(伊原青々園/後藤宙外編著、紅野敏郎解説)">
1963年に刊行がスタートした『東洋文庫』シリーズ。日本、中国、インド、イスラム圏などアジアが生んだ珠玉の作品の中から、毎週1作品をピックアップ。 1000文字のレビュー、そしてオリジナルカルテとともに、面白くて奥深い「東洋文庫」の世界へいざないます。
幸田露伴から、市井の人々――髪結、侠客まで。明治に生きた人々のインタビュー集。 |
えー、しばし某氏独白におつきあいを。
〈……足から見ていきます、先づ下駄で大概所がわかる、身分の階級がわかる、其れで歩行(あるきっ)ぷりで商売と山の手と下町の人がわかる、日本橋京橋と下谷浅草と山の手とは全(まる)で下駄の台の歩合や刮(く)り方が違うです、又下駄の減り方が違うです〉
それでは問題。しゃべっている人はだれでしょう?
答えは「明治時代の老探偵」。人の見分け方を、インタビュアーに向かって語っているところなのである。
本書は『唾玉集』という明治39(1906)年、日露戦後に出されたインタビュー集だ。前半は、幸田露伴、森鴎外、坪内逍遙、二葉亭四迷、尾崎紅葉などの著名な作家たちの創作裏話。
しかし本書の面白味はむしろ後半にある。登場する人たちを列記してみよう。呉服屋、玩具屋、指物師、漁師、探偵、浄瑠璃、長唄師匠、義太夫、相撲の行司、芸者、髪結……はては侠客まで。彼らのざっくばらんな語り口からは、明治の「におい」のようなものが立ち上ってくるのである。
〈……一体髪毛は三角なもので裏表があるんです、其れを順(すな)ほにするから表が出て艶もよし、それが先(ま)ァ手練といふもんでせう、教はッたッて解りません、コツで覚えるんですね〉
これは髪結の語りだが、なんとまあイキイキとしてるではないか! ジャパンナレッジの「日本国語大辞典」によれば、「言文一致」は、〈明治35年(1902)ごろ一応の完成をみた〉とある。とあれば、このインタビュー集、まさに言文一致黎明期のリアルな形といえる。
翻って、いまのメディアを考えてみると、『唾玉集』の前半のような構成が大半だ。つまり有名人を取り上げる。「有名人」であることが指標だから、どのメディアにも同じ顔が出る。これで面白いはずがない。
一方、『唾玉集』後半のような無名の人を取り上げるのは、勇気がいる。しかも『唾玉集』登場人物たちは、「無名だが何かをなした人」というわけでもない。本当にそこら辺に当たり前にいる、市井の人。普通の人だ。いったい誰が興味を抱くというのか。
だが彼ら一人ひとりには、語るべきストーリーがあった。他人を惹き付ける物語があった。まさに、宮本常一の『忘れられた日本人』(岩波文庫)。明治のジャーナリストの気概と工夫を、本書に感じるのである。
ジャンル | 文学/風俗 |
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時代 ・ 舞台 | 明治時代 |
読後に一言 | 明治人の気概を感じた。 |
効用 | どんな人生にも他人に語るべき物語はある。捨てたもんじゃない。 |
印象深い一節 ・ 名言 | 何でも、我慢をして、一つの事をやり通す人が「ヒイロー」になるんだね(福地桜痴・談) |
類書 | 明治の庶民を描く『明治東京逸聞史』(東洋文庫135、142) 明治生まれの政治家の生き方『夢の七十余年 西原亀三自伝』(東洋文庫40) |
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(2024年5月時点)