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1963年に刊行がスタートした『東洋文庫』シリーズ。日本、中国、インド、イスラム圏などアジアが生んだ珠玉の作品の中から、毎週1作品をピックアップ。 1000文字のレビュー、そしてオリジナルカルテとともに、面白くて奥深い「東洋文庫」の世界へいざないます。

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『菅江真澄遊覧記 1~2』(菅江真澄著、内田武志・宮本常一編訳)

2014/05/08
アイコン画像    30歳での一念発起で、人生が変わった!
旅に生きた民俗学者の生涯を辿る(前編)

 当コラムで取り上げたいと思いつつ、後回しにしてきた人物がいる。菅江真澄(1754―1829)だ。


 〈江戸中期の国学者、紀行家、民俗学者。(中略)各地を旅行して、庶民生活と習俗を日記と図絵に記録した『真澄遊覧記』50冊余は、近世の民俗誌的価値がきわめて高い〉(ジャパンナレッジ「ニッポニカ」)


 『菅江真澄遊覧記(全5巻)』の現代語訳版が東洋文庫にラインナップされているのは、当叢書の価値を高めていると思うのだが、菅江真澄という人物、大きすぎて私には摑み切れない(なので、2回に分けます)。

 三河(愛知)生まれの菅江は、30歳で旅立ち、信濃、越後を経て東北に入り、蝦夷(北海道)にも渡った。その間、一度も郷里に帰らず、田沢湖(秋田)の近くにおいて76歳で没した。まさに〈生涯を旅に終えた人であった〉(宮本常一、本書「まえがき」)。

 当の本人は、その旅立ちをこう記す。


 〈日本国内のすべての古い神社を拝み巡って、幣(ぬさ)を奉りたいと、天明三年、のどかな春二月の末近いころ、父母に別れ、故郷を後に旅だった〉(「伊那の中路」)


 菅江真澄研究の第一人者で本書編訳者の内田武志氏は、菅江の執筆姿勢を、〈すべてに批判らしいことばをまったく避けて、あるがままの対象描写に終始した〉と評価する。読み手からすると、終始一貫冷静で、感情の動きが見えにくい、という難点もある。

 引いて見ると、1700年代後半――天明から寛政のこの時期は自分を取り囲む世界に目が向けられた時代でもあった。蝦夷地探査が始まり、『赤蝦夷風説考』(工藤平助)や『三国通覧図説』(林子平)、『地球全図』(桂川甫周)など他国をテーマにした書籍も出た。『東遊雑記』や『東西遊記』など国内紀行文も多く書かれ、1802年には十返舎一九『東海道中膝栗毛』も刊行される。伊能忠敬が日本の測量を始めたのもこの頃だ。そんな時代に、菅江は30歳で旅立った。彼もまた時代に突き動かされたのか。

 ひとつ言えることは、この時分、自分の生まれ育った地域以外、すべてのものは「未知」であった。そうした「未知」に対し、どう臨むか。それが問われ始めた時代ではなかったか。実証主義者・菅江は、眼前の「未知」をひたすら丹念に書き留めていく。

 丹念さ――菅江真澄はこれを武器にして、「未知」を自分のものとした。30代の飛躍だった。

本を読む

『菅江真澄遊覧記 1~2』(菅江真澄著、内田武志・宮本常一編訳)
今週のカルテ
ジャンル民俗学/日記
時代 ・ 舞台1700年代後半~1800年代前半の日本
読後に一言2回に分けてお送りしますが、1回目は「30代の菅江真澄」。40代から晩年までを第2回目とします。
効用「旅のあと」という菅江真澄の通った道筋を記した「折込み地図」がついているので、参考になります。
印象深い一節

名言
遠い国々をさすらいあるき、今年も暮れて、陸奥の胆沢(いざわ)郡駒形荘ころもが関のこなた、徳岡(胆沢村)という里の村上良知の家にあって、新年を迎えた(「かすむ駒形」)
類書同時期の奥羽、松前紀行『東遊雑記』(東洋文庫27)
同時期の諸国紀行『東西遊記(全2巻)』(東洋文庫248、249)
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