1. 征韓論
日本大百科全書
そのまま歴史的事実とし、古代にも日本は朝鮮を支配していたと考え、その「復活」を目ざした。明治政府が成立すると、征韓論はただ希望的な議論にとどまらず、政府の直面し ...
2. 征韓論
世界大百科事典
いい,とくに明治6年(1873)10月の政変の原因がいわゆる征韓論争にあったことから,一般にはこのときの対朝鮮論をさすことが多い。幕末期の征韓論は佐藤信淵や吉田 ...
3. せいかん‐ろん【征韓論】
日本国語大辞典
*新聞雑誌‐明治七年〔1874〕二月八日「佐賀県士族或る寺に集り征韓論を唱へ」*思出の記〔1900〜01〕〈徳富蘆花〉一・三「明治六年征韓論破裂以来、世の中兎角 ...
4. せいかんろんもんだい【征韓論問題】
国史大辞典
あらわれた。対馬藩の家老大島友之允(正朝、老中板倉勝静につかえた)は儒者山田方谷から説かれた征韓論を祖述して長州藩の桂小五郎(木戸孝允)に対馬を中心とする日朝提 ...
5. 愛国公党
日本大百科全書
(1)1874年(明治7)1月12日結成された自由民権政治結社。征韓論に敗れて下野した前参議の板垣退助(たいすけ)、後藤象二郎(しょうじろう)、副島種臣(そえじ ...
6. 愛国公党
世界大百科事典
明治時代の政治結社。2度結成された。(1)自由民権政社。征韓論に敗れて下野した前参議板垣退助,後藤象二郎,副島種臣,江藤新平や政府高官の由利公正,岡本健三郎,小 ...
7. 赤坂喰違の変
日本大百科全書
右大臣岩倉具視(ともみ)が征韓派の不平士族に襲撃された事件。前年10月、征韓論争によって明治政府内部が分裂した結果、敗退した征韓論者は対立した内治派を恨んだ。当 ...
8. あかさかくいちがいのへん【赤坂
違の変】
国史大辞典
明治七年(一八七四)一月十四日夜、東京赤坂喰違見附で右大臣岩倉具視が襲撃され、負傷した事件。前年十月二十四日、征韓論が破裂し、征韓派の参議西郷隆盛・板垣退助らは ...
9. 秋月の乱
日本大百科全書
主張して自害し、今村ら50~60名はなおも秋月地方に転戦し、多くは捕らえられた。1873年(明治6)の征韓論争の破裂(明治六年の政変)以後、有司(ゆうし)専制に ...
10. あさくら-なおたけ【朝倉尚武】
日本人名大辞典
戊辰(ぼしん)戦争で佐賀藩軍監付き,ついで小隊長として東北各地を転戦。のち東京でまなび,明治4年帰郷。征韓論争が決裂すると佐賀征韓党を組織し,政府軍とたたかって ...
11. アジアしゅぎ【アジア主義】
国史大辞典
進めながら、アジア連帯への契機を欠落させて行った。民権論者と国権論者のアジア主義の源流が、ともに征韓論者西郷隆盛の西南戦争の挙に求められることは重要である。つま ...
12. アメリカ彦蔵自伝 2 209ページ
東洋文庫
視〕が城から家にかえる途中、その生命を狙われた。岩倉は重傷を負ったが、幸運にも助かった。その征韓論や台湾急襲への反対が、向う見ずで不満をいだき、覇気あふれる南国 ...
13. アメリカ彦蔵自伝 2 210ページ
東洋文庫
殺害した台湾人たちに有効の手段をとるため、外征の装備をととのえた。 注 いわゆる佐賀の乱は、征韓論に敗れて 下野した江藤新平(もと参議、司法卿) ...
14. アメリカ彦蔵自伝 2 248ページ
東洋文庫
を意味している。それは、征韓論に敗れ て下野した高官たちの有志(板垣、副島、 後藤象二郎、江藤新平ら)によって起草 されたものであった ...
15. アメリカ彦蔵自伝 2 288ページ
東洋文庫
共同にて茶の輸出に従事。 〈…一 ◇『自伝』には、内外の諸事件に関する 記述がくわしい。◇十月、征韓論が敗れ、西郷隆盛ら退官。 ◇佐賀の乱、台湾出兵に関する ...
16. ありま-とうた【有馬藤太】
日本人名大辞典
薩摩(さつま)鹿児島藩士。戊辰(ぼしん)戦争に従軍,近藤勇をくだすなど功をたて,東京府参事となる。のち征韓論に敗れた西郷隆盛にしたがい辞職,西南戦争で投獄される ...
17. いけだ-おうすけ【池田応助】
日本人名大辞典
明治時代の政治運動家,実業家。嘉永(かえい)2年1月18日生まれ。明治政府の陸軍にはいるが,明治6年征韓論が敗れたため郷里の高知県にかえり,立志社にくわわる。1 ...
