1963年に刊行がスタートした『東洋文庫』シリーズ。日本、中国、インド、イスラム圏などアジアが生んだ珠玉の作品の中から、毎週1作品をピックアップ。 1000文字のレビュー、そしてオリジナルカルテとともに、面白くて奥深い「東洋文庫」の世界へいざないます。
マルコ・ポーロのレポートに学ぶ、 隣人と仲良くするための「伝える力」 |
マルコ・ポーロは、「ミリオーネ(百万)」という渾名をつけられていたそうです。本書注(1巻)によれば、「百万長者」と、「何につけてもすぐ百万という表現を使う大風呂敷」という2つの意味を持っていたとか。『東方見聞録』には確かに、「話を盛ってる?」という箇所もあるが、ヨーロッパ人からすると、マルコの話は信じられないことばかりだった、ということではなかったか。
マルコの大袈裟話の中でも、『東方見聞録 2』の「チパング島(日本)」の報告は際立っています。
〈住民は皮膚の色が白く礼節の正しい優雅な偶像教徒であって、独立国をなし、自己の国王をいただいている〉
〈この国王の一大宮殿は、それこそ純金ずくめで出来ているのですぞ〉
〈彼等(日本人)は人肉がどの肉にもましてうまいと考えている〉
〈距離があまりにも遠いので、これらの島々(日本)に赴くことは大変な難事なのである〉
この「チパング(ジパング、Zipangu、Jipangu)」という呼称、〈「日本国」の中国音からのものとされる〉(ジャパンナレッジ「国史大辞典」「日本」の項)ようで、これが現在の日本の「ジャパン」という呼称の元になっている――というウンチクはさておき、日本について書かれたレポートに唸らされたのは、その「的確さ」である。伝聞を含む内容ゆえ、間違いはあるけれど、「人への伝え方」としては、まことに的確なのだ。どんな人たちが住んでいて、どんな宗教を信じ、どんな生活を送っているか。こうしたことが抜けなく記述されている。いわば、マルコには「伝える力」があるのだ。
その特徴は「主観を差し挟まない」ということ。夫婦関係や食物、宗教など、ヨーロッパのキリスト教徒からすれば「奇習」であっても、彼が見聞きした事実のみ記述する。もちろん、それでも主観は消えないのだけれど、客観に徹しようという姿勢が見て取れるのである。
例えば釈迦(本書では「ソガモニ」)を説明するくだり。
〈もし彼がキリスト教徒であったなら、きっと彼はわが主イエス・キリストと並ぶ偉大な聖者となったにちがいないであろう〉
「ヘイトスピーチ」が流行語になり、レイシスト(差別主義者)を平気で名乗る輩が大きな顔をする時代だ。でもこれって、本当に自分の目で確かめたのだろうか? 主観を差し挟まず見ようという姿勢がない限り、相手には、何一つ、伝わらない。いや、伝えたくないのか……。
ジャンル | 紀行 |
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時代 ・ 舞台 | 13世紀後半のアジア(中国、日本、インドネシア、スリランカ、インド、イエメン、トルクメニスタン、アゼルバイジャンなど) |
読後に一言 | 非常に面白いレポートでした。『東方見聞録』が、〈東方への交易と布教の関心を飛躍的に高め,一つにはまた,いわゆる大航海時代を用意し,さらには地理上の発見をもたらした〉(ジャパンナレッジ「世界文学大事典」「ポーロ マルコ」の項)とされるのも、納得します。 |
効用 | 私たちにもまた、さまざまな「好奇心の発見」をもたらすでしょう。 |
印象深い一節 ・ 名言 | 彼等(ラル地方/インド西海岸北部のチュギと称せられる宗派の人々)はまた草であれ根であれ、緑のものはすべて食用に供せず、枯れたものしか食べないが、これも緑のものには魂があるからそうするのだそうである(第六章) |
類書 | イスラム圏からインド、中国までの14世紀の旅の記録『大旅行記(全8巻)』(東洋文庫601ほか)※巻7、8はジャパンナレッジ未収録 14世紀に成立した西欧から元朝の中国までの旅行案内書『東方旅行記』(東洋文庫19) |
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(2024年5月時点)