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1963年に刊行がスタートした『東洋文庫』シリーズ。日本、中国、インド、イスラム圏などアジアが生んだ珠玉の作品の中から、毎週1作品をピックアップ。 1000文字のレビュー、そしてオリジナルカルテとともに、面白くて奥深い「東洋文庫」の世界へいざないます。

東洋文庫 103|115|117

『シーボルト先生 その生涯及び功業(全3巻)』(呉秀三著)

2014/02/06
アイコン画像    間宮林蔵vsドイツ人医師シーボルト
「シーボルト事件」の真相とは!?

 かつて長崎のシーボルト記念館を訪れたことがあるが、ここにはシーボルトの美しい名刺が所蔵されている。シーボルトの来日は1823年のことだが、もしかしたらこの名刺は、日本に現存する最古の印刷名刺かもしれない。

 そんなことを思い出したのは、今月2月17日(1796年)が、氏の誕生日だから。というわけで、今月は“シーボルト祭”を勝手に開催いたします!

 第一弾は、大正時代に書かれた伝記の名著から。『シーボルト先生 その生涯及び功業(全3巻)』。著者の呉秀三は、〈日本の精神病学の基礎をきずいた〉精神病学者で、〈富士川游とならぶ医学史研究の草分け〉(「日本人名大辞典」)である。そんな氏が、〈功名事業は昭々乎として吾人の心肝に銘するなり〉として取り上げたのがシーボルトだった。全3巻のうち、1、2巻でシーボルトの生涯と業績を詳説し、3巻で90人以上の関係者の伝記を収録するという労作。文語体でやや読みにくいところはあるが、非常に優れた伝記といえよう。中でも多くの章を割いていたのが「シーボルト事件」だ。


 〈シーボルトが任期を終えて帰国しようとした際に、たまたま起こった暴風雨のために乗船が難破し、積み荷が調べられた。そのオランダへ持ち帰る荷物のうちに、伊能忠敬(いのうただたか)作成の日本地図など多くの禁制品のあることが発覚……〉(ニッポニカ)


 今ならば特定秘密保護法案に引っかかる案件ですな。処分者は50数人にのぼるという大事件で、シーボルトは〈三年に亘り幽囚の身となり〉、最終的に国外追放された。著者は、〈(シーボルトは)日本の研究、たゞこれのみに心を傾け尽したり〉と、その処遇を嘆くのだが、実はこの事件の発端は、間宮林蔵の密告にあったというのだ。そう、間宮海峡を発見し、カラフトが島であることを確認した、あの間宮です。


 〈シーボルト先生に関する被告事件は(間宮)林蔵が高橋景保(幕府天文方、事件に連座して獄死)の手より先生の贈れる手翰・物品を受取りて、これを当路に申出でたるに始まれり〉


 事件後、間宮は密告者として人望を失い、寂しい晩年を送ったという(間宮は幕府隠密だったとも言われる)。

 誰からも尊敬される自分も親しい人間が、お上に反した行動を取った。いったい自分ならどうするか……。「私心あるなし」で問えば、間宮よりシーボルトに軍配をあげたいのだけれど……。

本を読む

『シーボルト先生 その生涯及び功業(全3巻)』(呉秀三著)
今週のカルテ
ジャンル伝記/科学
時代 ・ 舞台1800年代の日本
読後に一言「国史大辞典」いわく、〈皮肉にもシーボルトが大陸・カラフト間の海峡を「間宮海峡」としてヨーロッパに紹介したことにより、間宮林蔵の名は世界地図上不朽のものとなった〉(「間宮林蔵」の項)。間宮さん、どう思っているのでしょう?
効用シーボルトが日本にもたらした功績の大きさが、よくわかります。
印象深い一節

名言
彼(シーボルト)は死に臨みても猶ほ「日本」を楽土とし呼びて之に赴くを快しとせるが如し(3巻)
類書富士川游の医学史『日本疾病史』(東洋文庫133)
間宮林蔵の探検談『東韃地方紀行他』(東洋文庫484)
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