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1963年に刊行がスタートした『東洋文庫』シリーズ。日本、中国、インド、イスラム圏などアジアが生んだ珠玉の作品の中から、毎週1作品をピックアップ。 1000文字のレビュー、そしてオリジナルカルテとともに、面白くて奥深い「東洋文庫」の世界へいざないます。

東洋文庫 252

『海游録 朝鮮通信使の日本紀行』(申維翰(しんいかん) 著、姜在彦(カンジェオン)訳注)

2012/08/23
アイコン画像    韓国の行動原理は“恨(ハン)”にあり。
朝鮮通信使の記録に見る韓国の民族性。

 根が深い、のだろう。日本人から見れば、李明博(イ・ミョンバク)韓国大統領の竹島などをめぐる一連の言動は、一方的に売ってきたケンカだ。支持率低下にあえぐ李大統領が、国内向けのパフォーマンスを行ったということなのだろうが、であったとしても愚かである。

 一方で、かの国の“恨(ハン)”感情の根の深さも、感じずにはいられない。彼らは水に流さない。だが、そこに腹を立ててしまっては、相手の思う壺である。同じアジア人でかつ隣国ではあるが、欧米人と同じく“外国人”として対するべきなのではないだろうか。

 室町から江戸時代にかけて、朝鮮国王は日本に対し「通信使」を派遣していたが、『海游録』は徳川吉宗時代の通信使による見聞録である。この中に、“恨”そのものといっていい記述があって驚いた。


 〈万暦丙戌年間(一五八六年)に、平賊秀吉が、奴隷から身を起こして源信長(織田信長)に代り、王となった。世伝では、秀吉は中華人で、日本に流入したという。そのひととなりは、樵(きこり)をする下僕である。信長が関白となったとき、その容貌の奇なるを見て宮中に引き入れ、近きにはべらせて寵愛し、事に用いた〉


 本書によれば、信長を殺したのも秀吉だという。で、返す刀で家康を褒めちぎる。取りようによっては、平賊秀吉一族を家康が討ったからこそ、通信使として来ている、と読める。日本側は通信使たちを饗応でもてなすのを常としていたが、この時は帰路、大仏寺(方広寺)で宴の席を設けた。これに怒ったのが通信使。方広寺は秀吉発願の寺ではないか、というのがその理由。


 〈この賊はすなわち吾が邦の百年の讐である。義は天を共にせざるものである。況んやその地において酣飲しえようか〉


 秀吉が朝鮮に攻め入ったのが1592~1598年。本書の著者が日本を訪れたのは1719年。怒るのはもっともだとも言えるが、100年前の出来事である。それを、忘れるもんかとばかりに〈吾が邦の百年の讐〉と言う。

 日本人は例えばロシアに対し、「お前らは日ソ不可侵条約を破ったな」とは言い続けないし、アメリカに「原爆を落としやがって!」とも言わない。だから隣国の“恨”が奇異に映る。だがこれも、『海游録』から見て取れるように、彼らの伝統的な民族性なのだ。まずは隣国の人と「異なっている」という出発点に立ちたい。

本を読む

『海游録 朝鮮通信使の日本紀行』(申維翰(しんいかん) 著、姜在彦(カンジェオン)訳注)
今週のカルテ
ジャンル紀行/記録
時代 ・ 舞台1700年代前半、江戸時代の日本・朝鮮
読後に一言近くて遠い国である、と再認識しました。
効用徳川吉宗の時代、日本が外国人からどう見られていたのか。資料としても貴重です。
印象深い一節

名言
女性の容貌は、多くのばあい、なまめかしくて麗わしい。脂粉を施さなくても、たいてい肌がきめこまかくて白い。(日本聞見雑録)
類書17世紀中頃、ヨーロッパ人による体験に基づく初の朝鮮報告『朝鮮幽囚記』(東洋文庫132)
吉野作造の評論『中国・朝鮮論』(東洋文庫161 )
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