1963年に刊行がスタートした『東洋文庫』シリーズ。日本、中国、インド、イスラム圏などアジアが生んだ珠玉の作品の中から、毎週1作品をピックアップ。 1000文字のレビュー、そしてオリジナルカルテとともに、面白くて奥深い「東洋文庫」の世界へいざないます。
マルコ・ポーロを「大旅行家」にしたのは、 “相手の求めに応える力”だった! |
今からちょうど690年前の1324年1月9日(8日という説もあり)のこと。そう、このコラムの更新日の今日です。ヨーロッパに多大な影響を与えた男がこの世を去りました。あの『東方見聞録』のマルコ・ポーロです。
このマルコ、宝石商人の父と叔父に連れられ、東方に旅立ったのが1270年、数えで17歳のこと。そして21歳の頃、フビライ・ハン(元朝の世祖)に拝謁する。マルコはその後、〈中国にとどまって元朝に仕え、優遇されて官職につき、その間、中国の各地を広く旅行し、17年間、元朝で暮らした〉(ジャパンナレッジ「ニッポニカ」)。故郷ベネチアに帰ったのは1295年のこと。つまりマルコ・ポーロは、1270年から1295年までの約四半世紀、ヨーロッパ人の知り得なかった「東方」を旅して回ったのです。その時のことを口述したのが、『東方見聞録』というわけ。
わずか21歳の青年が、なぜフビライ・ハンに寵愛されたのか。知りたいですよね? 『東方見聞録 1』(全2巻)には、マルコの2つの武器が明記してありました。
①相手が求めている才能を磨く――語学力
マルコは語学の天才で、〈四種の言語・文字及びその書法〉に精通。その4つとは、モンゴル語、ペルシア語、トルコ語(アラビア文字)、ギリシア語だったそうです。語学が堪能な青年は、多民族国家を束ねるフビライ・ハンが求めている人材でした。
②相手が求めている要求に応える――観察力
マルコは最初の仕事(中国・雲南地方への使節)で見事、フビライの期待に応えました。フビライは、世界の各地に派遣した使節の報告内容が薄いと機嫌が悪かったそうです。
〈マルコはこの辺の事情を見たり聞いたりしてよく心得ていたから、自分が使節として派出された場合には、なんでも珍稀な事物に出会うごとに細心の注意をこれにそそぎ、帰還するやその詳細をカーン(フビライ・ハン)に説明できたのである〉
「この辺の事情」とは、「フビライが何を期待しているか」ということです。マルコは、「俺はこうしたい!」という欲求ではなく、「相手の期待にどう応えるか」の一点に知恵を絞って、信任を得たのでした。そしてフビライへの報告が、のちに『東方見聞録』に結実するのです。
相手の求めに応える。つまり「人のため」に生きるということ。こういう人になりたいものです。
ジャンル | 紀行 |
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時代 ・ 舞台 | 13世紀後半のアジア(トルコ、アルメニア、イラク、イラン、アフガニスタン、中国、モンゴル、ミャンマーなど) |
読後に一言 | 日本について描かれた『東方見聞録 2』は、来週お送りします! |
効用 | 1巻目は、モンゴル帝国(元朝)の国の仕組みがよくわかります。 |
印象深い一節 ・ 名言 | (マルコ・ポーロが)その往路、帰路で見聞したところを以下に残らず述べることにしよう。(第四章) |
類書 | 大帝国の征服の記録『モンゴル帝国史(全6巻)』(東洋文庫110ほか) チンギス・ハンの生涯の記録『モンゴル秘史(全3巻)』(東洋文庫163ほか) |
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