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1963年に刊行がスタートした『東洋文庫』シリーズ。日本、中国、インド、イスラム圏などアジアが生んだ珠玉の作品の中から、毎週1作品をピックアップ。 1000文字のレビュー、そしてオリジナルカルテとともに、面白くて奥深い「東洋文庫」の世界へいざないます。

東洋文庫 171|172|179

『日本その日その日(全3巻)』(E.S.モース著、石川欣一訳)

2013/11/28
アイコン画像    大森貝塚の発見は車窓からだった!?
モースが日本にのこしたもの【前編】

 車内吊りを眺めていたら、江戸東京博物館のポスターが目に入った。「明治のこころ―モースが見た庶民のくらし―」。特別展はすでに始まっていて、会期は12月8日まで。大森貝塚のモースだよなと思いつつ家に帰り、江戸博のHPをチェックしてみると、こうあった。


 〈本展では、貴重なモース・コレクションの資料・写真・スケッチとともに、モースの言葉を展示しています。これらの言葉は、モースの名著『日本その日その日』(Japan Day by Day,1917年)に記された、日本及び日本人の克明な記録から抜粋したものです〉


 『日本その日その日』って、東洋文庫にあるじゃん! ってことで、早速紐解いた次第。これぞ天啓かと読んでみたら、これがね、すこぶる面白い。なぜかというと、「視点」があるんです、科学者の。だから非常に丁寧に日本および日本人を観察しているんです。

 本書解説によれば、モースという人は特異な経歴の持ち主らしい。学校の先生の言うことを聞かない悪童モースは、ひとり動植物採集に熱中し、貝殻は独自に分類していたという。それがやがて評判を呼び、モース(当時、中卒の鉄道会社の製図工)は、ハーバード大学の教授に引っ張られて、科学者の道へと進んだ。常識や権威の中にいないから、モースはそういうところから自由で、師事した教授が反対する「進化論」にも賛同し、この当時の最新理論を吸収し、自分の考えを掘り下げていく。かといって、我を通す人物でもなく、弁説はさわやか。会う人会う人を虜にし、来日すると帝大関係者に気にいられ、モースのために新たに動物学の講座をつくって教授に任命してしまうほどだった。

 で、そんなモースの大森貝塚発見シーン。


 〈横浜に上陸して数日後、初めて東京へ行った時、線路の切割に貝殻の堆積があるのを、通行中の汽車の窓から見て、私は即座にこれを本当のKjoekkenmoedding(貝墟)であると知った〉


 大森貝塚の発見は、〈日本先史学の源を開いた〉(ジャパンナレッジ「日本国語大辞典」「大森貝塚」の項)と評価され、〈日本の考古学研究、とくに縄文土器文化研究の第一歩を踏み出した記念すべき遺跡〉(同「ニッポニカ」同項)とされる。

 既成概念に囚われず、自分の目で物を見る。だからこそ、車窓から大発見をしてしまったのだろう。

 ではモースは日本人をどう見たか。続きは来週!

本を読む

『日本その日その日(全3巻)』(E.S.モース著、石川欣一訳)
今週のカルテ
ジャンル随筆/科学
時代 ・ 舞台明治時代(1877~1883年)の日本
読後に一言同じ電車に乗っていても、一方はポスターを眺めるだけ。一方は、世紀の大発見をしてしまうのでした。ちょっと悔しいので前後編2回で切り込んでみます。
効用モース直筆のスケッチを見るだけでも楽しい本です。
印象深い一節

名言
学校へ行く途中で、私は殆ど七十マイルも離れた富士を見る。これは実に絶間なきよろこびの源である。(「大森に於る古代の陶器と貝塚」)
類書明治時代に来日したイギリス言語学者の日本分析『日本事物誌(全2巻)』(東洋文庫131、147)
明治時代に来日したアメリカ青年教師の手記『明治日本体験記』(東洋文庫430)
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