1963年に刊行がスタートした『東洋文庫』シリーズ。日本、中国、インド、イスラム圏などアジアが生んだ珠玉の作品の中から、毎週1作品をピックアップ。 1000文字のレビュー、そしてオリジナルカルテとともに、面白くて奥深い「東洋文庫」の世界へいざないます。
時代小説のお伴にはジャパンナレッジ 東洋文庫で『眠狂四郎』をたどってみる |
今さらながら、柴田錬三郎の『眠狂四郎』にどっぷりはまっている。最近ではGACKT主演で舞台化もされた。剣客なので剣の腕が立つのは当たり前だが、この眠狂四郎、実は大の読書家である。問題を解決するために、中国の書物を紐解くなんてこともしていて、短歌も(啖呵ではない)すらすら口をつく。架空の人物ではあるが、教養人として尊敬してしまう。……と思ったら、ジャパンナレッジの「日本人名大辞典」にも載っていましたよ。
〈転び伴天連(バテレン)と日本女性の間に生まれたニヒルな異相の浪人としてえがかれ、秘剣円月殺法をふるって活躍する。作品は昭和31年から「週刊新潮」に連載〉
彼が活躍するのは、水野忠邦が権勢を振るう前後のあたり。物語のスタートは文政12(1829)年。化政文化が花開いていた頃だ。眠狂四郎は忠邦の側用人と近い立場にあるという設定だ。
実際の史実を紐解こう。テキストは、名著として名高い『近世の日本・日本近世史』。その中の講演録「近世の日本」より。
〈(文政)十一年に(水野忠邦は)西丸老中となりまして、世嗣を輔佐し、天保五年に老中となり、八年に御勝手御用掛(註・現在の財務相)に任じまして、幕府の会計を処理する事になりました。(中略)この年に将軍家斉すなわち文恭公は退隠致されまして世嗣の家慶が将軍に任ぜられましたが、その後でも家斉の在世中はなお大御所と申しまして多く大事を決しておりましたから、忠邦は未だその手腕を延ばし、その抱負を実現致す機会を得ませんでした〉
せっかく権力を握ったのに、大御所・家斉のせいで何も出来ない。忠邦の歯ぎしりが聞こえてきそうである(この「歯ぎしり時代」に眠狂四郎は暗躍する)。大御所が崩じた後、忠邦が断行した政治が「天保の改革」だ。『眠狂四郎』には立川談亭という講談師が登場し、名調子を聴かせるのだが、明治・大正の経済史学者、内田銀蔵博士の講演もそれに勝るとも劣らぬ名調子である。つられて全編、一気に読んでしまった。
私たちは江戸を「近世」と呼んでいるが、調べてみると、この区分、内田博士らが広めたらしい。講演の章立ても、江戸開府、幕府権力の確立、鎖国、文教の興隆、新井白石、徳川吉宗、新気運の勃興、松平定信、天保の改革、開国、幕府の衰亡……と、中学校の歴史教科書そのもの。内田博士の見立ては、今なお、続いているということだ。
眠狂四郎のお陰で、結果、少々利口になったのでした。
ジャンル | 歴史/政治・経済 |
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時代 ・ 舞台 | 江戸時代の日本 |
読後に一言 | 剣客ならぬ教養人(?)、眠狂四郎を調べていただけなのですが、実在の教養人に行き当たってしまいました。ジャパンナレッジの醍醐味ですな。 |
効用 | 江戸時代をざっと掴むには格好の書です。1903年と1919年の刊行ですが、決して古びていません。 |
印象深い一節 ・ 名言 | 日本歴史におきましては、近世はいつからかと申しますると、これもいろいろに考えることが出来ますけれども、今日では先ず普通に江戸時代を指すということになっております(「近世の日本」) |
類書 | 江戸の出来事の年表『増訂 武江年表(全2巻)』(東洋文庫116、118) 水野忠邦と同時代の儒学者の日記(1823~1844)『慊堂日暦(全6巻)』(東洋文庫169ほか) |
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(2024年5月時点)