1963年に刊行がスタートした『東洋文庫』シリーズ。日本、中国、インド、イスラム圏などアジアが生んだ珠玉の作品の中から、毎週1作品をピックアップ。 1000文字のレビュー、そしてオリジナルカルテとともに、面白くて奥深い「東洋文庫」の世界へいざないます。
江戸の植木職人が精魂込めた園芸書の、 花を愛でる余裕と仕事への心意気 |
5月になると、仕事場の窓下の藪に、蝋細工のような金色の花が風に揺れはじめる。仕事が一段落すると目に飛び込んで来るので、きっと切羽詰まっているときは花など目にも入らないのだろう。調べてみると――まったく自信がないのだけれど、ウマノアシガタ(別名キンポウゲ)という野草だった。
心穏やかにあたりを見回せば、そこここに花が咲いている。足を止め、花を愛でている瞬間、花に気づいた自分に安堵する。まだ美に目をやる余裕があるということだ。そう考えると、園芸という趣味は奥深い。
では園芸が確立したのはいつだろうか。
東洋文庫には『花壇地錦抄・草花絵前集』という江戸前期の園芸書があるのだが、花壇地錦抄の著者、三之丞こと3代目伊藤伊兵衛を調べてみると、〈元禄5年(1692)日本最初の園芸植物の図説書「錦繍枕(きんしゅうまくら)」〉を〈刊行した〉とある(ジャパンナレッジ「日本人名大辞典」)。『花壇地錦抄』はさらにその3年後の1695年に出した園芸書で、『草花絵前集』は4代目の図譜(1699年)である。こうした園芸書がこの時期、花盛りだったことを考えると、江戸になって園芸が定着したのだろう。いわば社会全体が、花に目を向ける余裕を持ったということではないだろうか。
そう思いながら読んでみて驚いた。例えば「さつきのるい(類)」という種類解説のページ。
〈源氏 うす色、大りん、花のへり白し。
まがき 白に赤とび入り、二重、中りん。
さざなみ 白地に赤とび入り、さらさ、大りん。
こふじ くれない、小りん。〉
と、200近い種類が列挙されている。すでにこの頃、それだけの園芸へのこだわりと愛情があったということだ。さらに、〈草木(そうもく)は植作様(うえつくりよう)土地によりて好悪あり、その性(しょう)山谷原湿(さんこくげんしつ)の異あるを以ってそれぞれの栄をなす〉と植え方まできちっと「理論」を提示し、土の種類、草木別の植え替え時期まで明示する。本としては決して派手ではないが、必要なことを漏らさず記述する。その職人気、「いい仕事してますね」と思わず声をかけたくなる。
花、という一見何も生み出さないものを愛でて、それを男子一生の仕事にする。利に囚われるばかりが仕事じゃないということか。三之丞伊藤伊兵衛を見習いたい、とつくづく思ったのでした。
ジャンル | 実用 |
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時代 ・ 舞台 | 江戸時代の前期 |
読後に一言 | 先日小学生の息子にオオイヌノフグリを教わりました。雑草なのに、知った途端に可憐な花に見えてきました。花を知る――愛でる条件なのかもしれません。 |
効用 | 4代目伊藤伊兵衛の残した『草花絵前集』の、細かい草花の絵を見るだけでも価値がある本です。 |
印象深い一節 ・ 名言 | すべて春夏葉しげりて、秋より冬の中落葉するたぐいを夏木という。桜、梅、桃のるいも夏木なり。(夏木の分) |
類書 | 宋代から清代の花卉(かき)の書『中国の花譜』(東洋文庫622) 日本初の図入り百科事典の草木編『和漢三才図会 15~18巻』(東洋文庫516ほか) |
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