1963年に刊行がスタートした『東洋文庫』シリーズ。日本、中国、インド、イスラム圏などアジアが生んだ珠玉の作品の中から、毎週1作品をピックアップ。 1000文字のレビュー、そしてオリジナルカルテとともに、面白くて奥深い「東洋文庫」の世界へいざないます。
中世インドの恋愛の詩で、“狂おしい恋”を バーチャル体験してみよう! |
〈春がくるときのよろこびは あらゆるひとのいのちを吹きならす笛のひびきのやうだ〉(「春の感情」)
詩人・萩原朔太郎の詩の一節だが、実際、春の息吹は人を幸福な気持ちにさせてくれる。猫もさかりがつくように、そう、春は恋愛の季節でもある。といっても今さら新たな恋にうつつを抜かすわけにもいかぬので、恋愛詩でバーチャル体験をしてみたい。題材は、18世紀後半から19世紀前半に詠まれた、『ミール狂恋詩集』だ。
一部を紹介しよう。
〈長い長い恋の道/もうお前は泣いている/考えてもみるがいい/この先一体どうなるか〉
〈人を好きになったなら/命をなくしてしまうのだ/「恋」とは「死」の/愛称だ〉
〈胸の傷あとは/洗ったところで/消えたりしない〉
どうです? 含蓄がありますよね。
この当時のインドは、イスラム教の影響下にあった。解説によると、〈イスラーム神秘主義の影響を受けているので、ガザル(この詩集の定型)の恋人を神と解釈することもできる〉。このあたりが、イスラム教を知らぬ私たちには難しいところなのだが、神秘主義者にとっての神は、〈恐ろしい主人ではなく、麗しい恋人〉なのだという。だからといって神を歌ったのかといえばそうでもなく、〈恋人が人間なのか神なのか明確でない〉のだとか。
となると、こんな詩句も途端に意味を持ち始める。
〈恋にとっては恋こそ掟/時にはしもべ 時には神(あるじ)/神を崇拝する気持ちが確かなら/何を恋しても構わない〉
同じ神さえ信じるならば、誰を好きになっても構わない。恋愛万歳、というわけだ。
では、今のインドはどうなのか? 調べてみると、いまだに「カースト制」の影響が色濃く、同じカースト(身分)同士でないと、結婚は難しいそうだ。〈何を恋しても構わない〉というわけにはいかないらしい(あるテレビ番組では、インド人の8割が見合い結婚と言っていた)。
ヨーロッパのように貴族制度の名残があるわけでもなく、表面上は人種差別もない日本は、こと恋愛の“選択”に関しては恵まれていると言えるだろう。
が一方で、恋愛自由といっても自分の行動範囲内でしか相手を見つけられない。いい恋ができるかどうかは、自分次第ということだ。嗚呼、20代で気づきたかったな。
ジャンル | 詩歌 |
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時代 ・ 舞台 | 1700年代後半~1800年代はじめのインド |
読後に一言 | きな臭い世の中ですので、「恋愛」に逃避してみました。 |
効用 | かつての(?)感情がきっとよみがえります。 |
印象深い一節 ・ 名言 | 心という水疱(はれもの)が/つぶれてしまった/昨夜激しく/胸をたたいて/しまったからだ |
類書 | 同時期にウルドゥー語で翻案された説話『四人の托鉢僧の物語』(東洋文庫523) フランス人宣教師が解きあかす『カーストの民 ヒンドゥーの習俗と儀礼』(東洋文庫483) |
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(2024年5月時点)