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1963年に刊行がスタートした『東洋文庫』シリーズ。日本、中国、インド、イスラム圏などアジアが生んだ珠玉の作品の中から、毎週1作品をピックアップ。 1000文字のレビュー、そしてオリジナルカルテとともに、面白くて奥深い「東洋文庫」の世界へいざないます。

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『六朝詩選俗訓』(江南先生訓訳、都留春雄・釜谷武志校注)

2013/03/07
アイコン画像    日本語の美しい響きが染み入ってくる、
江戸の口語訳で楽しむ中世中国の漢詩。

 素敵な漢詩を見つけたので、ぜひ紹介したく。


 〈欲泣不成涙/悲来翻強歌/庭花方爛辭ウ/無計奈春何〉


 書き下すとこうなる。


 〈泣かんと欲して涙を成さず/悲しみ来て(きたつて)翻て(かえつて)強ひて歌ふ/庭花 方(まさ)に爛辭ウ/春を奈何(いかん)と計る無し〉


 と、ここまでは普通の作業だが、ここから口語訳という手間を加えると、詩は、さらなる輝きを発する。この詩は、侯夫人(隋の煬帝の後宮の女性)の「自感三首」という漢詩のひとつなのだが、こうした中国の古い詩を、口語訳してしまったのが、『六朝詩選俗訓』なのである。時は田沼意次時代。杉田玄白らが『解体新書』を出版し、平賀源内が活躍していた時代である。つまり1700年代後半の江戸の口語訳、というわけだ。

 上の詩がどう訳されたか、見てみよう。


 〈なきたひ処を なみだをながさず/かなしくなると かへつてむりにうたふ/庭花 今をさかりにさきたるに/此(この)春のけしきを どふともしかたがなひ〉


 どうです? グッと身近になりませんか? この侯夫人、帝の寵愛を受けること叶わず、悲しみの果てに亡くなってしまったそうですが、花盛りの庭を前に、泣きたいのに涙を流さず、悲しいからこそ歌うなんて、切ないなあ。口語訳にしたことで、一層その切なさが沁みます。

 日本語の持つ妙と言いますか、何と言いますか。

 例えば、「黄淡思歌」の一節、〈心中 言う能はず(あたはず)〉。意味はわかるが、漢文だけに無骨である。それを口語訳するとこうなる。


 〈こゝろのそこは 云ふに云はれぬ〉


 続きが読みたくなりますよね? こう続きます。


 〈はらは くるまのわのめぐるやうなり〉


 心は車輪が回転するように、あれこれ巡っているのでしょうな。女心の迷い、でしょうか。


 〈ぬしと あひそめしときは/たゞ よそのひとがきかんかと あん(案)ぜしばかりなりき〉


 でも逢い引きしてしまった。バレなければいいのに。……なんて、この女性が愛おしく感じるから不思議だ。

 翻訳は、〈異質な文化との出会いを手引きするのが使命〉(ジャパンナレッジ「世界文学大事典」)と言われる。なるほど、本書は素晴らしい〈手引き〉だ。1500年も昔の詩が、これほど身近に感じられるのだから。

本を読む

『六朝詩選俗訓』(江南先生訓訳、都留春雄・釜谷武志校注)
今週のカルテ
ジャンル詩歌
成立した年代1700年代後半の日本(200年代から600年代前半の中国)
読後に一言日本は昔から「翻訳力」によって、文化を豊穣にしてきたんですね。
効用“情感に訴えてくる”。こう表現するのがもっとも相応しいでしょう。
印象深い一節

名言
をちばゝ あつまるかとすれば またちり/とぶとりは 飛さりてかへらぬ/みづま(身詰)りのなみだを(以て)/きみが出陣のころもを けがす(「送別」)
類書江戸時代のベストセラー『唐詩選国字解(全3巻)』(東洋文庫405~407)
中国最古の詩集、白川静による口語訳『詩経国風』(東洋文庫518)
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