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1963年に刊行がスタートした『東洋文庫』シリーズ。日本、中国、インド、イスラム圏などアジアが生んだ珠玉の作品の中から、毎週1作品をピックアップ。 1000文字のレビュー、そしてオリジナルカルテとともに、面白くて奥深い「東洋文庫」の世界へいざないます。

東洋文庫 219

『断鴻零雁記 蘇曼殊・人と作品』(蘇曼殊著、飯塚朗訳)

2013/08/08
アイコン画像    中国と日本人のハーフ作家・蘇曼殊は、
アジアのフィッツジェラルド!?

 面白く読んだのだけれど、どう捉えていいのかわからずにモヤモヤしていたところ、まったく別の本を読んでいて、妙に腑に落ちた。アメリカの作家・フィッツジェラルドの短編集『若者はみな悲しい』(小川高義訳/光文社古典新訳文庫)にあった一節だ。


 〈ある個人を語ろうとすると、それだけで人間のタイプを語ってしまう。もしタイプから始めると、話はどこにもいかなくなる。誰だっておかしな生き物だ〉(「お坊ちゃん」)


 で、何にモヤモヤしていたかと言えば、蘇曼殊(そまんじゅ)の小説『断鴻零雁記(だんこうれいがんき)』に、だ。あらすじをかいつまんで話そう。

 主人公は僧侶の三郎(16歳)。日本人の母と中国人の父の間に生まれたハーフだが、両親共にいない。三郎はある日、自分の乳母と再会する。いわく実母は日本で生きているという。かつての許嫁・雪梅に引き留められるも、三郎は日本に帰る。ここまではついて行けたのだが、この後、実母は当たり前のように三郎を受け入れ、そのうち、しつこく結婚しろ、と言う。その結婚相手・静子を愛する三郎だが、僧侶の身。そんなことはできぬと日本を逃げ出し中国へ。中国に戻ってみると許嫁・雪梅は悲嘆のうちに悶死していた。出てくる女性は作り物めいていて、三郎の行動にも共感できぬ。さて……と思っていたところで、フィッツジェラルドの一節を見つけたのである。そうか、自分は無理にタイプわけしようとしていたのだ、と。〈誰だっておかしな生き物〉だという前提ならば、まあ、『断鴻零雁記』という荒唐無稽な小説もありかな、と思って解説を読んでいたら、さらに驚いた。なんとコレ、自伝的小説だというのである。

 蘇曼殊を「ジャパンナレッジ」で調べると、〈中国、清末・民国初期の詩人・文学者。横浜に生まれ、母は日本人。名は玄瑛、字は子穀。曼殊は僧号〉(「デジタル大辞泉」)とある。まさに三郎そのもの。『断鴻零雁記』以降の人生はさらに波瀾万丈で、中国の革命運動にはまり込み、清国の政治家の暗殺を企てたことも。辛亥革命後は、〈憂憤を抱きつつ日本・中国を流浪し,詩および小説を残し〉(同「世界文学大事典」)、33歳の若さで病没。

 1884年生まれの蘇曼殊と1896年生まれのフィッツジェラルドはほぼ同世代。どちらの作品にも、青年の高揚感と憂鬱が描かれている。つまり蘇曼殊の残した作品は、“青年が見た今(時代)”として捉えるべきなのだろう。

本を読む

『断鴻零雁記 蘇曼殊・人と作品』(蘇曼殊著、飯塚朗訳)
今週のカルテ
ジャンル文学/詩歌
時代 ・ 舞台1900年代の中国、日本
読後に一言明治末から大正にかけての、青年の間に横たわっていた感情が、ここには書かれていた。ここでようやく腑に落ちた。
効用後半の「曼殊詩選」は、書き下し文だけでなく、訳者の気の利いた訳も載っていて(下記参照)、楽しめます。
印象深い一節

名言
空は果てなく 淵ふかく/松蔭に聴く 琴の音よ/明日瓢々と またいずこ/心さらりと 白雲と(曼殊詩選「画に題す」)
類書同時期(清代末)の小説『老残遊記』(東洋文庫51)
辛亥革命のルポ『辛亥革命見聞記』(東洋文庫165)
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