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1963年に刊行がスタートした『東洋文庫』シリーズ。日本、中国、インド、イスラム圏などアジアが生んだ珠玉の作品の中から、毎週1作品をピックアップ。 1000文字のレビュー、そしてオリジナルカルテとともに、面白くて奥深い「東洋文庫」の世界へいざないます。

東洋文庫 309

『訓蒙画解集・無言道人筆記』(司馬江漢著、菅野陽校注)

2014/06/05
アイコン画像    損か得かでものを語ることなかれ
江戸後期の画家の鋭い批評文

 巣鴨界隈の墓地を巡ったことがある。染井霊園の二葉亭四迷や岡倉天心、本妙寺の剣豪・千葉周作といったあたりをお参りしてきたのだが、こうした寺院の一群に慈眼寺がある。谷崎潤一郎や芥川龍之介が眠るところだが、この墓地に、ひときわ目立つ縦長の墓がある。墓石いっぱいに「江漢司馬峻之墓」と刻まれているのだが、実はこれ、司馬江漢が生前に建ててしまったという墓なのだ。

 司馬江漢は、江戸後期に活躍したマルチタレントで、浮世絵師、洋画家、蘭学者という多様な顔を持つ。

 〈狩野派、南蘋(なんぴん)派の画法をまなぶ。のち平賀源内らの影響をうけ洋風画を研究、天明3年わが国初の腐食銅版画を制作。油彩の風景画を手がけ、西洋の天文学、地理学も紹介した〉(ジャパンナレッジ「日本人名大辞典」)

 『訓蒙画解集・無言道人筆記』は、その江漢の著。


 〈夫れ天は無形なり。而して大地は円なり。故に地球と名づく〉(「訓蒙画解集」)


 と地動説を早くから唱えたことでも知られ……ようは教養・技能のある変人、といったところか。本書解説によれば、〈老荘・儒・仏等のあらゆる典籍に必ず反論を加え、否定的言説を述べ、儒者、僧侶を罵倒したことはしばしばあり……〉というから、何か言わずにはいられなかったのだろう。

 〈否定的言説を述べ〉ていたという江漢だが、晩年の書である「訓蒙画解集」と「無言道人筆記」は、さまざまな典籍を引用する説話や箴言だ。とはいえ、皮肉屋の江漢だけに、スパイスも効いているのですが。


 〈馬鹿な人間はいくらも輪奈(罠)にかかるなり。たとえば小判を餌とすれば、欲の深い者が掛かる。盃を以てすれば、酒好がかかる。女を出して置けば、老若、智あるも、愚(ヲロカ)も一度にかかるなり〉(「無言道人筆記」)


 テレビでも雑誌でも、「お得!」という表現に溢れている。資本主義社会の弊害なのか、価値判断は常に損か得か。ちょっとでも景気が良くなったと思えば、無批判に内閣を支持する。外交も領土問題も損得で語る。詐欺にひっかかるのだって、得をしたかったからだろう。

 江漢、この「欲深さ」に手厳しい。


 〈たいそうなるわざわいは欲の深いより来るなり。是れにて沢山じゃと思う時は大福長者なり〉(「訓蒙画解集」)


 資本主義は「欲望」が牽引しているという言い方もできる。でも、欲望の行き着く先って、江漢の言うように「たいそうなるわざわい」なんじゃないだろうか。

本を読む

『訓蒙画解集・無言道人筆記』(司馬江漢著、菅野陽校注)
今週のカルテ
ジャンル随筆/美術
時代 ・ 舞台1800年代の日本
読後に一言嫌味や皮肉をまき散らすじいさんに、私もなりたい……。
効用「訓蒙画解集」は江漢の画入り。見ているだけで厭きません(96ページの蛙や、125ページの擬人化した蚊の絵などに唸らされました)。
印象深い一節

名言
人は乱世に遭う時の想いを考え、今太平の治世に安居するの有がたきを、日々思い感ずべし。(「無言道人筆記」)
類書司馬江漢の紀行『江漢西遊日記』(東洋文庫461)
同時代の蘭学事情がわかる『前野蘭化(全3巻)』(東洋文庫600ほか)
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