1963年に刊行がスタートした『東洋文庫』シリーズ。日本、中国、インド、イスラム圏などアジアが生んだ珠玉の作品の中から、毎週1作品をピックアップ。 1000文字のレビュー、そしてオリジナルカルテとともに、面白くて奥深い「東洋文庫」の世界へいざないます。
偽りと真実のはざまで アラビアのロレンスのその後 |
『完全版 知恵の七柱』は、アラブ軍がダマスカス(現シリア)に入城し、幕を閉じる。ダマスカスは〈オスマン帝国の支配を脱し〉、〈「アラブ王国」の首都となった〉のだ(ジャパンナレッジ「ニッポニカ」)。ロレンス側の勝利である。だが当のロレンスは冴えない。なぜか。
〈(ダマスカスを占拠した)この夜、呪縛と邪悪によってもたらされたこの偽りの自由という、与え得る贈りものをすべて彼らに与えてしまった私に残されたのは、去ることしかないように思われた〉
英国軍がアラブ軍を支援したのは、アラブのためではない。対オスマン帝国の作戦のひとつでしかなかった。贈りもの=「偽りの自由」とはそういうことだ。英国はアラブを利用したのである。ここにロレンスの苦悩もあった。例えば戦地で迎えた30歳の誕生日に、ロレンスはこう述懐する。
〈アラブを欺いてきたという意識からこの戦争に私の名誉になることは何ひとつしていない〉
しかしロレンスは、数々の戦功で有名になった。彼にとってそれは〈演技に対する称賛という報い〉だった。
本書は自慢話でもなく、戦記でもない。戦時下でありながら、内省的で思索的だ。それは、ロレンスが、自身の「心」にフォーカスしているからだろう。
例えばこの述懐。これほど自著を(下記は、元になった手帳のことだが)語るに相応しい言葉はない。
〈私の手帳は、事実や命令や数字ではなく、そのときの心の有様や、とりとめもない夢想や、置かれた状況から誘導され、抽出され、駱駝の歩行がつくる拍子の付点つきリズムに合わせてできた抽象的な言葉による自問などで埋まっている〉
英国は一応の成功を収めた。ではロレンスは? 彼は、〈第一次大戦後,ヴェルサイユ会議にアラブの首長らの側に立って列席,アラブの主張を代弁〉(同「集英社世界文学大事典」「ロレンス T. E.」の項)するも、うまくいかない。そのかわり、「アラビアのロレンス」という〈社会的な名声〉(同前)だけが高まっていく。ロレンスはどうしたか。〈世間を避けるようになり,いくどとなく変名で無名の一兵卒として空軍や陸軍に入隊したり,発覚して除隊させられたり〉(同前)するのである。
ロレンスの最後はあっけなかった。〈愛用のオートバイの交通事故〉(同「ニッポニカ」「ローレンス」の項)だった。空軍除隊後から3か月後の事故だ。享年46だった。
ジャンル | 記録/随筆 |
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成立・舞台 | 1917~1918年のシリア、レバノン、イスラエル、ヨルダン、サウジアラビア、エジプトなど |
読後に一言 | なぜロレンスは『知恵の七柱』を残そうとしたのか。なぜ第一次大戦後、偽名を用いてまで軍隊に入隊したのか。おそらくすべての根が、「アラブの反乱」従軍経験にあるのでしょう。 |
効用 | ロレンスは数々の戦功をあげます。しかし、その一方でロレンスの苦悩は深まっていきます。その心の動きがこの中に。 |
印象深い一節 ・ 名言 | われわれすべてを、義務としてこれほども卑しいものにしてしまった戦争というもののふしぎな力!(「第百三十五章 英軍とともに」) |
類書 | 友人である詩人が描いたロレンス『アラビアのロレンス』(東洋文庫5) アラビアのロレンスの女性版『シリア縦断紀行(全2巻)』(東洋文庫584、585) |
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(2024年5月時点)