1963年に刊行がスタートした『東洋文庫』シリーズ。日本、中国、インド、イスラム圏などアジアが生んだ珠玉の作品の中から、毎週1作品をピックアップ。 1000文字のレビュー、そしてオリジナルカルテとともに、面白くて奥深い「東洋文庫」の世界へいざないます。
生粋の江戸ッ子が「どうでぃ」と自慢しながら振り返る、江戸のまちや人の賑わいの記録。 |
東洋文庫には「江戸」を扱ったものが多い。地理から風俗に至るまで種々の見聞を記した『増訂 武江年表(全2巻)』。年中行事をまとめた『東都歳事記(全3巻)』。ドイツ人医師ケンペルの『江戸参府旅行日記』やスウェーデン医師ツュンベリーの『江戸参府随行記』といった外国人の見た江戸。……と枚挙に暇がないのだが、私は『絵本江戸風俗往来』の空気が好きである。
著者の菊池貴一郎は、嘉永2(1849)年生まれの江戸っ子。本書の原書の出版が明治38(1905)年だから御年56歳。この6年後に四代目広重を継ぐことになる絵描きで、何よりも「火事」が好き。江戸っ子だ。本人は「江戸っ子」の自負強く、だからこそ明治の末に、江戸の行事や風俗を絵入りで描いた、というわけである。
さてこの「江戸っ子」、ジャパンナレッジの日本国語大辞典によれば、〈江戸で生まれ育ったきっすいの江戸の人〉。ニッポニカだとやや条件が厳しくて、〈父母ともに3代続きの江戸市民〉。本書ではさらに条件を絞って、〈山王大権現・神田大明神の産子(うぶこ)の土地に生まれし者〉とする。どうです? 菊池翁の意地みたいなものが見えてきやしませんか。
で肝心の本書。年中行事を綴った上・中編と、市中の人々を観察した下編に分かれている。前出の『東都歳事記』を参考にしたという上・中編は放っておいていい。読むべきは下編である。例えば「七(ツ)坊主」(さすがのジャパンナレッジでも日本国語大辞典にしか登場しない)。本書いわく、〈日暮七ツ時という鐘声を報ずるや、十人二十人ずつ組みて市中所々へ托鉢に出〉る増上寺の僧で、ゆえにこの名がついたとか。で、この坊主の集団、修行と称して論争をふっかけて回る。いわばソクラテスの集団のようなものか。〈托鉢は名のみにして、実は大道横行する者を懲しめんことを専らとす〉というのだから、挑まれたほうはたまったもんじゃない。
と、こんなふうに、「居合抜き」や「猫八」、「阿房陀羅経道楽寺和尚」や「歯力」(これも日国にしか載っていない言葉)など、芸を売る多士済々を紹介していく。江戸っ子なら知ってるのは当然だ、という胸を張った様子が行間にあったりして、これがまた味わいになっている。
……ただし「江戸文化歴史検定」(2010年の第5回検定申し込み締め切りは9月30日)を受験しよう、なんていう御仁には、あまり参考にならぬやもしれませんが。
ジャンル | 風俗 |
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時代 ・ 舞台 | 江戸時代末期 |
読後に一言 | 江戸っ子のお国自慢 |
効用 | こんな「意地」ならあってもいい。住んでいる場所に誇りを持つことの大切さを思い知る。 |
印象深い一節 ・ 名言 | 山王大権現・神田大明神の産子の土地に生まれし者を、江戸ッ子と唱えたり。 |
類書 | 江戸の見聞記『増訂 武江年表(全2巻)』(東洋文庫116、118) ドイツ人医師が記した『江戸参府旅行日記』(東洋文庫303) |
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(2024年5月時点)