1963年に刊行がスタートした『東洋文庫』シリーズ。日本、中国、インド、イスラム圏などアジアが生んだ珠玉の作品の中から、毎週1作品をピックアップ。 1000文字のレビュー、そしてオリジナルカルテとともに、面白くて奥深い「東洋文庫」の世界へいざないます。
これを読めば身も心も冷え冷え? インドの何とも“ぞぞっ”とする話 |
夏と言えば稲川淳二か牡丹灯籠、と勝手に思い込んでいる。だって“ぞぞっ”とする体験は、ヒンヤリした心持ちにさせるから。「怪談」体験は、エアコンいらずで身も心も冷え冷えすると思うのだが、いかがだろうか?
東洋文庫には、実は怪談めいた作品も多いのだが、私が“ぞぞっ”としたのは、『屍鬼(しき)二十五話』(ヴェーターラ・パンチャヴィンシャティカー)だ。
物語は、王がとある修行僧と約束したところから始まる。木に掛かっている死骸を運んできてくれ、と修行僧は王に頼むのだが、そこは当然墓場。
〈無数の人骨、骸骨や頭蓋骨がおぞましく散らばっており、醜悪な亡霊(ブータ)や屍鬼(ヴエーターラ)が喜び勇んで群がって来て墓地をとり囲み、ジャッカルたちがゴロゴロと大声で叫んでおりました〉
こんな“ぞぞっ”とする状況下、勇気ある王は死骸を運ぼうとするのだが、この死骸には「屍鬼」が憑いていてベラベラとものを喋る。運ばれる道中、王に不思議な話を囁くのだ。で、最後に決まって質問を繰り出す。
〈屍鬼は以上の物語を語ってから王にたずねました〉
賢い王は、真面目に答える。すると屍鬼。
〈王がそのように答えると、屍鬼はまたもや彼の肩から消え失せました。そして王は再び屍鬼を運ぶというやっかいな仕事にとりかかりました〉
結局、屍鬼の話→質問→回答→木に戻る→連れ戻す→屍鬼の話……と延々ループするのだ(このこと自体、私はいちばん“ぞぞっ”とした)。まるで『シーシュポスの神話』のような、王を試すかのような繰り返しの苦役なのだが、王はへこたれない。約束を遂行するべく、この無益な労働を繰り返す。それが25回だから『屍鬼二十五話』というわけ。
〈筋立ての面白さでは、インドの説話集のうちの最高傑作〉であり、〈本書に含まれる〈首のすげかえ〉の物語は、ゲーテの詩(『パリア』の「聖譚(せいたん)」)に着想を与え、またトーマス・マンはこの物語に基づいて短編小説『すげかえられた首』を書いた〉(ジャパンナレッジ「世界文学大事典」、『ヴェーターラ・パンチャヴィンシャティカー』の項)と、評価も高い。
最後の“ぞぞっ”は、25話目に訪れる。修行僧の狙いが明らかになり、意外な結末が……。
しかしよくよく考えてみると、私たちの日常も「ループ」しているようなものだ。同じ日常が繰り返されるのだから。そう、自分で変えない限りは! と、自分の“現実”を直視して、“ぞぞっ”っとしたのでした。
ジャンル | 文学/説話 |
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時代 ・ 舞台 | 1000年代のインド |
読後に一言 | “ぞぞっ”としなくなったら、人として疲れているのかも……。 |
効用 | インドならではの奇想天外なワールドが広がっています。 |
印象深い一節 ・ 名言 | たといこの物語(『屍鬼二十五話』)の一詩節だけでも、それを心をこめて語ったり聞いたりしたものは、即座に罪障を脱れることであろう。(第二十五話 大団円) |
類書 | やや時期が重なるインド説話集『鸚鵡七十話』(東洋文庫3) 「牡丹灯籠」も収録する中国の怪奇小説集『剪燈新話』(東洋文庫48) |
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