1963年に刊行がスタートした『東洋文庫』シリーズ。日本、中国、インド、イスラム圏などアジアが生んだ珠玉の作品の中から、毎週1作品をピックアップ。 1000文字のレビュー、そしてオリジナルカルテとともに、面白くて奥深い「東洋文庫」の世界へいざないます。
幕末の日本、オランダ士官が警鐘を鳴らす、 “井の中の蛙のプライド”が国を滅ぼす? |
先日、画家の堀文子さん(95歳)にお会いする機会があったのだが、「戦争に突入する前に、学校教育からおかしくなっていった」とおっしゃっていた。教育をねじ曲げていくのは政府の常套手段である、と。「だから私は今の世が恐ろしい」。戦争を体験した堀さんの言葉は重い。
教育とは何か。と大上段に掲げても答えは出ないので、代わりに幕末のある教師に登場いただこう。オランダ軍人のカッテンディーケ(カッテンダイケとも)である。〈(一八)六六年二月六日五十歳で死去するまで海軍大臣を勤めた〉(ジャパンナレッジ「国史大辞典」、「カッテンダイケ」の項)というひとかどの人物だ。
このカッテンディーケ、何の教師かと言えば、幕末に江戸幕府が雇った海軍の指導者なのである。氏は長崎海軍伝習所(幕府が作った海軍教育機関)の教官で、生徒にはあの勝海舟や榎本武揚など、そうそうたる面々が並ぶ。『長崎海軍伝習所の日々』は氏の滞在記なのだが、その日本人観察は秀逸である。
〈町人は個人的自由を享有している。しかもその自由たるや、ヨーロッパの国々でも余りその比を見ないほどの自由である〉
〈日本人が他の東洋諸民族と異なる特性の一つは、奢侈贅沢に執着心を持たないことであって、非常に高貴な人々の館ですら、簡素、単純きわまるものである〉
などなど。おおむね日本を評価しているのだが、途中、強い調子で日本に異を唱えている箇所があった。
〈私は或る階級の日本人全部の特徴である自惚れと自負は、すべて教育の罪だと思う。(中略)日本国民が、井中の蛙のごとき強烈なる国民的自負を持つのも、あながち驚くには当たらない〉
教育改革を唱える人たちに共通するのは、「日本のプライドを取り戻す」という一点だ。これってでも、カッテンディーケの言う、〈井中の蛙のごとき強烈なる国民的自負〉と同じものじゃないだろうか。私には、プライドを取り戻す=井中の蛙になれ、と聞こえる。
しかもカッテンディーケは予言していた。
〈日本はこれまで実に幸福に恵まれていたが、今後はどれほど多くの災難に出遭うことかと思えば、恐ろしさに耐えなかった故に、心も自然に暗くなった〉
維新後、日本は、日清、日露、太平洋戦争と突き進んだ。くだらないプライドの行き着いた結末である。
ジャンル | 記録/随筆 |
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時代・舞台 | 幕末の日本 |
読後に一言 | 景気が良くなったと明るくならないといけないんでしょうが、なぜか暗くなってしまうんですよね。本書を読んでますます暗澹たる気持ちになりました。 |
効用 | 勝海舟をはじめ、こうした幕末の人物たちの若き日々を垣間見るのも、この書の楽しみのひとつです。 |
印象深い一節 ・ 名言 | 私は同人(勝海舟)をただに誠実かつ敬愛すべき人物と見るばかりでなく、また実に真の革新派の闘士と思っている。要するに、私は彼を幾多の点において尊敬している。 |
類書 | 会津藩士が見た幕末『京都守護職始末(全2巻)』(東洋文庫49、60) 英国人記者が見た幕末・維新『ヤング・ジャパン(全2巻)』(東洋文庫156、166) |
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(2024年5月時点)