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1963年に刊行がスタートした『東洋文庫』シリーズ。日本、中国、インド、イスラム圏などアジアが生んだ珠玉の作品の中から、毎週1作品をピックアップ。 1000文字のレビュー、そしてオリジナルカルテとともに、面白くて奥深い「東洋文庫」の世界へいざないます。

東洋文庫 641|642

『一休和尚年譜1、2』 (今泉淑夫校注)

2010/06/10
アイコン画像    弟子たちによって作られた年譜と、歴史学者の検証によって浮かび上がる、真の一休の姿。

 1975年より7年間の長きに渡ってTVアニメを放送していたこともあって、ある世代にとって一休宗純とは、小坊主姿のトンチの『一休さん』だ。

 この「頓知=一休」というイメージは江戸時代に作られたものだ。説話やお咄として一休の物語が大量に生産され、ひとつの像を形作り、果てはアニメにもなった。

 なぜか? 実在の一休とは? 応仁の乱前後の京に生きたひとりの禅僧を知る第一級の手がかりこそ、本書『一休和尚年譜』なのである。

 一休の生きた室町時代は実は大変な時代だった。室町時代が始まる14世紀半ばから19世紀半ばにかけては「小氷期」と呼ばれる寒冷気候だった。よって各地では飢饉がたびたび発生した。

 ジャパンナレッジの「誰でも読める日本史年表」で、例えば応仁の乱の辺りの記録を追ってみると……


1459年 京都西郊で土一揆。京都で土一揆。近畿大風雨。

1460年 畿内地震。皆既日食。炎旱・虫損・大風雨のため諸国大飢饉。

1461年 前年来の飢饉で、京都の死者8万2000人。

1463年 京都で土一揆。

1464年 近畿、暴風雨・洪水。山城西岡の土一揆。


 という具合に、飢饉と土一揆の繰り返し。おまけに地震に暴風雨。その混乱のまま、応仁の乱に突入していく。社会、経済ともに大いに乱れていたのであった。

 そんな時、一休は何をしていたか。例えば1435年、42歳の時の「年譜」。

〈遊街市に出る毎に、一木剣を持ちて弾鋏(刀の柄を叩く)す〉

 木剣で挑発して回る一休。なぜかと聞かれ、「あちこちにいる贋坊主はこの木剣のようなもの。寺にいれば真剣のようだが外に出ればただの木片。殺すこともできない剣がどうして人を活かせるのか」と答える。ドッと湧く聴衆。この『年譜』でははっきりと「後小松天皇の落胤」と記すが、こうしたポジションの高僧が、世間に諧謔で刃向かう。社会不安が高まっているゆえに、人々には痛快と映ったはずだ。その記憶が、江戸時代に頓知話として結実したといったら言い過ぎか。

 弟子の書いた『年譜』からも、一休が権威に刃向かったさまは見て取れる。これは『年譜』にはないが、飲酒や女犯などを含め、意識的に破戒的人生を送ったのも事実。

 その“覚悟”こそ、一休宗純そのものであった。

本を読む

『一休和尚年譜1、2』 (今泉淑夫校注)
今週のカルテ
ジャンル日本史/仏教
時代 ・ 舞台室町時代の京都
読後に一言これぞ(?)名僧
効用ひとりの傑僧の軌跡を通して、室町という時代を見るか。
あるいは、常識に囚われぬ生き方を学ぶか。
印象深い
一節・名言
某は只だ羅漢(悟った者)なるを喜びて作家(さっけ)(優れた僧)なるを嫌うのみ(109ページ)
類書トルコ版の一休『ナスレッディン・ホジャ物語』
(東洋文庫038)
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