科事典・日本古典文学全集)
軍記物語の一つ。『保元記』ともいう。『平治物語』『平家物語』『承久記』とあわせ、四部合戦状とも呼ばれた。作者としては、葉室(藤原)時長(『醍醐雑抄』『参考保元物語』)、中原師梁(『参考保元物語』)、源瑜(『旅宿問答』(『続群書類従』雑部所収)、ただし『安斎随筆』
承久記(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
承久の乱に関する軍記物語。一名、『承久兵乱記』。異本が多く、同名異書もある。すべて作者・成立年代未詳。古くは、『公定公記』応安七年(一三七四)四月二十一日条に「承久物語三帖」、『蔗軒日録』文明十七年(一四八五)二月七日条に
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野白内証鑑(日本古典文学全集)
野白内証鑑一之巻目録自分の行状の弁解をした野郎の話秘密の色遊びはばれたが、始めより末に至って情勢が好転した野郎の大臣。その相手は羽ぶりのよい撞木町の女郎。悪性をささやいてすすめる耳塚の駕籠屋。客に肌を見せない白人の話 外面は菩薩のようだが内情は
豊後国風土記(日本古典文学全集)
豊後の国。郡は八所、〔郷は四十、里は百十〕駅は九所、〔みな小路〕烽は五所、〔みな下国〕寺は二所〔一つは僧の寺、一つは尼の寺〕である。

豊後の国は、本、豊前の国と合わせて一つの国であった。昔、纏向の日代の宮で天下をお治めになった大足彦の天皇
魯迅 その文学と革命(東洋文庫)
中国近代文学の父であり,偉大な思想家でもある魯迅は,知識人としての苦悩のなかで,中国の「寂寞」を見つめ,自らをも傷つける「革命」を志向する。著者会心の魯迅伝。1965年07月刊
論語徴(東洋文庫)
秦・漢以前の古文辞に対する確固たる自信から孔子の言論を読みとく,論語の注釈のなかでもっとも論争的な注釈書。卓抜した孔子論を展開するとともに,徂徠自身の思想も開陳する。第1巻は,学而,為政,八佾,里仁,公冶長,雍也,述而,泰伯。1994年03月刊
近世和歌集(日本古典文学全集)
年内立春 去年と今年の二本の緒で縒り合わせて掛けて同じ年が一本にまとまらないように、こんがらがってなかなか理解できない春はやって来た。やや趣向倒れの感がある。長嘯子としては機知を働かせたのだろうが。鶯 軒端の梅が咲いていて、一晩中鶯の到来を
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