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1963年に刊行がスタートした『東洋文庫』シリーズ。日本、中国、インド、イスラム圏などアジアの古典・名著がズラリそろって、その数なんと850点余! 後世にぜひ引き継いでいきたい、まさにアジアの文化遺産なのです。

そんな珠玉の作品の中から、毎週1作品をピックアップ。1000文字のレビュー、そしてオリジナルカルテとともに、あなたを面白くて奥深い「東洋文庫」の世界へいざないます。

東洋文庫
『大津事件日誌』(児島惟謙著、家永三郎編注)

2013/04/11
   国家が先か、法律が先か。約100年前の
事件から考える国のあり方、憲法のあり方。

 このところ政治家の改憲云々の言動が目立っているが、そもそも「法律」とは何なのだろうか。もしかしたら「オレが、オレが」という政治家にとっては(あるいは自身の信念を盲信している政治家にとっては)、法律というものはそもそも邪魔なのかもしれない。だって自分のやろうとしていることが、法律に抵触してしまうのだから。

 そんなことを考えたのは、明治時代にも政治家が法律をないがしろにせんとする事件が起きているから。明治憲法施行の翌年、当時のロシア皇太子(のちの皇帝ニコライ二世)を巡査津田三蔵が切りつけたという「大津事件」だ。当時のロシアは強国で日本は事を構えたくなかった。内閣からは「ロシアの怒りを収めるために津田を死刑にせよ!」との声が公然とあがった。だがそんな法律はない。この事態に司法はどんな判断をくだしたのか。

 大審院(当時の最上級裁判所)のトップ、児島惟謙大審院長が記した記録が、『大津事件日誌』である。児島は内閣の要請に憤る。


 〈嗚呼、何等の暴言ぞや。内閣は犯罪人処罰の権限を有するか〉


 当時の総理大臣、松方正義の言。


 〈法律の解釈は然らん。然れども、国家存在して始めて法律存在し、国家存在せずんば法律も生命なし。故に、国家ありての法律なり。法律は国家よりも重大なるの理由なし〉


 語るに落ちたとはこのことで、近代国家(=法治国家)の道を選んでおきながら、法律なんてどうでもいい、と首相自らがのたまわってしまう。

 本書は、児島惟謙の気骨だけが浮かび上がる。この男、政府の恫喝ともいえる要請に屈しない。結果、津田は死刑ではなく無期懲役。

 この結果に、西郷従道内務大臣(隆盛の弟、内相はこの時代のナンバー2)がキレた。帰りの列車の窓から、児島を大声で罵倒する。


 〈児島さん、耳ありますか〉


 児島の答えがふるっている。


 〈西郷さん、眼はありますか。若しあれば御覧なさい〉


 児島は決して、日本の危機を望んでいたわけではない。国を思うからこそ、遵法を訴えた。さて今般の改憲論議、果たしてそこに国を思う気持ちはあるか。改憲は果たして、国のためなのだろうか。

今週のカルテ

ジャンル法律/記録
時代 ・ 舞台明治時代の日本
読後に一言今の政治家が大好きな維新の立役者たちも、その実、大津事件では近視眼的に大騒ぎしたのでした。
効用政治家の発言ややりとりが克明に記されているという点で、資料としてもたいへんに優れています。
印象深い一節

名言
今般の事件は、実に我国法権の威信存亡の決する所にして、之を大にすれば国家の安危、之を小にすれば法官の栄辱、皆繋けて君等今回の一挙にあり。(児島惟謙第一手記)
類書大津事件についても語る元外相の自伝『青木周蔵自伝』(東洋文庫168)
同時期の社会的事件記『加波山事件』(東洋文庫79)
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