1963年に刊行がスタートした『東洋文庫』シリーズ。日本、中国、インド、イスラム圏などアジアが生んだ珠玉の作品の中から、毎週1作品をピックアップ。 1000文字のレビュー、そしてオリジナルカルテとともに、面白くて奥深い「東洋文庫」の世界へいざないます。
自分の感情に殉じた詩人・袁枚の生き方から、現代社会の「自由」について考えてみる。 |
不思議なもので、都会の喧噪から離れようとするほど、世間の流れからはむしろ逃れがたくなる。飛び込み続ける情報に右往左往してしまうのだ。「世間」と口にしてしまう時点で、そこに囚われているのかもしれない。
果たしてこの詩人――清の時代を生きた袁枚(えんばい)にとって、「世間」とはいかなるものだったろうか。私がこの詩人が気になるのは、ひと言で“変人”だから。同じく、“変人”――『源氏物語』の英訳で名高いアーサー・ウェイリーは、伝記『袁枚』の中で、こう評す。
〈私個人としては、袁枚は、愛敬があり、知的で、大らかで、気持ちの優しい、癇癪(かんしゃく)持ちの、ひどい偏見を持った男だと思っている。最も軽快な調子の詩においてさえも、常に深い情調がひそんでおり、最も悲哀に満ちた詩の中でも、突然快活に戯れだしたりする――彼はそのような詩の書き手である〉
袁枚は、そもそも高級官僚として県知事の職にあった。しかも〈名知事の誉れ高かった〉(ジャパンナレッジ「ニッポニカ」)。ところが、38歳で突如、辞職。田舎に引っ込むのだが、豪邸を建て、食と女と文学を愛し、豪奢な生活を送った。ここが、職がなくて各地を転々とした杜甫や、田舎で清貧に生きた陶淵明と異なるところで、袁枚は自分の“感情”に自由で、世間からの批判をものともしない(実際、女性を集めて詩作を教えるなど、その行動は当時、たびたび批判の的となった)。自分の庭について語っている文章の中に、袁枚らしいくだりがある。
〈(庭は)いつまでに完成しなければいけないという定まった期限などないのである。たとえ何が起ころうと、威張りくさった俗吏に四六時中ぺこぺこしていた昔に比べれば、ましな暮らしというものだ。私は、誰にも指示を受けたり〈肘の動きを邪魔されたり〉せず、自らの裁量で雑草を抜き、曲がった枝を切ることができるのである〉
私はきっと「自由」を謳歌しているつもりになっているだけで、きっと世間に対してぺこぺこしているのだろう(例えばフェイスブックの「いいね!」を気にしたりね)。アーサー・ウェイリーが自由律で訳した袁枚の詩には、自分の「自由」に対する揺るぎない自信がある。
〈光景は/誰の眼にも映じるものだが、感情は/自分ひとりの財産なのだ〉
現代社会は、自分ひとりの感情を持つことが、もっとも困難な時代なのかもしれないが……。
ジャンル | 伝記/詩歌 |
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時代 ・ 舞台 | 中国・18世紀の清朝 |
読後に一言 | あのアーサー・ウェイリーの自由な名訳を、あの加島祥造が訳す、という贅沢な「訳本」でもあります。 |
効用 | 袁枚自身が、技巧を嫌っていたこともあり、彼の詩の世界は(もちろん人生も!)自由で心地好い。 |
印象深い一節 ・ 名言 | ところで私はずっと、/最初の古いスタイルのまま通してきたが、/どうだい、近ごろ見回してみると/私は最新スタイルのかっこよさなんだ。(第五章『随園随筆』と『子不語』より) |
類書 | 隠逸詩人の漢詩集『陶淵明詩解』(東洋文庫529 ) 袁枚が著した怪異小説『子不語(全5巻)』(東洋文庫788ほか)※ジャパンナレッジ未収録 |
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(2024年5月時点)