1963年に刊行がスタートした『東洋文庫』シリーズ。日本、中国、インド、イスラム圏などアジアが生んだ珠玉の作品の中から、毎週1作品をピックアップ。 1000文字のレビュー、そしてオリジナルカルテとともに、面白くて奥深い「東洋文庫」の世界へいざないます。
中国革命運動に飛び込んだひとりの男の 「私心なき大局観」に思いを馳せる |
宮崎滔天(とうてん)という男がいる。
明治・大正を生きた人物で、中国革命運動に飛び込んで、孫文らと奮闘した。だが孫文の蜂起は失敗に終わり、本人は失意のまま、浪曲師に転身……という人生だ。
『三十三年の夢』は浪曲師に転身するまでの33年間を描いた半生記なのだが、これが妙に惹き付ける。彼が何を成したか、という手厳しい指摘をすれば、確かに疑問符がつく。だが彼のスタンスはなぜか気持ちいいのだ。
本書巻末にあった吉野作造の解題を読んで、私は膝を打った。そこではこう評価されていた。〈東洋の大局に着眼せし者あるの事実はまた如何に之を説明すべきか〉
〈私の敬服に堪へないのは、彼れの態度の有(あら)ゆる方面に亘って純真を極むることである〉
実際、本人もこう記している。
〈志公に存して私にあらず〉
つまり宮崎滔天という男は、私心のないところで、〈純真〉に、ただ〈大局〉のことを考えて行動していたのだ(自身も他人の評価軸に、〈大局を洞察するの明あり〉など、大局観を大事にしていたことが伺える)。だから読んでいて気持ちいい。何を成したとかではない。その心意気にグッとくるのだ。
ソチ五輪の期間中、『三十三年の夢』を読んでいたのだけれど、「私心なき大局観」について考えていたせいか、日本のスポーツ紙の報道の仕方に呆れてしまった。
ノルディック複合のノーマルヒル(NH)で渡部暁斗選手が銀メダルを獲得し、世間が湧いたのはご存じの通り。その後のラージヒル個人戦直前に、NH金メダルの有力選手が発熱というニュースが飛び込んできた。それをスポーツ紙は、次のように報じたのだ。
〈ライバル欠場か…渡部暁、個人金メダルへ視界良好!〉(サンスポ)
〈渡部暁、金へ追い風! NH金・フレンツェルが発熱〉(スポーツ報知)
ため息が漏れる。自分さえ良ければそれでいい、という典型的な発想だ(ワイドショーでもこの流れで「チャンス」を連呼していた)。こうした手前勝手なスタンスは、何も今に始まった話じゃないけれど……。
〈夫(そ)れ世運の大局に何の寄与する所ありしか〉
宮崎滔天ならば、こう問いかけたに違いない。
ジャンル | 伝記 |
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時代 ・ 舞台 | 19世紀後半から20世紀初頭(明治時代)の日本、中国 |
読後に一言 | 「序」にあった、〈半生夢覚めて落花を懐(おも)ふ〉というくだりが、最後まで読むと、より心に響いてきた。 |
効用 | 中国革命初期の実情がつぶさにわかります。 |
印象深い一節 ・ 名言 | 夢の世に夢を逐うて、また更に新なる夢に入る。唱はん哉、落花の歌。奏せん哉、落花の曲。武蔵野の花も折りたし、それかとて、嗚呼それかとて………… |
類書 | 中国アナキストの宮崎滔天らとの思い出『留日回顧』(東洋文庫81) 革命に身を投じた研究者の分析『中国革命の階級対立(全2巻)』(東洋文庫272、275) |
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