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1963年に刊行がスタートした『東洋文庫』シリーズ。日本、中国、インド、イスラム圏などアジアが生んだ珠玉の作品の中から、毎週1作品をピックアップ。 1000文字のレビュー、そしてオリジナルカルテとともに、面白くて奥深い「東洋文庫」の世界へいざないます。

東洋文庫 304

『金光大神覚 民衆宗教の聖典・金光教』(金光大神著、村上重良校注)

2013/02/07
アイコン画像    幕末三大新宗教シリーズ第三弾!
金光教は、内へ、内へ、と志向する。

 近所のオジサンが庭の石を動かしたら、「コンジンさまの祟り」で大怪我を負ったという話を聞かされたのは、私が高校生の頃である。いっとき、その話ばかり食卓の話題にのぼるので閉口したことがあった。

 この「コンジン」、調べてみたら確かに神さまであった。「金神」と書くそうで、〈殺伐を好むおそるべき神〉(ジャパンナレッジ「日本国語大辞典」)であった。この禍々しい金神を、意図的に読み替えて成立した宗教こそ、金光教である(幕末三大新宗教シリーズ、大トリである)。

 『金光大神覚』は、金光教教祖・金光大神(前名・川手文治郎、赤沢文治)によって書かれた自伝である。「体験記」と言ったほうがより適切かもしれない。

 〈安政2(1855)年42歳の厄年に重病にかかるが奇跡的にたすかる。これを機に、祟り神とされていた金神を信心。やがて金神からの知らせをうけるようになる〉(同「日本人名大辞典」)

 私の知る限り、昭和の終わりまで「金神=祟り神」が信じられていた。幕末ならばなおさらだ。金光大神は重病になるまでの十数年間に、牛2頭、子どもを含め縁者5人を亡くしていた。いわば「祟り」である。しかも医者も見放す重病にかかる。すると見舞いに来ていた農民の1人が、突如神がかりとなり、金神さまのお告げを口走った。


 〈(家の普請で)金神え(へ)無礼いたし〉


 すわ祟りである。だがここから急展開する。金神は金光大神の日頃の行いを認め、病気を治そうというのだ。

 解説にこうある。金光大神は、〈強い神(金神)を、悪神、祟り神として恐れて避けつづけるかぎり、この神は人間にお蔭を与えてくれるはずはない、金神のいる所に心から祈りをささげてこそ、金神は真の神格をあらわして、人間を救済してくれる、と考えた〉

 やがて金光大神は金神の声が聞こえるようになり、「取次」として信者と神とを取り持つ。最初の頃は、田植えの時期から作物の植え方まで、何から何まで金神にお伺いを立てるという生活だった。ひたすら金神と向かい合うのである。解説に、〈信仰を、どこまでも個人の内面の営みとして追究し……〉とあって納得した。この「神と向き合う」という行為は、あまりにもキリスト教徒と似ているのではないか、と感じていたからだ。

 世間にも世界にも目を向けず、内面の営みを追究する。これも混乱期の身の処し方のひとつなのだろう。

本を読む

『金光大神覚 民衆宗教の聖典・金光教』(金光大神著、村上重良校注)
今週のカルテ
ジャンル宗教/伝記
時代 ・ 舞台1800年代後半、幕末の日本
読後に一言外国との接触により既成概念が崩れた幕末の日本。幕末三大新宗教が興ったのは、「あらたな拠り所がほしい」という時代の要請だったのでしょう。
効用当時の農民の生活の中から、いかにして信仰が目覚めたのか。これはすぐれた「告白文学」です。
印象深い一節

名言
おかげは和賀心にあり、今月今日でたのめい。(天地書附)
類書幕末の仏教系新宗教の聖典『お経様 民衆宗教の聖典・如来教』(東洋文庫313)
明治中期の新宗教・大本教の聖典『大本神諭(全2巻)』(東洋文庫347、348)
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