18. い‐し[ヰ‥]【遺士】
日本国語大辞典
〔名〕先代の王朝や主家などの滅亡後、生き残っている士。*穏健なる自由思想家〔1910〕〈魚住折蘆〉「征韓論者の暴動が寧ろ明治政府に不満なる旧幕の遺士に依て助けら ...
19. 板垣退助
日本大百科全書
の大参事として藩政改革を行い、1871年新政府の参議に任ぜられる。1873年10月に西郷らと征韓論を主張して敗れて参議を辞した。1874年1月には後藤象二郎らと ...
20. 板垣退助
世界大百科事典
津攻略を指揮した。維新後は藩の大参事を経て,71年(明治4)新政府の参議に就任。73年10月征韓論をめぐって大久保利通らと対立し,西郷隆盛らとともに辞職。翌年1 ...
21. いたがき‐たいすけ【板垣退助】
日本国語大辞典
政治家。旧姓、乾(いぬい)。土佐藩出身。幕末、討幕運動を推進。維新後、参議となったが征韓論を主張して辞職。愛国公党を結成して民選議院設立建白書を提出する。以後自 ...
22. いたがき-たいすけ【板垣退助】
日本人名大辞典
まれ。土佐高知藩士。戊辰(ぼしん)戦争で総督府参謀をつとめ,明治4年新政府の参議となる。6年征韓論をめぐって大久保利通らと対立し,西郷隆盛らとともに辞職。翌年民 ...
23. 板垣退助[文献目録]
日本人物文献目録
父板垣退助伯』和田三郎『西郷南洲と予との関係』板垣退助『自由伯と吐雲博士の印象』田中貢太郎『征韓論と板垣伯』秋山弥助『政党史の一節 板垣洋行問題』尾佐竹猛『大政 ...
24. 伊藤博文
日本大百科全書
その間に大久保利通(おおくぼとしみち)の信任を得ることになった。1873年帰国後の政局で大問題となった征韓論争には、大久保、木戸孝允(きどたかよし)を支持して征 ...
25. 伊藤博文
世界大百科事典
張(岩倉使節団),その間に同行した大久保利通の信任をえた。73年帰国,政府内で問題化していた征韓論争では岩倉・大久保らを支持して征韓派を退け,その後の政府改造に ...
26. いとうひろぶみ【伊藤博文】
国史大辞典
権副使として加わり、二年にわたる欧米視察において注目すべき活躍を示した。同六年帰朝後、政府の征韓論争に直面した彼は、終始内治の整備・近代化優先の立場において非征 ...
27. いわくらけんがいしせつ【岩倉遣外使節】
国史大辞典
大使節団が欧米の進歩を目のあたりに見たことは、一つの大きな収穫であった。使節が帰国したころ留守内閣では征韓論が沸騰していた。これを抑えたのは使節団の首脳部であり ...
28. 岩倉具視
日本大百科全書
引率して外国を巡回し、1873年に帰国した。その直後、西郷隆盛(さいごうたかもり)らが主張した征韓論に対して、岩倉は大久保利通(おおくぼとしみち)らと組んでそれ ...
29. 岩倉具視
世界大百科事典
倉使節団)。帰国後,73年のいわゆる征韓論に対しては,大久保,木戸らと反対し,明治6年10月の政変の結果,大久保政権が実現した。74年,赤坂喰違坂で征韓論支持者 ...
30. いわくら‐ともみ【岩倉具視】
日本国語大辞典
討幕運動に加わって、維新後、副総裁、右大臣となり、特命全権大使として政府首脳を率い渡欧。また、征韓論に反対し、欽定(きんてい)憲法の制定を主唱した。文政八〜明治 ...
31. いわくらともみ【岩倉具視】
国史大辞典
きをなした。十一月、特命全権大使として欧米各国に赴き条約改正の予備交渉を行い、六年帰朝すると征韓論争で政府が分裂、三条太政大臣の病中その代理となり、非征韓派の大 ...
32. いわくら-ともみ【岩倉具視】
日本人名大辞典
。明治4年特命全権大使となり欧米各国を歴訪。帰国後,三条実美(さねとみ)太政大臣の代理として征韓論をしりぞける。自由民権運動の高まりに抗して,欽定(きんてい)憲 ...
33. 岩倉具視[文献目録]
日本人物文献目録
岩倉具視』羽倉敬尚『明治初期における祭政の問題 岩倉具視を中心として』吉田久一『明治初期における大陸外交 初期征韓論をめぐる木戸と岩倉』小林克己『明治四年岩倉全 ...
