1963年に刊行がスタートした『東洋文庫』シリーズ。日本、中国、インド、イスラム圏などアジアが生んだ珠玉の作品の中から、毎週1作品をピックアップ。 1000文字のレビュー、そしてオリジナルカルテとともに、面白くて奥深い「東洋文庫」の世界へいざないます。
不遇の時代にどう行動するか 「千夜一夜」訳者の台湾エッセイ |
〈五彩の陶器の絵を活かしたような絢爛たる色どりである。その街を今祭礼の行列が練つて行く。唐(カラ)の群衆の中にぽつりと異邦人がひとり立つて、それを眺めている〉
情緒的なこの文章は、『〈華麗島〉台湾からの眺望 前嶋信次著作選3』に収められた前嶋信次氏のエッセイ「媽祖(まそ)祭」の書き出し部分である。
『アラビアン・ナイト』を訳したことで知られる東洋史学者の前嶋氏は、25歳から37歳まで、台湾に12年間赴任していたことがある。その経験に裏打ちされた台湾およびその周辺に関する論文・エッセイを収録したのが本書なのだが、実はこの台湾生活、氏にとって、〈第一の不遇時代〉なのだという。〈学内の派閥抗争に巻き込まれる形で「無能者として冷遇」され〉たというのだからただ事ではない。〈とくに後半の八年間は、本来の関心に沿った研究ができ〉なかったという。(東洋文庫『千夜一夜物語と中東文化 前嶋信次著作選1』、杉田英明「前嶋信次氏の人と業績」)。
自分の及ばぬ所で翻弄される――社会人であれば必ず経験することだ。異動に出向。冷遇にリストラ……。
そんな時、どうするか。氏のとった行動はこうだ。
〈地元の民俗や伝承に関心を持ち、「史蹟を歩きまわり、拓本をとったり、古老の話を聞き歩いたりし」て、「古碑・古廟・古地図・古書などの間に沈潜」しつつ多くの論文や随筆を発表するようになった〉(同前)。
前嶋氏は、目の前の事を面白がることに徹したのだと思う。その証拠ともいえるのが本書といっていい。
冒頭の文章は、祭を見ている〈異邦人〉が誰であってもかまわないと前置きしつつ、こう続く。
〈無名のこの文の筆者でも一向にかまわない〉
自分はまだ何もなしていない。20~30代の前嶋氏は、自分がのちに『アラビアン・ナイト』の訳出に取り組むようになることを知らないが、現状を卑下しているわけではない。ただ眼前のことに集中している。
〈肝腎なのは観る人ではなくて、蜿々(えんえん)として行く行列と、周囲の情景とであるから〉
と氏が記す時、そこには研究者として「媽祖祭」を冷静に観察する前嶋氏の姿がある。
……はぁ。でも不遇をかこっている時に、目の前の事を楽しめだなんて、難しいよなぁ。楽しんでいるつもりで快楽に逃げているということもままあるし。ポイントは、〈関心を持ち……〉というあたりかもしれません。
ジャンル | 評論/民俗学 |
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発表された時代 ・ 舞台 | 1931~1974年/台湾、中国 |
読後に一言 | いま東京国立博物館で、特別展「台北 國立故宮博物院-神品至宝-」 (2014年9月15日まで)を行なっていますが、俄然、行きたくなりました。 |
効用 | 戦前の中国、台湾の生活が垣間見えます。 |
印象深い一節 ・ 名言 | 南支那風の繁華街と云うものは、いつでも、また至る所皆同じように見える。(中略)時代の変遷につれて風俗の変遷もあつた事は事実乍ら、本質的のものは変つていない。それは大衆の生活に根本的の変化がないからである。(「媽祖祭」) |
類書 | 台湾などの見聞・調査記録『問俗録』(東洋文庫495) 同著者のエッセイ集『書物と旅 東西往還』(東洋文庫684) |
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