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1963年に刊行がスタートした『東洋文庫』シリーズ。日本、中国、インド、イスラム圏などアジアが生んだ珠玉の作品の中から、毎週1作品をピックアップ。 1000文字のレビュー、そしてオリジナルカルテとともに、面白くて奥深い「東洋文庫」の世界へいざないます。

東洋文庫 398

『ジーボルト最後の日本旅行』(A.ジーボルト著、斎藤信訳)

2014/02/20
アイコン画像    スノボの中学生銀メダリストと
シーボルトの長男の奇妙な一致

 ソチ五輪も最終盤だけど、スノボのハーフパイプ男子の銀銅獲得はすごかったなぁ。平野歩夢選手(15歳)、平岡卓選手(18歳)の活躍に、彼らが本当の意味でグローバルに生きているんだと感じた。だって、この年齢で世界中を転戦しているわけだから。

 翻って日本の現状を見ると、実はグローバルとはほど遠い。文科省によれば、日本人の海外留学者数は2004年をピーク(8万2945人)に減り続け、直近のデータで5万8060人(2010年)。これはこのデータの10数年前、1996年のレベルだ。日本人はどんどん内向きになっていると言えませんか?

 日本が最初にグローバル化の波にさらされたのは、幕末の黒船来航だ。攘夷だ、開国だと大騒ぎしたのはご存じの通り。そんな最中の1859年、13歳になる息子を連れて、再来日した親日派の外国人がいる。そう、連続して取り上げているシーボルトだ(本書ではジーボルト)。

 本書『ジーボルト最後の日本旅行』は、その13歳の息子アレクサンダーが当時を振り返って記したものだ。


 〈一三歳の少年を六三歳の老人といっしょに遠い世界へ連れ出し、長い年月の間愛する母や弟妹から引離してしまったのは、全く異常な運命の戯れというべきであった〉


 彼は、東禅寺事件(英国公使館襲撃事件)直後の現場を目撃するなど、激動する時代の真っ只中を生きた。その臨場感を味わいつつ読んでいたのだが、ラストで驚かされた。何とアレクサンダーは、父親(シーボルト)がロシア海軍へ入隊させようと画策していることを知り、先手を打ってイギリス公使館に就職してしまうのだ。その時15歳。父からの独立だ。父はひとり、欧州に戻るのだが、この時の別れが父子の今生の別れとなった。

 息子アレクサンダーの強い意志に、私は勝手にスノボの平野選手を重ね合わせてしまった。実は平野選手は、メダリスト会見で、自分の父親に対し「感謝」という言葉を使っていない。唯一、「感謝」しているのがコーチの國母和宏氏だ。バンクーバー五輪代表として現地に向かう際、腰パン姿をバッシングされたあの選手だ(ちなみに、腰パン問題を「教育の問題だ」と国会でも追求したのは、現文科相の下村博文議員だ)。

 その國母氏は米国に拠点を置く、世界的な評価が高いプロスノーボーダーだ。これぞグローバル。そして彼の愛弟子たちがメダルを取る。こうした内向きの理論に振り回されない強さを、私は評価したい。

本を読む

『ジーボルト最後の日本旅行』(A.ジーボルト著、斎藤信訳)
今週のカルテ
ジャンル紀行/評論
時代 ・ 舞台1800年代後半の日本、イエメン、マレーシア、シンガポール、インドネシアなど
読後に一言シーボルト特集第3弾。ちなみに本書は父との別れで終わっていますが、この後、アレクサンダーは日本政府に仕え、外交面で力を尽くします。
効用第一級の幕末史料です。
印象深い一節

名言
前庭にはまだ殺された浪士の死体がころがっていた。(中略)父が彼を診察した。息をすると痛むか、と父が尋ねた時のこの男の憎しみに満ちて睨んだ眼ざしを、私は決して忘れはしない。(イギリス公使館(東禅寺)の襲撃)
類書通訳仲間のアーネスト・サトウの日記『日本旅行日記(全2巻)』(東洋文庫544、550)
不平等条約改正交渉にも協力『青木周蔵自伝』(東洋文庫168)
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