34. 右翼
日本大百科全書
いわれた頭山満(とうやまみつる)(1855―1944)は、西郷隆盛(たかもり)が征韓論に敗れて下野するや、征韓論派と気脈を通じて維新の新政府を非難し、朝鮮討伐の ...
35. うよくうんどう【右翼運動】
国史大辞典
通じて右翼運動の最高指導者であったことと、さらに次のことに示されている。すなわち、明治六年に西郷隆盛らが征韓論に敗れて下野すると、これに憤激した福岡の「人参畑の ...
36. 江藤新平
日本大百科全書
1873年参議に任ぜられたが、西郷隆盛(さいごうたかもり)、板垣退助(いたがきたいすけ)らと征韓論を主張して敗れ、10月下野した。翌年1月の民撰(みんせん)議院 ...
37. 江藤新平
世界大百科事典
法を直訳した《民法草案》など民法編集事業を推進した。73年参議となり,西郷隆盛,板垣退助らと征韓論を唱え,敗れて辞職。74年1月板垣らと民撰議院設立建白を政府に ...
38. えとう‐しんぺい【江藤新平】
日本国語大辞典
佐賀藩出身。尊王攘夷運動に参加。維新後、司法卿として司法制度の確立に努める。参議となり、西郷隆盛らと征韓論を唱えたが、敗れて辞職し、民撰議院設立の建白に携わる。 ...
39. えとうしんぺい【江藤新平】
国史大辞典
完成、四月司法省を去り参議となった。司法省時代、井上馨・山県有朋などと対立があった。六年十月征韓論争に破れて下野し、翌年一月民撰議院設立建白に署名。帰郷後、二月 ...
40. えとう-しんぺい【江藤新平】
日本人名大辞典
維新後新政府の文部大輔をへて明治5年司法卿となり,司法権の独立,司法制度の整備につくす。6年参議。征韓論がいれられず辞職。7年佐賀で挙兵し,敗れて4月13日処刑 ...
41. 海老原穆
世界大百科事典
75年3月集思社を設立して《評論新聞》を創刊,小松原英太郎,末広鉄腸,宮崎八郎らを客員として征韓論と民権論を激越に唱えた。76年7月発禁処分にあうと《中外評論》 ...
42. 大木喬任
世界大百科事典
卿となり近代教育制度の基礎を築いた学制の発布に尽力し,また教部卿を兼任した。73年参議となり征韓論に反対し,大久保利通政権では参議兼司法卿として活躍,76年の萩 ...
43. おおくぼせいけん【大久保政権】
国史大辞典
明治六年(一八七三)の征韓論による政府分裂によって、西郷隆盛・板垣退助・後藤象二郎・江藤新平・副島種臣が参議を辞職して下野し、その後の政府は岩倉具視・大久保利 ...
44. 大久保利通
日本大百科全書
受けた。 約1か年半余りの外遊から帰国した利通は、その対外経験から、国力充実の必要を説き、西郷らの征韓論を退け、彼らを下野させたのち、内政担当の中央官庁である内 ...
45. おおくぼとしみち【大久保利通】
国史大辞典
箔をつけた。六年五月一行に先立って帰国したが、折から政府内では、参議西郷隆盛・同板垣退助らの征韓論が支配し、西郷を遣韓大使とする案が実現の寸前にあった。利通は内 ...
46. おおくぼ-としみち【大久保利通】
日本人名大辞典
奉還,廃藩置県をおこなう。明治4年大蔵卿となり,岩倉遣外使節団副使。6年参議となり西郷隆盛の征韓論をしりぞけ,同年内務卿を兼任。佐賀の乱,神風連の乱,西南戦争な ...
47. 大久保利通[文献目録]
日本人物文献目録
久保利通』矢部新作『近代政治家伝 大久保利通』阿部真之助『大久保利通公之伝』-『大久保利通と征韓論』石光真人『大久保利通における「日本相固〆論」』池田清『大久保 ...
48. 大隈重信
日本大百科全書
この間、岩倉具視(いわくらともみ)一行の遣欧中の留守政府内では西郷隆盛(さいごうたかもり)らの征韓論に反対の立場をとり、ついで大久保利通(おおくぼとしみち)の下 ...
49. おおくましげのぶ【大隈重信】
国史大辞典
裁ついで大蔵卿となり、十一年五月地租改正事務局総裁を兼任、十三年二月参議専任となった。この間征韓論に反対し、七年の台湾出兵で蕃地事務局長官、十年の西南戦争では征 ...
50. 大隈重信[文献目録]
日本人物文献目録
特に大隈重信の条約改正と関連して』中村菊男『新指定の史跡二つ 鉄道0哩標識と大隈侯旧宅』井上万寿蔵『征韓論争後の大久保と大隈』中村尚美『張郡国府秘書長の大隈侯と ...